テラーノベル
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その日の夜。
花斗が寝静まった後リビングへ向かうと、大窓前のソファに壱月が座っていた。
「壱月」
声をかけると、壱月は振り返りこちらに笑みを向ける。
「愛音。……ちょうどよかった。話したかった」
「私も」
すると、壱月はさっと左に寄ってくれる。
私は空いた右側に、そっと腰を下ろした。
「花斗、ここから空港見るの、好きだよな」
「うん。憧れだからね」
「憧れ……か」
私も壱月のように窓の外を見る。
羽田空港から、ちょうど飛行機が一機飛び立った。
花斗が飛行機を好きになったのは、いつからだろう。
喋れない頃から、大空を飛ぶ飛行機を見るたびに、「あー、あー」と指を差し私にその存在を教えてくれていた。
「運命って、残酷だな」
壱月は長い足に頬杖をつき、窓の外を眺めながら、ぼそっと呟くように言った。
「『パイロットになれる』と、言ってしまった」
色弱者は、就ける仕事の幅が、ぐっと狭まる。
パイロットも、そのひとつだ。
色弱者に対する職業差別の少ない他の国でも、色弱者であると判断されると就けない唯一の仕事がパイロットだ。
花斗が色弱の可能性を示唆されてから、私なりに色々調べて、知ったことだ。
壱月は深い深いため息をこぼす。
「壱月……」
思わず声をかけると、壱月は窓の外を眺めたまま口を開いた。
「花斗がここで毎日飛行機を見るのは、パイロットになるため、だよな。……俺、無責任だ」
壱月の後悔の言葉とともに、彼の背中が小さくなったような気がする。
きっと、責任を感じているのだろう。
窓の外では、羽田空港に飛行機が一機戻ってくる。
「でも、親でいるって、そういうことだと思う」
私は空港のほうに向き直り、言った。
「え?」
壱月がこちらを振り向いた気がしたが、私はそのまま続ける。
「自分の人生だけじゃなくて、子どもの人生にも責任を持つ。全部の言動に、責任がついて回る。子どもが子どもでいるうちは、責任者は親なんだから」
言いながら恥ずかしくなってしまい、私は窓のほうから視線を壱月には向けられない。
代わりに少しだけうつむき、続きを紡いだ。
「『パイロットにはなれません』って、いつかは事実を伝えなきゃいけない。でも、夢を見るのも子どもの仕事だと私は思う。だから、事実を伝えた時に、絶望させるんじゃなくて、前を向かせるのが親の仕事じゃないかな。……私なりにたくさん悩んで、今はそう思ってる」
ちらりと横を見ると、壱月は視線を足元に落としていた。
けれど次の瞬間、壱月が顔を上げる。それで、目が合ってしまった。
その瞳が見開かれていて、私は慌てておどけた。
「なーんて、その時が来てみないと、どうなるかわからないけどね!」
この答えが正解かどうか、私にはまだわからないからだ。
だが、壱月は静かに私の名前を呼ぶ。
「愛音」
「ん?」
次の瞬間、壱月は私に頭を下げた。深く深く、その背を折り曲げて。
「ごめん。愛音の覚悟、まだまだ甘くみてた。昨日、あんなこと言ったくせに。俺、なにもわかっていなかった」
そう言う壱月の背中は、なんだかとても頼りない。声も、とても弱々しい。
――きっと、壱月は今、泣いているのだろう。
私は頭を下げたままの彼を、じっと見つめた。
なんと声をかけていいのかわからない。だけど、視線を逸らしてしまうのも違う気がしたのだ。
「俺の知らないところで、たくさん苦労してきたんだな、愛音は」
「……うん」
それだけの返答だったのに、自分の声が思ったよりも震えていた。
きっと、私も今、泣いている。
だって……。
「覚悟なんて無かったんだよ、最初は」
ふっと自嘲するように息をもらすと、壱月が顔を上げる。
私はなんとなく恥ずかしくなって、慌てて窓のほうを向いた。
洟をすすって一呼吸置き、涙をこらえて続ける。
「妊娠がわかったとき、本当は堕ろすつもりだった。父親もいない状態で、どうやって子育てするんだって。でも……」
初めて産院に行ったあの日を、私は思い出していた。
私は最初、問診票の「出産しますか?」の項目の「望まない」の欄にチェックを入れた。
だが、検査室で、超音波の映像がモニターに映し出された時――。
私は必死に動く小さな命に、責任感を感じた。
「自分の中から、自分じゃない心臓の音がした。それを聞いたら、意志がぶれちゃったんだよね」
堕ろさなかった理由は、ただそれだけ。
そこに、覚悟なんてまったくなかった。
「一緒にいて、少しずつ心に余裕ができてからだよ。覚悟とか、責任とか、考えたの。それまでは、やっぱり産まなきゃよかったとか、お腹にいるときは、ひどい話だけど死産になんないかな、とか、ちょっと思ったりした」
実家を追い出されての出産だったため、頼れる人は、姉しかいなかった。
産後は休めなんて言うけれど、休む暇なんてなかった。
ただがむしゃらに、毎日を生きた。たとえひとりでもこの子を守らなきゃって、気を張って生きてきた。
「まあ、今も毎日必死で余裕なんかそんなにないんだけどね」
重くなった空気をなんとかしたくて無理矢理笑顔をつくる。だけど私は、それを壱月には向けられなかった。
多分、すごい変な顔をしている。
「愛音……」
名前を呼ばれ、ちらっとだけ壱月を見た。真剣な眼差しが、こちらに向けられているのがわかった。
すぐ前に向き直るつもりだった視線はそのまま絡めとられ、私は彼から目が離せなくなる。
すると、次の瞬間、身体が温かな温度に包み込まれた。
壱月の腕が、背中に回ったのだ。
「愛音……すごすぎるな。俺なんかの、数百倍かっこいい」
壱月はそう言いながら、すすり泣いていた。
「ごめん。俺、本当に、愛音のこと……」
言葉が段々聞こえなくなる。
その代わりに、壱月の洟をすする音だけがした。その涙が、私を優しく包んでくれる気がする。
「壱月……」
私もそっと、彼の背中に手を回した。壱月の気持ちが、嬉しいと思ったのだ。
壱月の肩が一瞬ぴくりと動いたけれど、すぐにその力が抜けていく。
「愛音、本当すげえよ」
「そんなことないよ」
すぐに出した否定の声は、震えてしまった。すると、壱月もすぐに口を開く。
「いいや。愛音はちゃんと、〝お母さん〟してる」
「壱月……」
それで、私も涙があふれてしまった。けれど、その温もりが、心地よい。
私たちはしばらく、そのままぎゅっと抱き合っていた。
コメント
1件
ああ〜〜〜もう泣けるんですけど!!😭💕 愛音さんが「覚悟なんてなかった」って正直に話すところ、めちゃくちゃ胸にきたよ…。妊娠わかった時の葛藤とか、産んでからも必死だったっていうのがリアルすぎて、読んでて自分のことのように苦しくなった。 壱月が「愛音はちゃんとお母さんしてる」って言って抱きしめたシーン、最高にエモい…!ふたりの絆が深まった感じがして、こっちまで温かくなった。次話も絶対読む!!🌸