瘴気は日に日に濃さを増していた。
広場では咳き込む人々が絶えず、子供を抱えた母親が泣きながら藤澤の家を訪れる。
だが処方された薬は数日すれば効果を失い、病は繰り返しぶり返す。
「もう……助からないのかもしれない……」
「守護神たちでも止められないなんて……」
そんな絶望の声が街中を覆っていく。
その最中に、一つの噂が駆け巡った。
――ある薬を飲めば、たちまち病が癒える。
飲んだ者は顔色を取り戻し、力を取り戻し、まるで病などなかったかのように立ち上がる。
「そんな薬……聞いたことないな」
夕暮れ、塔の前で大森が低く呟いた。
若井が剣を担ぎながら首を振る。
「他の薬師が作ったのかもしれない。だが……怪しすぎる」
藤澤は小さく笑みを見せた。
「でも……僕らにとっては希望の光かもしれないよ。もし本当に効くなら……救える人が増える」
彼の声には必死な願いが滲んでいた。
その笑顔を見て、大森も若井も言葉を飲み込んだ。
その夜。
若井はいつものように街を巡回していた。
瘴気が揺らめく路地裏を歩き、剣の柄を握り締める。
その時――人影が見えた。
「……涼ちゃん?」
暗がりに、確かに藤澤の姿があった。
だが彼の前には、一人の女性が震える手で縋りついていた。
「……薬があると聞いて……!どうか……助けて……!」
その女性の瞳は濁り、瘴気に蝕まれた者特有のうつろさを帯びている。
藤澤は、静かに微笑んだ。
「……うん。持ってるよ」
そう言うと、藤澤は懐から小さなカプセルを取り出した。
次の瞬間、それを自分の口に含む。
「――っ!」
若井は息を呑んだ。
藤澤は女性を抱き寄せ、唇を重ね、そのまま薬を口移しに与えたのだ。
路地裏に湿った吐息が重なり、女性の身体が小さく震える。
「……っ、あ……はぁ……!」
薬が伝わった瞬間、女性の瞳が爛々と輝きを取り戻した。
顔色は生気を帯び、まるで病が消え去ったかのようだった。
「……すごい……身体が……軽い……!」
だが、それは単なる回復ではなかった。
女性は藤澤にしがみつき、熱に浮かされたように求め始めた。
「はぁ……はぁ……気持ちいい……もっと……こっち、来て……!」
藤澤は、何も言わずに彼女を抱きしめ、そのまま路地裏の壁に押し付ける。
湿った音、艶めいた吐息が夜の街に溶けていく。
影に身を潜めながら、若井は拳を強く握り締めていた。
(おいおい……涼ちゃん、こんな所で……何やってんだよ……!)
街を守るはずの藤澤が、病の女を治すどころか、淫らに抱き合っている。
それも、得体の知れない“薬”を使って――。
女は喘ぎながら、藤澤を強く抱き寄せていた。
「……あぁ……離れないで……もっと……!」
若井は歯を食いしばった。
「……見てらんねぇ……」
背を向け、闇の中を歩き出す。
耳に残るのは、なおも艶めかしく響く声。
薬で得た高揚感に溺れ、理性をなくした女の囁き。
そして、藤澤の――いや、本当に藤澤なのかも分からない、その男の微かな笑い声だった。
その夜、若井は誰にもこの出来事を話せなかった。
けれど心の奥には、消えない疑念が芽生えていた。
――あれは本当に、涼ちゃんだったのか?
月明かりが差す路地裏の記憶。
抱き合う影。
薬を口移しに与え、堕落へと誘う姿。
若井の胸の奥で、得体の知れない不安がじわじわと広がっていくのだった。
コメント
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前のお話、コメントし忘れててすみません💦 え、りょ…涼ちゃん…?一体、どうしちゃったの…?え、まさか、『どんな病気でも直しちゃうお薬』ってそういう事? 今回もドキドキしながら読ませていただきました✨後、最近、このシリーズの考察にハマりかけてます! 次がどうなるのかもう今からドキドキです!