「お前が……『リタ』の身代わりになる娘だな」
「…………はい?」
(身代わり?)
じり……と後ずさりながら、見知らぬ裕福そうなオジサマの言葉を頭の中で復唱したけれど、ちっとも理解することができない。
混乱して何も言えずにいると、オジサマの後ろに半分隠れるように立っていた女の子が顔を出した。
「お父様、不躾に失礼ですわ!彼女が困っているではないですか」
その子に弱いのか、たしなめるような物言いにオジサマはぐっと小さく唸って黙ってしまう。
埃っぽい薄暗い部屋の中で、小動物のように駆け寄ってくる女の子のピンクの綺麗なドレスが軽やかに舞う。
目の前で膝をつき、女の子は私の片手を取ると優しく包んだ。
その仕草が、私に危害を加えるつもりはないらしいということを伝えてくる。
あたたかい人の体温に、ちょびっとだけほっとするけれど。
「あ、の、あなたたちは……」
「名乗るのが遅れてしまいましたわね。私はリタ・スクラインと申します。あなたのお名前は?」
「えっ、や……矢野奏衣ですが……」
自分の名前を口にしながら、私を覗き込むリタという女の子の顔に既視感を覚える。
どこかで見た顔というか、すごく馴染みのある……。
「ヤノ・カナエ? 珍しいお名前ね。ええっと、カナエと呼んでもいいかしら」
「は、はあ」
「私のことはリタでいいわ。顔を打ちつけていたみたいだけれど、ケガはしていない? 大丈夫?」
リタが親しげににっこりと微笑んだ瞬間、はっとする。
(馴染みがあるとかじゃない……この子、私にそっくりなんだ!)
双子と言われても納得してしまうほど同じ顔。髪の長さもほとんど変わらない。
私を気遣うリタに手を引かれるがまま立ち上がると、身長も全く同じだった。
唯一違うところといえば、リタのほうが若いということ。
まるで、高校とか大学くらいの自分を見ているみたい。
ついまじまじと顔を見ていると、向こうも同じことを思ったらしく。
「驚いた。本当に別の世界には私と同じ顔をした人がいるのね」
(別の世界?)
ドッペルゲンガーと出会ってしまったという少しの怖さと、どういうこと? という疑問が渦巻く。
「あ、あの、ここはどこですか?私、自分の家にいたはずなんですが……」
私の質問にリタがオジサマへと視線を移す。
オジサマは、やっと口を出せると言わんばかりにわざとらしく咳をして、横柄な口調で話し始める。
「私の名はザック・スクライン。リタの父親だ。それから、ここは我がスクライン公爵家が所有する屋敷のひとつだ」
(す、すくらいんこうしゃくけ……?こうしゃくって、貴族の公爵のこと……!?)
「ふふ、スクライン家は歴史ある名門公爵家なの。そして私はこの家の一人娘よ」
よく見ると、口元で両手の指先を合わせ軽く首を傾けるリタから、自分にはない気品があふれ出ている。
うーん、眩しい。
「えーっとその貴族の方のお屋敷に、なぜ私がいるのでしょうか……?」
「お前をリタの代わりとして、ユージーン王に嫁がせるために呼び寄せたからだ。そこの魔術師の力を借りてな」
(なっ!!??)
スクライン公爵が顎で示した先には、ロングコートのようなフードを深く被った男がいた。
表情はわからないものの、口元に浮かべた笑みがすごく不気味だった。
「じゃああの魔法陣みたいなやつは……」
「そうです。私の魔術で、『異世界』からリタ様と同じ顔を持つあなたを召喚したのです」
私と顔がそっくりのリタ、異世界、召喚……。
それらがスクライン公爵が最初に言った『身代わり』という言葉に結びついて、ようやく事態を理解する。
「いっ、いやいや無理です!いくら顔が同じだからって、彼女の身代わりなんてできません! 私なんて平凡家庭で育った一般人ですし……というか相手が王様なら、貴族の人たちにとってはいいお話のはずじゃ……なんで」
「それは――」
「相手がユージーン王以外ならば、私だってこんな真似はしない!」
「え?」
「お父様……!」
リタが制止するのにも構わず、スクライン公爵はうっぷんを晴らすかのようにしゃべり続けた。
若くしてこの国――フィオテリケス国の王として君臨する、ユージーン・エイスタロット。
独裁的で、ひどく冷酷な王。
「だから人々から『非情の狼』などと呼ばれ恐れられるのだ……!」
「お父様っ。公爵家の長が国王を非難するようなことを言ってはダメです!」
リタの顔を見たスクライン公爵は、はっとして口を閉じた。
(非情の狼って……そんな人のところに行かせるつもりなの!?)
「ごめんなさい、カナエ。驚かせるようなことを聞かせてしまって。お父様はああ言っているけれど、国のことを考えてくださる良い王なのよ。ただ今回の結婚の話は本当に急なことで……」
リタが胸の前でぎゅっと両手を握り締める。
「お父様はただ、私の気持ちを大事に思ってこんなことをしてくれたの」
「気持ち?」
「ええ。恥ずかしい話だけれど……私、まだ恋をしたことがないの。でも私、人生で一度は恋をしてみたくて。このまま結婚したら、誰かを好きになる喜びを知らないままになってしまう……それが辛くて」
「ああ、リタ。かわいそうに」
俯いて両手で顔を覆ってしまうリタの肩を、スクライン公爵が抱き締めた。
「リタのために行ってくれるな」
(そんな話を聞いても無理……!確かにリタはかわいそうだけど、でも非情の狼の王っていうのは本当かもしれないし……無理だよ!)
悲しみに暮れる2人には悪いけど、はっきり言わないと。
「申し訳ないですが、やっぱり私にはできません。元の世界に帰してください!」
「それはできません」
「なっ、どうして」
詰め寄るも、フードの男は首を横に振るだけ。
「召喚術は『異世界』から呼び寄せることはできても、帰すことはできないのです」
そう淡々と言って、役目は終えたからと男は部屋を出て行ってしまう。
「この話を断ると言うなら……お前の身の安全は保障しない」
「な、な……」
それはつまり、言うことをきかなければ異世界で路頭に迷うということ。
リタの身代わりになって、知らない王のもとで一生過ごすしかない……?
悲惨な未来を想像してめまいを起こしかけた私の手を、リタの滑らかな手が掴む。
「とても身勝手なお願いをしているのはわかっているわ。けれど、勝手に決められた結婚はしたくないの……っ」
引き寄せられ、同じ顔なのに私よりも可憐さが際立つ目で覗き込こまれる。
その目が今は赤くなり、切なく透明な膜を張って揺れる。
「ごめんなさい、カナエ。……少しの間だけでもいいから、お願い」
もしかしたら公爵令嬢というのは、窮屈な立場なのかもしれない。
恋をすることをこんなに大事にするなんて。
そう思うと胸がすごく痛んで、思わず聞き返していた。
「少しの間……?」
「ええ。好きな人ができるまででいいの。時間が欲しいの」
ずっとではなく期間限定なら……と気持ちがぐらつき始めてしまう。
「時間をくれたら、カナエが元の世界に帰れる方法も探すわ!きっと何か手はあるはずだもの。もちろん、王との結婚のこともできる限りの手助けをするわ」
「……」
チラ、と横目でスクライン公爵を見ると「断ったらどうなるかわかっているな」という圧を寄こしてくる。
(八方塞がり状態……だけど)
「少しの間だけならいい、かな……」
帰れる方法を探してもらえるなら、路頭に迷うより全然いい、と思いたい。
それにリタは本当に申し訳なさそうで、リタが手助けしてくれるなら大丈夫かもと、なんとなくだけど感じたから。
「本当に……!?ありがとう、カナエ……!」
飛ぶように抱きついてくるリタを、複雑な気持ちで受け止める。
(どのみちこうするしかなかったけどね……。それに、一度は恋をしたいっていうリタの気持ちもなんか無下にできないし……)
しかし私はリタの背中を撫でながら、スクライン公爵の独り言を聞き逃さなかった。
「これで非情の狼からリタを守れたな……」
(なー! やっぱり王様って怖い王様なんじゃない……!どうしよう、はやまったかも……)
後悔を抱きつつも、今の私にはこの状況をどうにかするすべは何もなかった――。
コメント
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めっちゃめちゃ好きです!!話の作り込みとかキャラの名前とか性格とかすごくでてきてて尊敬します!!書き方大好きです!!(*'▽'*)