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夏休みが終わって、教室に戻ってきた。 窓際の席に座って、外を眺める。 風がカーテンを揺らしていて、 その揺れが、静岡の夜を思い出させた。
「りいなー、プリント回してー」
すずの声が、いつも通りに響く。 でも、旅のあと、すずの声は少しだけ柔らかくなった気がする。
「はいはい。てか、字きれいすぎじゃない?」
「褒めても何も出ないよ」
「すずの笑顔が出るからいい」
すずは、ちょっとだけ照れて笑った。 その笑顔が、旅の夜に見た涙よりも、ずっと強くて、ずっと綺麗だった。
海は、私の斜め後ろの席。 授業中でも、ちょっとだけ話しかけてくる。
「なあ、りいな。今日の髪、巻いてる?」
「うん。ちょっとだけ。気づくの早すぎ」
「だって、好きな子の髪型くらい毎日チェックするだろ」
「うるさい。先生に怒られるよ」
「でも、怒られてもいいくらい好き」
その言葉に、私は笑いながらノートで海の頭を軽く叩いた。 でも、心の中では、ちゃんと嬉しかった。
はるきは、私の前の席。 静かにノートを取ってるけど、 たまに振り返って、私と目が合う。
「……わからん。ここ、教えて」
「え、はるきがわからないとか珍しい」
「旅で脳みそ溶けた」
「じゃあ、私が冷やしてあげる」
「それは怖い」
そのやりとりが、旅の夜の“最後に伝えたいこと”の続きみたいで、 なんだか、少しだけ胸があったかくなる。
4人は、同じ教室にいる。 でも、旅の前とは違う。 すずは、はるきの隣に座っていて、 たまに小さな声で話してる。
「ねえ、これってさ……」
「うん、それで合ってる」
「ありがと。はるきって、やっぱ頼れる」
「すずって、やっぱかわいい」
「うるさい。そういうのは旅館だけにしといて」
でも、すずの声は、ちょっとだけ嬉しそうだった。
教室の空気は、いつも通り。 でも、4人の間には、旅の記憶が静かに流れている。
選んだこと。 選ばれなかったこと。 選ばなかったこと。 そして、選び合ったこと。
全部が、教室の光の中に溶けていた。
私は、窓の外を見ながら思った。
(この日常が、ずっと続いてほしい)
でも、転校は近づいている。 その“終わり”が、少しずつ足音を立てている。
でも今は―― この教室で、4人で笑っていられることが、 何よりも大切だった。
昼休みが終わる直前、りいなは静かに席を立った。 教室の空気が、ふわりと揺れる。 彼女が立ち上がるだけで、周囲の視線が集まる。 それは、マドンナの特権であり、呪いでもある。
「えっと……みんなに、伝えたいことがあります」
その声に、教室が静まり返る。 誰もが、何か特別なことが始まる予感を感じていた。
「私、来月……転校します」
一瞬の沈黙。 そして、爆発するようなざわめき。
「ええええええええええええええええええええええええええええっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ」
転校発表の翌日。りいなが登校すると、空気が違っていた。 廊下ですれ違う男子たちが、妙にそわそわしている。 目が合うと、すぐに逸らされる。 でも、りいなにはわかっていた。――“来る”って。
「りいな、ちょっといい?」
一人目は、バスケ部のエース。 そのあとも、昼休みのたびに、校舎裏、図書室、屋上―― りいなは、告白され続けた。
「好きでした。転校する前に、伝えたくて」
「ずっと、りいなの笑顔に救われてた」
「もし、静岡行っても、連絡してくれたら嬉しい」
その言葉たちは、どれも本気で、どれも優しくて。 でも、りいなは――誰も選ばなかった。
「ありがとう。でも……ごめんね」
そのたびに、胸が少しずつ痛んだ。 “誰かを選ぶこと”が、誰かを傷つけることだと、知っているから。
放課後。りいなが靴箱で靴を履いていると、背後から声がした。
「……モテすぎ」
振り返ると、海がいた。 いつもの飄々とした笑顔じゃない。 目が、少しだけ怒っていた。
「転校するって言っただけで、告白ラッシュって。さすがマドンナ」
「……海、怒ってる?」
「怒ってるよ。めっちゃ」
そのまま、海はりいなの手を取った。 「ちょっと来て」と言って、校舎裏へ。 そして、物置小屋の扉を開けて、りいなを中に引き込んだ。
「ここなら、誰にも見られない」
物置小屋の中は、夕暮れの光が差し込んで、ほこりが舞っていた。 狭い空間に、ふたりきり。
「海……」
「俺さ、ずっと思ってた。りいなは誰にも選ばれないって。誰も選ばないって」
「……うん」
「でも、俺は選ぶ。りいなを。ずっと、好きだった」
その言葉は、海らしくなくて、真っ直ぐで。 りいなは、目をそらせなかった。
「……私も、海のこと、好きだよ」
その瞬間、海はりいなを抱きしめた。 ぎゅっと、強く。 そして、唇が触れた。
キスは、静かで、でも熱くて。 物置小屋の中で、ふたりの世界だけが、確かに存在していた。
どう?このあと、すずとの関係や、転校までの残りの日々も描けるよ。もっと続けたい?それとも、海視点での嫉妬の揺れを深掘りしてみる?
物置小屋の中。 海は、りいなを抱きしめたまま、しばらく黙っていた。 その腕の強さに、りいなは少し驚いていた。
「……ごめん。強く抱きすぎた」
「ううん、なんか……安心した」
海は、りいなの髪に顔を埋めるようにして、ぽつりと呟いた。
「俺さ、ずっと見てた。りいなが誰にも選ばれないように、誰にも選ばれないようにって、勝手に思ってた」
「……それって、どういうこと?」
「りいなは、誰にも染まらない。誰にも縛られない。そういうとこが、好きだった。だから、誰かに告白されるたびに、心の中で“断れ”って願ってた」
りいなは、少しだけ笑った。
「海、最低」
「うん。最低だよ。でも、俺は……りいなが転校するって聞いて、焦った。今までみたいに、選ばないままでいられると思ってたのに、時間がなくなった」
海の声は、少し震えていた。 その震えが、りいなの胸に響いた。
「……私も、怖かった。誰かを選ぶことで、誰かを傷つけるのが」
「でも、選ばないままでいたら、俺が傷つく」
その言葉に、りいなは目を見開いた。 海の目は、真っ直ぐだった。 いつもの軽さは、どこにもなかった。
「海……私、ほんとはずっと迷ってた。誰かを好きになるってことが、誰かを置いていくことになるのが、怖くて」
「でも、俺は置いてかれてもいい。りいなが俺を選んでくれるなら、それでいい」
その言葉に、りいなの目から涙がこぼれた。 海は、そっとその涙を指で拭った。
「泣かないで。俺、りいなの涙、苦手なんだ」
「……じゃあ、笑わせてよ」
海は、少しだけ笑って、りいなの額にキスをした。 そして、もう一度、唇を重ねた。
キスは、さっきよりも深くて、長くて。 物置小屋の中で、ふたりの時間だけが流れていた。
キスのあと、ふたりは並んで座った。 物置小屋の壁にもたれて、夕陽を見ながら。
「転校しても、連絡して。俺、絶対返信するから」
「うん。でも、海が返信遅かったら、怒るからね」
「じゃあ、毎日“おはよう”送る」
「それはそれで、ちょっと重いかも」
ふたりは笑った。 その笑いは、少しだけ切なくて、でも確かに幸せだった。
放課後。教室にはもう誰もいない。 すずは、ひとり窓辺に座っていた。 カーテンが風に揺れて、夕陽が差し込む。
窓の外、校舎裏の物置小屋。 少しだけ開いた扉の隙間から、ふたりの影が見えた。
りいなと海。 重なる影。 そして――キス。
すずは、目を逸らせなかった。 まるで、心がそこに縫い付けられてしまったみたいに。
すずは、りいなが好きだった。 それは、恋とか友情とか、そういう言葉では足りない感情だった。
りいなの笑顔。 りいなの天然な言葉。 りいなが、誰にも染まらずに、でも誰からも好かれるその存在。
「ずるいよ、りいな」
すずは、ぽつりと呟いた。 誰にも聞こえない声で。
「転校するって言って、みんなに告白されて……それで、海まで」
胸が、ぎゅっと痛んだ。 でも、それは怒りじゃなかった。 ただ、寂しさだった。
すずは、海のことも好きだった。 りいなに惹かれていく海を、ずっと見ていた。
海が、りいなを見る目。 海が、りいなにだけ見せる表情。 それを、すずは知っていた。
「私じゃ、だめだったんだね」
その言葉は、涙にならなかった。 すずは、泣けなかった。 泣いたら、負けてしまう気がした。
すずは、立ち上がった。 窓から目を離して、教室を出る。
廊下を歩きながら、心の中で思った。
「りいなは、“選ばない”って言ってた。でも、選ばれちゃうんだよね。結局、誰かに」
すずは、選ばれなかった。 でも、それでも――りいなが好きだった。
「好きって、選ばれることじゃない。選ばれなくても、好きでいられることだと思う」
その言葉は、すずの中で静かに灯った。 それは、痛みの中にある、すずだけの美学だった。
「転校、ほんとにするんだね。 海と、仲良くしてるの見たよ。 ちょっとだけ、寂しかった。 でも、りいなが幸せなら、それでいい。 静岡でも、りいならしくいてね。 私は、ここで応援してるから。」
教室のドアが開くと、空気が一瞬止まる。 「おはよー!」と、りいなが明るく声を上げると、止まっていた空気が一気に動き出す。
男子たちは、りいなの声に反応して、少しだけ姿勢を正す。 女子たちは、りいなの笑顔に微笑み返しながらも、どこか探るような視線を交わす。
「りいな、今日もかわいいね」 「転校する前に、写真撮ろうよ!」
そんな声が飛び交う中、すずは静かに席に座っていた。 りいなの笑顔を見ながら、心の中で思う。
(あと何回、“おはよう”って言えるんだろう)
海は、窓際の席でイヤホンを片耳だけつけて、りいなをちらっと見る。 目が合うと、ふっと笑う。
「今日もモテモテだな、マドンナ」
「うるさいよ、海」
そのやりとりに、すずは少しだけ胸がチクッとする。 でも、笑顔は崩さない。 りいなと海の間にある“空気”は、すずには入れないものだった。 それでも、すずはその距離を、受け入れていた。 それが、今の自分の居場所だから。
「風、気持ちいいね」
りいなとすずは、屋上でお弁当を広げていた。 校舎の屋上は、昼休みの隠れ家。 誰にも邪魔されない、三人だけの場所。
海は、遅れてやってきて、りいなの隣に座る。 すずの隣には座らない。いつもそうだ。
「今日の弁当、なに?」
「卵焼きと、ウインナーと、冷凍のからあげ」
「冷凍って言うなよ。夢がなくなる」
「事実だもん」
ふたりの会話に、すずは笑いながらも、少しだけ距離を感じていた。 りいなと海の間にある“空気”は、すずには入れないものだった。
でも、すずはその距離を、受け入れていた。 それが、今の自分の居場所だから。
沈黙が流れる。 風が髪を揺らす。 りいなが、ふと空を見上げて言った。
「転校しても、空は同じなんだよね」
「空は広いからな。りいながどこにいても、見えるよ」
海の言葉に、すずはまた胸がチクッとする。 でも、何も言わない。 りいなが笑っているなら、それでいい。 それが、すずの“選ばない”という選択だった。
「転校までに、読みたい本ある?」
すずが聞くと、りいなは少し考えてから答えた。
「うーん、“選ばない”ってテーマの本、ないかな?」
「またそれ言ってる。りいなって、ほんと不思議」
「すずこそ、しっかりしてるのに、たまに詩人みたいなこと言うよね」
「それ、褒めてる?」
「もちろん!」
ふたりは笑い合う。 その笑顔は、昔から変わらない。 でも、すずの胸の奥には、少しだけ“終わり”の予感があった。
海は、図書室の奥の席で、文庫本を読んでいた。 ふたりの笑い声に、ちらっと視線を向ける。 でも、何も言わずにページをめくる。
その静けさが、すずには少しだけ切なかった。 りいなは、海の視線に気づいていた。 でも、何も言わなかった。
“選ばない”ということは、時に“気づいても触れない”ということなのかもしれない。
「海、今日も一緒に帰る?」
「もちろん。りいなと帰れるうちは、全部一緒に帰る」
「重いな〜」
「軽く言ってるからセーフ」
すずは、少し遅れて歩いていた。 ふたりの背中を見ながら、心の中で呟く。
(この時間も、あと何回あるんだろう)
夕陽が、ふたりの影を長く伸ばしていた。 すずの影は、その後ろに静かに寄り添っていた。
途中、りいながふと振り返る。
「すず、遅れてるよ〜」
「うん、ごめん。ちょっと考え事してた」
「なに考えてたの?」
「……りいながいなくなったら、屋上、誰と行こうかなって」
りいなは、少しだけ目を見開いて、それから笑った。
「すずなら、誰とでも仲良くできるよ」
その言葉に、すずは笑い返した。 でも、心の中では、(誰とでも、じゃなくて、りいなとがいい)と思っていた。
でも、それは言わない。 それが、すずの“選ばない”という選択だった。
その夜、りいなは日記を書いた。
今日も、ふつうだった。 海とすずと、笑って、話して、帰って。 でも、ふつうって、こんなに特別なんだって思った。 転校まで、あと少し。 私は、誰も選ばないままでいられるかな。 でも、誰かに選ばれてしまうのかもしれない。 それでも、私は私でいたい。 “選ばない”って、逃げじゃなくて、私の美学だから。
ページを閉じると、りいなはそっと目を閉じた。 その顔は、少しだけ大人びていた。 そして、少しだけ寂しそうだった。
「りいな、また靴下左右違うぞ」
「え、今日のテーマは“左右非対称の美”だから」
「それ、昨日も言ってた」
「じゃあ今日は“継続は力なり”ってことで」
海は呆れたように笑いながら、りいなのリュックのチャックを閉めてやる。 「開いてるぞ。財布落とすなよ」
「え、海ってお母さん?」
「お前が子どもすぎるんだよ」
そんなやりとりをしているふたりの間に、すずが歩いてくる。 少しだけ間を空けて、声をかける。
「おはよ」
「すず!今日も前髪完璧!」
「え、そう?ありがとう……」
すずは笑うけど、ふたりの空気に少しだけ入りづらさを感じる。 “ふつう”に見えるその関係が、自分にはちょっとだけ“特別”に見えてしまう。
数学の授業。先生の声が単調に響く中、りいながこっそり海にメモを回す。
「この関数、恋愛関係に置き換えたらどうなると思う?」
海はすぐに返す。
「f(りいな)=海にちょっかい f(海)=りいなにツッコミ f(すず)=静かに見守る」
りいなは吹き出しそうになって、口元を押さえる。 すずはその様子を見て、少しだけ眉をひそめる。 自分には回ってこないメモ。 でも、それを気にしてる自分がちょっと嫌で、ノートに集中するふりをする。
「海、卵焼きちょうだい」
「え、俺の?自分の食べなよ」
「海のが甘くて好きなんだもん」
「俺の母ちゃんに感謝しろ」
「じゃあ今度、海ママに手紙書く」
「それ、俺より喜ぶかもな」
ふたりは、風の吹く屋上で並んで弁当を広げている。 すずは少し遅れてやってきて、隣に座る。
「ごめん、委員会で遅れた」
「すずの弁当、今日も彩りきれい!」
「ありがとう。自分で詰めただけだけど」
ふたりの間に座るすず。 でも、会話のテンポはふたりのリズムで進んでいく。 すずはその波に乗り切れず、少しだけ黙って卵焼きを口に運ぶ。
「チョコミントか、バニラか……」
「りいなはチョコミント派だろ。裏切るなよ」
「じゃあバニラにする」
「裏切ったー!」
「海がそう言うと思ったから逆に裏切った!」
ふたりは笑いながらアイスを選ぶ。 コンビニの前で、並んで座って食べる時間。 それが、ふたりにとっての“ふつう”だった。
すずは、その日部活で遅れて帰っていた。 ふたりの寄り道を知らないまま、駅のホームでひとり立っていた。
海「今日のチョコミント、勝ちだったな」 りいな「でもバニラも捨てがたかった」 海「俺のことも捨てないでね」 りいな「海は冷凍保存するから大丈夫」 海「賞味期限、無限?」 りいな「うん。ずっと“ふつう”でいてね」
そのやりとりは、誰にも見られない。 でも、ふたりの距離を物語っていた。
すずは、スマホを見ながらため息をつく。 グループチャットには、ふたりのやりとりが並んでいる。 自分が入っていない、ふたりだけの“ふつう”。
「……私、邪魔なのかな」
そう思ってしまう自分が、少しだけ嫌だった。 でも、りいなの笑顔も、海の優しさも、好きだった。
だから、言えなかった。 「さみしい」って。
転校まで、あと一週間。 りいなは、海とすずに何も言っていない。
「ねえ、来週の土曜、空いてる?」
「ん?空いてるけど」
「すずも、空いてる?」
「うん。なんで?」
「ちょっと、行きたいとこあるんだ」
その声は、少しだけ震えていた。 “ふつう”が終わることを、りいなだけが知っていた。