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一方―――
―――司令部内部にて
「グランド殿、取り急ぎ失礼致します」
息を切らし、大きな巻物を抱え込んだ伝令使が慌ただしく飛び込んで来ると、壁に懸けられたランタンが風に派手に揺れ、広げた城内の見取り図を前に慮《おもんばか》るグランドの表情を、幾度も掠《かす》め露《あら》わにした。
「―――――⁉ 」
「知る者《ウラーマ》をお連れ致しました」
「知る者《ウラーマ》? 」
「はい、教えを与え下さる立場の方であり、この国に於《お》いて智識人とされている御方です。聖典《タナハ》の他、アストロラーベ《天体観測儀》を用いて、占星術や錬金術の研究もなさっておいでです。避難をされる最中、不虞《ふりょ》の事態故、強引に此方にお連れ致しました」
伝令使は、どさりと多くの巻物を机に撒くと、急いで幕を引き、一人の人物を匆匆《そうそう》と招き入れた。
「ご紹介致します。こちらがザンドラーニ先生です」
大きさに見合わない小さな帽子を頭頂部に乗せ、黒の法衣と思われる衣装を身に纏い、聖職者とは思えぬ程にやせ細った白く長い髭を携えた老人が、ゆっくりと杖に体重を預け、入り口を隔てた幕を潜《くぐ》り現れた。
「若い者は忙《せわ》しなくて敵わんわい」
「ご助力感謝致します、よくぞお越し下された。ザンドラーニ殿、どうかこの様なご無礼をお許し頂きたい」
「失礼じゃが貴殿は? 」
「グランド・シュナイザー・リッツと申します」
「はて? どこぞの貴族様が何故このような場所に…… 」
「お気遣い感謝致します。ですが私は戦火に追われ疾《と》うに没落しております故」
「むっ…… そうでしたか…… それは失礼を」
「私は将軍《アミール》閣下より、現在この砦の指揮を不在のシャマール大隊長に変わり与《あずか》らせて頂いて居る者です。今は一刻の猶予も無い状況でして、私の立場は後程ゆっくりとご説明申し上げます」
フムと髭を撫で、曲がった腰を伸ばし、分厚い丸眼鏡を通して見開いた淡い瑠璃色の瞳孔が、暫しグランドの双眸《そうぼう》を訝《いぶか》し気に覗き込むと、興味深いと言わんばかりにザンドラーニは頭をコクリと頷《うなず》かせた。
「話は何となく聞かせて貰っておりますのじゃ、儂で良ければ協力させて頂きますぞ。聞く所によると、星の流れと天候を探りたいとの事じゃったかのう? 」
「ええ、この度の夜襲について腑に落ちない点がありまして。ザンドラーニ殿、率直にお伺い致します。近日中に大雪の可能性は? 」
「ふぉっふぉっ、これはこれは唐突じゃのぅ、儂は星見の爺《じじい》故に専門外ではあるのじゃが…… 」
ザンドラーニは丸眼鏡を布で拭うと、裸眼のままグランドに細い目を見開いて見せた。
「申し訳ない。不躾《ぶしつけ》である事は承知でお伺い致したい」
「それ程までに焦眉《しょうび》の急という事じゃな? 」
「対応に遅れが生じれば、取り返しのつかない状況になるやもしれません」
「フム、向こうにも気象学に長けた者が居《お》ると? 」
「思っております」
真っ直ぐにザンドラーニの細い眼差しを見詰め返すグランドに、揺れたランタンが時の流れを刻む。暫しの沈黙の後に、ゆっくりと目を瞑《つむ》り老人が漸《ようや》く続けた。
「大雪になれば道は閉ざされ物資は断たれる。その前に敵の主要な武器を破壊すれば、雪解けの時期を狙い攻め入る事が容易になる…… この度の敵方《てきかた》の狙いは、そんな所かのぉ…… 」
「御明察の通りです。現在砦の主軸である大型弩砲《バリスタ》が敵の襲撃によりほぼ全壊し、このままでは打つ手が有りません。大雪が降る前に再建しなければ、雪解けには此処を明け渡す事になるでしょう」
「相分かった」
ザンドラーニは事を諾《うべな》い、伝令使に運ばせた多くの巻物を紐解くと机に拡げ、その上に大きな鞄から取り出した真鍮製のアストロラーベ《天体観測儀》を重ねると、髭に埋もれた口を開いた。
「ご承知の通り占星術では天候までは読めませぬ。これ迄儂が集めた、星と季節、小動物の動きや生態、風や雲、草木や水の動き等《など》、その他錬金術や四性質に至るまで、数多《あまた》有る凡《あら》ゆる諸々《もろもろ》から導き出すしか方法は無い。天候程に、読めぬものは有りませぬ、知る者がおるとすれば…… それはきっと神ですじゃ」
「…… 」
「黄道十二宮《こうどうじゅうにきゅう》の領域を等分し、その中で獣帯《じゅうたい》の天体の動きを読む…… これが占星術と呼ばれ、天体の位置から季節を予測し、それに伴う日の入りを見ると、成程、月の欠けがこの位置だとフム…… 」
いつの間にかザンドラーニはブツブツと独り言に熱中し、グランドの依頼を熟《こな》し始めた。研究者という稀な存在を目の当たりにしたグランドは、その底の知れぬ集中力に改めて驚いた。
「もう既に私は邪魔のようだな、後はザンドラーニ殿にお任せしよう。悪いがもう一つ任されてくれないだろうか? 隣の広間に兵器職人《サニーアルウスラ》達を集めて欲しいのだが、それと…… 」
「他に何か? 」
伝令使は表情を曇らせグランドに尋ねた……
「至急、使えるバッルート《樫の木》の在庫確認を頼む」
「畏まりました――― 」
折《おり》しも伝令使が掌《たなうらを》胸に当て、頭を深く下げた時だった。またもや強烈な聾《ろう》せんが突如司令部を轟かせ、ビリビリと煉瓦の壁を烈震が襲う。ランタンは衝撃で耐え切れず、床に叩きつけられると堪らず炎を床に吐き出した。ザンドラーニは体勢を維持出来ずに杖を手放すとその場に倒れ込む。
「―――――⁉ 」
「ザンドラーニ殿――― 」
グランドは老人を庇い起すと、直ちに消火するよう指示を飛ばす。幸い火の回りが遅く、床の一部を焦がすと、煙だけが部屋に立ち込め大事に至る事は無かった。
「今のは一体…… 」
グランドが答えを求めるより早く、薄汚れた甲冑を鳴らし、一人の兵士が慌てて幕を潜ると悲惨な現状を告げる―――
「ご報告致します。火薬庫西側の矢蔵《やぐら》が火災により隣の火薬庫建屋内部へと崩壊し、火種が爆薬に引火したとの報告です」
「何と――― 」
先に驚きを放ったのは腰を落としたままのザンドラーニであった。然しこの後に続く兵士の言葉にザンドラーニ自身、更に自分の耳を疑う事となる。
「続き、錬金科学研究所に於《お》いても同じく火の手を確認との事です」
「何じゃと⁉ あそこには儂の研究が詰まった部屋も在る。灰にして良い物など一つも無いぞ? ええい、こうしてはおられん」
グランドは、立ち上がり間に腕を振り払わんとする老人に、思わず声を投げた―――
「お待ち下さいザンドラーニ殿」
「ええい、止めて下さるな。あそこは今生の英知が結集した場所。後の世に語り継がれるべき人類の至宝が詰まっておるのじゃぞ」
「ザンドラーニ殿どうか、お気を確かに。書院ならば王都にも数多くあるはずです。賢いこの国の事です、このような前線の地方都市に原本を持ち込んでいた可能性は低いのでは? 」
「グランド殿の言う通りじゃ、あそこには原本は無い。じゃが儂が言いたいのは設備の事じゃ、この国の技術の粋《すい》を集めた最新の研究施設。化学研究施設なんじゃ、失って良いものなど一つも無い」
「続きご報告致します――― 」
「何じゃ⁉ まだあるのか」
「火の手を確認する少し前に、現場から闇夜に紛れ、急ぎ立ち去る無数の者達を見たという証言がありました。その人影の中に、エブラヒム博士ご家族と、ロイ・マルクス助手及び数名の姿があったと…… 」
「何じゃと――― 」
ザンドラーニは直ぐに驚きを隠すと、ブツブツと長い髭を撫で慮《おもんばか》る……
「そうか、そうじゃったのか。いや真逆《まさか》そんな…… 」
「どう言う事だ? 」
グランドが尋ねるとザンドラーニは瞳を曇らせ私見を述べた。
「エブラヒム殿は表裏者《ひょうりもの》ではありませぬ。この国を裏切ったという可能性は低いですじゃ。彼は研究熱心な科学者で在り指導者であった。恐らくはその研究内容が秘密裏に敵方に流れ、拉致されたのじゃろう」
「研究内容? 」
「俯瞰的《ふかんてき》に見ると、どうやら敵方は雪解けを待つつもりは無いらしい…… 」
「どう言う事だ? ザンドラーニ殿。我々でも理解出来るようにご説明頂きたい。」
「博士の研究をご存じかな? 」
グランドはゆっくりと頭を横に振り、続く答えを静かに待った。
「飛球艇じゃよ。奴らは降雪量に関係なく空から攻め込むつもりじゃ」
縺絡《からま》ふ無数の縷《る》は、やがて一筋の真《ま》へを晴《あ》らにせしむ。静かに忍び寄る悪意は、謀略の裡《うち》にこそ陰を成し。歓喜に躍る鬼達は、釜を今やと覗き込み、煮汁の味に酔ひしれん。