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翌日の朝。玄関を開くといつもいるはずの大樹がいない。
門の外はお向かいの家の塀と言う味気ない景色。
大樹と通勤するまでは当たり前の光景だったのに、今は寂しく感じてしまう。
駅迄の徒歩十五分がつまらなくて、一人が当たり前で何も感じなかった頃の自分が思い出せないくらいだ。
電車に乗ってラッシュに揉まれて、憂鬱な気持は更に募る。
大樹は今頃何してるんだろう。年末で仕事が忙しいって言ってたけど、年内はずっと早出なのかな。
大手町の駅に降りて歩いていると、少し先を歩いている沙希を発見した。
声をかけようとしたけれど、沙希の隣は井口君がいることに気がついた。すっごく仲良さそうに二人並んで歩いている。
珍しい、初めて見る光景かも。
沙希と井口君の家は反対方向だと言っていたけれど……もしかして、昨日止まったから一緒に出勤なのかな?
二人の邪魔をするのも悪いので、井口君が桜川物産のビルに入り沙希が一人になった所で駆け寄って声をかけた。
「沙希、おはよう」
「あっ、花乃、いたんだ」
「いたよ。井口君が居たから声かけなかったけど」
「そんな気を使わなくていいのに。健とはいつもたっぷり二人きりで過ごしてるから」
沙希は恥ずかし気もなくサラッと言う。凄い余裕の雰囲気。
「もしかして昨日、泊まりだったの?」
質問すると、沙希はあれ?と言う様子で私を見た。
「言ってなかったっけ? 私、健と一緒に住んでるんだよ」
「は? き、聞いてないけど?」
しれっと言っているけれど、初耳です。
「ええ? そうだっけ。ランチの時報告しなかった?」
「してないよ! 一緒に住んでるっていつから? もしかして結婚するの?」
「一緒に住み始めたのはこの前の週末から。家が遠くて不便だったし健のマンションは二人で住むのに充分な広さだからいいかなと思って。結婚はまだ考えてないけど、同棲するのと結婚って別に関係ないでしょ?」
いえ、私的にはかなり関係有りだけど。
それにしても、泊まりどころか同棲していたとは……沙希と井口君って出会ってまだ3ヶ月経ってないよね? この速すぎるスピードに着いていけない。
「ねえ、私の事より花乃と神楽君はどうなの? 今日は一緒じゃないみたいだけど」
「あ、今日は仕事で早く出社するんだって言ってた」
「そうなんだ。さすがエリート商社マン、大変そうだね」
「うん。仕事の事はあまり聞かないけど忙しいみたい」
「そう。まあ年末だしね、私達だって結構忙しいもんね。ああ早く休みにならないかな……連休は健と温泉に行くんだ」
沙希の心は、早くも休暇に突入しているみたいだ。
私も早くゆっくりしたい。旅行は無理でも大樹とどこかに行きたいな。
そう言えば連休の予定について全然聞いてないんだった。夜にでも聞いてみようかな。
沙希とのんびり話していたせいか、自分の席に着いたのはいつもより少し遅い八時五十五分だった。
急いで荷物を仕舞って仕事の準備をを始める。パソコンが立ち上がると9時の始業のベルが鳴った。
メールシステムを開いていると、美野里がやって来た。
手にはブルーのファイルと何枚かのプリントアウトした書類を持っている。
今日も美野里は余裕の有る出勤をして、始業前から調べ物をしていたいみたいだけど、問題でも有ったのか少し浮かない表情だ。
「何か有ったの?」
「うん。ちょっとこのグラフ見てくれる?」
美野里は今月の売り上詳細のグラフがプリントされたリストを私に差し出す。
何だろうと手に取るのと同時に美野里が説明を始めた。
「花乃の担当の若生屋さんの売上が大分落ちてるの。ここ3年の履歴を見たけどこんなに長期的に注文が止まった事無かったみたいよ。何か聞いてる?」
「ほんとだ」
美野里の言う通り、若生屋さんの注文は十二月に入ってから激減している。私も昨日最近注文無いなとちょっと気になったけど、こうしてグラフで見ると実際はそれ以上だった。
十二月上旬のある日を境にピタリと注文が途絶えてしまっている。これってもしかして……。
「他社に乗り換えようとしてるのかも」
美野里が憂い顔で言う。
「まさか」
若生屋さんはいろいろと細かいけど、何の連絡もなくいきなり取引を切る様な事はしないと思う。
でも美野里は販売促進担当としてデータ管理をずっとやっていて私より全体の流れを把握している。
今の時期に注文が無いって事がおかしいって感じたから私に報告してくれたんだ。
「課長に相談してみるよ」課長に相談しようとしたけど、あいにく今日明日と課長は出張だった。
なんて間が悪い。どうしようかと悩んだ結果、とりあえず須藤さんに先に報告をすると決めた。
本当は近付きたくないけど、私の担当分でトラブルにでもなったら須藤さんの大口案件に響いてしまう。
そんな事態になったらどれだけ責められるか考えるだけで恐かった。
「須藤さん、少しお時間いいですか?」
自分のデスクで書類を読んでいる須藤さんに声をかける。
「何か有った?」
須藤さんは書類から顔を上げ、意外にも感じ良い笑顔。ちょっと驚いたけど、直ぐに近くに上司がいるからだと気がついた。
良かった。今なら変な事は言われないはず。
私は早口で若生屋さんの状況を説明する。
すると須藤さんは怪訝な顔をして、自分のパソコンに視線を向けた。
「変だな。この前のメールに注文を入れたって書いて有った覚えが有るけど」
そのメールを探しているのか須藤さんはマウスを動かしながら言う。
でもなかなか見つからない様でイラついた様に顔をしかめて呟いた。
「だいたい何で俺に通常注文の連絡してくるんだよ」
「……」
本当に良かった。須藤さんの上司が側にいて。
ふたりだけだったら、かなり嫌味を言われていた気がする。
しばらくするとメール捜索を諦めたらしい須藤さんが座ったままの状態で私を見上げて言った。
「今度の訪問の時に確認しよう。一応今までの注文一覧とか資料を準備しておいて」
「はい。課長への報告は出張から戻ってからでいいですか?」
「課長への報告は打ち合わせの後でいいだろ。今月売上げが落ちたって言っても販促玩具じゃたかが知れてるし」
面倒そうに須藤さんは言う。この人のこういう所、かなり嫌い。
「……分かりました」
私は不満いっぱいのまま須藤さんの席から立去った。