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#ローファンタジー
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7-1◆観測と、絶望の証明◆
(嘘だろ) 冷や汗が背中を伝う。確かめなければならない。
これが本物かどうかを。俺は震える視線を、ゆっくりと横へ滑らせた。
視界の中心に捉えたのは、さっきまで俺を嘲笑っていた張本人、三好央馬だ。
ピリ、と脳が痺れる。右目のスカウターが、逃さずターゲットをロックオンした。
【Target Lock: 三好 央馬】
【Analyzing…】
奴の下卑た笑顔の上に、新たなタグが生成される。
【現在の感情:優越感(High)、嘲笑(High)】
【思考傾向:短絡的、権威への追従】
俺は息を呑んだ。そうだ、その通りだ。 俺が奴の表情から感じ取っていた「不快感」の正体そのものだ。
だがそれはもはや俺の主観的な推測ではない。
顔面の機械が提示する、絶対的な客観性を持った「データ」だった。
(まだだ。まだ信じない)
俺は首を振り、視線を教室の前方へ、演劇を提案した女子生徒――桜井恵麻へと向けた。
彼女はうつむき、机の木目をじっと見つめている。その小さな肩はかすかに震えているように見えた。
【Target Lock: 桜井 恵麻】
【現在の感情:失望(90%)、悲嘆(85%)、無力感(95%)】
ああ。もう疑う余地はないようだ。これは幻覚じゃない。
俺の感傷が生み出した妄想なんかじゃない。
俺の眼は、今、この教室に渦巻く人間の感情、欲望、嘘、
そのすべてを正確に観測し、分析し、脳髄に直接叩きつけてきている。
これまで「観客席」からぼんやりと眺めていたこの世界の、腐りきった内臓そのものが右目のレンズ越しに可視化されている。
7-2◆92%の虚偽と、最初の賭け◆
「――では今年の文化祭企画は、喫茶店ということで決定でいいかな?」
教壇の上で、烏丸が静かに、そして無情にそう宣言した。 タイムリミットだ。
もう誰もこの決定に逆らうことはできない。 教室の澱んだ空気が重い蓋のように生徒たちを押し黙らせている。
(反論してみろ!音無奏)
(いややめろ。やめておけ音無奏)
俺の内なる理性が、サイレンのように警告を発する。
(ここで黙っていればいい。観客席に戻れるぞ。また明日から空気のように生きればいい)
そうだ。俺はもう二度と誰かの人生に関わらないと誓ったはずだ。
あの中学の修学旅行の夜から。だが目の前の光景はどうだ。
演劇を願った少女の絶望した数値。
それを嘲笑う三好たちの優越感の数値。
そしてその全てを肯定する教師の欺瞞に満ちた数値。
その時、視界の中央でUIが激しく明滅した。
担任・烏丸の笑顔の上に表示された冷たいデジタルの数字。
[DECEPTION: 92%]
(92%の嘘)
俺がその数字を睨みつけた、その刹那だった。
ザザッ、と視界の隅にノイズが走る。
まるで古いビデオテープを再生した時のような、粗い粒子が視神経を覆い尽くす。
次の瞬間、視界の右端から漆黒のウィンドウが音もなくスライドしてきた。
それはスマホのチャットアプリによく似た、しかし決定的に異質なインターフェースだった。
カーソルが点滅する。
誰かがキーボードを叩くようなタタタタッという幻聴と共に文字が高速で打ち込まれていく。
ミラー:「見過ごすのか?この茶番を」
「ッ!?」
俺は喉の奥で悲鳴を上げた。
(誰だ?おまえは)
俺がそう思考した瞬間だった。
視界のウィンドウにある「入力欄」に俺の思考が勝手に文字となって吸い込まれていく。
奏:「誰だ?お前は」
指一本動かしていない。口も開いていない。
なのに脳内で形作った言葉が、即座にテキストデータとして可視化され送信される。
自分の脳みそが、見知らぬ誰かのサーバーに直結されたような、生理的な嫌悪感が背筋を駆け上がった。
即座に、返信が来る。タタタッ、と文字が走る。
ミラー:「俺はお前が描く理想の音無奏だ。ミラーとでも呼べ」
脳内で響く声が、嘲笑うように歪む。
奏:「理想の俺?ミラー?」
ミラー:「そうだ。お前の対話相手だ。それよりも見過ごすのか?この茶番を」
ウィンドウの中で俺とミラーの会話ログが積み重なっていく。
現実の教室の風景の上に半透明のチャットログがオーバーレイ(重畳)表示されている。
烏丸が何かを喋っているが、その音声は遠く脳内のミラーの声ばかりが鮮明に響く。
奏:「黙っていれば安全だ。観客席に戻れる」
ミラー:「そうか。あの夜と同じように、また黙って圧力に屈するのか?」
その言葉が鋭利な刃物となって脳を刺した。視界が明滅する。
中学時代の記憶――破られた手帳、嘲笑うクラスメイトの顔が、サブリミナル映像のように一瞬だけフラッシュバックする。
(うるさい)
拒絶の思考さえも文字になる。
奏:「うるさい」
ミラー:「なぜ烏丸が嘘をついているか、考えろ。奴のステータスを見ろ。動機は単純だ」
ミラーの言葉に合わせて、烏丸の顔の横にあるパラメータの一部が、赤くハイライトされた。
まるで、ゲームのチュートリアルが強制的に進行しているようだ。
(なぜなんだ?)
奏:「なぜなんだ?」
ミラー:「演劇の準備がただ『面倒なだけ』だ。それ以外に理由はない」
その一言。冷たいテキストと、脳に響く声が重なり、俺の理性を揺さぶる。
俺の中で、何かが音を立てて繋がった。
そうだ。烏丸は生徒のためを思って言っているのではない。
ただ自分が楽をしたいだけなのだ。
そのちっぽけな怠慢のために、こいつは「和」という言葉を盾にして生徒の純粋な願いを踏みにじっている。
(思った通り、やる気のない教師だな)
奏:「思った通り、やる気のない教師だな」
ミラー:「どうする? 92%の確率で嘘つき。そんなやつに屈服するのか?」
奏:「ここで黙れば、俺はまた、あの夜と同じ無力な自分を肯定することになる」
ミラー:「それでいいのか?」
奏:「もう、ごめんだ」
ミラー:「なら立て。お前ならやれる」
奏:「そうだな。やってみるか。賭けるさ。最悪の目が出たとしてもな」
ミラー:「そうだ!前進しろ!」
俺はミラーとの通信を一方的にシャットアウトした。
フッ、とウィンドウが消え、現実の視界が戻ってくる。
だが俺の中身はもう数秒前とは別人だった。全身の血が沸騰している。
震える右手を、ゆっくりと持ち上げる。
その無謀な挙動がこの教室の全ての視線を、俺という異物へと釘付けにした。