テラーノベル
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翌朝。というより、すでに昼が近かった。
太宰はいつも通り、だらしなくネクタイをゆるめたまま、のそのそと探偵社へ向かって歩いていた。
「まったく、早起きほど人間らしさを削るものはないよねぇ……」
昨夜のあの重たい空気も、赤いワインの熱も、まるで夢の中だったかのように遠く感じる。
けれど、胸の奥に何かが引っかかっていた。
バーでの、あの青い瞳。まるで鏡のように自分を見透かしてくる眼差し。何ひとつ知らないはずなのに、すべてを知っているような、あの声。
(あんな店、初めて行ったのだけどね……)
それでも妙に懐かしいような既視感が、まだ残っている。
「……あーあ、面倒くさい」
溜め息とともに、太宰は足を進めた。
—
一方そのころ。
自宅に残った君は、静かな部屋の中で片付けをしていた。昨夜使ったワイングラスを洗い、棚に戻す。ソファの上には太宰の脱ぎっぱなしのコートが無造作に置かれていた。
「また、ちゃんとかけないんだから……」
くすっと笑いながら、昨日こっそり抜き取っておいたバーのカードに目をやる
小さな、硬い紙の感触。
それは黒地に金文字の、どこか古びたデザインのカードだった。縁には黒ユリがあしらわれていてどこか、どこか不気味な優雅さが漂っていた。
**《Bar Melancholia《バーメランコリア》》**
──それは聞いたことも、見たこともない名前。
けれど、そのカードには見覚えがあるような気がした。深夜の夢の中で見たような、あやふやで、それでいて心の奥をざわつかせる何か。
君はしばらく黙ってそのカードを見つめていたが、やがて小さく呟いた。
「……治…」
指先がそっとカードの縁をなぞる。
その瞬間、不意にスマートフォンが震えた。
「!!」
見知らぬ番号からのメッセージが一件。
『今夜、23時。カードを持って、もう一度。』
胸の奥が少しだけざわつく。
これは偶然か、それとも……
「……確かめなくっちゃっ…」
まるでそれが、何かの扉であるかのように。
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