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【第二章】開幕
-勇者の帰還-
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_規則的な車輪の音が,石畳に反響する。
ガタン,ガタタン。
ヴィク. ┊︎「ルーク。予定よりわずかに遅れています。速度をあげてください」
ルーク(御者).┊︎「了解だ,ヴィクトール!…..おっと,ヴィオラお嬢様,揺れますがお加減はよろしいですか? 」
V. ┊︎「ええ。とても快適よ。いつもありがとう,ルーク」
ルーク. ┊︎「勿体ないお言葉です!お嬢様の安全こそが,俺とカストル(愛馬)の誇りですからね!」
_ルークの快活な声とは対照的に,隣に座るヴィクトールは表情一つ変えず,手元の懐中時計をパチンと閉じた。
ヴィク. ┊︎ 「…そういえばお嬢様。本日,例の勇者が王都へ帰還するそうです」
V. ┊︎「あら,そうなの」
(勇者。確かに,そんな存在がいたような気がする。
今の私には,昔の記憶が欠け落ちているけれど…。)
V. ┊︎「……..なんて名前だったかしら?」
ヴィク. ┊︎「勇者の名は,アルカイド・ノヴァ。
魔王を討った功績により,先帝陛下より『新星』を意味する名を賜った英雄です 」
V. ┊︎「アルカイド……..」
_その響きが,胸の奥に小さな波紋を広げた。
ヴィク. ┊︎「何か?知り合いのような口ぶりですが」
V. ┊︎「……いいえ,なんでもないわ。ただ,いい名前だと思って」
(いいえ。本当は,聞いたことがある気がする。なぜ知っているのか,それすら分からないけれ
ど……)
_思考を巡らせるうちに,蹄の音が次第にゆっくりと落ち着き,心地よい揺れが収まっていく。やがて馬車は,公爵邸の白銀の門前で静かにその足を止めた。
ヴィク. ┊︎「到着いたしました。お嬢様,まずは公爵閣下へ朝のご挨拶を」
V. ┊︎「……ええ,わかったわ」
昨晩,私は誰にも告げず,ひとり静かに部屋を抜け出した。
向かった先は,公爵邸の広大な敷地の裏手にひっそりと残された,忘れられた花壇_
『静謐のアネモネ園』。
母が亡くなって以来,手入れをする者もいなくなったその場所は,私にとって唯一の安らぎの場だった。
私が一歩踏み出すたびに,足元には名を示し合わせるようにスミレが咲き誇る。
頭上に浮かぶ綺麗な満月を仰ぎながら,
「私とは、一体何者なのだろう」
と, 答えのない問いを考えていた。
公爵邸はあまりに広く,裏手から正門までは馬車を使わねばならない距離がある。
けれど私は,自分の足で歩くのが好きだった。
……ふふ,もっとも,朝方にヴィクトールが迎えに来た時は,さすがに驚いてしまったけれど。
彼は,私がどこにいるのか,すべてお見通しだったのだわ。
_そんな回想を遮るように,目の前で公爵邸の白銀の門が,重々しくも気品に満ちた音を奏でて開かれた。
ヴィク. ┊︎「…… お嬢様。これ以上の遅滞は閣下の不興を買います。手をお取りください」
_ヴィクトールが,冷ややかな,けれど完璧な所作で手を差し伸べる。
V. ┊︎「ええ,ありがとう,ヴィク」
ルーク. ┊︎「お嬢様,俺は愛馬のカストルを厩舎に連れていきます!腹を空かせてるみたいなんでね。
……よしよし,カストル,今日もいい走りだったぞ!」
V. ┊︎「ふふ,相変わらずカストルが大好きね,ルーク。可愛いわ」
ルーク. ┊︎「はい!こいつさえいてくれれば,他に欲しいもんなんてありませんよ!」
ルークの屈託のない笑顔,そしてヴィクトールの淡々とした振る舞い。
彼らのような使用人たちがいてくれるからこそ,私はこの家で,自分を保っていられるのかもしれない。
ヴィク. ┊︎「……公爵閣下がお待ちです」
V. ┊︎「ええ,行くわ」
_邸宅の扉が開くと,居並ぶ執事たちが一斉に頭を下げた。
「「お帰りなさいませ,ヴィオラお嬢様」」
???. ┊︎「あ!ヴィオラ姉さん!!おかえり!どこ行ってたの?」
V. ┊︎「あら,カミル。アネモネ園にいたのよ」
カミル. ┊︎「そっか!姉さんあそこ好きだよね。僕もいつか行ってみたいな!」
V. ┊︎「わかったわ。今度一緒に行きましょう?」
カミル. ┊︎「やったー!!たのしみにしてるよ!……あ,それとね,父様が少し機嫌悪いんだ。でも姉さんのせいじゃないからね!?」
V. ┊︎「父様はいつも機嫌が悪いものよ。さあ,食事の時間だわ。カミルも行きましょう?」
カミル. ┊︎「はーい!」
ギー,バタン。
_重厚な音を立てて白銀の扉が閉じ,室内の澱んだ空気を爽やかな風が撫でた。
ヴィク. ┊︎「ヴィオラお嬢様,こちらに御食膳の用意が整っております」
V. ┊︎「ええ,ヴィク,ありがとう」
_漂い始めた芳醇な香りに誘われるまま食堂へと足を進めると,そこには案の定,苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨みつける父の姿があった。
バルトロ. ┊︎「ヴィオラ!昨晩は一体どこをほっつき歩いていたのだ!」
V. ┊︎「…少し,庭園の空気を吸いに出ていただけですわ」
バルトロ. ┊︎「見え透いた嘘を吐くな!部屋の窓が放たれたままではないか。不埒な夜盗の類が忍び込んだかと思い,家中が騒ぎになったのだぞ!」
(ああ,また始まりましたのね。食事の席で声を荒らげるなんて,この方には貴族の品位という欠片も残っていないのかしら)
V. ┊︎「お父様。ここは食事の場でございます。そのお話は後にいたしましょう。丹精込めて作られた一皿が冷めてしまいます。まずは頂きましょう」
バルトロ. ┊︎「けしからん!そんな不遜な態度では,いずれ社交界の笑い者だ。我が公爵家が『名ばかりの没落貴族』などと嘲笑られるのを黙って見ていろと言うのか!」
_父の小言を優雅に受け流し,私は銀のフォークを手に取った。
ヴィク. ┊︎「…公爵閣下。本日の日程を確認いたします。午後,帰還した勇者との会談が組まれております」
(えっ,勇者との会談…?それは聞いていなかったわ)
バルトロ. ┊︎「ああ,左様であったな。食事が済み次第,速やかに準備を整えよ」
V. ┊︎「あのお父様,その会談には,わたくしも同席させていただくのでしょうか?」
バルトロ. ┊︎「当然であろう。カミルはまだ幼く同席できない。だから,女のお前が出るほかあるまい。……役に立つとは到底思えぬがな」
(なんて言い草かしら。実の娘に対して,あまりに無体な言い方……。それに,この明らかな男尊女卑……)
V. ┊︎「…承知いたしました。食べ終わり次第準備します」
_食堂に冷ややかな空気が流れ,使用人たちは居心地悪そうに視線を泳がせる。それからは,ただ重苦しい沈黙だけが続いた。
カチャ,カチャ……。
食器の触れ合う音だけが響く静寂の中,ヴィオラは静かにフォークを置いた。
V. ┊︎「ご馳走様でした。大変美味しくいただきましたわ」
_傍らに控える執事へ,彼女は優雅に微笑んでみせた。それが,今の自分にできる精一杯の感謝の示し方であり,そして父へのささやかな抵抗だった。
ヴィク. ┊︎「…ヴィオラお嬢様。会談の刻限もございます,お支度を始めましょう」
V. ┊︎「ええ。クララ(侍女)を呼んで」
ヴィク. ┊︎「かしこまりました,ただちに」
_ほどなくして,慌ただしい足音とともに侍女が姿を現した。
クララ. ┊︎「ヴィオラ様!!昨晩は大丈夫でしたか!?突然お姿が見えなくなるものですから,私,心配で心配で……」
V. ┊︎「クララ,驚かせてごめんなさいね。でも見ての通り,私は無事よ」
クララ. ┊︎「ああ,よかった……! ヴィオラ様に何事もなかったのでしたら,それでよろしいのです!」
クララは私が幼い頃からずっと傍にいてくれる侍女だ。辛い時にはいつも,姉のように私の話を聞いてくれた。私より三つ年上の彼女は,無力な私を心から慕ってくれる,数少ない優しい味方。
V. ┊︎「ふふ,その気持ちだけで十分よ。そういえばクララ,昨日から{銀杯の月}が始まったわね」
クララ. ┊︎「ああ,そうでございましたね……。では,またあの恐ろしい魔物退治が始まりますね… 」
**{-銀杯の月-}**またの名を,魔力満干という。
銀杯の月とは,
世界の魔力が1年で最も高まる時期に,月が魔力の貯蔵庫(マナ・リザーバー)として機能すること。月が満ちた状態で固定され,溢れ出した魔力が地上に降り注ぐ期間になる。
銀杯の月になると,魔力が大幅に増加し,魔法の強さが上がる。
それは人々に恩恵をもたらすと同時に,災厄も呼び込む。
夜は昼間のように明るく照らされ,街から犯罪が消える。その一方で,溢れる魔力を浴びた夜行性の魔物たちは狂暴化し,国民を脅かすのだ。
(勇者様がこの時期に帰還されたのも,決して偶然ではないわ……)
魔王討伐という大業を成し遂げたのはもちろんだろう。けれど,魔物が最も活性化するこの
{銀杯の月}
に合わせて帰還し,王国の守りを固めようとしているのかも。
そんな時に,会談ってのも疑問だけれども…。
四大魔道名家をはじめとする魔術師たちは,狂暴な魔物の群れを退けるために戦場を駆けることになる。
(……けれど,そんな命懸けの事態ですら,貴族たちにとっては「魔法の腕を誇示する絶好の機会」でしかないのよね)
そんな皮肉な思いを胸に,私は鏡の前に座り,重苦しい会談への準備を始めた。
【第二章】閉幕
コメント
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今回は少し長めです。勇者のタイミングいい登場により世界は大きく動き出します。ヴィオラ自身も何か違和感を感じます。楽しんでいただけたら幸いです。🙇🏻♀️՞