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左手一本でハンドルを握り、右手は穴のあいたジーンズに、手のひらを上にして置いている。ギアを換えるときは、シフトノブを浅くつまむよう努力をした。できれば右手は、しばらく何にも触れたくない。
不思議だ。心の中の緊張が解けた。
「私、自分で言うのも変ですけど、いろんな人に声かけられるんです。これはうぬぼれとかそういうんじゃなくて」
たまに声をかけられると、それを半年もの間話の種にしている、アパートへ遊びに来る女の子達が脳裏をよぎった。
「健太さんだって、モテるでしょう」
手元が狂って、車が小さく左右した。俺は右手を鼻先で左右に振った。
「そんなはずはないわ。あのピアノを聴けば」
大ロサンゼルスの中の、ダウンタウンの中の、エバンスの中の、カフェテリアの井戸の中。
「そういってくれるのは嬉しいけど、でも本当に」
「あなたを想っている人は、きっとたくさんいるわ。ただ、機会がないだけ」
この人は、本当にそう思い込んでるのだろうか。
サンタモニカの桟橋が見えてきた。モールを内陸側へ曲がり、リンカーン・ブルバードを曲がり、フリーウェイに載った。
まだ迷っている。このままクレンショーに着いてしまう。
「奈津美さん」
ハンドルを片手で握ったまま、掌を上にした方の手を彼女へ差し出した。
フリーウェイは勾配に入った。風の音が低くなり、エンジン音が高くなる。
「どうして?」俺は手を穴あきジーンズの上へ戻した。
「ごめんなさい……」
エンジン音が聴こえなくなる。
「俺のこと、信頼してるね?」
「はい」
「信用してるね」
「はい」
「じゃあ、何で」
「……ごめんなさい」
走行車線の赤いテールランプがせつない。対向車線のヘッドライトが眩しい。
「私、男の人とは距離をあけて付き合うんです。もし近くなり過ぎると、うまくいかなくなったとき、永遠の別れになっちゃうでしょ? それが嫌なので、いい友達としての距離をあけておくんです。そうすれば、いつまでも尊敬して信頼できるから」
俺は、魂をどこに預けたらいいのか迷っている。助手席の奈津美さんは話し続けている。