「広瀬くん!」
体育が終わって、教室に戻ると、広瀬くんは着替えを終えて座って次の授業の準備をしていた。
広瀬くんは顔を上げて私に気づいてくれた。
「○○さん、どうしました?」
こうやって自分から話しかけるのが初めてだったから少し緊張してしまう。
「さっきは、その、ごめんなさい。せっかく誘ってくれたのに。」
緊張しつつもしっかりと言葉をはっきり出して頭を下げた。
広瀬くんはしばらく何も言わなかった。
やっぱり怒ってるかなと、静かに頭をあげると、
「なんだ、その事ですか。」
「何事かと思いましたよ。」と、俯いて口許を覆いながらしばらく笑っているので、私は困ったように止まってしまった。
広瀬くんが、あんなに笑っている。
「ははっ、すみません、笑いすぎましたね。」
広瀬くんはさっきみたいにメガネをクイッとあげた後、私を見た。
「大丈夫ですよ。気にしていませんから。」
広瀬くんは優しく笑った。
「もうすぐ次の授業が始まりますよ。準備を忘れずに。」
教科書とノートを開き、前回の内容を復習しながら私に言った。
「ありがとう、広瀬くん。」
「はい。」
私はそれだけ言って、自分の席に戻った。
教科書とノートを交互に見て、メモを摂る広瀬くんの後ろ姿を見て私は思う。
ずっとロボットみたいな男子と思っていた私は、どれだけ失礼なやつだったんだ、と。
昼休み、屋上で昼食を終えた私は、小春と一緒に屋上のフェンスに手を当てて、下の景色を見ていた。
5月の風邪は、まだ暖かいぐらいで、気持ちいい。
「んー!今日もいい天気だね〜!」
小春は気持ちよさそうに伸びをして一息ついた。
私は小春に、今日あったことを話していない。
話したら、小春がどんな顔をするか、怖くて話せなかった。
けどこうやって、小春に隠し事をすることはほとんどなかったから、なんだかとても心苦しかった。
「てかねてかね!」
小春は元気に声を上げた。
「最近、孤爪くんと沢山話せてるんだ〜!よく見かけるんだけど、自分から頑張って話しかけてるんだよ!」
えへへっと、顔を赤らめながら幸せそうに笑う小春。
その瞬間、言葉にならないほどの罪悪感が込み上げてきた。
「凄いじゃん!小春ならもっと仲良くなれるよ。」
込み上げた罪悪感からは、そんな薄っぺらい返事しかできなかった。
「ほんと!?よーしもっと頑張ろっ!」
小春は私に100%の笑顔を向けて両手でガッツポーズをする。
私は小春に微笑んだ。
前まではこんなこと無かったのに。
小春と話してて、こんなに胸が痛むことなんて。
何も知らない小春が笑顔を向けてくれる度、自分勝手に心が傷んでいく。
これも全部、自分のせいなんだ。
自分のせいで、小春も、自分の心も傷つけている。
一刻も早く、このことは忘れなきゃ行けないと思った。
「そういえばさー。」
小春は顎に人差し指をさしながら何かを思い出すような仕草をした。
「朝、夜久先輩来てなかった?教室入る前にチラッと見えたんだけど。」
不思議そうな顔をした小春が私にそう聞いた。
「あー。」
そういえば、今日も委員会の仕事があって小春と帰れないと伝え忘れていた。
放課後は夜久先輩の手伝いがある。
「ごめんね小春、今日、先輩に仕事手伝って欲しいって言われてて。今日も帰れそうにないんだ。」
「なるほど手伝いかー!××と今日も帰れないの〜私さすがに寂しい!」
小春はフェンスに両肘をつき、その上に顔を乗せて不貞腐れたような声で言った。
その姿はとても可愛くて思わず笑みがこぼれてしまう。
「寂しいかー。分かった、明日はカラオケでも行こっか。」
屋上の下に視線を向け、私は微笑みながら言う。
「ほんと!やったー!」
キラキラした元気な声で小春は喜んだ。
凹んだり喜んだり、だけどそんな素直な小春が、私は大好きだ。
小春が喜び、私が下を見て、「喜びすぎ。」と笑いながら呆れていると、次の瞬間、全身が震えた。
私の視線の先に入ったのは、私と小春に、沢山の幸せをくれる君。
ゲームをしながら、黒尾先輩と校舎へ戻っていく孤爪くん。
一瞬だったけど、また、私は孤爪くんを見つけてしまった。
「けど今日の放課後はどうしよっかな〜。」
小春は少し大きめのカーディガンの裾を直しながら呟く。
小春は下にいた孤爪くんの存在に気づいていないようだった。
これ以上、私だけが知る孤爪くんを、増やしてはいけない。
小春だけに、色んな孤爪くんを知って欲しい。
「小春。」
「ん?」
私は小春の方は見ずに下を見るふりをして俯いた。
小春のその声からコテっと首を傾げて不思議そうな顔をする小春が目に浮かぶ。
私の大好きな親友だから、その子には沢山幸せになって欲しい。
私は小春にバレないように小さく深呼吸をする。
「放課後、孤爪くん誘ってみたら?」
「××〜、無理だよ〜!」
「行ける行けるっ!」
授業終了のチャイムが鳴り、私は夜久先輩が来る前に、小春の教室に行って小春を呼び出した。
小春の所へ向かう途中、3組にまだ孤爪くんがいることも確認済みだ。
「いくら部活がオフでも黒尾先輩もいるし!てかふつうに緊張するよ〜!」
小春は私の後ろで私の袖を引っ張り顔を赤くしながら慌てていた。
「小春。」
私は前を向いたまま立ち止まり短く名前を呼んだ。
小春は「ぇっ?」と気の抜けた声を発した。
私はゆっくり首を動かし、小春の方を向きながら、
「頑張れっ!」と目を輝かせながら小さくガッツポーズをした。
小春は目を皿のようにした後、さっきよりも自信のありげに口角を上げた。
「ありがとう、××!」
安心したように笑う小春に私も微笑みかけた。
小春は決心したのか、3組に顔を出す。
孤爪くんはカバンの中を整理していた。
小春が声をかけようとソワソワしていると、孤爪くんはこちらを見た。
私は、何となくだけど目が合った気がしたから、ササッと扉から顔を引っ込め、孤爪くんの死角に入った。
教室からは小春だけが顔を覗かしている。
「やばいっ!!孤爪くんこっち来るよ!?」
小春は慌てながら囁いている。
私はそろそろ離れ時かと、教室に戻ろうとした。
「お、いたいた、○○ー!」
廊下の奥から手を振る夜久先輩が見えた。
ちょうどよく来てくれた先輩に私は「今行きます。」と小さく手を挙げ、小春の肩に手を置きもう一度エールを送った。
またねと手を振ると、小春とまたねと笑顔で手を振ってくれた。
私は夜久先輩のもとに向かった。
「どうしたの?」
「孤爪くんっ、あのね…!一緒に…帰りたくて。」
後ろで小春の話す声が聞こえる。
「ごめん待たせちまって。」
「全然大丈夫です!私こそ教室にいなくてすみません。」
「いや全然!んじゃ行こーぜ!」
私は夜久先輩について行く。
だんだん小春と孤爪くんの声が遠のいていく。
これでいい、これがベストなんだ。
だから___。
「いいよ。」
「ほんと!ありがとう…。」
「じゃあ、” 天野さん ”ちょっとまってて、カバンとってくる。」
私は足を止めた。
聞かないようにしていた二人の会話。
孤爪くんが言う言葉に、胸がぎゅっと縛られた。
ただ単純に、驚いた。
初めて、孤爪くんが、小春を呼ぶのを聞いたから。
私は下の名前で小春を呼んでいるだろうと、勝手に思い込んでいた。
だって、私は___。
「?○○、どうした?」
突然止まった私を見て、夜久先輩が不思議そうに顔をのぞかせる。
我に返り、俯いていた顔を上げた。
「す、すみません、なんでもないです、!行きましょう。」
先輩は心配そうに私を見たが、「おう、」と歩き出した。
私も床に張り付いた足を動かして夜久先輩の後を追った。
こんなこと考えて何になる。
私たちの呼び方が違うだけでなんだ。
私は、一瞬だけ何を舞い上がっていたんだろう。
もう忘れる。関わらない。
私はもう、小春の幸せを願ったんだんだから。
小春、あなたはどうか、幸せでいてね。
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