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対向車線のヘッドライトが曇っている。早朝のフリーウェイにかかった霧は進路を消し、前を走る車のテールランプのみを命綱にする。赤い光が霧の中に埋没してしまわないように、健太はアクセルを踏んで車間距離を詰めた。
フリーウェイを降り、トンネルを抜け、立体交差を越えて空港内に入ると、駐車場の入り口が突如として現れた。中に進入し、一階をぐるっと廻り、二階をぐるっと廻り、最上階の三階片隅にようやく一台分の駐車スペースを見つけた。
シートベルトをはずしてドアの取っ手に指を掛けたとき、上着の内ポケットから携帯電話が鳴り出した。通話元を見ると「公衆電話」とある。
「もしもし」
少し鼻にかかった女性の声に、健太の心臓は突如として硬直した。
奈々だった。
「もしもし」
彼女は続けた。
「私、引っ越したの。どうしても、それだけ伝えようと思って」
健太は一言も発さず、そのまま電話を切った。
車を降り、エアターミナルまで歩く間、健太の脳裏には湖のほとりの小高い丘が見えていた。その中腹のアパート、その一室のピアノ、その前に二十七歳の男が立っている。彼は、自分だけ出ていくのはどうも理不尽な気がする、とつぶやいた。窓から湖を無言でながめていた年下の女性は、顔に両手を充てて床の絨毯に崩れた。
健太は空港ロビーの真中までくると立ち止まり、首を振った。
新しいテープはもう回っている。新しい物語はすでに始まっている。巻き戻しはない。