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ベルニージュとネドマリアはウィルカミドの街の地下深く、昼とも夜とも切り離された古の地下墓地の更に奥で、閉ざされていた壁の向こうから獣の唸り声を聞いた。ベルニージュもネドマリアも臆していないが、迷宮を突き進んでいた時に比べてネドマリアの方は無関心な様子だった。
「迷宮都市ワーズメーズとの違いをあげるなら、ここには敵意があることだね、あっちの惑いと迷いの悪戯心と違って」とネドマリアは伸びをしながら呟く。
「まだ分からないですよ」他に何か聞こえないかとベルニージュは耳を澄ませる。「ちょっとした悪戯心が度を越してしまっただけかもしれません。あの唸り声の主が本当に存在するかどうか。ただ間違いなく人を退けよう遠退けようという意志は感じますね。それで、どうします?」
ネドマリアが首をかしげて言う。「どういう選択肢があるの?」
「唸り声の主が出て来ないようにここを閉じるか、唸り声の主が出て来ないように退治するか、ですね」
でなければ、まだ上にいるかもしれない人々、ひいては地上の、あるいは海底の、ウィルカミド市民を巻き込んでしまう、かもしれない。
ベルニージュの中では答えが決まっていた。見知らぬ何かの雄叫びを聞いて、聞かなかったことには出来ない。いつから閉じ込められているのか知らないが、尋常の生命体でないことは確かだ。知りたくて仕方がない。
「どちらかといえば後者だね。もう少しこの迷宮を彷徨いたいからさ」
ネドマリアは微笑み、開かれた壁の向こうの闇に目を凝らして言う。
動機は違うが、結論は一致した。ベルニージュはこくりと頷く。
「そうしましょう。ワタシもそうすべきだと思います。ウィルカミドの皆さんを巻き込むわけにもいきませんし」
ベルニージュは明かりの炎を闇の奥に投げ入れて照らし出す。通路の先に進むと、またも円筒形の広間があったが、十一度目の行き止まりだった。
一つとして出入り口がない。一つとして、というのはいま入って来た通路も消えてしまったことを意味する。閉じ込められたのだ。
この広間の壁際にも髑髏が散乱していた。今までよりも数が多い気がする。閉じ込められて出入り口を見つけられずに果てたのだろう。
ベルニージュは戻って壁を触るが、確かに存在し、埃まで積もっている。
ベルニージュは落ち着いてネドマリアに尋ねる。「罠にはまっちゃいましたね。まったく気づきませんでした。壁はずっと昔からここにあったかのようです。ワタシたちの方が魔法をかけられたんでしょうか?」
「幻覚ってこと? どうだろうね。さっきの壁、砂になって消えたから、また砂が戻って復元しただけかもよ。埃だって触っただけじゃ古さまでは分からないし」
「たぶん吹き飛ばせますけど。あまり壊したくないですね」
「それより先に進もう。戻っても他に道はないし」
ネドマリアは部屋の中央で腰を屈めて探り、何かを見つけると床に息を吹きかけ、呪文を唱える。それは秘密を暴く囁かな呪文であり、鏡の処の墓荒しの血族が好む忌み言葉、あるいは忌み除けが、美し谷銀山の幸運で知られる鉱夫たちの仕事歌に乗せられる。
ネドマリアは何かに納得したように頷くと床を右足、右足、左足の順に踏み叩いた。すると部屋の中央、円形の石畳がせり上がり始める。ネドマリアは少し驚いた様子で飛び退いた。
「よく分かりましたね。何かこつでもあるんですか?」
「ううん。ここまで全部壁に次の部屋への通路か下への階段が続いてたからね。みんなも壁は十分に探したみたいだし」と言ってネドマリアは周囲の髑髏を見渡す。「あとは床か天井かなってね。それにこの部屋自体は罠ってわけでもないと思う。殺すための仕掛けがあるわけでもなし」
せり上がってきたのは螺旋階段だった。天井にぶつかって止まると、再び地の底から獣の如き唸り声が聞こえてきた。
「なるほど。勉強になります」ベルニージュがそう言うとネドマリアがくすくすと笑う。「どうかしました?」
「ごめん。いや、素直だなと思ってね。ユカリもそうだけど良いことだよ」とネドマリアは言うがベルニージュは腑に落ちなかった。
二人は現れた魔法の螺旋階段を降りていく。干し肉の包み紙はなくなってしまったので、ベルニージュは指先に炎を灯し、ネドマリアにお裾分けする。
「自分が素直だと思ったことはないですね。確かにさっきのは素直な反応だったかもしれませんが。いや、だからといって、らしくないことをしたとも思わないですけど」
「わかる!」とネドマリアは頷く。「つまりあれだよね。もっと素直な子がそばにいるとひねくれたことを言っちゃう、みたいな」
「ユカリのことですか? まあ、でもそうかもしれません。言われてみると。要するに相対する人によって態度が変わるってことですね。当り前と言えば当たり前ですけど」
「そうそう。もしかしたらユカリも自分より素直な子の前では態度が違うかもしれない」
埃っぽくて暗い螺旋階段を降りながら、ネドマリアの背中に向かってベルニージュは頷く。
「それはありますね。ほら、よく風と喋ってるじゃないですか、ユカリって」
「グリュエーね」
「そう、グリュエーのことをからかっているのはたまに聞きます。まあ、グリュエーの声は聞こえないので、あの風が素直な子なのかは分からないですけど」
それから二人の間にはいくつかの会話があった。ほとんどはユカリとレモニカの話で、それぞれの自分のことは話さなかった。それでも長年の親交ある気心の知れた友人のように語り合った。その会話も途切れ、なお螺旋階段は地下深くへと続いている。
「深いね。ここまで深いとは思わなかった」とネドマリア。
「実はどこか地上に繋がってるんじゃないかと期待してました。期待外れでした。まあ、今は海の底なんで脱出経路にはなりませんが」とベルニージュ。
欠けた階段と呪文の刻まれた柱と何の変哲もない煉瓦の壁が延々と続く。
「そういえばネドマリアさんが地上で言ってた『姉のことで』の先をまだ聞いてないですね」とベルニージュはネドマリアの言葉を思い出して言う。「お姉さんとこの地下墓地に何の関係があるんですか?」
「簡単に言えば、姉のことをもっと知りたくなったんだよ」階段を降りながらネドマリアは言う。「何年も前に離れ離れになって、そもそも私はとても幼かったからほとんど覚えてないんだよね。でも一つだけ、強く記憶していることがある。姉はおそらく妖術師だ」
「へえ、邪視ですか? それとも接触術?」
前に読んだ妖術誌を思い浮かべてベルニージュは言った。
「ううん。あの人間離れした身体能力は金剛身の類に違いない」
「最も研究の進んでいる力ですね。ご両親も魔法使いだったんですか?」
「うん。でも彼らの成果ではないと思う。何せ両親はいなくなった娘の素晴らしさを嫌というほど聞かせてくれたけれど、私にそのような術を施しはしなかったからね」
「えっと、それじゃあ、つまり……」答えが分かっていてもベルニージュは言葉に詰まった。
「先天性の力。天与の賜物だよ」
ベルニージュは少し信じられない気持ちで応じる。
「それが本当なら千年に一人の逸材ですよ。神代の英雄たちは皆生まれながらにそうだったとされていますが。あるいは先祖返りでしょうか?」
「それを知りたくてね。というのも私は大仕事の時に攫われた子供たちの記録について探してたんだけど、どうやら彼らも妖術の研究をしていたらしい」
ベルニージュはネドマリアの後頭部を見つめて眉を寄せる。「大規模な研究組織で妖術の研究を行っていない組織を探す方が難しいですよ」
「まあ、それはそうなんだけど。彼らはその研究の一環でこの地下墓地について調べたがっていたようなんだよ。許可が下りなかったらしいけど」
「なるほど。それで救済機構を出し抜いてやろうと――」
「正直に言ってそれもある」冗談を言った後、先を行くネドマリアが注意する。「気を付けてベルニージュ。壁が消えた。広い空間に出たみたい」
ベルニージュも数段降りて、壁がなくなったことを確認し、支柱側に寄る。炎を携えた手を伸ばして光を投げ掛けるが、何も照らし出さない。真っ暗な闇がどこまでも広がっている。
ネドマリアに許可を得て、火を放り投げる。ゆっくりと落ちて行った火は遥か下方で床に落ちて消えた。階段はまだまだ続くようだが、絶望するほどの高さではなかった。
そしてとうとう地の底にたどり着く。