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第6章 金曜日の戸惑いside 藤井香澄
二次会は、駅から少し歩いたビルの地下にあるカラオケ店だった。
「ここ、広いし音響もいいんすよ」と誰かが得意げに言って、案内されたのは、仕切りのある大部屋。クッションのきいたソファに荷物が次々と投げ込まれていき、場の空気はそのまま、自然に次の盛り上がりへと移行していた。
最初にマイクを取ったのは、まさかの部長。茹でダコのような顔をしてだいぶ酔いが回っていそうだった。懐メロのイントロが鳴った瞬間、全員が大笑いして、タンバリンや手拍子が鳴りはじめる。
「部長!僕もご一緒します!」と誰かが続き、まるで学生時代の文化祭か何かみたいに、場がどんどん騒がしくなっていく。
こちらも自然と笑っていた。
さっきの居酒屋よりはずっと気楽だった。音楽があるぶん、沈黙の気まずさもないし、話題に困ることもない。ただ、誰かが歌って、それに誰かが反応して、場が動いていく。
「これ入れていいっすか?ちょっとふざけ枠なんですけど〜」
と対して酔っぱらいから復活した岡崎が何やら変なアニメソングのような曲を入れたときは、さすがに大笑いした。
誰かとデュエットしながら、ふざけて変な振り付けをしてみせたり、他の人の熱唱に合わせてタンバリンを振り回していたり。この男のテンションはずっと高くて、それがまた、周りのテンションを押し上げていく。
岡崎とはここにくる道中もタメ口の練習をさせられれた。
ついには敬語を使うと
「んー?なにー?きこえませーん」
と、ふざけたように耳を塞がれるようになり、
こちらも観念してもう諦めた。
話しやすいようにしてくれたのだろう。
気遣いが嬉しかった。
目の前で楽しそうに笑いあっている岡崎をなんとなく眺めていると、ふと、視線の端で、こちらに歩いてくる男の姿があった。
「藤井さーん、なんかさ、今日やけに可愛くない?いやいつも美人だなって思ってたんだけどさぁ、今日は特に」
酔いがまわったのか、ろれつの甘い声とともに、彼はぐいと隣に腰を下ろす。
たしか岡崎の職場の先輩で田嶋という名前だった気がする。ミーティングでも何度か顔を合わせていたが、いつもよりテンションが違う。
「えーそんなことないですよ」
面倒くさいのが来たなと思いながら笑顔を作ってかわす。
「いやいや、マジで。俺ずっと今日藤井さん見てドキドキしてたもん」
言いながら、身体を寄せてくる。その距離が明らかに近い。唇の端が引き攣ってしまっていた。
「う、うーん…?ちょ、ちょっとだいぶ酔っちゃってますね?はい、田嶋さんっ一回水飲みましょうね?ね?」
軽く冗談めかして逃げるように促すが、彼の手がテーブルの上をすべるようにして、こちらのそれの近くに置かれる。
──これはちょっと、面倒なパターンかも。
どうにか笑顔を崩さず、断りの雰囲気を保つ。けれど、彼の顔はすぐそこにある。しつこいというより、たちが悪い。
「俺さあ、わかっちゃったんだよね〜。たぶん今日、藤井さんと話すためにこの飲み会あったんだわって。運命なんだなって」
──わあ。きもい。
笑顔でいながら、心の中では小さく舌を打つ。
「……えー、それは。ないですね」
ばっさり笑いながら、一歩引くように身体をずらす。
けれど、彼は意に介さないようにニコニコとさらに距離を詰めてきた。
反射的に視線を泳がせてみると
ふと、部屋の奥のほうに座る岡崎と目が合った。
口にはせず、困ったように、オカザキ?タスケテ?と目で訴えかけてみる。
タンバリンを手に、誰かの歌に合わせて笑っていたはずの岡崎。その動きが、一瞬止まった。
助けに来てくれるのかと少しホッとしたのは束の間。
こちらの様子を見て、向こうは口を押さえて、ククッとだけ笑う。
あらら、変なやつに捕まってやんの。
とでも言うような意地悪そうな笑い。
助けにくることはなかった、
岡崎はまた近くの人と会話を始めて楽しそうにする。
…オカザキノヤロウ。
別に助けてくれることを期待はしていなかったが少し虚しくなる。なんだ。あれだけ気遣ってきてくれたくせにそんなもんか。と。
もう仕方がない。
ここはもう自分でなんとかするしかない。
再び笑顔を取り繕い、手元のグラスに口をつける。
「藤井さーん、やっぱり今日マジで可愛いよ?てか、なんかすげえいい匂いするし……」
ほんのりさっきより一段、甘い声をだす田嶋の言葉に内心やっぱり無理だーーっと叫ぶ。
もう一度、さりげなく逃げ道を探す。
けれど、テーブルをぐるりと囲むこの密度では、
簡単に離席するのも難しい。
「イイニオイ…それは、たぶん香水……かな?最近変えたんですよ」
努めて穏やかに返しながら、チラッと
もう誰でもいいから助けてどうにかしてこの人を。
と思いながら 周りに視線を泳がしていると
岡崎とまた目があった。
岡崎の目がこちらを真っ直ぐに捉えていた。そして、彼はそのまま、ニヤッと笑い、何も言わずに、視線だけを落とした。
…なにあいつ。ほんとに見て見ぬふりかい。
今度は隣に座る男より岡崎に舌打ちしそうになる。
その時、腰に温かい感触。
見ると男の手が、添えられていた。
そのまま引き寄せられそうになる。
ひっと声が出そうになった。
「藤井さんってさあ、今彼氏いないの?」
「い……いませんけど」
「うそ、ほんと?じゃあ、ちょっと今度——」
「田嶋さん!」
マイクを持った岡崎の大きな声が響く。
一瞬だけ声の主に視線が集まる。が、なんだあいつかというようにすぐ元通り。
にっこりと不気味な笑みを浮かべた岡崎は ズンズンとこちらに近づいてきた。
「今日のこのカラオケで一番痛い選曲をした男、決定戦やりません?審査員、藤井さんで」
「は?なんだそれ」
「いやいや、俺と田嶋さん、どっちが気持ち悪い曲選ぶか勝負。負けたほうが山岡家奢りってことで」
「はあ?おい、俺そんな勝負しねぇよ!」
「いや、します。さっき決まりました。ほらっ田嶋さんっもうマイク回ってきたんで!立って!田嶋さんここにくる道中、この場の舵は俺がとるんだぁ!って言ってたじゃないですか」
「言ってねーし!」
「いや言ってました!僕はこの耳でしっかり聞いておりました!はいこれマイク。さあほら田嶋さんっ立って!歌いながらステージまで行きましょう!」
岡崎がぐいぐいと田嶋にマイクを渡し、腕を引き、ステージへと押し出す。
わけがわからないまま田嶋が立たされ、画面にはもうイントロが始まっている。
ぽかんとそのやりとりを見ていた。
強引なのに不思議と嫌な感じがしない。むしろ笑えてしまうくらい、スムーズで軽やかだった。
なんだよぉ。岡崎はぁ。と苦笑しつつも
まんざらでもなく、田嶋が歌い出したところで、
岡崎がひょいと戻ってくる。
隣に、何事もなかったかのように腰を下ろした。
「……どうも。“痛い選曲王”参戦者の岡崎です」
「……なんの選手権よ、もう」
思わず笑ってしまう。
「いやあ田嶋さん、普段いいやつなんだけど、酔うとターゲットロックオン型なんだよね。あのまま行くと確実に“セクハラ界のサイボーグ009”になるから、起動前に止めた」
「なにまた変なことばっか言って……」
「でも、藤井も、ああ言う時はもうちょっとはっきり冷たくしていいよ?“あ、私ぃ田嶋さんのこと、人としては好きですけど異性としては一生ないですう”って言えば一撃だから」
「言えるわけないでしょ、それ」
「あーだめだめ、だめだわそんなんじゃ。あなたいつか食われちゃいますよ?そんで気がついたら朝。隣には真っ裸の田嶋さん。あーーやっちゃった アタシッたら。ってなるのが目に見てるんだから。」
わざとらしく腕をクロスさせて胸を隠すように抑えて笑ってくるこの人の目を、直視できない。
さっきまでの“からかうような田嶋”とのやりとりと、今の“さらりと助けて、なにもなかったように笑う岡崎”の落差が、あまりにも鮮やかだった。
──どうしてこんなに自然に、こういうことができるんだろう。
「……ありがとう」
ようやく、ぽつりと声にすると、岡崎は少しだけ真面目な顔でこちらを見た。
「うん。いやほんと、大丈夫?しつこかったでしょ」
「……まあ、ちょっと」
「俺…ねぇ、一応気づいてたけど、なんか口説かれてんなぁ、 まあ藤井なら上手く返せるかなって思って見てた。ちょっとあなたが困ってるところ面白がって見てたのもあったけど。でも次見たらあの人あなたの腰に手当ててるんだもん。さすがに気の毒になってそっち行ったわ」
「じゃあ…面白がってないで早く助けてよ」
拗ねたようにそう言ってしまう。
本音は。
なんだかんだで心配して助けてくれていた、
岡崎のその真意がわかって嬉しかった。
目の前の人がごめんごめんと笑う。
「でもまあ、藤井が本気で困った顔して“タスケテ光線”出してきたの、あれはちょっと面白かった」
「ちょっと!面白いって、こっちはねぇ!本っっ気で気持ち悪かったんだからねっ」
そこで誰かさんは、ぶはっ!と吹き出す。
「おいっこらあなた、あんなんでも一応俺の先輩なんだからそんな感情込めて気持ち悪いって言うんじゃないよ。一応あんな酔っ払いのスケベジジイでも先輩なんだから」
今度はこちらが吹き出していた。
「岡崎のほうが失礼じゃん!あんなんでもとかスケベジジイで もって」
「いやいやいや!今のは口が滑っただけ!やめて?俺の職場の人間関係ぶっこわさないでもらえます? 」
そう言いながらも全く気にしていない様子でヘラヘラとグラスを軽く揺らす。その中で氷が、コツン、と音を立てた。
その音を聞きながら、さっきの助けを求める自分を思い出していた。面白がってたくせになんだかんだ助けにきてくれた岡崎を思い出していた。
いつからなんだろう。
この人のことで頭がいっぱいになっている事に気付いてしまった。
…好きなのかもしれない
自分の中で、もやもやしていたものがようやく確信に変わった気がして、そっとひとつ、息を吐いた。
岡崎の視線はもう目の前のステージに向いている。
さっき、ステージに追いやった田嶋に向かって、
ヤジを飛ばしたりで盛り上げている。
「…岡崎」
「ん?」
「……ほんとに、ありがとね。今日。色々」
岡崎が不意を突かれたようにこちらを見る。
「…いえいえなんも。んとねえ、お礼は山岡家でいいから。チャーシュー大盛りで。一年分」
そう言うと、岡崎はグラスを口元に運んだまま、にっと笑った。