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微かなまぶしさに、目を開けるのを少しためらった。窓の向こうから、鳥のさえずりが聞こえる。これは多分、スズメの鳴き声。何羽かで戯れるように、ちゅんちゅんと元気にさえずっている。
部屋に人の気配はない。当然だ。ここは私の寝室で、私が呼ぶまでは誰も来ない。ゆっくり目を開けて、日差しを見た。今は多分、七時を過ぎたくらいだろう。普段ならもうちょっとだけ寝ていてもいいのだけれど、あいにく今日は予定がある。
フラウに迷惑をかけるのも嫌だし、私は素直に起きることにした。ふかふか沈むベッドを出て、窓際へ行く。薄いカーテンを少し開けると、今度ははっきりとした日差しを肌に感じた。
屋敷を囲む可愛らしい庭園の向こうには、王都アウクトリスの街並みが広がっている。その先、だいぶ行ったところには、王様の住むアルクス城も見えた。お城のてっぺんには、ドミナティオ王国の国旗がゆらゆらとたなびいていた。今日は風が弱そうだなぁと、ぼんやり考えた。
「……リティアさま。お目覚めですか。おはようございます」
部屋の外から、フラウの声がした。いつもどおり、私が目覚めた気配で声をかけてくれる。
「おはよう」
「朝食の準備をいたしますね。今朝は、どの茶葉を使いましょうか?」
「そうねぇ……。あ、じゃあせっかくだし、お義母さまからいただいたものを淹れてくれる? もったいなくって、まだ空けてなかったはずだから……」
「かしこまりました。ではわたくしは、広間でお待ちしておりますね」
ゆっくりと、足音が遠ざかっていく。残念だけれど、今日はあまりのんびりしていられない。お昼前には仕立屋さんに行って、ドレスの試作品を試さないといけないのだ。
アウレリアさまとも一緒に、デザインや素材、装飾について色々と考えた、大切なドレス。もう何週間して、そのドレスが完成したら……すぐに結婚式だ。
そう――私はもうすぐ、結婚する。辺境の孤児院でひっそりと暮らしていた私を見初めてくれた、ドミナティオ王国宰相閣下のご子息、アウレリア・フォン・ディール・グラウツヴァルトさまと――
◇ ◇ ◇
アウレリアさまに王都へ連れてきていただくまで、服なんて着られるものだったらなんでも良かったから、今でも仕立屋さんに来るのは、少し緊張してしまう。でもお店のご主人も、職人さんも、優しくていい人で、すぐにそんな緊張はほぐれていった。
試作品として軽めに仕立てられたドレスを両手で持って、私は鏡の前で体を揺らす。胸のうちに広がる嬉しさで、自然と体が揺れてしまう。こんな経験、初めてかも。
「いかがでしょう? お二人はこちらのデザインが、一番お気に召していたと記憶してましたが」
少し下向きの視線を持ち上げると、鏡越しに見えたご主人が、私の姿を見て口元に微笑みを携えていた。
「……うん。やっぱり素敵です。デザインを見せていただいたときも、すごく好きだなって思いましたけど。出来上がったドレスを見て、もっと好きになりました。この淡い紫色も、とっても好き」
「紫や桃色と合わせたいとのご要望でしたので、リティアさまの髪色とも合う色の生地を使わせていただきました」
ご主人の自信たっぷりの表情に、私も視線を外して微笑みを返す。
白く抜けるような紫色の髪と淡いドレスの色を重ねて、また色味を確かめてみる。デザインもだけれど、この色が本当に素敵で、何度も髪色とのバランスを確かめてしまう。
初めてお店を訪れたときのアウレリアさまの表情が、自然と頭に浮かんだ。優しく穏やかな表情で私の話を聞いてくれて……。アウレリアさまは本当に、出会った頃からずっと紳士で優しくて。でもその中に、頼れるなぁと思うような力強さも、しっかりと感じられて……。私には本当にもったいないくらい。
……なんて考えは、すぐに忘れないと。私が申し訳なさそうにしていると、いつもアウレリアさまが言ってくれるのだ。自分をもっと大切に、愛してあげて。君はとても素敵で、魅力的だから――と。
アウレリアさまのことを思って、嬉しくて明るくなっていた頬が、少し赤みを増した。そのまま記憶を辿って、私は少し前のことをまた思い出した――
◇ ◇ ◇
私は一番古い記憶で、もうすでに孤児院にいた。いつだったか、孤児院の先生に私の出生について聞いたことがあったが、私は生まれてすぐ孤児院へ預けられたらしかった。誰が置いていったのかも分からないし、手紙とかも残ってはいなかったらしい。つまり私は本当に、どこの誰かも分からないのだ。あ、そういえば唯一、名前だけは預けられたときから決まっていたらしい。私を包んでいた布に、「リティア」と刺繍が施されていたらしかった。
それからずーっと、孤児院暮らし。正直貧しかったけれど、でも今考えても幸せだったなと思う。うん。少なくとも、あの事件が起こるまでは。
ある年、私と同じ部屋で生活していた女の子ヴィータが、病に倒れた。ヴィータは明るく、私よりはるかに活発で元気に走り回っているような女の子だったのに、何の前触れもなく、倒れ、そしてすぐに直ると思っていた病も、あっという間に悪化していった。それは本当に、あっという間だった。あの子の熱い手の感触と、荒々しくうめくような呼吸の音は、今でもはっきりと思い出せる。
彼女のそんな病状は長くは続かず、ほんの数日続いたのち、あっけなく――彼女は亡くなった。
「ヴィータ!! ヴィータッ! 嫌! ダメダメ!! 目を開けて! 死んじゃダメ!! 嫌、嫌よ、ヴィータ! お願い、返事をして!! ヴィータッ!!」
先生が目に涙を溜めて、叫ぶ。ベッドに横たわったヴィータは、ぴくりとも動かない。私が握っていたヴィータの手が、少しずつだけどでも確かに、冷たくなっていくのを感じて、私は彼女が死んだのだとまざまざと実感した。悲しみでふと手を離してしまいそうになるが、添えた左手でなんとかそれを妨げる。
先生は床に涙を落としながら、でもその状況を受け入れたようにそっと、彼女の側を離れた。すぐにお医者さまがヴィータの様子を確かめる。聴診器を使ったり、手首で脈を診たり、目を無理矢理開けて明かりをかざしてみたり。そうして一通りのことをやり終えて、お医者様はそっと告げた。
「彼女は……天に召されました」
先生はヴィータに背を向けて、泣き崩れた。右手に力が入り、彼女の手を強く握った。痛いくらい強いはずなのに、彼女はもう何も言わない。本当に、死んでしまったのだ。
握った手に顔を寄せて、私は目を閉じた。今このときだけは、神様のことを信じて祈ってみる。もう彼女が苦しむことはありませんように、と……。
お医者さまが先生を支えるようにして、二人は部屋を出ていった。パタンとドアが閉じ、部屋の向こうから先生が崩れ落ちる音が聞こえた。そこからはしんと静かになり、私には自分の静かな呼吸だけが聞こえた。
目を開けて、ヴィータを見る。さっきまで赤く苦しそうだった顔は、もうすっかり落ち着いていて、まるでいつもと変わらず眠っているようだった。
私は自然と、涙が溢れていた。まばたきで雫が落ちて、やっとそれに気付いた。そこからは堰を切ったように、涙が止まらなかった。
「ヴィータ……」
ぽつりと、そう言葉がこぼれた。緩めた両手に涙が落ち、そして弾けた。次の瞬間、私の手の内側に光がぼうっと集まり――走った。光は部屋の中を煌々と照らし、そのまま握ったヴィータの手に吸い込まれていく。
それと同時に、私はひどい息苦しさに襲われた。胸に穴が空いて、そこに全てが飲み込まれていくような。空いた穴の暗さを実感するような、重く冷たい苦しみ――
すぐに意識を失うのとはまた別の、すっとした浮遊感が、今度は足先から腰、肩、そうして頭のてっぺんまで行って――私の意識は、目の前に戻ってきた。
「……痛いよ、リティア」
私は耳を疑った。ヴィータが苦笑いを浮かべて、私を見ていた。手を離し、彼女を抱きしめる。苦しいと言う彼女の言葉は無視した。彼女を強く抱きしめて、またたくさんの、涙が溢れた。このときだけは、本当に、奇跡が起こったと、私もそう、思っていた。
◇ ◇ ◇
お医者さまがヴィータの様子を確かめて、不思議というよりは不審に思うような顔を見せた。お医者さまの話では、ヴィータの病は体の内側をむしばむ病で、基本的に治療法がなく、少なくとも王国の医療では治すことも、病の進行を遅らせることもできない。今回起こったことは奇跡には違いないが、何がどうしてこうなったのか、私にはまったく判断ができない――と、お医者さまは話した。
その後、私は事実らしいことを知った。というのも私自身、何をどうしてそうなっているのか理解もしていないし、説明ができないのだ。どうやら、私は――死にかけているものを救ったり、死んだものの声を聞いたりできる能力《ギフト》がある……らしい。
能力《ギフト》――それは天からの贈り物であり、それは選ばれし者にのみ与えられる強大な力。この世界にある魔術とはまったく別の理を空間に、物質に強制する、超常の力。
あるときには、枯れていた花を咲き誇らせてみせたり。あるときには、オオカミに襲われたウサギを飛び回れるくらい元気にしてみせたり。あるときには、墓地でおばあさんから幸せだった最期について聞かせてもらったり。あるときは、川で亡くなった人から気を付けるように声をかけられたり。
特に、いわゆる幽霊と話せたときは、そのあと本当に困ったことになった。そのときはまだ私も幼くて、能力《ギフト》を使って死者と話している自覚が、全くなかった。だから周囲は〝何もない場所〟に話しかける私を気味悪がり、頭がおかしくなったと揶揄し、遠ざけた。
その力が私にだけあるとはっきり気付いたころには、もう遅かった。私はコミュニティの中で完全に孤立し、俯き加減で生活するようになっていた。今思えば、おそらくヴィータを救ったあのとき、私は能力《ギフト》に〝覚醒〟したのだろう。ヴィータを救えたことは誇らしいけれど、この力でするのは損ばかりで、私はすっかり内向的で控えめな性格になってしまったのだった。
◇ ◇ ◇
それからはそれまで以上に慎ましく、肩身の狭い生活をするようになり、やがて私は十七歳になった。だから私に特別、何かがあったというわけではないが、出会いはあった。
町から少し行ったところにある国境と、古戦場の視察のため、宰相閣下ご一家が、こんな辺鄙な町に滞在する――という噂が町に広まった。こんな田舎町だけれど、宰相閣下のご子息、つまり次期宰相閣下が若く、端正な顔立ちで誰に対しても優しく、人望も厚い人であるという話は、以前から町で聞くことが多かった。そんな方が本当に来られるのかと、町には半信半疑な人が多かった。でも本当に、彼は来た。
私は町の大通り沿いにできた人垣の中から、彼――アウレリアさまの乗った馬を見上げていた。そして――今思えば、それは本当に「運命」以上にぴったりな言葉が見つからないのだけれど――周囲に手を振る彼は、そのごった返した人混みの中から、私を見つけ、あろうことか、声をかけてきた。
「初めまして。アウレリア・フォン・ディール・グラウツヴァルトと申します。この町の方、ですよね? よろしければ、あなたにこの町の案内をお願いできませんか?」
あとになって、アウレリアさまはこのときのことを一目惚れだった、と彼にしてはめずらしく、恥ずかしそうに語ってくれた。
それから私は、町でたくさんの時間をアウレリアさまと過ごし、私たちはすぐ友人になり、そして私も友人以上の感情を、アウレリアさまに持つようになっていった。
こんな親密になるまで誰かと関わったのは、本当に久しぶりで……嬉しいのと幸せで、自分でも信じられないくらい舞い上がっていた私は、思いがけず、あの力のことを――能力《ギフト》のことを、アウレリアさまに話してしまうのだった。
「……なんて。えへへ。嘘、みたいですよね。嘘だって思っていただいても……全然、大丈夫です。だってそんな力、私だって聞いたことないですし。……だから、ほんとのことを言うと。これが能力《ギフト》なのかも、正直怪しいんですけど……」
「そんな苦しそうな表情で、言わなくても大丈夫。私は君の言ったこと、その力のこと……信じるよ。……話してくれて、ありがとう」
そっと優しく支えてくれるような、ささやかな笑顔で、アウレリアさまはそう、私を勇気付けてくれた。いつの間にか私の手を取っていた彼の手は、本当に、あたたかかった。このとき必死に泣くのを我慢していたことは、しばらく誰にも秘密にしておこうと思う。アウレリアさまにも。
そうして数日が経ち、アウレリアさまは予定どおり、王都へ戻られることになった。別れ際、アウレリアさまは時間を取って、私に会いに来てくれた。彼はその場で、予想していなかった言葉を、私にくれた。
「リティア。まだ一緒に過ごした時間は短く、君は不思議に思うかもしれないけれど……君が好きだ。私と結婚――私の妻になってくれないだろうか」
アウレリアさまは優雅な動作でひざまずき、私の手を取ると、そこへそっと口づけた。あのときの頬の熱さは忘れない。思いがけない言葉だったけれど、心はすぐ、嬉しさで満たされた。
私はその場で、求婚を受け入れた。立ち上がった彼と抱き合い、この感覚が夢でないことを確かめる。その瞬間、私は間違いなく、世界で一番幸せだった――
そのとき私の背中で、アウレリアさまが普段の彼からは信じられないほど、残忍で邪悪な表情を浮かべていたことを、私は知るよしもなかった。