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#純愛
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昨夜の密やかな外出を経て、私の世界はほんの少しだけ外側に広がったような気がしていた。
月城様の隣にいれば、この見知らぬ地上のどこへ行っても怖くない。
そんな全幅の信頼と心地よい余韻に浸りながら、私は午後の柔らかな光が差し込む庭先を眺めていた。
そこでは、一体の式神が黙々と落ち葉を掃き清めていた。
月城様がその強大な霊力で精巧に作り上げた、人間の青年に酷似した端正な容貌を持つ式神だ。
いつもなら通り過ぎるだけの存在。
けれど、昨夜の楽しかった記憶が私を饒舌にさせたのか、ふと彼に言葉を掛けてみたくなった。
「いつもお掃除、ありがとうございます。おかげでお庭が、今日もとっても綺麗ですね」
私が歩み寄り、心からの微笑みを向けると、感情を持たないはずの式神が一瞬だけ驚いたように箒を持つ手を止めた。
澄んだ虚無の瞳が私を映し、やがて彼は、意志があるかのように深々と、恭しく一礼した。
ほんの些細な、穏やかな日常の一コマ。
けれど次の瞬間、背後から心臓を直接凍らせるような、凄まじい密度の冷気を感じて私は息を呑んだ。
「……輝夜。そこで、何をしているんだい?」
振り返れば、そこには公務から戻ったばかりの月城様が立っていた。
端正な面輪はいつも通り穏やかで、紡がれる声も低く耳に心地よい。
けれど、その双眸の奥底には
煮え滾る泥のように暗く、粘着質な情動が渦巻いているのが見て取れた。
「あ、月城様。お帰りなさい! 今、お庭を整えてくれている式神さんに、お礼を伝えていたところで……」
「そうか。……礼など、主である私がいれば十分だろう。それとも、私の用意したこの『人形』に、心を通わせる必要があるとでも言うのかい?」
月城様は私の弁明を冷ややかに遮ると、私の細い手首を有無を言わさず掴み上げた。
痛みはない。
けれど、決して逃がさない、千切れても離さないという狂おしいほどの力がこもっている。
彼はそのまま一度も振り返ることなく、私を引きずるようにして奥の寝室へと連れて行った。
パタン、と重厚な扉が閉まり、間髪入れずに強固な結界が部屋全体を包囲する。
外界の音さえ遮断された、二人きりの、逃げ場のない密室。
「月城様…どうかされましたか? そんなに怖い顔をして……」
「……わからないのかい? 私がどれほど、君が他の男に──たとえ私の指先一つで消えてなくなる『無』に等しい人形でさえも、その無垢な笑顔を向けるのが耐えがたいか。……胸の奥が、どろどろに焼けるようだ」
月城様は狼狽える私を寝台の端へと追い詰めると
逃げ道を塞ぐように両手で私を閉じ込め、上から覆い被さった。
至近距離で、互いの視線が逃れようもなく絡み合う。
彼の冷たい青い髪が私の頬にさらりと触れ、熱く、わずかに震える吐息が私の唇をかすめた。
「君に、私以外の『男』という概念を教えたのは、私の間違いだったのかもしれない。……君の瞳に映るのは、私だけでいい。君の言葉を、笑顔を、その純粋な愛を……独占していいのは、世界中で私一人だけだ」
彼は抗う力も忘れた私の首筋に顔を埋め、深く、肺の奥まで私の香りを吸い込んだ。
「ん……っ」
まるで私の存在そのものを自分の中に溶かし込み、一体化しようとするかのような執拗さ。
背中をなぞる彼の指先は、熱に浮かされたように震えていた。
「……怖いかい? 公明正大で、冷徹に感情を殺して生きてきたはずの私が、こんなにも醜く、人形にさえ嫉妬して狂っているのが」
「そ、そういうわけじゃ…っ」
「……けれど、もう止めるつもりはないよ。君が私を、こんな風に変えてしまったんだから」
囁く彼の声は、ひどく掠れていて、今にも泣き出しそうなほどに切実だった。
独占欲。執着。支配。
そして、天才と謳われる彼自身でさえも制御不能に陥るほどの、奈落よりも深い愛。
「月城様……ごめんなさい。私、そんなにお気持ちを乱すつもりは……っ」
「謝らなくていい。ただ、この場で私に誓ってくれ。……私以外の、動くものすべてに、その愛らしい顔を見せないと」
彼は私の唇に、触れるだけの、けれど消えない呪印を刻み込むような熱い口づけを落とした。
帝都を守る冷徹な天才陰陽師が
一人の少女の微笑み一つで、ここまで容易く無様に崩れ去ってしまう。
私は、彼の中にある「私」という存在のあまりの重さに
甘い戦慄と、そして逃れられぬ運命への恍惚を覚え
ただ彼の背中にそっと手を回すことしかできなかった。