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一週間後、朝の柔らかな光が病院の玄関を照らしていた。
退院の手続きを終えた葉弐は、期待に胸を膨らませて外へ出たが、そこには見慣れた銀色の仮面も、タバコを吹かすクールな女性の姿もなかった。
「……なんだよ。あいつら、忘れてんのかよ」
葉弐が肩を落として独り言を漏らしたその時、一台の黒塗りのベンツが重厚なエンジン音を響かせ、目の前に止まった。
「ひっ、報復か!? さすがに今日は受けて立たねえぞ!」
身構える葉弐。しかし、後部座席から降りてきたのは、包帯を首元に覗かせた高良雅之だった。
高良は無言で葉弐の前に立ち、そして――深く、直角に頭を下げた。
「……葉弐さん。先日は、済まなかった。飯田の嘘を見抜けず、恩人であるあんたに銃を向け、その身を危険に晒した。小笠原組を代表して、そして俺個人の男としての不始末として、心から謝罪する」
高良の低く誠実な声。葉弐は一瞬面食らったが、すぐに調子を取り戻して高良の肩を軽く叩いた。
「よせよ、あんたのせいじゃないだろ。……『皮肉な運命』ってやつはなんとか回避できたんだ。それでいいよ」
そこへ、遅れてアホライダーと火野がふらふらとやってきた。
「やっぱ迎えに来てくれたのか!」
喜ぶ葉弐に、火野は無造作に二百円を、アホライダーは錆びた十円玉を手渡した。
「……退院祝いよ。タバコ、買ってきなさい」
「お前ら、一週間経ってもそれかよ!」
「よくたった一週間で歩けるようになったわね。バケモノじゃないの?」
火野の呆れ声に、葉弐は再び高良の肩に腕を回して笑った。
「まあ、僕ら不死身なんで。死なないんだよ」
すると、アホライダーが鼻で笑い、葉弐の首筋を万力のような力で締め上げた。
「……そうか。じゃあ今ここで試していいか?」
「痛ててて! お前、冗談か本気か分かんねえからマジでやめろ!」
その騒がしくも平穏な光景を、高良は「フッ」とわずかに口角を上げて見届け、静かに車へと乗り込んで去っていった。
信号待ちの車中。高良がふと胸ポケットに違和感を覚え、手を入れると、一箱のタバコが入っていた。
「……?」
それは先ほど、葉弐が肩を組んだ際にこっそり忍び込ませたものだった。
箱の中には、殴り書きの紙切れが。
『今度ゆっくり飲みにでも行こうぜ。連絡先:XXX-XXXX』
高良はそれを見つめ、「どこまでも馬鹿なやつだ……」と独りごちた。
彼が守ろうとした「街」には、まだこんな男が生きている。高良は少しだけ救われた気持ちで事務所へと車を走らせた。
その頃ーー
港の寂れた廃工場では、全く別の空気が流れていた。
立ち込める潮の香りと、血の匂い。
椅子に縛り付けられた上島と飯田の前に、小笠原組長と若頭が立っていた。
「看板に泥を塗り、身内を殺そうとした。……その代償は、言葉では足りん」
若頭が静かに拳銃を構え、飯田の額に銃口を押し当てる。
「待っ……助けて……!」
乾いた発砲音が一つ。鉛玉が飯田の頭部を撃ち抜き、彼は絶叫の間もなく物言わぬ肉塊へと変わった。
隣でそれを見ていた上島は、ただ覚悟を決めて目を閉じていた。
若頭はナイフを抜き、上島の左手を押さえつける。
「……これは、組の掟だ」
鈍い切断音とともに、上島の小指が床に落ちた。激痛に耐える上島に、若頭は氷のような声で命じる。
「飯田を袋に詰めろ。冷凍室へ放り込むんだ」
その日の深夜、若頭は上島を連れて再び冷凍室へ戻った。
取り出された飯田の遺体は、電動ノコギリで無慈悲に解体され、巨大な業務用ミキサーによって原形を留めぬほど粉砕された。
それは魚の餌へと混ぜ込まれ、一艘の小さな船に積み込まれた。
漆黒の海、沖合。
若頭は、上島にその「餌」を撒かせた。かつての仲間だったものが、黒い波間に消えていく。
すべてを撒き終えたとき、若頭は背後から上島の背中を蹴り飛ばした。
「がぼっ……!?」
海に落ちた上島が、冷たい水面で必死にもがく。
「看板に泥を塗った奴を生かしておくほど、俺たちは甘くねえ。……沈め、上島」
若頭は冷酷に言い放ち、一度も振り返ることなく港へと船を走らせた。
静まり返った深夜の海に、上島の水飛沫だけが空しく響き、やがてそれも消えていった。