「具合は大丈夫ですか?」
幼い印象の顔立ちから発せられる声は意外にも大人びていて、周波数がかちりとハマりあうみたいに耳に届く。
「満員電車って結構人酔いしますよね〜。この時間、普段はそんなに混んでないんだけどなぁ…。遅延とかっすかね?」
そう溜息混じりの声を漏らし、長い足をぐっと伸ばした。なんだか、こちらに罪悪感を感じさせないようにと、細かな気配りが感じられる話し方で、その真っ新な善人に対すると、余計に自責の念に駆られるような気がした。
そこでようやっと、謝らなければという思考に至った。
「…あ、あの、」
きゅるりと動いた黒目がこちらを見据える。
真っ直ぐな視線が痛い。
「本当に、本当にすみません。俺、あの時は吐かないようにするので精一杯で、相手もわからなくて…。見ず知らずのあなたに、一緒に電車まで降りていただいて」
全ては俺が招いた結果だ。遅刻してでももう一本電車を送らせていくべきだった。いや、もっと早く、家にいるうちからマネさんに連絡を入れていればよかった。自分を過信して、中途半端に責任感背負って、考えうる限り最悪の結果を招いたのだ。
三分の一ほど飲み干したペットボトルに目を落とす。
「水代、返します。それから、俺のせいで遅れてしまった分の交通費も。きっとこの後も予定ありましたよね、その分をお詫びすることは、俺にはできないけど……」
一先ずを話し終えて財布を取り出そうとすると、男性は慌てた声でそれを制止してきた。
「い、いやいや…!?そんなんいくらでもないですし、いいっすよ!そもそも電車降りたのも水買ったのも、俺が勝手にやったことなんで…!
それに正直、あれが正解だったのかもわかんねぇし……なんか俺もテンパっちゃって、その…ほっとけなくて……」
ぱくぱくと大きな口を開閉して、必死に気遣いと弁明らしきものを重ねる。よく通る声が、誰もいないホームに響いている。
「俺、あん時スマホ見てて、もっと早くに気づいてれば良かったなって後悔もあるんで……お金とかはホント大丈夫っす…!なんも気にしないでください!」
一通り話し終えたのか、今度はきゅっと口を閉じて、気まずそうに視線を逸らした。俺を電車から連れ出してくれた時の大人らしい対応とは打って変わって、その様子がなんだか若くて、幼くて、少しだけ頬が緩んだ。
「…んはは、どんだけ良い人なんですか…」
「俺が良い人っつーか、困ったときはお互い様ってやつっすよ!」
そう言って曇りのない目で笑える人は、紛れもなく良い人なのだろう。
何より、あの時支えてくれたのが嬉しかった。1人で立っていられない俺に手を添えてくれたのが。きっとあなた以外は助けてくれなかったかもしれなかったから。
「本当にありがとうございます、助かりました」
もう一度深く礼をした。
「それで、この後の予定の方は大丈夫ですか…?」
このやりとりをしている間にも随分と時間を食ってしまったようだ。電光掲示板で次の電車を確認しつつ、予定を聞くと、
「ああ、俺の方は気にしないでください!バイトに行く途中でしたけど、まあ、たいして人も来ない店だし」
なんて返事が笑顔と共に返ってきた。
俺を気遣っての言葉だろうが、本当にそれでいいのだろうか……?
「それ、店長さんに怒られません…?」
「友達がやってるとこなんで平気すよ!Zeffiroっていうカフェなんですけど……」
ブー、ブー、
「あ、」
突然ポケットの中のスマホが振動し、見ると、「加賀美ハヤト」の文字が表示されていた。時計を見ると、集合時間を30分ほどすぎている。きっと心配して電話をかけてきてくれたのだろう。
男性もそれに気づき、「どうぞ」というようににこりと微笑んだので、軽く頭を下げてから応答を押した。
───もしもし、不破さん?
案の定、心配の色をわかりやすく表に出した声が聞こえた。
「はぁい、不破ですよ」
───はぁい、じゃないですよ。あなた今どこにいるんですか?連絡もなしに、もう30分も遅刻してますけど……。
「……ごめんなぁ、ちょっと…その、寝坊しちゃいまして…」
───寝坊…?
「うん、昨日遅くまでゲームやっちゃってさ、んはは、起きれんかったわ。俺社会人失格やんなぁ。本当、ごめん。
……ま、そゆことなんで、もうすぐ着くんでみんなにもよろしく」
───……。
「しゃちょ?」
───……はぁ、
「……ん?」
───あなたねえ、今更私が、そんなわかりやすい嘘で騙されると思ってるんですか?
“ドキッ”
「…いやいや、何言ってんすか社長」
───不破さんが、遅刻しておいてヘラヘラするような軽薄な人間でないことなんて、私はおろかスタッフの全員だって知ってることですよ。いったい何年の付き合いだと思ってるんですか。
本当は何があったんです?それから今どこにいるんですか?
「……」
やっぱりこの人には敵わない。
普段俺に対してはそこまで言及してこないくせに、こういう時ばかりはクソ真面目な声で聞いてくるんだもんなぁ。
「ほんまに全部俺の責任なんやけど……」
───……はい。
「……朝から…頭痛くて、薬飲んでも効かんくて…、電車で具合悪くなって」
───それで?
「…そんで、立ってられんかったら、隣にいた人に助けてもらって……今は××って駅のホームっす」
───そうですか。今は具合はもう大丈夫なんですか?
「…うん」
───……良かった。じゃあ今日はもう帰ってゆっくり休みなさい。タクシーの手配しましょうか?
「……社長、」
───なんです?
「ごめん、俺のせいで収録の予定狂わせちゃって、本当にごめんなさい。せっかく向こうの人とも都合合わせたのに、俺が台無しにした」
───……。
「こういうの、2回目よなぁ俺。もうないようにする、っつっても今日迷惑かけたことには変わりないけど、ほんと、ごめん、」
───ふわっち。
「ん、?あれ?もちさん…?」
───そういうくだらない事を気にしてる暇があるなら、早く帰って寝てろ!
向こうの人にはどうせDと甲斐田くんが頭下げてくれるんだから。
だいたいふわっちはいつもキャパオーバー寸前みたいな状態で無理しすぎなんですよ、体調云々よりも僕はそっちの方が問題だと思いますけどね!
「…あ、はは、すんません」
───…僕…!?……あ、アニキ?僕らみんな心配してたんですよ〜!でも事故とかじゃなくて本当に良かったです。アニキってばいっつも危なっかしいんだから……、
「……うっさいわボケ」
───はぁ!?僕にだけ対応違いすぎません!?ちょっと社長〜……!
───……はいはい、全くあなた達は…。
ともあれ不破さん、これが私達の総意ですよ。
いつだってあなたは自分に厳しい。1人で抱え込まず、たまにはこちらに甘えてくれてもいいんですから。
それがチームってものでしょう?
「…はい、」
───それがわかってくださっているのなら、私は何も思いませんよ。自由人なようで人一倍責任感がお強いところも、あなたの魅力なのでしょうから。
それから、助けてくれた方にはお礼をしないといけないですねえ。うちの不破湊がお世話になりました、と。
「んはは、そうっすね」
───それじゃあ、今日のことはもうお気になさらず。よく休んでくださいね。
微かに鳴った電話が切れる音を確認してから、堰を切ったように溢れ落ちる涙。いや、実際はほんの数滴が服の裾あたりを濡らしただけなのだが、俺にとってはなんだかずっと重くのしかかっていたものが急に解かれた気がして、現実よりもずっと大袈裟に響いた。
わかっていた。自分の仲間たちが、人を責め立てるような人間でないという事など。それでも、もしも、を考え始めたらキリがなくて、それでいて、そんなふうに思ってしまう自分の不甲斐なさにも嫌気が差すのだ。
電話越しの声は優しくてあたたかくて、いつも通りで、まだもう少しは、あの隣に立っていることを許してほしいと思った。
滲んだ視界を袖口で拭って横を向くと、男性はただでさえ大きい目をこれでもかと見開いてから、「何も見てません」というふうに急いで顔を逸らし、
「あ、次の電車もうすぐくるらしいので、俺もう行きますね!」
と、早急に立ち去ろうと立ち上がった。
それを追うように自分も立ち上がり、彼を引き止める。
「あの、やっぱりなにかお礼を……」
「えッ??ああ、マジで大丈夫っすよ!」
「でも、その、俺も収まりが悪いというか……」
自分が何か返せるとは思わないが、せめて感謝を形で表明したかった。
先ほど社長にもああ言われてしまったし、何よりこれは、年上としての意地だと思う。
予定の電車がホームに滑り込み、風が髪を靡かせる。
男性は少し考える素振りを見せてから、次はにっこりと微笑んで口を開いた。
「それじゃあ、今度店に来てください!」
「え、」
「美味しいもんが食えて、こっちはお客さんがひとり増えて、俺もあなたもwin-winでしょ?
もちろん、味は保証しますよ!」
『……が発車します、駆け込み乗車は……』
「まっずい…!」
発車のベルが鳴り響き、俺が何かを返す暇もなく、男性は急いで電車に乗り込んでいってしまった。
扉が閉まり、発車間際、窓越しに大きく口を開いた。
(お大事に!)と。
そうして、電車はいってしまった。
確か、Zeffiroとかいう名前のお店だっただろうか。スマホで調べてみると、暖かい色の壁材でアンティークな雰囲気の外装のカフェだった。ここからもう少し行った先の駅から、徒歩で5分ほどのところにあるらしい。
俺は忘れないようにそのページにブックマークをつけて、駅のホームを後にする。
このふわふわとした浮遊感は、単なる微熱のせいだけなのか、それとも。
まだ残るお日様の匂いが、しばらくの間頬をくすぐっていた。
「ひ〜ば〜り〜〜!!おせぇぞッ!!」
「マジでごめんってぇ…!!ちょっと電車で具合悪そうな人いてさぁ、一緒に電車降りてたら遅れちまって……」
「はーー??まったく、人が良すぎるんだよお前は!」
「ほんとにごめんッ!!」
「…まあ、それはいいんだけどさぁ……何はともあれ、今日は締めまでみっちり働いてもらうからね」
「イエス!ボス!!」
END…?
コメント
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素敵過ぎました✨🫶 人が良すぎますねhb! rfmoの絆もてぇてぇで最高過ぎます🥹🥹 続きも頑張ってください💪