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気づいたとき、
姫子はもう森の中にいた。
昨日と同じ場所。
けれど、空気が違う。
風は止まり、
木々は静かに立ち尽くし、
森全体が息を潜めているようだった。
足元の土は柔らかく、
踏みしめるたびに、
音にならない揺れだけが広がる。
きのこちゃんの姿は見えない。
代わりに──
森の奥で、淡い光が揺れた。
昨日よりも、
少しだけ強い光。
姫子は吸い寄せられるように歩き出した。
近づくにつれて、
胸の奥が静かに脈を打つ。
(……また、ここ)
光の中心に、
影が立っていた。
昨日よりも輪郭がはっきりしている。
人の形に近い。
でも、顔は見えない。
姫子が一歩近づくと、
影も一歩、姫子の方へ踏み出した。
距離が縮まる。
胸の奥の脈が強くなる。
そして──
影が、初めて声を持った。
「……どうして、来るんだ」
低くて、静かで、
どこか寂しさを含んだ声。
姫子は息を呑んだ。
「あなたが……呼んだから」
影は沈黙した。
でも、その沈黙が否定ではないことだけは分かった。
姫子は、
胸の奥の震えに導かれるように言葉を続けた。
「あなたは……森川さんなの?」
影は答えなかった。
ただ、姫子に近づいた。
距離が、
手を伸ばせば触れられるほどになる。
影の輪郭が、
光に揺れている。
「……会いたかった」
その言葉は、
声というより、
胸の奥に直接触れた。
姫子は思わず胸に手を当てた。
「……どうして、そんな……」
影はゆっくりと手を伸ばした。
触れようとしている。
触れたら、何かが変わる。
そんな予感が、
姫子の全身を包んだ。
「あなたは……誰?」
影は答えない。
でも、
その沈黙が“名前の形”だけを残す。
姫子は一歩、影に近づいた。
影の手が、
姫子の指先に触れそうになった──
その瞬間。
「姫子ちゃん、だめ!」
きのこちゃんの声が、
森の静けさを破った。
影の手が、
姫子の指先に触れようとした瞬間──
「姫子ちゃん、だめ!」
森の静けさを破るように、
きのこちゃんの声が響いた。
姫子は驚いて振り返る。
きのこちゃんは、
いつもの軽い雰囲気とは違っていた。
走ってきたのか、
肩が小さく上下している。
「きのこちゃん……?」
きのこちゃんは姫子の腕を掴んだ。
その手は小さいのに、
驚くほど強かった。
「触れちゃだめ。
本当に、だめなんだよ」
姫子は影を見た。
影は動かない。
ただ、姫子を見つめている。
「どうして……?
あの人は、私を呼んだのに」
きのこちゃんは首を振った。
「呼んだのは“影”だよ。
森川さんじゃない」
「でも……声がした。
“会いたかった”って」
きのこちゃんは一瞬、言葉を失った。
その沈黙が、逆に重かった。
「……それが、いちばん危ないの」
姫子は息を呑む。
「危ない……?」
きのこちゃんは姫子の手を握り直した。
その目は、いつもよりずっと真剣だった。
「姫子ちゃんは選ばなきゃいけない。
“影”に近づくか、現実に戻るか」
「選ぶ……?」
「影はね、森川さんの“心そのもの”なんだよ。
姫子ちゃんが触れたら、
あの人の心に深く入り込む。
でも、それは同時に──」
言葉が途切れる。
きのこちゃんは唇を噛んだ。
姫子は静かに待った。
森の空気が、
二人の間で重く沈む。
やがて、きのこちゃんは言った。
「姫子ちゃん自身も、戻れなくなる」
姫子の胸が震えた。
「……戻れないって、どこに?」
「夢と現実の境目が、
姫子ちゃんの中で曖昧になるの。
影に触れたら、
姫子ちゃんは“あっち側”に引き寄せられる」
姫子は影を見た。
影は静かに立っている。
何も言わない。
でも、その沈黙が呼んでいる。
「……どうすればいいの?」
きのこちゃんは姫子の手を離した。
その代わりに、
姫子の肩にそっと触れた。
「次に影が手を伸ばしたとき、
姫子ちゃんがどう動くかで決まるよ」
姫子は影を見つめた。
影は、
まるで姫子の答えを待っているようだった。
胸の奥が、
静かに、深く脈を打つ。
(……選ばなきゃいけない)
森の空気が揺れた。
影の輪郭が、
光の中でふっと震えた。
姫子は息を吸った。
選択の瞬間が、
確かに近づいていた。