フィナンシェたちが新婚旅行へと出発して数日後。
いよいよショコラを後継者候補としてお披露目する場となる、王宮での夜会の日がやって来る。
「これには、私とショコラの二人だけで行って来る。」
父・ガナシュは事前にそう告げた。母・マドレーヌはきょとんとしながら聞き返した。
「あら、私は行かなくていいの?」
「出来る限りショコラを印象付けたいからね。私は今回、ショコラのエスコート役に徹して来るよ。」
それを聞いた彼女は、意外にもがっかりとしていた。
「まあそうなのね……。側に付いて色々してあげなくちゃと考えていたのに。」
むしろ喜ぶだろうとガナシュは思っていたのだが、妻は口を尖らせ詰まらなそうな顔をしている。いつもならば夜会などには行きたがらないくせに、今回ばかりはそのつもりになっていたらしい。へそ曲がりなところが長女そっくりである。いや、『天の邪鬼』という言葉こそがマドレーヌには相応しい。
……とはいえ、今回は自分の我儘よりも、母親としての憂いの方が勝ったという事のようだ。
「心配するな。今度は“あの時”のようにはさせないさ。」
「そうね。それにしても、私一人でお留守番だなんて。何だか変な感じだわ……。」
――そして当日。
ガナシュは準備を整え、留守番のマドレーヌと共に玄関ホールでショコラの支度が終わるのを待っていた。しばらくすると、まずそこへ現れたのはミエルを中心としたショコラ付き侍女たちだった。彼女たちは満を持したように口を開いた。
「旦那様、奥様。ショコラ様のご用意が整いました!」
……玄関ホールに続く階段を、見違えるほど着飾ったショコラがゆっくりと降りて来る――…。それを見た父と母は、思わず声を弾ませた。
「まあ――可愛いっ‼いいじゃないの、よくやったわミエル!」
「ああ、本当だ。素晴らしい!ショコラ、父様たちによく見せておくれ。」
両親のところまで来たショコラは、そこでくるりと一回りしてみせると照れ笑いを浮かべた。
すると二人だけでなく、そこに集まって来ていた屋敷の使用人たちが皆、それを見るなり大きな歓声を上げた。そんな反応に、当人は『大袈裟だな』と少々恥ずかしくなってしまったのだった。
さて、衣装の披露が一通り済むと、ガナシュは懐中時計を取り出して確認した。
「――まだ、少し早いかな…」
父はそう呟いた。
早い?だろうか……とショコラは思った。何せ自分がここへやって来た時には、すでにいつでも出掛けられるよう準備万端整っていたからだ。てっきり、今か今かと待ち侘びていたものだと思ったのに……
「まだ出発しなくても良いのですか?お父様。」
「ああ問題無い。この時間だと、王宮に着いてもまだ開宴までは間がある。出来る限りぎりぎりを狙って入場したいのだよ。その頃にはほとんどの出席者が会場入りしているはずだからね。そうすれば注目を集め、全員に挨拶して回らずとも自ずと認知される……。」
そう答えたガナシュは黒い笑みを浮かべていた。まるで悪役のような顔である。別に悪事を働こうとしているわけではないはずなのだが……。
しかし、これが「公爵」としての父の姿なのだろう。ショコラはそう解釈した。
……それからその場で更に時間を潰し、ある程度のところで執事のジェノワーズが主人へと声を掛けた。
「旦那様。そろそろよろしいのではないかと。」
その言葉に、ガナシュは再度懐中時計を確認した。――…確かに丁度いい頃合いだ。
「おお、そうだな。これ以上はさすがに遅刻してしまう。――ではショコラ、“再戦”と行こうではないか。」
「はいっお父様!」
勇んだショコラは父と共に馬車に乗り込んだ。そして母と使用人たちの見送りを受け、いざ王宮へと出発して行ったのだった。
今宵の夜会会場は、王宮の中にある天井の高い大きなホールである。その奥には大きな階段が造られていて、上り切ったところにある壇上には玉座が置かれている。上にいる王からは全体が見渡せ、下に集まった者たちは王を仰ぎ見る、という構図の会場だ。
現在時刻、国王と王妃はそこへ座り、次々とやって来る招待客からの挨拶を受けていた。
「――ふう、夜会ではこれが一番の大仕事だな。」
挨拶と挨拶の合間。人の流れが一旦途切れた時を見計らい、国王・ガレットデロワは独り言を呟いた。
「おおしごと、ってなに⁇」
国王の膝の上から、可愛らしい声がした。その声の主は、まだまだ幼い王女・シャルロットである。大人の真似をしたい彼女は、「夜会」という大人の集まりに行ってみたくて仕方が無かった。そこで我儘を言い、今夜この場に連れて来て貰っているのだった。
そんなシャルロットが、父親の顔を見上げて尋ねている。ガレットデロワは優しく答えた。
「とても大変な仕事、という意味だよ。」
「ふう―――ん。」
分かったような顔をして、シャルロットは返事をした。
次の招待客がここまで上って来るには、まだもう少し時間が掛かりそうだ。国王は改めて会場を見渡した。
「今日は令息たちが少ないようだな。代わりに令嬢の数が多い。分かりやすいものだ。――してヴァシュラン、夫人のお加減はいかがかな?」
そう言ってガレットデロワが声を掛けたのは、護衛としてほぼ常に側にいる近衛師団の団長、ヴァシュラン・ネフル・シードル侯爵である。彼らは元々、幼馴染でもあった間柄だ。
「“シードル卿”です陛下。妻は臨月も近く、おかげさまで順調です。」
「そうか、それは良かった。今日はそなた一人で寂しかろう。」
「いえ、そのような事はございません。――それにしても陛下、海上師団団長と次期陸上師団団長のいない会場は、空気が美味しゅうございますね!」
そんな大人たちのたわいもない話にも、シャルロットは興味を示した。
「くーきがおいしゅいって、なぁに?なんのあじ⁇」
「高原のように澄んだ空気、という事でございますよ。シャルロット殿下。」
「こーげん??」
まだ語彙の少ない王女に、ヴァシュランの言葉は少々難しかったようだ。彼女は父の膝の上から転げ落ちそうなほど首を傾げている。そんな娘に、王妃・マカロンは隣の席から微笑んだ。
「今度お休みの時に参りましょうねぇ、シャルロット。」
「保養か、いいな。ならばシャルトルーズ領はどうだ?あそこは湖が格別に美しい。……ところで、今日はまだオードゥヴィ公の姿が見えぬようだが…。」
王妃の言葉でふと思い出したガレットデロワは、会場を見回した。するとぴくりと眉間に皺を寄せながら、ヴァシュランが答えた。
「公爵はいつもそんなにお早くはいらっしゃいませんが……確かに、少々遅うございますね。」
一方その頃、ショコラとガナシュはやっと王宮に着き馬車を降りたところだった。他にこれから中へ入ろうという者は、もうまばらにしかいない。
父娘は腕を組み、入り口へと向かう。それぞれの執事であるジェノワーズとファリヌは、その後ろ姿に深々と頭を下げた。
「我々はいつも通り、お帰りまでこちらで待機しております。それでは旦那様、ショコラ様。行ってらっしゃいませ。」
執事らに見送られて建物の中へ入ったショコラは、珍しく緊張していた。自分が注目の的になるなんて、よく考えたら初めての事ではないか……そう思ったのだ。
そんな娘に、父は助言をした。
「――ショコラ。背筋を伸ばして胸を張り、堂々としていなさい。他人というのは、オドオドとしている者の事を嘲笑うものなのだよ。」
「そうなのですか?分かりました!」
ショコラはすぐさま背筋をしゃんと伸ばした。それを見たガナシュは、満足そうに微笑んだ。
「そうそう。この先も何があろうと、そうしていればいい。」
長い廊下を通り、やがて薄暗いホールの入り口までやって来た。係の者が扉を開けてくれると――
そこには、多くの招待客らで溢れる煌びやかな世界が広がっていた。
天井も床も、どこもかしこもがキラキラと輝き、そのあまりの眩しさに思わず目を瞑りかけてしまう。しかし父に促され、ショコラはその中へと足を踏み入れた。
その途端、ざわついていたホールの中が、一瞬にして静まり返った。そして視線が集中した。
「――オードゥヴィ公爵だ…」
会場の至る所で、新たなざわめきが起こった。一つ一つの言葉は聞き取れないものの、注目を浴びているという事はショコラにも分かる。だがガナシュはそれを物ともせず、余裕の笑みで歩き始めた。――計算通り、とばかりに。
「あの、一緒に連れている方は……?」
「夫人では無いようだが――…」
「なんと可憐で美しい……」
「一体どなたなのだ⁇」
「まさか、公爵の愛人では…」
「滅多な事を言うものではない!が……」
腕を組んだ父娘が足を進める度、ホールを埋め尽くしていた人波が割れて行った。そして大階段へと向かって自然と道が作られる。ごちゃごちゃとしていた会場が、そこだけすっきりと見通せるようになった。そこでショコラはふと、階段の上に目線を向けた。
すると、玉座にいる国王の膝の上に、ちょこんと座る幼児の姿を見付けた。それはとても愛らしく、一瞬人形かと思ってしまった。
気になったショコラは、“次期公爵候補”らしくガナシュに尋ねてみた。
「――父上。あの、国王陛下のお膝にいらっしゃるのは――…?」
娘の言葉で玉座を見上げた父は、その姿を見て少々驚いた。
「おお、これは珍しい。あの方はシャルロット殿下だね。」
「!あの方が王女殿下なのですね。まあぁ、なんてお可愛らしいのかしら……‼」
ショコラはあっという間に幼い王女の虜になって、ぱあっと顔をほころばせた。そんな彼女の様子に、今度は周囲がほうっとした。
「……まあ、なんて笑顔の素敵な方なの…」
「本当に。」
「あれほどお美しい方、どちらにいらしたの?」
「見た事がありませんわね……」
それまで少しばかり硬い表情をしていたためか、ショコラの破顔はより一層華やかに見えたようだ。老若男女問わず、その笑顔に魅了されていた。
そんな視線を浴びながら、二人は階段を上って行く。やがて御前に着くと、ガナシュはうやうやしく挨拶を始めた。
「本日はお招き頂き有難く存じます、陛下。支度に手間取り到着が遅れました事、深くお詫び申し上げます。」
膝の上に王女を乗せたまま、国王は返事をした。
「よい。宴はまだ始まっておらぬ。――して、そちらのお嬢さんはどなたかな?」
「…さあ、陛下へご挨拶を。」
ガナシュが小さな声で促すと、ショコラは小さく頷いた。
そして、御前に向かって優雅なお辞儀をして見せた。
「――国王陛下、王妃殿下、ご機嫌麗しゅうございます。ショコラ・フレーズ・オードゥヴィでございます。久しくご無沙汰いたしまして、誠に申し訳ございません。」
その挨拶を聞いた国王は、驚きながらも声を弾ませた。
「おお、そうであったか!そなたに以前会ったのはいつの事だったか…まだあどけない少女であったと記憶しているが、もうすっかり立派な淑女ではないか。なあ、マカロン?」
「ええ、そうですわねえ。とても美しく成長なさって。」
話を振られた王妃も、にこにこと好意的に相槌を打った。そんな二人に、ショコラは恐縮した。
『あら、まあ……お二人にお世辞を言わせてしまったわ……。国王陛下と王妃殿下は、臣下の娘にまで気遣いをしてくださる方々なのね。』
そんな中、ガナシュは頃合いを見測っていた。そしてここという時を逃さず、腹から出すよく響く声で話を切り出した。
「――…実は陛下、本日は大事なご報告がございます。この度、次 女 の シ ョ コ ラ が、我がオードゥヴィ家の 次期公爵! …候補…となりましたので、そのご挨拶に連れて参りました。」
その瞬間、後方の人々からどよめきが起こった。
『お父様ったら、“候補”の部分をわざと小さくおっしゃったわ…。』
ショコラはそれに気付いたが、離れた場所にいる者たちにはやはり聞こえていないようだった。
「オードゥヴィ家は次女君が継がれるのか!」
「いや、それよりも噂では――」
「酷い容貌をされているのではなかったの…⁉」
「噂など、当てにならないものね……」
「これはフィナンシェ様とはまた違った――」
ガナシュの目論見通り、その言動の一つ一つが会場の人々の関心の的になっていた。それも、概ね好意的な反応……。これだけで、二度目のお披露目は十分に成功したと言える。
だがそんな中、眉間に皺を寄せている人物が約一名だけいた。国王の側に立つヴァシュランである。
彼はショコラを品定めの目で見ている。“品定め”と言えばこういう場合「女性として」という事になるのだろうが、ヴァシュランのそれは違った。
『――彼女が次期オードゥヴィ公爵?まさか!冗談だろう。…しかし、あの公爵に限って半端な人選などしないはず……。いや、確か娘には甘いとも聞いたか。』
彼はショコラに懐疑的な目を向けていた。そして溜息を吐いた。
『……海師と言い陸師と言い……これからの世代は、一体どうなるのだ⁇もしもの時は、我ら近衛が陛下と殿下方をお守りせねば……‼』
忠義に厚いヴァシュランは一人、決意を新たにしたのだった。
そんな彼とは裏腹に、国王・ガレットデロワの方は身を乗り出して彼女に興味を示していた。
「ほう!それはめでたい‼ならばショコラよ、よく励むと良い。」
「なに?なにが、めでたい??」
またまたシャルロットが会話に首を突っ込んで来た。ガレットデロワは笑顔でその相手をする。
「お前が女王になった時、ショコラが臣下として手伝ってくれるそうだよ。」
それを聞いたシャルロットは、大きな目を輝かせるとガレットデロワの膝の上からぴょこんと降りた。そしてショコラの方へとトコトコ駆け寄って行き、近くで彼女をじっと見詰めた。それから小さな指を差して言った。
「おとおさま!ひなんしぇもきれいだけど、ちょこらもきれいねー。」
「ああ、そうだね。」
ガレットデロワはにこにこと相槌を打った。
「ふふっ。ありがとうございます、シャルロット殿下。」
ショコラは膝をかがめ、シャルロットの目線に合わせて礼を言った。可愛らしいお世辞には、思わず顔も緩んでいた。
「おとおさま、ちょこらとあそびたいー。」
「それは駄目だ。今日はお前とは遊べないのだよ。ショコラにはまだ、せねばならぬ事があるのだからね。」
要求の通らなかったシャルロットは途端に機嫌を損ね、頬を膨らませた。
「む~~~、かえる!!」
そう言うと、そのまま侍女たちのいる裏手の方へと走って行ってしまった。国王はやれやれと苦笑いをした。
「ああいう年頃だ。気にしないでくれ。それよりも、ショコラ嬢は久々の夜会であろう。楽しんで行くがよい。」
ショコラとガナシュは会釈をすると挨拶を終え、優雅に階段を降りて行った。
その後ろ姿を見ながら、ガレットデロワはぼそりと呟いた。
「――…報告ならば個別に来ればよいものを……わざわざこの日を狙ったな。この場へ来るのに夫人を置いてまでとは、さすがはオードゥヴィ公爵。」
下へ着くとガナシュに連れられ、ショコラは何人もの貴族に挨拶をして回った。それは彼女の顔見せというよりも、仕事の関係でショコラ「に」覚えさせたい人物のところを回ったものだろう。それが終わると、今度はその他大勢からの(主には令息たちだが)挨拶とダンスの誘いが始まった。
「ショコラ、お相手をして差し上げなさい。出来るね?」
「はい、父上。」
久々の夜会とは思えないほど、ショコラは数々の誘いを難なくこなして行く。人々はそれに目を見張った。
ダンスは、幼い頃から姉のレッスンに付き合って続けて来ていた。これまでは特に上手くなる必要が無かったものの、高い水準にある姉に合わせるため自然と上達していたのだ。それがこうして役に立つ日が来るとは……。その上、“舞踏会ごっこ”と称してはよく遊んだもので、彼女はある意味「慣れて」いた。
「ショコラ様、今日はお会いできて本当に光栄です!」
「まあ、ありがとうございます。」
「こんなにお綺麗な方とは知らず……私は時間を無駄に過ごしていたようです。」
「ふふ。お上手ですね。」
……皆、ダンスをしながら上気した様子で彼女と話をするのだが、
『私が“次期公爵”だから、ご機嫌を取りたいのかしら……。みんなに気を遣わせてしまって、何だか申し訳ないわね……』
といつもの調子で、彼らの真意は今一つショコラに伝わってはいなかった。
『…それにしても、物凄いお誘いの数だわ…。お姉様ならきっと、もっとなのでしょうけれど。“次期公爵”というのは、それほどのものなのね……。』
解釈は少々的外れだったが、まさに目の回るような忙しさだ。しかしハッと気が付いた。
『あっ!お料理のところへ行く暇はあるかしら⁇……いいえ、何としてでも行ってみせましょう‼』
――ショコラはこの日、数え切れないほどの人々と出会い言葉を交わした。その数は、この17年の人生で一番の出来事だった。
「いやあ~、今日は参加して本当に良かった!来なかった奴らは馬鹿を見たんじゃないか?」
「そうだな、フィナンシェ様がいらっしゃらないからと欠席しては、損をするところだった。」
夜会から帰る者たちが出始めた頃、王宮の外ではそんな会話があちこちから聞こえて来ていた。
「……どうやら、旦那様方は上手くなさったようですね。ファリヌ。」
「当然です。」
外で主人の帰りを待つファリヌは、同じく隣に立つジェノワーズに話し掛けられるとしれっと答えた。ショコラの評価が高いのは当たり前ではないか。彼は、そう思っていた。
『――元々、フィナンシェ様の陰に隠れてしまっていただけなのだから。……と言うより、あの家の者たちの目が少々おかしいのだ。慣れというか、麻痺というか――…。あの方が本気を出せばこの程度、“当然”の結果だ。』
ファリヌはぼそりと呟いた。
「……そう来なくては……。」
無意識に、その口元は珍しく緩んでいた。
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