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翌日。
スタジオに入った瞬間、ずらっと並んだ缶が目に入る。
レモン、グレープフルーツ、無糖。
今回のCMはサントリーの-196。
共演者は風磨、樹。そして、、北斗。
〇〇「……タイミング悪すぎ」
昨日、酔って事故で北斗にキスしたと知った翌日に、お酒のCM。
神様の嫌がらせとしか思えない。
スタッフ「本日よろしくお願いします!」
〇〇「よろしくお願いします」
挨拶をしながら、視線の先に北斗を見つける。
衣装に着替えた姿。
いつも通りの表情。
目が合う。
一瞬。
北斗は何事もなかったみたいに軽く頷くだけ。
それが逆に気まずい。
〇〇「……」
廉から聞いた言葉が頭を離れない。
唇、当たった。
固まってた。
思い出してたやろな。
〇〇「やめて」
自分に言い聞かせる。
仕事。
今日は仕事。
スタッフ「まずはソロカットからいきます!」
順番にブースへ入る流れ。
最初は〇〇。
レモン味の缶を持ち、爽やかな笑顔を作る。
〇〇「お疲れさまの一杯に」
カット。
モニター確認。
スタッフ「いいですね!もう一回だけ角度変えて」
〇〇「はい」
完璧にやる。
感情を切り離す。
仕事モード。
でもカメラが止まると、一気に現実が戻る。
視線を感じる。
北斗。
離れた場所で次の準備をしながら、こちらを見ている。
すぐ逸らす。
〇〇「見ないでよ」
小さく呟く。
次は北斗の番。
低い声で自然に缶を持つ姿。
松村北斗らしい落ち着いた空気。
〇〇はモニター越しに見てしまう。
横顔。
昨日、触れたかもしれない唇。
〇〇「……」
心臓がうるさい。
樹が横に立つ。
樹「今日静かだな」
〇〇「普通」
樹「顔固い」
〇〇「気のせい」
風磨も合流する。
風磨「珍しくテンション低くね?」
〇〇「そんなことない」
北斗の撮影が終わる。
スタッフ「OKです!」
拍手。
北斗がこちらに戻ってくる。
距離が近づく。
アレを知ってるのはこの人。
〇〇「……」
北斗「何」
〇〇「何も」
北斗「見すぎ」
〇〇「見てない」
即答してしまう。
風磨が笑う。
風磨「はい不仲コンビ始まりました」
樹「通常運転」
〇〇「違う」
北斗「違わない」
短い言葉の応酬。
いつも通りのはずなのに、どこかぎこちない。
北斗は一瞬だけ、〇〇の顔をじっと見る。
北斗「寝不足?」
〇〇「違う」
少し強く言ってしまう。
樹「なんでキレ気味なんだよ」
風磨「怪しい」
〇〇「キレてない」
北斗は何も言わない。
でも視線が外れない。
あの沈黙を思い出す。
キスしてないよね。
答えなかった時間。
〇〇「……」
息が詰まりそう。
スタッフ「では一度休憩入りまーす!」
助かった。
〇〇は小さく息を吐いた。
まだ四人のシーンは始まっていない。
でもこの空気のまま、同じ画角に入るなんて無理。
気まずさは、まだ消えていなかった。
ライトが少し落ちて、現場の空気が緩む。
〇〇はその場の椅子に腰を下ろした。
思った以上に体が熱い。
さっきのテストでほんの少し口をつけただけなのに、顔がじわっと熱を持つ。
〇〇「……弱すぎ」
自分で呟く。
よりによって昨日の今日で、お酒のCM。
事故で北斗にキスしたと知った翌日に、アルコール。
タイミングが最悪すぎる。
視界の端に北斗が入る。
スタッフと軽く話している横顔。
何もなかったみたいな顔。
〇〇「なんで普通なの」
頭がぼんやりする。
息を吐くと、少しふらっとする。
それにいち早く気づいたのは樹だった。
樹「〇〇?」
〇〇「ん?」
樹「顔赤くね?」
〇〇「ライト」
樹「絶対違う」
風磨も近づいてくる。
風磨「酒弱いのに飲むからだろ」
〇〇「仕事」
風磨「向いてねーじゃんこのCM」
〇〇「うるさい」
言い返すけど、声に力がない。
喉が少し渇く。
〇〇「……水ない?」
小さく言う。
樹「あるよ」
すぐにスタッフテーブルの方へ行き、ペットボトルを取ってくる。
樹「はい」
〇〇「ありがとう」
キャップを開けて、一気に一口飲む。
冷たい水が体に落ちていく。
少しだけ楽になる。
風磨「ほんとに弱いな」
〇〇「今日は調子悪いだけ」
樹「最近飲んでたんだろ?」
ドキッとする。
〇〇「……飲んでたけど」
風磨「だからだよ」
そのやり取りを、北斗が少し離れた場所から見ている。
目が合う。
逸らせない。
北斗がゆっくり近づいてくる。
北斗「大丈夫?」
〇〇「大丈夫」
北斗「顔赤い」
〇〇「だからライト」
北斗「違う」
樹がニヤッとする。
樹「保護者かよ」
風磨「過保護すぎ」
北斗「違う」
〇〇「違うらしいよ」
北斗「違う」
でも視線は優しくて、余計に落ち着かない。
北斗「ちゃんと水飲め」
〇〇「飲んでる」
北斗「全部」
〇〇「命令?」
北斗「倒れられると困る」
〇〇「誰が」
北斗「現場が」
即答。
〇〇「……はいはい」
もう一口飲む。
指先が少し震えているのを、自分だけが分かる。
昨日のことを知っているのは北斗だけ。
その事実が、距離を妙に近く感じさせる。
スタッフ「そろそろ全員カット準備お願いしまーす!」
空気が一気に締まる。
風磨「よし、ラストいくか」
樹「〇〇歩ける?」
〇〇「歩ける」
立ち上がった瞬間、少しふらつく。
とっさに腕を支えられる。
北斗の手。
北斗「ほら」
〇〇「……平気」
北斗「平気じゃない」
小さな声。
すぐ手を離す。
風磨「なに二人でこそこそしてんの」
樹「仲良しか」
〇〇「違う」
北斗「違う」
また同時。
一瞬、空気が止まる。
〇〇の胸だけがうるさい。
水の冷たさよりも、触れられた腕の感覚の方が残っていた。
そして四人は、最後の全員カットへと向かっていく。
スタッフ「では、全員カットいきます!」
セット中央の丸テーブル。
その上に並ぶ-196の缶。
配置につく。
風磨、樹、〇〇、北斗。
よりによって北斗が隣。
〇〇「……」
距離が近い。
さっき水をもらって少し落ち着いたはずなのに、心臓は全然静まらない。
スタッフ「自然に会話しながら、最後乾杯お願いします!」
風磨「了解でーす」
樹「自然ね」
北斗が缶を手に取る。
横顔が近い。
触れたかもしれない唇。
意識するな。
〇〇「……」
北斗「集中」
小声。
〇〇「してる」
少しだけ語気が強くなる。
風磨「なに二人だけ低温で会話してんの」
樹「不仲営業助かるわ」
〇〇「営業じゃない」
北斗「営業だろ」
また同時に視線がぶつかる。
スタッフ「本番いきまーす!」
カメラが回る。
風磨「今日もお疲れ!」
樹「やっぱこれだな」
〇〇は笑顔を作る。
〇〇「爽快感やばい」
北斗「キレが違う」
自然な流れ。
でも〇〇の中は全然自然じゃない。
北斗の腕が少し触れる。
それだけで鼓動が跳ねる。
スタッフ「はい、乾杯!」
四人で缶を合わせる。
カチン、と軽い音。
その瞬間、北斗の指が〇〇の指に触れる。
一瞬だけ。
北斗「……」
〇〇「……」
目が合う。
あの時の沈黙がフラッシュバックする。
キスしてないよね。
答えなかった時間。
風磨「はい笑ってー!」
慌てて笑顔を作る。
樹「〇〇顔引きつってる」
〇〇「引きつってない」
北斗「してる」
小声。
〇〇「うるさい」
風磨「仲良すぎだろ今日」
樹「逆に怪しい」
北斗は何も言わない。
でも視線だけが優しい。
それが一番困る。
スタッフ「OKです!」
拍手が起こる。
スタッフ「以上で終了です!」
風磨「お疲れ!」
樹「おつかれさまー」
〇〇「お疲れさまでした」
北斗「お疲れ」
一瞬、二人だけ静かになる。
さっきまでカメラがあった場所に、もう緊張はないはずなのに。
気まずさは消えない。
〇〇「……」
北斗も何か言いかけて、やめる。
風磨「絶対なんかあっただろ」
樹「最近飲んだんだろ?」
〇〇「何もない」
北斗「何もない」
また同時。
風磨「シンクロすんな」
樹「余計怪しい」
笑い声が広がる中、
〇〇の胸だけが全然笑えていなかった。
事故。
でもキスはキス。
その事実が、ずっと消えなかった。
その直後、スタッフが大きな花束を持ってくる。
スタッフ「今回もありがとうございました!」
〇〇「わ、すごい」
鮮やかな花。
風磨「豪華だな」
樹「写真撮る?」
北斗がさりげなく〇〇の横に立つ。
距離がまた近い。
花束を受け取る瞬間、少し重くてバランスを崩す。
北斗の手が下から支える。
北斗「落とすな」
〇〇「落とさない」
北斗「危なかった」
〇〇「平気」
声が小さくなる。
スタッフ「はい、皆さんで一枚!」
四人並ぶ。
花束を真ん中に。
シャッター音。
北斗の肩がわずかに触れる。
離れない。
〇〇の胸がまた騒がしくなる。
最近のこと。
二日前の事故。
知らなかった自分。
北斗の沈黙。
全部がぐちゃぐちゃのまま、
フラッシュだけが明るく光った。
スタッフ「お疲れさまでした!」
現場のざわめきが少しずつ解けていく。
花束を受け取って、軽く挨拶を交わして、各自楽屋へ。
〇〇も一人、用意された楽屋に入る。
ドアが閉まる。
一気に静かになる。
〇〇「……はぁ」
花束をテーブルに置いて、ソファに腰を下ろす。
やっと一人。
でも落ち着かない。
さっきまで隣にいた北斗の存在が、まだ近い気がする。
〇〇「最近って言われたし……」
樹の言葉が頭をよぎる。
最近飲んでたんだろ?
飲んでた。
二日前。
そして事故。
〇〇「事故……」
唇に触れる。
覚えていないキス。
でも確かにあったキス。
〇〇「謝るべき?」
ポツリと呟く。
事故なんだから、誰も悪くない。
廉もそう言った。
北斗も何も言わなかった。
でも。
自分だけ何も知らなかったのが、悔しい。
北斗は全部知ってる。
それなのに普通に接してきた。
今日だって、いつも通り。
水飲めとか。
落とすなとか。
平気じゃないとか。
〇〇「優しいのが一番困る」
事故なら事故で、笑って流してくれればいいのに。
何も言わないから余計に意識してしまう。
〇〇「これ、言っていいやつ?」
頭の中で整理する。
謝る。
でも何て?
覚えてなくてごめん?
キスしてごめん?
それとも、気まずくしてごめん?
〇〇「重くない?」
ただの事故。
なのに謝りに行くのって、逆に変じゃない?
でもこのまま普通にするのも無理。
今日ずっと変だった。
北斗、絶対気づいてる。
〇〇「……」
立ち上がって、楽屋の鏡の前に立つ。
自分の顔を見る。
まだ少し赤い。
酒のせいじゃない。
〇〇「どうしよ」
楽屋の外の廊下から、人の声が聞こえる。
誰かが笑っている。
もしかしたら北斗かもしれない。
その可能性だけで心臓が跳ねる。
〇〇「逃げる?」
いや。
逃げたらもっと気まずくなる。
事故なら、ちゃんと区切らないと。
〇〇「……謝ろ」
小さく決意する。
謝って、終わりにする。
それで普通に戻れるなら、それでいい。
バッグを持つ。
深呼吸。
ドアノブに手をかける。
〇〇「大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせる。
北斗の楽屋は廊下を出てすぐ右。
距離にして数歩。
なのにやけに遠く感じる。
ドアを開ける前、〇〇はもう一度だけ唇に触れた。
そして静かに、廊下へ出た。
廊下に出た瞬間、空気が少しひんやりする。
北斗の楽屋はすぐ右。
数歩。
たったそれだけ。
〇〇「……落ち着け」
深呼吸。
ノックするか迷って、一瞬止まる。
でも逃げる方が無理。
コンコン。
中から声。
風磨「はーい」
……風磨?
一瞬固まる。
ドアを開ける。
〇〇「……お疲れ」
楽屋の中。
ソファに座る北斗。
テーブルにもたれる樹。
ペットボトルを持っている風磨。
三人いる。
最悪。
今一番気まずいメンバー。
樹「あれ、〇〇?」
風磨「どした?」
北斗は一瞬だけ目を見開く。
すぐにいつもの顔に戻る。
北斗「……どうした」
声が低い。
〇〇「いや、ちょっと」
何も考えてなかった。
完全に二人きり前提だった。
樹がニヤッとする。
樹「珍しいじゃん、北斗の楽屋来るとか」
風磨「ほんとだな」
〇〇「別に」
平静を装う。
無理。
心臓うるさすぎ。
樹「顔赤いぞ」
〇〇「赤くない」
風磨「さっきも言ってたなそれ」
北斗は何も言わない。
ただじっと見ている。
それが一番無理。
樹「で?どしたの?」
直球。
〇〇「……」
言えない。
ここで謝るとか絶対無理。
風磨「なんかあった?」
〇〇「ない」
即答。
三人同時に怪しい顔。
樹「いや絶対ある」
風磨「北斗絡み?」
〇〇「違う」
北斗が小さく息を吐く。
北斗「用件ないなら帰れ」
少し冷たい言い方。
不仲モード。
助かるような、余計に刺さるような。
〇〇「……」
本当は謝りに来た。
でも今は無理。
樹「喧嘩?」
風磨「ついに?」
〇〇「してない」
北斗「してない」
また同時。
樹「シンクロすんなよ」
風磨「怪しすぎ」
〇〇は視線のやり場に困る。
北斗を見ると全部思い出しそう。
事故。
唇。
沈黙。
〇〇「……ちょっと話あっただけ」
樹「今話せば?」
無理。
絶対無理。
北斗が少しだけ視線を逸らす。
北斗「後でいい」
小さく。
〇〇だけに分かる声量。
樹「え、なにその空気」
風磨「やっぱなんかあるだろ」
〇〇「ないって」
声が上ずる。
気まずい。
気まずすぎる。
謝るどころじゃない。
〇〇「……また来る」
逃げるみたいにそう言う。
樹「え、なにそれ」
風磨「余計怪しい」
北斗は何も言わない。
ただ一瞬だけ、ほんの少しだけ、困ったみたいに笑った。
その顔に胸がざわつく。
〇〇はそれ以上何も言えず、ドアの方へ一歩下がった。
今じゃない。
絶対今じゃない。
でも、このままじゃ終われない。
ドアノブに手をかけたまま、止まる。
――逃げたら一生言えないかも、、、
〇〇「……やっぱ今言う!」
振り返る。
樹「え?」
風磨「お?」
北斗もゆっくり顔を上げる。
〇〇はまっすぐ北斗の方へ歩く。
ソファに座っている北斗の前で止まる。
距離、近い。
樹「なになに」
風磨「公開処刑?」
〇〇「聞かないでね!」
突然の強めの声。
樹と風磨が同時に笑う。
樹「は?」
風磨「余計気になるわ」
〇〇はしゃがむみたいに少し体勢を落として、北斗の横へ。
心臓うるさい。
近い。
北斗の匂い。
北斗「……何」
低い声。
〇〇は一瞬だけ目を閉じて、覚悟を決める。
そして北斗の耳元に顔を寄せる。
樹と風磨が「おお〜」って小声で盛り上がるのが聞こえる。
〇〇(小声)「この前は、ごめんね」
北斗の肩がぴくっと動く。
〇〇(さらに小さく)「キス、しちゃって」
一瞬。
空気が止まる。
北斗の呼吸がわずかに止まったのが分かる。
北斗「……は?」
小さすぎる声。
耳が、ほんのり赤い。
いや、結構赤い。
〇〇「事故だけど。覚えてなくて、ごめん」
顔を離す。
北斗は固まっている。
目、見開いてる。
樹「何言ったの?」
風磨「北斗の顔やばいぞ」
ニヤニヤしながら覗き込んでくる二人。
北斗は数秒遅れて、やっと我に返る。
北斗「……何も」
声が少し低い。
でも明らかに動揺してる。
耳、まだ赤い。
樹「いや絶対何かだろ」
風磨「告白?」
〇〇「違う!」
即否定。
北斗が一瞬〇〇を見る。
その視線が、妙に真っ直ぐ。
北斗「……覚えてないんだろ」
小さく。
〇〇「うん」
北斗「ならいい」
それだけ。
でもその言い方、優しすぎる。
樹「え、まじで何?」
風磨「教えろよ」
〇〇「言わない!」
顔が熱い。
北斗はソファに深くもたれ直す。
でも耳はまだ赤い。
樹がそれを見てニヤニヤする。
樹「北斗、耳」
北斗「うるさい」
風磨「図星じゃん」
〇〇はそれ以上いられなくて、立ち上がる。
言った。
言えた。
でもなんか余計に変な空気。
北斗はまだどこか呆然としてる。
その視線が、少しだけ熱を帯びている気がして。
〇〇はそれに気づかないふりをした。
北斗side
ドアが開いた瞬間から、嫌な予感はしてた。
〇〇がいる。
なんで。
しかも少し落ち着かない顔。
樹と風磨がいるこの状況で来るってことは、仕事の話じゃない。
北斗「……どうした」
平静を装う。
内心は全然平静じゃない。
二日前のことが頭から離れてないのはこっちだ。
あの事故。
唇に触れた感触。
あいつは覚えてない。
それが救いでもあり、地獄でもある。
なのに。
〇〇「聞かないでね!」
急に強い声。
樹と風磨が笑う。
嫌な予感が確信に変わる。
〇〇がこっちに歩いてくる。
近い。
近すぎる。
しゃがむみたいにして、俺の横。
距離、数センチ。
北斗「……何」
声が思ったより低く出る。
余裕ある風を装わないと無理。
次の瞬間。
耳元に柔らかい感触。
髪が触れる。
息がかかる。
心臓、跳ねる。
〇〇「この前は、ごめんね」
――やめろ。
〇〇「キス、しちゃって」
頭が一瞬真っ白になる。
言うな。
ここで言うな。
しかもこの距離で。
しかも樹と風磨の前で。
北斗「……は?」
情けない声が出る。
止められなかった。
覚えてないはずなのに。
それでも謝りに来た?
なんで。
なんでそんな顔で言う。
耳が熱いのが自分でも分かる。
絶対赤い。
最悪。
〇〇「事故だけど。覚えてなくて、ごめん」
覚えてない。
その言葉が少し刺さる。
でも、覚えてなくてよかったとも思う。
あれを意識されたら、多分普通にいられない。
樹「何言ったの?」
風磨「北斗の顔やばいぞ」
うるさい。
今それどころじゃない。
北斗「……何も」
平静。
平静。
必死で整える。
〇〇が俺を見る。
真っ直ぐ。
悪気ゼロの目。
ほんとに知らない顔。
北斗「……覚えてないんだろ」
確認みたいに言う。
〇〇「うん」
迷いなく。
そうだよな。
北斗「ならいい」
それ以上言えるわけない。
好きだなんて言えない。
あのキスが事故じゃなくて、俺にとっては全然事故じゃなかったなんて言えない。
樹「北斗、耳」
触れられたくないところを刺してくる。
北斗「うるさい」
風磨がニヤニヤしてる。
全部見透かしてる顔。
でも〇〇は気づいてない。
それが救いで、拷問。
あいつは謝ったら終わりにできる。
俺はできない。
耳に残ってる温度。
息。
声。
「キスしちゃって」
簡単に言うな。
忘れてるくせに。
忘れてるから言えるのか。
〇〇が立ち上がる。
去っていく背中を目で追いそうになって、やめる。
樹「なんかあった?」
風磨「絶対あるだろ」
北斗「……何もねぇよ」
嘘。
何もないわけない。
二日前からずっとある。
あいつが無自覚なまま、俺だけが知ってるこの距離感。
今日また更新された。
耳元で謝られた温度まで、追加された。
ほんと、最悪だ。
楽屋の空気が、さっきまでと少し違う。
樹と風磨がニヤニヤしながら立ち上がる。
樹「俺ら邪魔だろ?」
風磨「空気読めってやつな」
北斗「うるさい」
でも止めない。
二人は意味深に笑いながら楽屋を出ていく。
ドアが閉まる。
静か。
急に、静か。
〇〇「……」
北斗はソファに座ったまま、少しだけ視線を下げる。
北斗「なんで今さら謝る」
低い声。
さっきより、少しだけ素に近い。
〇〇「気になったから」
即答。
北斗の目がわずかに揺れる。
北斗「……覚えてないんだろ」
〇〇「うん。でも、聞いたから」
北斗「誰に」
一拍。
ここで嘘つけばいいのに。
〇〇「廉が教えてくれた」
空気が変わる。
北斗の指がわずかに止まる。
北斗「……廉?」
〇〇「うん。私、ほんとに何も覚えてなくて。だから電話して」
北斗は黙って聞いている。
〇〇は続けてしまう。
止められない。
〇〇「それで、マンションの下でキスされたときに廉から“消毒”って言われたの思い出して」
言った瞬間、北斗の表情が固まる。
〇〇「消毒って何?って聞いたら……」
そこまで言って、ようやく北斗の空気が違うことに気づく。
静かすぎる。
北斗はゆっくり顔を上げる。
視線が、真っ直ぐ。
逃げ場がない。
北斗「消毒って」
一歩、距離を詰める。
〇〇、思わず息をのむ。
北斗「意味、分かってる?」
低い。
怒ってるわけじゃない。
でも、確実に感情が乗ってる。
〇〇「え……?」
北斗「分かってないなら」
ほんの少しだけ、声が強くなる。
北斗「軽く言うな」
初めて見る顔。
冷たいわけじゃない。
でも、いつもの北斗じゃない。
〇〇の心臓が強く跳ねる。
なんで?
なんでそんな顔するの。
事故なのに。
私は謝っただけなのに。
北斗は一瞬目を閉じて、息を吐く。
感情を押し込めるみたいに。
そして視線を逸らす。
北斗「……もういい」
それだけ。
でも“もういい”の温度が、全然よくない。
〇〇は立ち尽くす。
初めて分からなくなる。
これ、怒ってる?
それとも――
何か別の感情?
楽屋の空気が、さっきよりずっと重くなっていた。
重たい空気のまま、数秒沈黙が落ちる。
北斗は視線を外したまま。
〇〇はその意味を深く考えない。
〇〇「でもさ」
普通に続けてしまう。
北斗の指が、わずかに止まる。
〇〇「廉、ちゃんと説明してくれて」
その名前だけで、胸の奥が少し軋む。
でも顔には出さない。
〇〇は気づかない。
〇〇「私ほんとに何も覚えてなかったからさ。ちゃんと教えてくれて助かった」
北斗「……」
助かった。
その言葉がやけに響く。
〇〇「消毒って言った理由もさ」
無邪気に続ける。
〇〇「ちゃんと意味あったみたいで」
北斗の喉が小さく動く。
意味。
あいつなりの牽制。
北斗は分かってしまう。
〇〇はまだ分かってない。
〇〇「廉ってさ、ああいうとこちゃんとしてるよね」
その一言。
静かに刺さる。
北斗の視線が一瞬だけ上がる。
でもすぐ戻る。
北斗「……そう」
短い。
〇〇は気づかない。
ただ、少し首を傾げる。
〇〇「なんでそんな言い方?」
北斗「別に」
淡々。
〇〇は軽く笑う。
〇〇「なんか最近、変だよね」
無自覚。
完全に無自覚。
北斗は心の中で苦く笑う。
変なのはどっちだ。
俺はずっと変だ。
二日前から。
あの日から。
でもそれを言う権利はない。
北斗「廉に聞けばいいだろ」
少しだけ突き放す。
〇〇「え?」
北斗「俺より詳しいだろ」
静かな一線。
〇〇は一瞬だけ戸惑う。
でもすぐに違う方向に解釈する。
〇〇「怒ってる?」
北斗「怒ってない」
本当は怒ってない。
ただ、きついだけ。
〇〇はそれ以上踏み込まない。
〇〇「……そっか」
軽く流す。
それが一番きつい。
気づかれないまま、終わる。
北斗はゆっくり立ち上がる。
北斗「もう帰る」
〇〇「うん」
いつも通りの返事。
北斗はドアに向かう。
その背中に、〇〇は何も感じない。
ただ少しだけ、
“最近、ほんと変”
そう思うだけ。
北斗の中で何が起きているのかなんて、
まだ、想像もしていない。
ーーー
北斗side
楽屋の空気が、やけに重い。
さっきまで耳元に残っていた温度が、まだ消えない。
なのに。
〇〇「でもさ」
普通に、続ける。
北斗は視線を落としたまま聞く。
聞きたくないのに、耳が勝手に拾う。
〇〇「廉、ちゃんと説明してくれて」
その名前だけで、胸の奥が鈍く軋む。
やっぱり、廉か。
〇〇「私ほんとに何も覚えてなかったからさ。ちゃんと教えてくれて助かった」
助かった。
俺は何も言わなかった。
言えなかった。
助けたのは廉。
その事実が、静かに刺さる。
顔に出すな。
出したら終わる。
〇〇「消毒って言った理由もさ、ちゃんと意味あったみたいで」
意味。
分かる。
あいつなりの牽制だ。
俺に向けたのか、〇〇に向けたのかは知らないけど。
でも少なくとも、事故じゃない。
〇〇「廉ってさ、ああいうとこちゃんとしてるよね」
――やめろ。
それ以上言うな。
喉の奥がきゅっと締まる。
北斗「……そう」
やっと出た声は、思ったより低い。
〇〇が首を傾げる。
〇〇「なんでそんな言い方?」
気づくな。
でも気づかないでくれ。
北斗「別に」
淡々。
これ以上踏み込ませないための線。
〇〇はそれを“機嫌が悪い”くらいにしか取らない。
〇〇「なんか最近、変だよね」
変なのは俺だ。
分かってる。
二日前からずっとおかしい。
あいつが俺にキスした瞬間から。
覚えてないって笑う顔を見るたびに、
勝手に期待して、勝手に落ちる。
北斗はただの仲間。
それが〇〇の中での位置。
それ以上でも、それ以下でもない。
北斗「廉に聞けばいいだろ」
自分でも少し冷たいと思う。
でも止められない。
〇〇「え?」
北斗「俺より詳しいだろ」
これ以上俺を巻き込むな。
そう言いたいのに、言えない。
〇〇「怒ってる?」
違う。
怒ってない。
ただ、きついだけ。
北斗「怒ってない」
嘘じゃない。
怒る資格もない。
好きって言ってないのは俺だ。
事故だって分かってる。
廉はちゃんと動いてる。
俺は、何もしてない。
〇〇「……そっか」
あっさり。
その軽さが、また刺さる。
本当に何も気づいてない。
俺のことは、ただの仲間。
それだけ。
北斗は立ち上がる。
これ以上ここにいたら、顔に出る。
北斗「もう帰る」
〇〇「うん」
いつも通りの声。
いつも通りの距離。
ドアに手をかけながら思う。
やっぱり俺は、遅い。
事故で触れた唇より、
ちゃんと選ばれたキスの方が強いに決まってる。
でも。
それでも。
耳元で「ごめんね」って言ったあの声が、
まだ離れない。
忘れろって言ったのに、
忘れられないのは、俺の方だ。
ーーー
日が経つ。
事務所の一室。
スマホを立てて、〇〇が笑う。
〇〇「はーい、インライ始めまーす」
コメントが一気に流れる。
今日もテンションはいつも通り。
あの日の楽屋の空気なんて、もうどこにもないみたいに。
〇〇「最近さ、やたら会わない?」
ふとカメラに向かって言う。
〇〇「仕事被りすぎじゃない?」
その瞬間、後ろのドアがガチャっと開く。
ジェシーの声。
ジェシー「うわ、やってんじゃん!」
樹「映ってる?」
慎太郎「俺も入れてー」
一気にわちゃわちゃ。
コメント欄、爆速。
〇〇「ちょ、ちょっと待って!」
笑いながらカメラを少し引く。
その後ろから、
きょもがひょこっと覗く。
そして最後に、静かに入ってくる北斗。
〇〇「ほら!また!」
カメラに向かって言う。
〇〇「最近会う率高くね?」
樹「それな」
ジェシー「運命だろ」
慎太郎「事務所一緒なんだから当たり前」
みんな笑う。
〇〇も普通に笑ってる。
自然体。
何も引っかかってない顔。
北斗だけが、少し後ろに立つ。
カメラには半分くらいしか映らない位置。
〇〇「なんかさ、週3くらいで見てない?」
きょも「それ言ったら毎日いる時ある」
樹「もはや家族」
〇〇「仲間だねー」
その一言。
北斗の胸に、また小さく落ちる。
仲間。
それ以上でもそれ以下でもない位置。
コメントで
“距離近い!”
“仲良すぎ!”
“不仲コンビどこいった?”
流れていく。
〇〇「不仲やめたわけじゃないからね?」
笑いながら肩を軽くぶつける。
たまたま当たったのは北斗。
北斗の心臓だけが、無駄に跳ねる。
〇〇は気にしない。
本当に何も気にしてない。
〇〇「てかほんと最近会う率高いよね」
樹「お前が呼んでんじゃね?」
〇〇「呼んでないし!」
みんなで笑う。
北斗も小さく笑う。
表情はいつも通り。
でも頭の奥では、あの日の楽屋。
耳元の声。
「キスしちゃって」
忘れろ。
そう思っても、
インスタライブで無邪気に笑う〇〇を見るたびに、
全部思い出す。
廉のことも。
消毒のことも。
“ちゃんとしてるよね”って言った顔も。
なのに今は、
仲良くペラペラ話してる。
何事もなかったみたいに。
〇〇「北斗なんか静かじゃない?」
急に振られる。
心臓が一瞬止まる。
北斗「別に」
いつものトーン。
〇〇「ほら、変」
笑いながら言う。
冗談の空気。
でも北斗だけは冗談じゃない。
忘れられないのは、自分だけ。
〇〇はもう、何も気にしていない。
画面の向こうのファンは、楽しそうな“仲間”を見る。
北斗はその輪の中に立ちながら、
ひとりだけ、二日前に取り残されていた。
インスタライブはまだ続いてる。
わちゃわちゃのまま、コメントも爆速。
〇〇は笑いながらスマホを持ち直す。
〇〇「ねえちょっと聞いてよ」
急にトーンが変わる。
樹「なに急に」
慎太郎「どうした」
〇〇はちらっと北斗を見る。
北斗、嫌な予感。
〇〇「最近さ、北斗といるとなんか変なんだよね」
一瞬、空気が止まる。
コメント欄も
“え?”
“どういう意味?”
ざわつく。
北斗の心臓が嫌な音を立てる。
〇〇は真顔で続ける。
〇〇「なんか、ざわざわする感じ」
樹「は?」
ジェシー「お?」
北斗は表情を崩さない。
でも指先が少し冷たくなる。
まさか。
いや、そんなわけない。
〇〇は数秒考えるみたいに黙る。
そして突然、ぱっと笑う。
〇〇「分かった!」
全員「なに?」
〇〇「私たち不仲コンビだけどさ、前より明らかに仲良くなってない?」
……は?
北斗の思考が止まる。
〇〇「なんか距離近いし、普通に喋るし、変に気まずくないし!」
気まずいのは俺だけだ。
〇〇「だからざわざわするんだよ!今までこんな感じなかったじゃん?」
樹が吹き出す。
樹「それ気づくの今?」
慎太郎「遅」
〇〇は満足げにうなずく。
〇〇「やっぱ私たちって仲良いんだなって思って!」
無邪気。
100%無邪気。
北斗の胸の奥が、静かに崩れる。
仲良い。
その方向にいくのか。
北斗「……は?」
低い声が漏れる。
〇〇「なにその“は?”って」
笑いながら肩を軽く叩く。
北斗の体温が一瞬上がる。
〇〇は続ける。
〇〇「だってさ、前より絶対距離縮まったよ?」
それは。
俺が意識してるからだ。
お前が無自覚だからだ。
でも言えない。
樹「不仲設定崩壊じゃん」
ジェシー「ビジネス不仲?」
〇〇「違うし!」
笑いながら否定する。
そしてまた北斗を見る。
〇〇「ほら、北斗もなんか最近優しいし」
優しくしてるつもりはない。
抑えてるだけだ。
北斗は視線を逸らす。
北斗「気のせい」
〇〇「気のせいじゃない!」
楽しそうに言う。
コメント欄は大盛り上がり。
でも北斗の中は静かだ。
ざわざわする?
それは仲良くなったから?
違う。
俺はずっと、同じ場所で止まってる。
お前だけが前向きに解釈してる。
〇〇「やっぱ私たち仲良いよね?」
北斗を見る。
まっすぐ。
無垢。
北斗は数秒黙る。
そして小さく息を吐く。
北斗「……知らね」
それ以上は言えない。
仲良い。
そう言えば楽になるかもしれない。
でもその言葉は、
今の俺には、少しだけ残酷だった。
〇〇「じゃあそろそろ終わろっか!」
コメント欄が一気に流れる。
“早い!”
“もっとやって!”
“またストーンズ来て!”
〇〇「またやるね〜!」
ジェシー「俺らレギュラー?」
樹「呼ばれてないけどな」
慎太郎「勝手に入っただけ」
きょもがひらひら手を振る。
〇〇も笑いながらカメラに近づく。
〇〇「ほんと最近会いすぎなんだよねー」
最後にもう一回、北斗を見る。
〇〇「仲良しだもんね?」
北斗、一瞬止まる。
でもすぐにいつもの顔。
北斗「はいはい」
軽く流す。
〇〇「はーい、じゃあバイバーイ!」
配信終了。
画面が暗くなる。
急に静か。
さっきまでの盛り上がりが嘘みたいに消える。
〇〇「ふー、楽しかった」
満足そうに伸びをする。
何も残ってない顔。
北斗だけが、まだ残ってる。
ざわざわ。
その言葉。
仲良いよね。
無邪気に言った声。
樹「いやー盛り上がったな」
慎太郎「〇〇無敵すぎ」
きょも「距離感バグってるし」
笑い声が飛び交う。
〇〇はスマホを片付けながら言う。
〇〇「なんかスッキリしたわ」
北斗の指先が少し強く握られる。
スッキリ?
俺は全然してない。
〇〇は振り向く。
〇〇「北斗、なんか言いたそうだったけど?」
まっすぐな目。
何も知らない目。
北斗は一瞬だけ迷う。
ほんの一瞬。
でも結局。
北斗「別に」
いつものそれ。
〇〇「またそれー」
笑って、肩をぽんっと叩く。
無邪気。
距離が近い。
北斗はその温度を感じながら、何も言わない。
インライは終わった。
でも。
北斗の中だけは、まだ終わっていなかった。