朝靄の残る街を、若井は迷うような足取りで歩いていた。
昨夜、路地裏で目にした光景が頭から離れない。
――“涼ちゃん”が、見知らぬ女性に薬を与え、まぐわう姿。
あれは幻だったのか、それとも……。
若井は重たい胸の内を抱えながら藤澤の家を訪ねた。
戸を叩くと、ほどなくして扉が開き、疲れ切った表情の藤澤が顔を出した。
「……あれ、若井? こんな朝早くにどうしたの?」
寝不足の目を擦りながら顔を出した藤澤は、確かに“本物”の涼ちゃんに見える。
彼は机の上に古びた書物を積み上げ、しおりが何本も差し込まれていた。
「……涼ちゃん。昨日の夜、何してた?」
若井の声は低く、慎重だった。
問いかけに、藤澤は一瞬きょとんとし、それから曖昧に笑った。
「え?昨夜はずっと瘴気のことを調べてたんだ。 薬草の調合もいくつも試したけど、決定打がなくてね……。朝まで書物とにらめっこしてたよ。」
その瞳は澄んでいて、嘘をついているようには見えない。
しかし若井の胸には、昨夜目撃した“もう一人の涼ちゃん”の姿が焼き付いて離れなかった。
路地裏で女性を抱きしめ、口移しで薬を与え、甘い吐息を交わしていた藤澤。
――じゃあ、あれは誰だ?
「……そうか」
若井はそれ以上何も言えず、ただ藤澤の顔を見つめた。
“涼ちゃんが二人いる”──その恐怖を抱えながら。
昼過ぎ、若井は大森を塔に呼び寄せ、事の一部始終を話した。
大森は険しい顔をしながら頷く。
「……塔の上から探ってみる。結界に紛れて何かが潜んでいるのかもしれない。」
最上階に立った大森は目を閉じ、指先で空中に小さな魔法陣を描いた。
淡い五線譜が夜空にきらめき、音もなく空気を震わせる。
「……瘴気に紛れて……何かが、いる。確かに、いる。」
その声に若井は拳を握りしめた。
(やっぱり……昨夜見たあれは、涼ちゃんじゃない)
大森と若井は考え込んだ末、藤澤に静かに告げた。
「……涼ちゃんが二人、いるのかもしれない。」
その言葉に藤澤の目が大きく見開かれる。
背筋に冷たいものが走り、無意識に拳を握りしめた。
「そんなはず……いや、でも……。」
藤澤は心の奥に別の恐怖を抱いていた。
――黒い影がもし実在するのなら。
それは自分自身の「闇」なのではないか。
薬師の家系に生まれた者として、代々伝えられてきた禁忌。
あの薬の呪縛と、自分が過去に晒された弱さ。それが形を持って現れたのではないかと。
そんな不安を打ち消すように、藤澤は静かに首を振った。
「僕たちは今まで通りに、人々を守り続けよう。揺れる心を支えるのも、守護神の役目だから。」
その言葉に、大森と若井も頷いた。
だが、その胸の奥底に広がる疑念は、もはや無視できるものではなかった。
コメント
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りょ...涼ちゃんが2人いるかもしれない!? なんとびっくり!!他の人がなりすましている説を推したい 本当にりょうちゃんがやってたらまさかの展開だなと思う
おぉ…!ワクワクが止まりませんね…! これ、2人涼ちゃんがいるとしたら、アウフヘーベンのお話に出てきたドッペル涼ちゃん的な感じかなー?って考えながら読ませていただきました✨ このシリーズ、マジで考察しがいがあって読んでて楽しいです! これからも頑張ってください!陰ながら応援してます!