テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
春。
けれどまだ少しだけ、風が冷たいある日――
川崎美浦は、電車に揺られていた。
制服ではなくなった自分。見慣れた町から離れ、日常も少しずつ変わっていく日々。
でも今朝はなぜか、久しぶりに“あの海”に行きたいと思った。
理由は、ないわけじゃなかった。
川井優奈から、久々に届いたメッセージ。
「春になったら、また行こうって言ってたでしょ?」
あのとき指切りした約束。ずっと胸の奥にしまっていた言葉。
でも……それが、今日だなんて、知らなかった。
(急すぎるよ、優奈……)
そう思いながらも、美浦の手には、優奈との思い出が詰まった小さなフォトフレームが握られていた。
春の海を背景に、ふたりが笑っているあの写真。
“いちばんの友達”だった時間を、そっと閉じ込めた宝物。
車窓の向こうに見えてきた、海。
潮の香り。白い波。見覚えのある駅のホーム。
(あのときと、何も変わってない……)
でも、美浦自身は変わった。
少しだけ勇気を出せるようになった。
誰かと話すことが、怖くなくなった。
そして――誰かを想うことも、逃げずに向き合えるようになった。
ホームで深呼吸をして、美浦は海へ向かって歩き出した。
***
砂浜に着いたとき、そこには、もうひとつの姿があった。
風に髪をなびかせて、遠くを見ている、あの後ろ姿。
「……優奈」
呼んだ瞬間、優奈がゆっくりと振り返る。
その顔は、変わらず明るくて、でもどこか大人びていた。
「みう……やっぱり来た」
「そんなの、来るに決まってる。約束したんだから」
ふたりはそのまま、しばらく黙って海を見ていた。
寒くはなかった。波の音が、ふたりの間の沈黙を埋めてくれる。
「……大学、どう?」
優奈が、ぽつりと訊いた。
「うん。最初は緊張したけど……今は、なんとか。
でも、やっぱり思い出すんだよね。あの教室の隅とか、春の旅行とか、卒業式の日とか」
「私もだよ。どこにいても、ふとした瞬間に“みうならどう思うかな”って考えちゃう」
「……そんなの、ずるいよ」
「え?」
「だって……ずっと、そうやって私の中にい続けるくせに、簡単に“友達”って言うんだもん」
優奈は驚いたように目を見開いた。
美浦の胸の奥から、ずっとしまってきた想いが、こぼれ出していた。
「私ね、最初は“友達”で十分だったの。優奈と一緒にいられるなら、それだけでよかった。
でも気づいちゃったの。あなたのことを“特別”って思ってる自分に」
「……みう」
「“一生忘れない思い出”だって思ってたあの旅行も、文化祭の写真も、卒業式も、全部、私にとっては――」
声が震える。
でも、目は逸らさなかった。
「“恋”だったんだと思う」
優奈は、しばらく黙っていた。
海風がふたりの髪をそっと揺らす。
そして、ゆっくりと一歩、ふたりの距離が縮まる。
「……私も、同じだった」
「え……?」
「みうといる時間が、誰よりも落ち着くって気づいたときから、ずっと。
友達のままでいようって決めてたのは、自分だった。
でも……本当は、手をつなぎたかった。みうを見つめたかった。
ちゃんと、“恋”として、好きって言いたかった」
優奈の手が、そっと美浦の手に触れた。
昔のように、ふたりは自然に手をつなぐ。
「じゃあ……」
「うん。今度こそ、友達じゃなくて、ちゃんと、始めよう?」
「……うん」
ふたりは笑った。
涙が少しだけ混じったけれど、それはあたたかくて、やさしい涙だった。
そのとき、空にまた虹がかかった。
まるで、ふたりの再会を祝うように、冬の海にかかったあの虹と同じように。
でも今回は、ちゃんと見上げて、ふたりで笑って言えた。
「ねえ、優奈」
「うん?」
「この景色、また一緒に見よう。来年も、再来年も。……ずっと」
「……うん。ずっと、一緒に」
手をつなぎながら、波打ち際を歩いていくふたり。
今度は、もう迷わない。
友達としても、大切な人としても、もう全部抱きしめて歩いていく。
虹の下でかわした約束は、
あの春の日の思い出に、今日の恋を重ねて――
ふたりの物語を、そっと締めくくっていった。
終わり