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『忘れた恋を、鳥たちが知っていた』
夜明け前の空を、白い鳥が舞っていた。
透き通るような羽が月光を受け、淡く光を放つ。
それは、この街で古くから語り継がれる“記憶を運ぶ鳥”――
「白羽鳥(はくうちょう)」。
人々は、叶わなかった想いや、伝えられなかった言葉を
小さな羽に託して空へ放つ。
それが大切な人に届くと信じて。
「……また、来てくれたんだね」
ロゼは湖のほとりで鳥を見上げた。
その瞳には、どこか懐かしさが滲んでいる。
彼は三ヶ月前、事故で過去の記憶をすべて失った。
それでも、胸の奥だけはずっと疼いていた。
――何か、大切な人を忘れている気がして。
「今日も、誰かの記憶を探しに?」
ふと声がして、振り向けばそこに青年が立っていた。
柔らかな笑みを浮かべる男。
空と同じ色の瞳が、ロゼをまっすぐに見つめている。
「らいと……くん、だっけ?」
「うん。白羽鳥の世話をしてるもんやけん。
……最近よう会うね、ロゼ」
「なんで俺の名前……?」
「はは、前も言うたやん。
この鳥たちに“誰かの記憶”を託してるのは、あんた自身やって」
ロゼは眉を寄せた。
何度聞いても、その言葉の意味が分からなかった。
夜が更ける頃、2人は鳥小屋の中で羽を整えていた。
白羽鳥の一羽が、ロゼの肩に止まる。
その脚に、小さな紙片が括られていた。
「……これ、俺が書いたの?」
「そう。
“忘れたくない人がいる”って。
けど、その人の名前が思い出せんって。」
紙の端に、淡いインクがにじんでいる。
文字は震えて、滲んで、
まるで涙で書かれたみたいだった。
「その人……誰なんだろう。
どうしても、思い出せないのに、
心のどこかで“会いたい”って思う。」
らいとは静かに微笑んだ。
鳥の羽を撫でながら、小さく言う。
「……それ、俺やよ。」
ロゼの瞳が見開かれる。
けれど、らいとはすぐに視線を落とした。
「昔、ロゼがこの街を守るために、
“記憶を渡す鳥”の力を使ったんよ。
自分の命と記憶を代償に、俺を生かした。」
「……俺が?」
「うん。
だから俺は、“記憶を渡された側”。
ロゼの記憶を抱えたまま、生き続けてる。」
沈黙が落ちた。
夜風が吹き抜け、羽が舞う。
ロゼの胸の奥が、痛いほど熱くなった。
「……じゃあ、俺が探してた“大切な人”って」
「そう。
あんたが探してた“らいと”は、俺。」
その瞬間、白羽鳥が一斉に羽ばたいた。
無数の光が宙を舞い、夜空に溶けていく。
鳥たちが運んでいた記憶が、ロゼの心へと戻ってきた。
笑い合った日々。
抱きしめたぬくもり。
そして――「また、会おうね」と約束した声。
ロゼは息を詰まらせ、そっとらいとの手を取った。
「……全部、思い出した。
俺、君を……ずっと、愛してた。」
らいとの頬に涙が伝う。
そして微笑む。
「よう言うてくれたね。……おかえり、ロゼ。」
夜明け。
白羽鳥が光の中を飛んでいく。
その中で、ロゼとらいとは並んで歩いた。
「なあ、ロゼ。今度は忘れんでな?」
「忘れない。もう二度と。」
彼の手を握る。
それは確かな、生きている温度だった。