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どうぞお召し上がり下さいと、下座に下がると臣様は形の良い瞳をパチクリとさせた。


「千里、君は随分と教養があるんだね。素晴らしい。澪がこの家に置いているのも頷けるな」


とんでもないと首を横に振ると、臣様は澪様とよく似た優雅さで砂糖を入れて紅茶を口にした。


「この紅茶もとても美味しい。しかもお砂糖も用意してくれてありがとう」


「いいえ。私は何も」


臣様は私を見て「そんなことないよ」とにこりと微笑み、カップを机の上に置いた。


「では、千里。早速だが俺がここに来た理由を話していいかい?」


「はい。もちろんです」


すると臣様は鞄から、昨日私が渡したノートを机の上に置いた。


「それは……」


「昨日受け取ったノートだ。それを返しに来たんだよ」


どう言うことだろうと、臣様とノートを見つめる。


「このノートは澪個人の覚書帳みたいなものだ。藤井屋の本当の帳簿はノートではなく、装丁もしっかりした仕様で管理は金庫で行っている。数字は情報だからね、おいそれと持ち出せない」


きっぱりした口調に、私の取った行動は早とちりだったと恥ずかしくなって頭を下げた。


「そう、だったんですね。だったら私は余計なことをしたのですね。申し訳ありませんでした」


「いいや。それは違うよ。千里顔を上げて。俺は咎める為に来たのではないし、澪もこんなことで怒らないよ」


その言葉にゆっくりと顔をあげ「本当ですか?」と、呟く。


「まず、澪は覚書でもあろうと家の外へと持ってはいかない。情報には価値があると俺より随分と分かっている。きっと、この家で何か仕事の書類を纏めるとか、そう言ったことでノートを活用していたのだろう」


なるほどと頷く。


「だからこれを千里が持ってきたと言うことは──最初。千里が澪の家に勝手に入ったのかと思った。でもそれだったらわざわざ、藤井屋にノートを持ってくる必要なんかない。だからね、このノートを持って来た人物は澪の仕事を理解して澪の家に居る人物。尚且つ、ノートを忘れ物だと思い、持って来てくれる優しい心の持ち主なんだろうと思った」


「臣様……」


「わざわざ、藤井屋に持って来てくれて済まないが、このノートは何も言わず元あった場所に戻しておいたらいい。澪も俺から手渡されたくないだろうしね」


最後の言葉は少し、桜が散るような寂しさを滲ませていた。


「臣様。その為に御足労頂き、誠にありがとうございます。思慮が至らず。恥いるばかりです」


ありがとうございますと、畳に手を着いて頭をもう一度下げた。

そして頭を上げるとお兄様は苦笑していた。

「君は面白いね。そんなに畏まらなくていい。そして、そんな面白い君はどこから来たのかな? 今度は千里のことを俺に教えてくれないか」


紅茶を一口また飲んで、お茶請けに小噺を一つお願いするような軽やかな口調だった。


しかし。私は内心舌を巻いていた。

先にノートの問題を解決してから、聞きたいことに迫る話術。手順。それは心が懐柔されやすい順番なのだろう。


それに語り口調。お兄様の声は耳にとても心地よいのだ。


そうか、和歌を詠むような雅さに似ている。

澪様や藤井屋の人達が、臣様のこの話術を話題にしてた理有が分かった。


それでも全てを話す訳には行かない。お茶会を無茶苦茶にしろと澪様に言われてます、なんて言えない。


背筋を伸ばして、ゆっくりと私も口を開いた。


実は──行く当てがなく、彷徨っていたところを澪様に期間限定で小姓として拾われた。


もう少ししたら、ここを出て行く。

ほんのひとときの止まり木にしか過ぎないと。

澪様の瞳を見つめてそう言った。そして私も聞きたかったことを聞く。


「私と澪様は短い間の|縁《よすが》では、ございますが澪様と臣様のことが気になるのです」


「なるほど。そんな理由で千里はここに住んでいるのか……不思議な縁だね。それでも一緒に住んでいたら、家人のことは気になるね」


特に私が拾われたことに関しては、鋭く斬り込まれることなく。さらりと私に同意してくれて助かると思った。


「藤井屋に参りましたとき、お二人の仲に関する耳触りな声を聞いてしまいました。このように臣様がノートを届けて下さったり、澪様も藤井屋を支えようとお仕事に励んでいると思います。私には耳に入った言葉は信用にあたいしないと思います。でも……だったら、何故あのような噂が立ってしまうのでしょうか。本当にお二人は仲違いをしているのでしょうか?」


私の言葉に臣様は瞳を伏せ、頬にまつ毛の影を落とした。


「それを聞いて千里はどうするつもりだい?」


「相客に心せよ。こうして臣様を正客としてお迎えしました。私の前に座った方はどんな方でも、互いに尊重し。楽しいひとときを過ごせたら良いと考えています」


「それは確か──千利休。茶道の精神だったかな?」


「はい。こうしてお茶で繋がったご縁。私は澪様も臣様も大事にしたいから、聞きたいのです」


キッパリと本心を言うと、お兄様は瞬きをしたのち。

春の陽光のように優しく微笑んだ。

「参ったね。千里の言葉は俺の胸に響く。一つ尋ねてもいいかな。君みたいな年頃の子には、澪はさぞ奇異に見えたりしなかったのかな?」


「いいえ。初めてお会いしたとき。グリム童話の王子様みたいだと思いました。澪様はとても綺麗な人です……黙っていれば」


最後の言葉に臣様はくすりと笑った。


「そうか。俺も澪が生まれたとき、凄い弟が出来たと嬉しかった。澪が成長していくのはまるで、大輪の牡丹が花開くようで綺麗だったな……でも、両親には牡丹なんかじゃなくて、もっと別の物に見えてしまったんだろう」


その言葉に上手く続きを返せなくてただ、臣様を見つめる。


「千里、今から言うことは秘密にしてくれ。単なる俺の一人ごとだ。いいね?」


「はい」


「澪は先祖の血を強く受け継いでしまった子だ。当時、澪が生まれた当初は母は外国人との不貞行為があったと噂が立った。しかも産後の肥立も良くなく、心にも体にも相当な負担が掛かってしまった」


「それはさぞ、お辛かったでしょう」


「あぁ。せめてもの救いは父が母を信用していたこと。それに尽きる」


でもねと、お兄様は言葉を続けた。


「母は澪を愛せなかった。父が医者や学者を伴って、藤井家には露西亜の血脈がある。珍しい先祖返りだと説得しても母は澪を抱くことを厭い、乳母を雇い。この家に澪と乳母を住まわせた」


「!」


私が息を飲み込むと、お兄様がカップを手に取り一口、こくりと紅茶を飲み込んだ。

それはまるで私の驚きも引き受けて、全て飲み込んでくれたように感じた。

静かにカップを置いて、そのまま穏やかな瞳で臣様は語る。


「父は最初は反対したけど、最終的には母に寄り添った。両親と澪。離れてしまえば両親の関心はいつしか、俺だけに集まった。小さい頃は何故、弟と離れるかは意味不明だった。だから、よくこの家に忍び込んで澪と遊んだりしたのが懐かしい」


お兄様の言葉に雷を打たれたような気持ちだった。


幼少期の澪様はどれだけお辛かったのだろうか。その気持ちは測りしれない。

──でも、澪様は同情されることの方が嫌がると

思い。ぐっと拳に力を入れた。


「乳母様や臣様が居てくれて、良かったと思います」


「……その乳母は随分前に亡くなった。花が好きな人だった。キリスト教徒の方で俺にも優しかったし、澪のことを随分と可愛がってくれた。なんでも小さい頃に自分の息子を亡くしたそうで、澪にその面影を重ねていたかもしれない」


キリスト教。

思い出した。一番最初、澪様とお話したときに煙管箱の横に|十字架《ロザリオ》があった。

ひょっとしたらその|十字架《ロザリオ》は、亡くなった乳母の方の持ち物だったかも知れないと思った。


「そうだったのですね。澪様に味方が居て良かったと思います。そして臣様も澪様のことを想っている。だったらお二人は何故……」


「俺は──長男だから。どんな親であれ両親のことは大事だ。もちろん弟も大事。藤井屋も大事。全部守らないといけない。だから俺が藤井屋を継いだら、俺の方針に皆従うだろ? そして何かあったときに──俺が澪のことを守ってやれる。両親には何も口を出させない。俺の一存で澪に藤井屋を譲ることだって出来る」


「!」


「澪は素直にそう言ったことを受け取らないから。ここ数年は両親の目を欺く為にも、澪には済まないと思いながら冷たい態度を取った。しかしね、澪は俺が少々意地悪をする方が、良い仕事をする。本当に負けん気が強い子だよ」


くすっと笑う臣様に対して私は不意に、涙がポロリと溢れてしまった。


「千里、どうした?」


静かにはらはらと涙を流してしまう。

この方は敢えて、嫌われ役を演じ続けていたのだろう。

そうだ。澪様は言っていた。


『約束やから。立派な商人になることが──』


それはきっと乳母様との約束ではないだろうか。

だから、澪様は頑張ってきた。


お二人のお気持ちを考えると胸が切なくてどうしようもない。しかし、私などに簡単に慰撫できる言葉は何も、持ち合わせていないことが悔しい。


私は着物の袖できゅっと目元を拭いた。

泣いている場合ではない。


私は絶対にお茶会を成功させて見せる!

胸に熱い想いが宿った。


「失礼しました。私には兄弟はいませんが、とても羨ましいと思いました。臣様が藤井屋を引き継いで下さるなら安泰です。心より藤井屋の商売繁盛をお祈りする次第です」


ですがと、前置きをしてからどうしても言いたくなって口を開いた。


「何故、そのお優しいお気持ちを澪様に伝えないのでしょうか」

「……何故だろうね。澪に今更だと否定されたら怖いのかもしれない。このまま黙っていることの方が良いのかもしれない。大人になったのに選択肢の多さに、戸惑うばかりだ」


臣様はふと、目に見えない重さに負けてしまったかのように華奢な首を傾けた。

まるで桜が|驟雨《しゅうう》に打たれたような寂し気な表情に、私は慌てた。


「すみません。出過ぎたことを言いました。どうぞお忘れになってください」


「いや。いつか言わなければならないことだ。千里ありがとう。お茶会の前に……俺も誰かに聞いて貰えて心が少し軽くなった。良い息抜きが出来たよ」


そう言うと臣様は残りの紅茶を飲み干した。


「ときに千里。君は行くあてがないと言っていたね。澪とどんなことを話したかは知らないが、よければうちで働かないか?」


「え」


「千里は英語を喋れるだろう。うちに是非来て欲しいぐらいだ」


私が英語を喋れると言うのもしっかりと見抜かれていて驚いてしまうが、自分のことを知って貰うのは心地よいと思ってしまった。


「……嬉しいです。でも、私がいたらきっと迷惑を掛けてしまいます。なんとか自分で働き口を探してみます」


申し訳ないと頭を下げると、臣様は上着の内側から名刺と万年筆を取り出して何やらサラサラと書いてから私に渡した。


「これは俺の名刺。裏に千里が働きやすそうな仕事場の住所を書いておいた。この名刺を見せたら皆、良くしてくれると思うよ」


最後に「困ったら、いつでも藤井屋を訪ねるといい」と言ってから。


──俺を信用してくれるのはありがたいが、一人の時に《《異性》》を家に上げないようにねと、締めくくり。

臣様は家を後にしたのだった。


私が本当は女だと気付かれてしまい。臣様が去ったあとも固まってしまった。


「なんでバレたのかな。声かな?」


うーんと考えながら、広い玄関の端にちょこんと腰を降ろし。そのまま、格子とすりガラスの模様が美しい引き戸を見つめた。

引き戸からは日差しが差し込んでいたが、随分と影が長くなっていた。


臣様の広い背中には、随分と多くのものを背負い込んでいる。

それを支えるのは臣様の二本の足だけ。


「澪様がちゃんと臣様のお気持ちを知ったらきっと、二人で支えあって行けるはず。でも、お二人にはお二人の気持ちと、いままで離れてしまった時間、溝があるもの……」


それらを簡単に埋める事が出来るなら、人は悩みはしないのだ。


「けれども──やる。大丈夫。私ならやれる」


和敬清寂。

何もお茶の心はお茶の道だけにあらず。

これは日常生活に人の心に通じる。


そのことを忘れるなと、自分に喝を入れて立ち上がる。

やっとすれ違いの理由を知れたのだ。

ここまで知っておいて、何もしないことの方が無理な相談である。


お茶会を通じて、二人の気持ちを繋げよう。

その手段はまだ朧気。掴み切れてないけど──。


「大丈夫。頑張ったらなんとかなる。よし。腹が減っては戦が出来ぬ。まずはご飯! 今のことは澪様にやっぱり言えないや。ごめんなさい。でも、頑張ってご飯作ります!」


あのノートは何も言わずに、和室の床の間に置いて置こう。

そして私は今から夕方に帰って来るであろう、澪様のために。

お財布と買い物かごを持って、商店街に行く準備をするのだった。


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