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「恭介、俺はその友達のことを、少なくても嫌いじゃないと思ってる。でも恋人として意識するまでには、ちょっと無理があるっていうか」
「それって、友達以上恋人未満な感じでしょうか。悪く言えば相手の気持ちを利用して、都合のいい関係になれちゃうっていう」
「うわぁ、それってえげつないのな。まあ実際そういうコトして、相手を手玉に取ってるヤツがいるけど。あわよくば貢がせたりしてさ」
「橋本さんは絶対に、そういうことをしない人だってわかってます。だから相手の気持ちを知って、困っているんですよね?」
困惑している橋本の様相を映し出すように、榊の表情も困ったものになった。
「好きですって言われたときは驚いちまって、何を言われたのか最初は理解できなかったくらいに、かなり衝撃を受けた。ソイツに聞きたいことが頭の中に流れているのに、それが口から出てこない状態の慌てふためく俺って、すげぇ恰好悪いよな」
自分と同じように困った榊を何とかしたくて、告白された昨日のことを話題にしてみる。
「いいえ、恰好悪くなんてないですよ。むしろ、ちょっと可愛い感じかもしれませんね」
眉根を寄せて渋い表情だった目の前にある顔が、屈託のない笑みを湛えるリラックスしたものに変わった。
「また可愛いって言うのかよ。そんなガラじゃねぇって何度も――」
「えっ?」
榊の告げた可愛いに反応して、橋本はいつものセリフを口走り、やっちまったと我に返る。
「橋本さん?」
暫しの沈黙の後に微苦笑を口元に浮かべた橋本が、仕方なく真実を語った。
「……ソイツに、何度も可愛いって言われてるんだ。気にするな」
「そうでしたか、なるほど」
アタッシェケースを持っていない手で顎に触れて、納得した面持ちになった榊を、橋本は微妙な表情で眺める。
「恭介なんだよ、わかっちゃったみたいなその顔は?」
「橋本さんの可愛い顔を、俺は今まで見たことがないなぁと思ったんです。ちょっと子どもっぽいと思わせるところは、何度も見ているんですけど、可愛いと感じるレベルまで達していませんでした」
(俺ってば恭介の前で、子どもっぽいところを見せていたのか――)
「つまり、何が言いたいんだ?」
「心を許したそのお友達は、橋本さんのそういうところを上手く引き出すことのできる、すごい人なのかもしれませんね。人との付き合いって、相手の持つ素直な部分を引き出すって言いますし」
きょとんとした橋本に、榊は柔らかい笑みをキープしたまま教えてくれる。
「それって俺は恭介に、子どもっぽいところを引き出されていると言ってるのか?」
「俺が橋本さんに思いっきり頼ってしまうせいで、あえてそれをさせないように、わざと子どもっぽく装っていませんか?」
老け顔の恭介が、どこか幼さを感じさせる笑みを浮かべながら、肩を揺すって笑いだした。
「そんなことをしたって、格好悪いだけじゃないか」
橋本としては、好きな相手にそんな姿を見せたつもりがなかっただけに、軽くショックを受けた。
「橋本さんとは、いろんな人を話題にして、たくさん話をしましたよね。俺の愚痴の中心は上司の荒木田さんで、橋本さんは企業名を伏せた偉い人の話をしてました」
「ああ、そうだな」
「ハイヤーの運転手として様々なお客様を相手にしているから、橋本さんが話す人たちの話題は、すぐに移り変わっていました。でもその中でお友達についての態度に、あれ?って思わされたんです」
榊は顎に当てていた手を外し、人差し指を橋本に向かって突きつけた。自分を指し示した人差し指と目の前にある顔を、無意味に交互に眺める。
「俺って、何か変なことでもしていたのか?」
橋本が疑問を口にしてみると、榊は力なく首を横に振った。
「まずはお友達のことを『心を許した友達』と表現したことです。この時点で、一般的な友達じゃないってことですよね」
「そっそれはだな、ソイツの恋愛話を聞いた関係で、フェアでなくちゃならないと考えて、俺の恋愛についての話をしたせいで、つまり――」
「ばきゅん☆」
橋本を差していた榊の人差し指がピストルの形に変わり、撃ち抜いた仕草をして、指先にふーっと息をかける。
「それって、すっごくおかしいですよ。橋本さん」
ぴんと立てられた人差し指の横にある榊の顔が、ひどく神妙な顔つきになった。そのせいで橋本もおどけていた顔の筋肉を、きゅっと引き締める。
「和臣との馴れ初めを含めた、その他もろもろの話を俺はしているのに、橋本さんの具体的な恋愛話を聞いたことがないなぁと思ったんです。いつも口癖みたいに言ってる『かわいい女の子のお尻が~』くらいしか聞いてませんよ」
渋い顔してガン見してくる榊を、橋本としては白目を剥いてやり過ごしたかった。
(恭介のことが好きなのを必死こいて隠していたんだから、わざわざ自分の恋愛話を披露するわきゃねぇだろ!)
なぁんてことを橋本は喚き散らしたかったが、無論そんな大胆なことはできないので、榊の顔をロックオンしたまま、渋々口を開く。この状態で嘘をつくのがはじめてだったので、上手くいくか違う意味でドキドキした。
「毎日がハッピーな恭介に、俺のアンハッピーな恋愛話をするわきゃねぇって。幸せオーラを振り撒くおまえに慰められる、哀れな姿の自分を想像しただけで、頭が痛くなってくる」
ところどころ上擦った橋本の声を聞き、榊は納得したようにふむふむと首を縦に振った。
「橋本さんの恋は、アンハッピーなものだったんですか」
「そうだ。その心を許した友達も同じような恋愛をしていたから、野郎ふたりでどーんと落ち込んだというわけさ」
あながち間違いじゃない内容だったので、橋本は淀みなく口にすることができた。
「何だか意外です。人と接することについては俺以上にうまい橋本さんが、アンハッピーな恋愛をしているなんて」
「ちなみに心を許した友達その1は恭介、おまえなんだぞ。なんだかんだ文句を言って、心を許した友達その2に妬くなよ」
「妬くなんて、そんなんじゃないですって。橋本さんが俺に嘘をついたことが発端なんですっ」
「恭介、ありがと。おまえなりに心配してくれたんだよな」
いつもと違う様子の橋本を慮って、榊は自分の感情をぶつけずに、そのまま帰ろうとした。そんな思いやりを心地よく感じた橋本は、にっこりと微笑みかける。
「ねぇ橋本さん、アンハッピーな恋愛は、ハッピーになることはないんですか?」
笑いかけた橋本とは対照的に、硬い表情で榊が疑問を口にした。それに返事をしようと橋本は一瞬声を出しかけたが、くっと言葉を飲み込む。
何て言えば、榊が納得する答えを返すことができるのか――頭の中はそれがいっぱいで、すぐに言葉にならなかった。見えない自分の心の表現の仕方がわからず、橋本が浮かべていた微笑みが見るも無残に崩れていく。
「俺思うんですけど、多分難しく考えすぎてませんか?」
「へっ?」
らしくない素っ頓狂な声をあげた橋本を見て、榊は小さな微笑を口角に浮かべた。
「優柔不断な和臣に、俺はよく二者択一を提案してやるんですけど、人を想う気持ちは好きか嫌いかっていう、自分の好みにわかれますよね?」
「ああ、そうだな」
「橋本さんはさっき『少なくても嫌いじゃない』と言いました。これって裏を返せば、好きだってことですよね」
「違っ! 恋人として意識するには、好きが足りない感じなんだ」
「いいですか、想いが足りる足りないじゃないんです。好きか嫌いかという、ごくシンプルな感情だけですよ」
榊によって突きつけられた問題は、橋本の中で簡単に解き明かされてしまった。しかしそれを口に出すのがどうにも照れくさくて、橋本は俯きながら口を手で覆った。
「橋本さん――」
「アイツも俺と同じ運転手をしていてだな、ちょっとだけ俺の愛車を運転させてやったんだけど、あまりのドラテクのすごさに、気を失ってしまったことがあったんだ」
「はあ……?」
「口では表現できないほど、何て言うかすべてがすごすぎて、憧れる部分があるのは認める。だが――」
煮え切らない橋本の態度に、榊が盛大なため息をついた。
「橋本さん、憧れが恋に変わりやすいって知ってますか?」
「知ってる」
「同じ職業だったら尚更そのすごさが伝わって、憧れる気持ちも強くなるでしょうね。なるほど!」
憧れる気持ちも強くなる――それってつまり……。
「橋本さんがこれまでアンハッピーな恋愛をしていたせいで、思いっきり躊躇して、ご自分の気持ちを認めたくないところは理解しますけど、このままだとお友達がかわいそうですよ」
いつも橋本がするように背中をばしんと叩いて、榊自ら気合いを注入する。
「橋本さん、いいですか。まずは心のブレーキを外して、素直に好きという気持ちを認めるところから、はじめたらどうでしょう。それじゃあまた明日、お疲れ様でした」
爽やかに去って行く榊とは対照的に、橋本はその場でどんよりした気分でしばし佇んでしまった。
(この胸の高鳴りは、抑えられないという強い想いまでいってないもので、恋と呼ぶにはあまりにも軟弱すぎるんだ。こんな中途半端な気持ちでいるのも、雅輝に失礼な気がする……)