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ミドリと会ってから、半月が経った。
その間、私は常に不安な気持ちを持ちながら生活していたけれど、徐々に緊張感を失ってきていた。
といっても、何も変化が無かった訳ではない。
アパートの隣室に新しい住民が引っ越して来た。
今度の隣人は若い男性。ごく普通のサラリーマンで、私より少し年上に見えた。
顔を合わせると笑顔で挨拶してくれるとても感じの良い人だ。いつも顔を隠すように俯いていた前の隣人とは大違いだった。
一応、郵便受の名前を確認しておいた。
【三神 孝史】
名字すら書いていない人が多い中、珍しくフルネームで記入されていた。
随分無防備だ。男性は防犯に無頓着なんだろうか。
変わったのはそれだけでは無かった。
あのリーベルでの話し合いの日から、蓮が毎日会社の前に現れるようになっていた。
私を送る為だそうだ。
初めは抵抗し、拒否していた私も、数日後には大人しく送られるようになっていた。
断っても無駄だと分かったし、良く考えると蓮はボディガードには最適だ。
蓮にもメリットがある。雪香が偽名で付き合っていた相手が接触して来て、手がかりが掴めるかもしれないからだ。
そんな相手と接触を持ちたくないのが本音だけど、どうせ来るなら蓮と一緒の時に来てもらった方が安全。誤解も解きやすいと考え直した。
今日も仕事を終え会社のビルを出ると、不機嫌そうな表情の蓮が待っていた。
「遅い!」
私の姿を視界に入れた途端、乱暴な足取りで近付いて来る。
「残業だったから。だいたい約束してる訳じゃないでしょ?」
素っ気なく言うと、蓮は鋭い目で睨んで来た。
本当にこの目止めて欲しい。表には出さずに済んでいるけど、はっきり言ってかなり怖い。
毎回心臓がドクンと跳ねてしまう。それなら怒らせなければ良いのだろうけど、蓮とは相性が悪いのか、すぐに憎まれ口を叩きたくなるのだ。
「毎日迎えに来てるんだから、言わなくても分かるだろ?」
毎日来てるからこそ、急な残業が有るって分かりそうなのに。
内心そう思ったけれど、今度は口に出さずに黙っていた。
蓮は私の腕を掴むと、側に止めてある車に連れて行く。車は勢い良く発進し、スピードに乗り始める。
「ねえ、道違うんじゃない?」
いつもとは景色が違う。蓮は悪びれもせずに言った。
「今日はリーベルに寄る」
「は? じゃあ私は帰るから下ろしてよ」
なんで私の了解も得ずに行き先を決めるわけ?
「夕飯なら店で食べれはいいだろ」
そんな問題じゃないんだけど。
リーベルに着くと、蓮は適当に寛いでろと言い残し、奥のスタッフルームに消えて行った。
適当にって言われても、馴染みの無い店で寛げる程私の神経は太くない。
身の置きどころに悩みながら、結局カウンターの一番端の席に座った。
手持無沙汰で、店の中を観察した。
相変わらず店の雰囲気はは良く、客の質も悪くない。
雪香の付き合っていたというたちの悪い相手とやらは、この店には居ない気がした。でもそれならどこで知り合うのだろう。
疑問に思っていると、カウンターの中から声がかかった。
「蓮さんから食事を出すように言われてます。何にしますか?」
私と同年代か少し下かと思われる少年の様な雰囲気の店員が、感じの良い笑顔を浮かべながらメニューを差し出して来た。
「あ、ありがとう……」
そういえば、夕飯は店でとか言っていたっけ。
変なところは気を使うんだなと思いながら、メニューを受け取り目を通した。
「では……カルボナーラをお願いします」
メニューを返しながら言うと、店員はにこやかに頷いた。
しばらくすると、カルボナーラとアイスティーが運ばれて来た。味は期待していなかったけれど凄く美味しい。濃厚なクリームが好みの味だ。
あっという間に完食して食後のアイスティーを飲んでいたら声をかけられた。
「ねえ、あなた蓮と一緒にいなかった?」
派手な雰囲気の若い女性だ。蓮の知り合いだろうか。
「あなたは?」
「私は蓮の……ん? あなた雪香に似てるわね」
「香川雪香なら私の双子の妹ですけど」
女性は嫌そうに顔をしかめる。
「あんたと雪香が双子?」
あんたって……初対面の相手に対する言葉とは思えない。この女性の常識を疑う。
「そうですけど、あなたは雪香の友達?」
「私は黒須凛子、この店のオーナー蓮の彼女。雪香とは彼の関係で揉めてたのよ」
蓮の彼女?!今度は私が驚き、目を見開いた。
改めて、黒須凛子をまじまじと見た。
第一印象はとにかく派手。服装は胸元を強調するように大きく開いたブラウスに、ぴったりとしたミニスカート。一歩間違えれば下品な格好だけれど、外人体型の彼女には合っている。
顔立ちは彫りが深く、一つ一つのパーツの大きい。客観的に見て美人な方だ。
でも、女性としての魅力なら雪香の方が上回っているように思う。
どうして蓮は雪香には見向きもせずに、この人を選んだのだろう。
疑問を覚えていると、凛子が、挑戦的な目を向けて来た。
「最近雪香を見ないと思ってたら、今度は姉だなんてね。姉妹で蓮に付きまとう気なの?」
それにしても、蓮はこの人の何を気に入ってるのだろうか。
強気な性格が好みだとか? 蓮とはお似合いな気もするけど……私は気に入らない。
「付きまとわれてるのは私の方なんだけど。嘘だと思うなら彼氏に聞いてみれば?」
凛子の迫力に負けずに言い返す。凛子は意外なようだった。
「随分気が強いのね、姉妹とは言っても雪香とは性格は違うのね」
「雪香の方がおとなしかったと言いたいの?」
危ない人と付き合うような行動を取る人が、大人しいとは思えないけど。
「そうよ、雪香は私に一度も言い返せなかったもの」
「さっき揉めてたって言ってなかった?」
「それは、蓮に近寄るなって何度言っても聞かないからよ。私が責めると何も言い返せないで小さくなってたくせに、決して蓮から離れようとしなかった……かなりイライラしたわ」
「本当に?」
私の中の雪香のイメージとミドリが語った雪香の姿。そして今、凛子の話す雪香が同一人物とは思えなかった。まるで別人のよう。どれが本当の雪香だったのだろうか。
「……最終的に雪香とは決着がついたの?」
相変わらず私を睨んでいる凛子に尋ねる。
「はっきりとけりがついた訳じゃ無かったけど……でも半年位前からリーベルに顔を出さなくなったから諦めたと思ってたのよ」
半年前は、ミドリの兄と別れ、直樹と婚約した頃だ。
やはりその時期に雪香に何か変化が有ったのは、間違い無さそうだった。
「ねえ、二人が争ってるのを鷺森さんは知ってたの?」
私の言葉に反応して、凛子は表情を変えた。
「名字で呼んでるの?」
「そうだけど」
私と蓮の間が、大して親密では無いと判断したのか、凛子は少し警戒を解いたようだった。
結構単純なんだなと思いながら凛子の言葉を待つ。
「蓮は知らなかったんじゃないかな、何も言ってなかったし」
「何も言わないって……」
自分を取り合って二人の女が争っていたのに、気付かないものだろうか。
面倒で無視していたのか、どうでも良かったのか……でもあの雪香への執着を 考えると、無関心とも思えないし。
「悪い、待たせたな」
蓮の声がしたのと同時に、凛子が顔を輝かせ近付いて行った。
「蓮!」
「凛子? 来てたのか」
蓮の方は大した反応をしない。
「最近会ってくれないから……それよりどうして雪香の姉を連れて来るの? 私を放って何やってるの?」
凛子は拗ねたような上目遣いで蓮を睨む。いきなり痴話喧嘩になるのかと半ば呆れて見ていると、蓮は全く取り合わず、私に視線を向けた。
「凛子には関係無いだろ……沙雪帰るぞ」
信じられない。彼女に対する態度としては許されないレベル。
「その言い方は無いんじゃないの? あの人、鷺森さんの彼女なんでしょ?」
蓮は煩わしそうに、舌打ちをした。
「お前には関係無いだろ?」
蓮は人の気持ちってものを考えないのだろうか。雪香と凛子が険悪でも、こんな態度だったの?
車が走り出しても蓮の機嫌は悪いままだった。
「さっきの女性……黒須凛子さんって、鷺森さんの彼女なんでしょ?」
蓮は前を向いたまま、返事もしない。私は気にせずに話を続けた。
「彼女と雪香が揉めてたそうだけど、知ってた?」
「は? なんで揉めてたんだよ?」
今度は反応があった。
「鷺森さんを取り合って揉めてたんでしょ? 彼女は雪香にリーベルに出入りするなって言ってたみたいよ。そんな状況なのに本当に気付かなかったの?」
蓮は車を路肩に止めて私に顔を向けて来た。
「そんな話、雪香から聞いてない……本当なのか?」
低い声を出す蓮から、静かな怒りを感じた。
「凛子がそう言ったのか?」
今、蓮の怒りは凛子に向かっている。
「おい、答えろよ」
苛立つ声。少し悩んだ結果、今更黙っても仕方ないと割り切り、遠慮無く発言すると決めた。
「彼女は雪香にかなりキツいことを言っていたみたいよ」
「……いつからだ」
蓮は険しい表情で、独り言のようにボソッと言った。
「さあ、最初からじゃないの? 彼女は気が強そうだし」
「あいつ!」
蓮は苛立ち歯ぎしりした。
でも私は、凛子に対する怒りを露わにする蓮の態度に、違和感を持った。
「どうして、彼女ばかりを怒るの?」
「あいつは雪香を攻撃してたんだ! 怒るに決まってるだろ」
「私は黒須凛子の行動が理解出来る。自分の恋人が他の女に構ってばかりだったら誰だって嫌になるし、相手の女を遠ざけたいのなんて当然の気持ちだと思うから。怒りたいのは彼女の方。それなのに逆ギレするなんて考え方おかしいんじゃないの?」
不快感を隠さずにそう言うと、蓮は言葉に詰まったように黙りながらも、鋭い目で私を見た。
迫力有る視線が突き刺さるけど、怯まず話を続ける。
「鷺森さんは、彼女より雪香を大切にしてるように見える。それなのに恋人にはしないで別の人と付き合い、でも雪香を側に置いていた……何考えてるわけ?」
責めるような口調で言うと、蓮は脅すような低い声で答えた。
「お前には関係無い。余計な口出しするな」
その態度に、私の怒りはこれ迄に無い程高まった。
「私の事情には遠慮無く首突っ込んで来たくせに、何なのその態度。最初に会った時も思ったけど、やっぱり最低。二度と顔を見たくない!」
今までの怒りを全てぶつけ、私は蓮の車から飛び出した。すっかり暗くなった国道沿いをひたすら歩き、駅を目指す。
気温はかなり下がっているはずだけれど、怒りの為か寒さは気にならなかった。
沢山の車が行き交う光景に目を遣りながら、足早に進む。
鷺森蓮の態度には、本当にイライラさせられる。
強引に、私の都合など構わず生活に入り込んで来たのに、自分については隠して語らない。
なんて勝手なんだろう。
蓮にいいように使われているようで、腹が立つ。ここ最近、彼に気を許してしまっていた自分も許せなかった。
怒りまかせにどんどん進んで来たけれど、降りた場所が悪かったのか、駅迄はまだ大分有りそうだった。
変な場所で停車した鷺森蓮に対して、新たな怒りが湧いて来る。
しかも前方には歩道橋。左右を見渡しても、近くに渡れそうな信号は無く、これを渡らないと先に進めない。
本当についてない。突き落とされて以来、怖くて避けて来ていたのに。
それでも仕方なく階段を登る事にした。いつまでも、ビクビクして避けてはいられない。気持ちを奮い立たせるように、力を込めて足を踏み出した。