「秘密の顔」
🟦🏺
🟦の素顔が見たい🏺と、禊🏺が見たい🟦
大型犯罪の処理も終わり、チルタイム中の本署のロビーにて。つぼ浦、まるん、オルカのいわゆるキセキの世代の3人が談笑していた。
「まるんはメガネ外してもあまり変わらないな」
目に入ったゴミを取ろうとメガネを外したまるんの顔をオルカはしげしげと眺める。
「そうなの?!メガネはアイデンティティなんだけどな…」
「よくわかんねぇけど物足りなさはあるぞ」
「ちょっと貸してくれないかー?」
オルカはひょいとまるんの手からメガネを取り、かけてみせる。ニコニコ笑いながら二人を見た。
「どうだー?似合うか?」
「不思議だな、なんか頭が良さそうだぜ」
「み、見えない」
いつも元気いっぱいなオルカがどことなく理知的に見える。メガネを貸した本人は裸眼では何も見えず、細い目をもっと細めている。
「でもやっぱりまるんのほうが似合うぜ、メガネも丸いしな」
「そっか、名前がまるんだから丸メガネなのか!」
「いやそういうわけでもないんだけどね」
「やっぱりまるんと言ったらキノコとメガネだもんなー」
「ありがとう、そ、そろそろ返してほしいな」
「ああごめんな、はい!で、匠は……」
「な、なんだ?」
まるんに眼鏡を返したオルカが自然に話を振ってきた。嫌な予感を察知してつぼ浦は一歩下がる。
「サングラス、度入りなのか?」
「そ、そうだぜ。取ったらなんにも見えないぞ」
「ふーん、でもさ、匠も……」
「あー!キャップ、探しましたよ!」
飛んでくる火の粉をかわすために、つぼ浦は通りかかったキャップにかかりそうになった火の粉を掴んでぶちまける。
「キ、キャップ!キャップはグラサン取るとどんな感じなんですか?」
「ぁあ?何だね急に」
「きっと男前っすよねぇ?!あー見てみてぇなぁ!」
ことさらに大げさな声で騒ぎ立て、上司を焚きつける。たまたま通りかかった青井も足を止めてその面白そうなやり取りを遠巻きに見物する。
上手いことおだてられ、キャップは満を持してサングラスを外してみせる。思ったよりもキリッとしたハードボイルドな目がキュートな猫耳の下に現れる。
「なんか……」
「なんとも……」
「なんかだな……」
三人とも言葉を選びそうになって選べない。ゆるふわな服装を引き締めるサングラスは偉大だった。猫耳メイド服にはアンバランスな渋い顔の男性を複雑そうに見つめる。
「なんだ?!なんとか言えよ!せめてなんとか言ってくれ!!」
辛そうに嘆くキャップにサングラスを返し、誰ともなく謝る。変な空気が流れ、さすがにどうにかしようと言い出しっぺのつぼ浦が口を開く。
「いや〜キャップ、かっこいいっすねー、刑事っぽくて」
「言うのが遅いんだよ!」
するどいパンチがつぼ浦の頭に入る。衝撃でサングラスが吹っ飛んだ。
「あッ、どこだ?!」
慌てて取り返そうとボケた視界であたりを見回すが、床の色と同化して見当たらない。
色の濃いレンズで隠されていた、見た目よりもずっと綺麗で可愛らしい目が現れる。下手に動いたら踏みかねないのでその場でキョロキョロするつぼ浦を見て、周囲から爆笑が沸き起こる。
「チ、チクショウ、なんで笑うんだよっ!」
「なんていうか、なんか眼鏡がないつぼ浦まろやかなんだよな……」
同じ眼鏡のよしみでまるんは落ちていたサングラスを拾ってやる。
「ふふふ、オルカは好きだぞ、匠の素顔!」
「つぼつぼ、お前、なんでそんなつぶらな目なんだよ、ギャップがエグいじゃないか」
青井も少し離れたところでガハガハ笑っていた。爆笑する面々を見据え、つぼ浦は怒りに震えながらバットを持ち出す。
「返せよ!笑うんじゃねぇっての!!」
「らだおさん、パス!!」
バットを振り回すつぼ浦から逃げようと、まるんはとっさにグラサンを投げる。急に投げて寄越されたグラサンを青井はからくもキャッチする。
「お〜危ない危ない」
「テメェも、遠くで笑ってんじゃねぇよ!」
ぼやけた視界でも黒い面をつけた全身黒い青井の姿はわかりやすかった。つぼ浦はおぼつかない足取りでバット片手に追いかける。小走りで廊下に逃げ出した青井にすぐに追いつき、威嚇しながら壁際に追い詰めた。
「はいはいごめん、返す返す」
バットを突きつけられ、青井はクスクス笑いながらサングラスを持つ手を差し出す。
「っふ、お前本当、目が可愛すぎんだよ」
「う、うるせぇ!!」
「本当に、他所で見せないほうがいいよ、はははッ」
爆笑する青井から乱暴にサングラスを取り返し、つぼ浦は恥ずかしさに震えながらかけ直した。
目の前にはまだ思い出し笑いしている青井がいた。怒りが心頭に達し、つぼ浦は青井に詰め寄る。
「人の顔で笑っといて、自分は仮面ってのはずるいっすよねぇ?!」
「えぇー?」
面倒なことになりそうで青井はその場をゆっくり離れようとする。逃さぬようにと、つぼ浦は壁に追い詰めた青井の顔の両側に手をついて逃走を阻む。
「顔見せるまで許さねぇぞ!」
そのまま上から凄んでみせた。だが青井からは声がない。
「お前さ、いま……」
しばらくしてから口を開いたが、なにか言い淀んでいる。煮えきらない態度にイライラしてつぼ浦は顔を近づける。
「アァ?なんすか、なんか文句あるんすか?」
「……いや、わかってないならいいんだけどさ」
「んだよ、じゃあ早くしやがれってんだ!」
鬼の角を掴んでぐいぐい引っ張られて流石に青井もぺしっと叩いて手を振り払う。
「わかったわかった、じゃあ交換条件でどう?」
「は?なんでだよ」
「俺だけってのはフェアじゃないやん」
「もう見たじゃないっすか、今!」
「俺だって人前で素顔出すの本当に死ぬほど嫌だよ」
「ぐっ…!」
つぼ浦は思わず身体を離して呻く。
確かに青井の素顔を見たことはほとんどない。なにしろ食事を摂るときだってなるべく人目を避けようとしているのだ。
それは自分がサングラスを取られたくないように、本当に嫌なのだろうということは理解できた。理解できたからこそ、本来繊細であるべき話を気軽に持ちかけたことを、少しだけ後悔した。
「見たいの?見たくないの?どっちなん」
青井は押し黙ったつぼ浦の顔を見上げる。青井への気遣いと、切った以上引っ込みのつかない啖呵で悩んでいるところにずけずけと入られた。つぼ浦は渋々話を進める。
「……なんすか、条件って」
「そうだねぇ、じゃあ、あの禊のときの格好してよ」
「は、はぁ!?」
「割とそれくらいで釣り合うと思うよ、お前と違ってガチで見せてないからね俺」
青井の声には若干の不快感が乗っていた。被害者だったはずなのにいつの間にか決断を迫られる側になった。あの屈辱の一週間を思い出し、つぼ浦の身体に変な汗が流れる。
「か、革靴に、ネクタイに…?!」
「あと黒髪に眼鏡ね」
「お、お、おれ、肌出せないと死んじまう」
「それくらい俺も嫌ってことだよ」
ため息混じりに青井は言うと、角を引っ張られた仮面を手で直している。
ここまで言えば諦めて逃げるだろう、と青井は思っていた。しかしつぼ浦は腕組みをしてしばらく俯いたあと、顔を上げて青井をビシッと指さした。
「いいぜ、受けて立つぞ!」
「え、本当にやるんだ?」
まさか受け入れると思わず、青井は笑い混じりの驚愕の声を上げる。
その間の抜けた声で、自分が深刻に気を使ったほどには何も考えていなさそうなことを悟ってたじろぐ。しかし口から出た言葉を拾って引っ込めるほど、つぼ浦は意気地なしではなかった。
「特殊刑事課に二言はねぇ!チクショウ、逃げんなよッ!?」
「はは、そっちこそね」
嘲る青井の声を背中に受け止め、つぼ浦は大股でエントランスホールを後にした。
*
ただのチルタイムの戯れだったのに、面倒なことになってしまった。つぼ浦は本署近くの服屋の試着室で頭を抱えていた。
久しぶりに袖を通す黒い制服は、生地のこわばりもあって全く身体になじまない。床に脱ぎ捨てたアロハシャツの色が目にも鮮やかだ。自分を象徴する南国の色彩が、味気ない黒で削ぎ取られていくようで生きた心地がしない。
つぼ浦は着替えながら、溜まった苛立ちをすりつぶすために青井の素顔を想像する。
のんきでのんびりとした喋り方だから意外と若めかもしれない。だが警察ヘリのエースで泣く子も黙る空の悪魔だ、男らしく精悍な顔立ちでも納得がいく。
しかしもう30歳を越えており、もしかするとシミとかシワとかあって恥ずかしくて隠してるんじゃないか?などと妄想で憂さ晴らしをする。
黒いスラックスにきっちりシャツの裾を入れ、ベルトを締める。陽気なサンダルとお別れして硬いだけの革靴に足を入れる。どこもかしこも窮屈で、今にも弾け飛んでしまいそうだ。
「……ここに来てネクタイかよ」
弱気な声が出た。礼節とおしゃれ以外なんの意味もなく、首につける意味がまったくわからない。まだ縄でもくくられたほうがましだった。
最低限のマナーとしてギリギリ知っている結び方を思い出し、鏡を見ながらおぼつかない手でネクタイを締めた。
「てか、黒髪…!!くそっ、忘れてたぜ!」
鏡を見て首から上がチグハグなことに気づいた。制服を着用した時点でかなりの抑圧なのに、この上まだアイデンティティを失わなければならないのだ。
つぼ浦はだんだんなんでこんなことをしているのかがわからなくなってきた。「青井の素顔を見る」という、ただそれだけのためになぜこんなに必死になっているのか。逃げることなどいくらでも出来たのに、切った啖呵と湧いた興味がどうしても収まらない。
「……きっと、優しい顔なんだろうな」
つぼ浦は誰からも慕われる、強い先輩のことを思う。
鬼の面は青井によく似合っていた。感情の乗りづらい声と、表情のない鬼の顔は冷徹だ。しかしそれを打ち消すほどの優しさがにじみ出ている。
それは物腰柔らかな立ち振舞のせいだろう。もしあれで行動までもが冷酷だったら、それはそれは恐ろしい鬼だったことだろう。
本当は、あの鬼はどんな顔で皆を、自分を見ているのか。人前で見せようとしないその顔をもうすぐ見ることができる、というおかしな優越感が胸をくすぐる。
「そんで絶ッ対、意地が悪い」
自分の顔を見てゲラゲラ笑っていたことを思い出し、きれいめな感情を頭の外に追い出す。
やっぱり顔にシミとかシワとか土砂崩れとかあるんだ、そうに違いない、と自分に言い聞かせ、つぼ浦は髪を変えるべく床屋へ向かった。
*
車のミラーにまるで勤勉な学生のような黒い髪になった自分が映る。つぼ浦はドキドキしながら車を走らせていた。こんな姿を誰かに見つかりたくなかった。
青井は「着替えたらレギオン前の公園集合ね」と言っていた。まっすぐ行こうとしたのだが、つぼ浦は痛恨のミスを犯していた。
サングラスから普通のメガネに変えるのを忘れていたのだ。視力を補うそれは体の一部も同然で、すっかり頭から抜けていた。床屋の鏡を見てその事に気づき、再び服屋へと向かっていた。
本署近くの服屋はそこそこ人通りが多い。時間が夜なことも幸いし、つぼ浦は人目を伺いながらドアを開けて店内にすべり込んだ。
棚からメガネを選び、かけ変える。透明なレンズ越しに見る世界は他人からの好奇の視線だけでなく、余計なものまでも見えそうで嫌だった。
店から出ようとしたところで後ろから音がした。思わず柱の影に隠れると、試着室から人が出てきた。つぼ浦と同じ警官の制服で、制帽をかぶりサングラスをかけている。顔が半分見えないが、つぼ浦の見たことのない人物だった。
「あっ」
「な、なんだぁ?見ねぇ顔だな、警察体験のヤツか?」
隠れていたつぼ浦に目ざとく気づいた。気づかれてしまったのなら仕方ない、つぼ浦は姿を表して前に立つ。
つぼ浦と目が合うなり、相手は口に手を当てて考え込む。
「えーっと、どうしようかな……」
「あァ?服選びに来たのか?担当いねぇのかよ…ホラ、警察署の場所わかるか?」
つぼ浦は先導して道を教えてやろうとする。しかし相手は相変わらず口に手を当て、動こうとしない。肩が小刻みに震えており、まるで笑いを噛み殺すようなそぶりだった。
「な、なんだよ」
「お兄さんは何やってる人なんですかー?」
「オウ、いい質問だな。特殊刑事課NO.1だ。警察のエリート部隊だからな、簡単になれると思うなよ」
「へぇ、そういう普通っぽい恰好なんですね、エリートなのに」
「あーこれはだな、こういう一般警官に紛れ込む格好もしないといけないんだ」
「ふぅん、ネクタイ曲がってますよー」
「ッ、やんのかテメェ?!」
失礼な物言いにつぼ浦は拳を握りしめ、睨みつける。こらえきれなくなったようで相手は口元から手を離してケラケラと声を上げて笑い出した。
「お前っ、本当に声で誰かわからんのな」
急に砕けた口調になり、つぼ浦はあっけにとられて拳を引く。
「は?だ、誰だよ」
「誰だと思う?」
口元に笑みを浮かべ、質問に質問を返されつぼ浦は記憶を総ざらいする。
こんなに親しげに話しかけてくる、そしてこの背格好、なんとなく聞いたことがあるようなないようなのんきな声。
もしかして、が浮かび上がってくる。冷や汗まじりに考える顔を下から覗き込まれた。
「誰かと待ち合わせしてるんじゃないの?」
「……アオセン?!」
ようやく点と点が繋がる。青井は楽しそうに笑うとつぼ浦の肩をバンバン叩く。
「黒髪、いいねぇ、久しぶりに見た」
「う、うるせぇ!てかなんでアオセンもその格好なんだよ」
「俺も顔出したのがこの服なんだよ」
そう言われてやっと青井が着ているのが1周年パレードのときの服だ、と思い出した。そういえば青井が素顔だったのはあのときくらいだった。車の運転に集中していたし、立ち位置が遠くてジロジロと見る暇がなかったが。
青井はつぼ浦の格好を頭から足先まで見てにっこり笑う。
体験の子がするような無個性な制服に、眉間にシワを寄せた可愛らしい顔が乗っている。いつもの全世界を威嚇するようなファッションが削がれるだけで隠れていた純粋さがあらわになり、ともすれば年齢よりも幼く見える。
「本当いいねぇ、お前の禊の格好マジでいい」
「どこがっすか」
「きれいなつぼ浦って感じで。泉から出てきそう」
「チクショウ、普段が汚いってことかよっ!」
「ははッ、女神様に真面目に答えちゃったかもなぁ。違うよ、何ていうかこの……抑え込まれてる感じが、ね?」
青井は嬉しそうに笑う。
誰の下につくのも良しとしない猛獣が、黒に飲み込まれて抑え込まれている様子は哀れで微笑ましかった。抑圧されてもなお折れることを知らない目が、透明なレンズの向こうで必死に輝いている。
色と服が変わるだけでこんなにも従順になるのが可愛すぎて、どうしても笑いが止まらない。
「つーか、グ、グラサンはずるいぞ!俺だってメガネにしたんっすよ!!」
つぼ浦はイライラしながら怒鳴る。なにしろ青井はずっと笑い続けているのだ。なけなしのプライドにギリギリと爪が立てられるようで腹立たしかった。
「ああ、それもそうだね」
青井は濃いレンズのサングラスを外し、胸ポケットに入れる。脱いだ制帽を床に落とす。
そして先ほど本署でつぼ浦がしてきたように、つぼ浦を壁に追い詰め顔の両側に手をついた。いわゆる壁ドンだ。逃げられないようにしてから、顔をじっくりと見上げる。
「どう?見たかったんでしょ?」
空色の目が飛び込んできた。至近距離で見つめられ、つぼ浦の心臓が突然うるさくなる。
「え、あ、」
青井は思ったより若かった。凛々しさと若さの境に立つ風貌は、童顔でありながら歴戦の貫禄を感じさせる。日に焼けない肌に夜空のような紺色の髪がよく映えていた。
柔らかなカーブを描く眉の下、柔和な目がつぼ浦をじっと見ている。薄い唇を引き上げくすりと笑うと目が優しく細められ、髪の束がさらりと額に流れる。
一言でいうと、顔がいい。腹いせにシワの一本でも見つけてやろうと批判的に見るが、目尻に薄く見える笑いジワが逆に人の良さを物語っていた。
「どう?満足した?」
柔らかそうな唇が動く。気づけばつぼ浦は青井の顔を恍惚と見つめていた。
「ず、ず、ずいぶん顔に自信あるじゃねぇか」
「まさか、あるわけないやん。ないから隠してるんだけど、…じゃあ、なんでお前そんな顔になってるの?」
指摘されて初めて頬の熱さを感じた。恥ずかしいのに、それでも青井から目を逸らせなかった。
やはりどう見ても顔がいい。いつもこんな顔で自分を見ていたのか、という事実が驚くほど心を揺さぶる。
鬼の下にあったのはこんな顔だった。顔の良さだけでなく、誰にも見せずに隠していた素顔を知れたことがなによりもつぼ浦の胸を高鳴らせた。
「俺もお前の顔見たかったんだよね」
青井はつぼ浦の黒髪に手を差し入れる。普段はサングラスで見えない目を見つめた。
「お、俺のなんかいつでも見れるだろ」
「見せてくれないでしょ。特にこの、黒髪なんて」
そのままくしゃっと前髪を持ち上げ、戸惑う目をじっくりと見た。ゆるやかに甘く下がる目尻は穏やかささえあり、それだけではとてもロスサントスの狂犬の目とは思えない。
「言ったじゃん、お前の目可愛いって。他所で見せないほうがいいよって」
少し怯えながらも頬を染め、青井に翻弄される瞳は太陽の光がとろけて固まったような琥珀の色をしていた。黒が個性を奪っても、その目だけは変わらず綺麗だった。
生真面目な服も相まって、純粋な青年をかどわかしているようなやましさがこみ上げる。その服さえ暴きたい欲求を抑え込み、青井はつぼ浦の黒髪をゆっくり撫でた。
「……本当に可愛い。ずるいよな」
好きなだけ触れると青井の手は離れていった。なにがどう「ずるい」のか、つぼ浦にはわからなかった。
「あ、アオセン、も、そんな怪物みたいな顔なんだな」
つぼ浦も言葉を絞り出す。褒めているのか貶しているのかわからない言い方に青井は眉をひそめる。
「あぁ??」
「み、見てたら、魂、食われちまいそうだ」
つぼ浦は息を呑む。脳を通らず本能的に出た感想だった。
感情を悟らせず白い顔で迫るさまは、おとぎ話で魂を食べる鬼のようだった。言わんとしている意味を察して青井は喉で笑う。
「はは、じゃあ食ってやろうか?」
冗談じみた言い方をして、青井はつぼ浦の喉元に口を近づけた。
「ッあ……!」
呼気が首に触れ、頬をかすめる柔らかい髪からはつぼ浦の知らない整髪料の香りがする。手が意味ありげに脇腹をゆっくりなぞり、腰で止まる。
思わず喉がゴクリと鳴った。首筋に口が触れ、硬い歯が皮膚にわずかに触れる。それだけで体中の熱がそこに集まったような錯覚に陥る。
力を入れて噛む直前で、青井は笑いながら体を起こした。
「冗談だよ。は〜面白かった、からかうの」
悪い顔でケラケラ笑うと、まだ動けないつぼ浦の曲がったネクタイを直してやる。
「なに、どうしたの?」
「……ッ、チクショウ、冗談キツいっすよ」
噛まれそうになった場所を手で押さえ、つぼ浦はうめいた。
この胸の高鳴りがなんなのか、熱が離れたことがどうして寂しいのか、うまく言語化することができなかった。
床に落ちた制帽を拾う青井の横でつぼ浦はモジモジしていた。
青井はこのあとすぐにでも着替えてしまうだろう。それが惜しい。
「アオセン、その……写真撮っていいっすか?」
「いいよ、お前も一緒な」
断られると思っていたのであっさり許されて拍子抜けする。
「顔、嫌なんじゃないんすか?」
つぼ浦が持つスマホの、インカメラにした画角に収まろうと肩を寄せてくる。また青井の顔が近づいて、ドキドキしながらつぼ浦は問うた。
「こうでもしないとお前、忘れるでしょ」
青井はつぼ浦の腕を掴んでぎゅっと身体を近づける。
「覚えてよね、俺、こういう顔だからね」
思わず指に力が入り、シャッターが連続で切られた。
俺にも送ってね、という声を意識の端の方で聞きながら、つぼ浦は画面に収まった先輩の素顔から目が離せなかった。
*
翌日。今日も今日とて埒が明かない会話の打開策としてつぼ浦が投げたグレネードが、人質ごと強盗犯を爆殺した。
延焼ついでに爆発したパトカーが大げさなくらい宙を飛ぶ。
「こらーっ!」
遠くからヘリで見ていた青井が、平坦な声で怒りながら走って追いかけてきた。つぼ浦は急いで路地に駆け込み、フェンスを乗り越え、ゴミ箱の裏に隠れる。
逃走しながらも顔がニヤつくのを抑えられなかった。
ポケットのスマホのカメラロールには、秘密を見せてくれた証拠として昨日の写真が間違いなく残っている。
今日も無意識に何度も見てしまった。今もどんな顔をして怒っているのか。妄想に花を咲かせていると、後ろから首根っこを掴まれた。
「お前いい加減にしろよ」
「なんでですか!錯乱してた犯人を救ってやったんですよ!」
「お前が交渉をぐちゃぐちゃにしたんだろ、人質もダウンしてんだよ、プレイヤー殺人切るぞ」
逃げ出すより先に手錠がかけられる。後ろ手に腕を掴まれて、歩くように急かされる。そうして身体が近づくだけで、首筋がぞわりとむず痒くなる。
今は鬼の面の下でどんな顔をしているのか。気持ちが浮き立つのを隠せないまま、つぼ浦はテーザー銃を突きつけられながら青井に連行された。
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どうしても書きたかった禊浦の話。あの格好、いつ見てもえっちで好きです。
ここで終わるのは犯罪だと思うので、続きを書きたいという気持ち…
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人たらしrdoの破壊力…! 最高でした〜