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「どうしたものかと思ったんだけど、とりあえず学校に行ったんだ。危機的な状況の時ってね、人間イガイと普段の行動をとっちゃうもんなんだよ」
「……それは、姉ちゃんの頭のネジがゆるんでるせいかと」
「えっ、何て!?」
「………………いえ」
「そしたらね。職員用の下駄箱のところでね、かのイケメンの呉田
くれた
先生と会っちゃってね」
かのイケメンの呉田先生は、繊細な風貌と柔らかな物腰、眼鏡が似合う知的さを併せ持った人気の美術教師である。
上靴を履いて、運動場に面した渡り廊下を通って事務室に向かおうとしていたときのことだ。
そのイケメンがこちらに歩いてきたのは。
事務バイトの星歌にとって、遭遇出来たのは奇跡のようなもの。
この機を逃すかとばかりに、彼の通り道に立ちふさがったのだ。
実はぁ、うちの家が事故物件だって大島てるに載ってたんですぅと言うところが
「先生イケメンっぷりが尊すぎるんです。むしろ、付き合ってください」という心の声がダダ漏れてしまい、失笑を返された。
その時点で「死にたい」と叫び出しそうになったというのに、トドメとばかりにイケメンはとんでもないことを言い出したのだ。
「社会の白川先生の妹さん? お姉さん? いとこか何かだったっけ。実はぼくは白川先生に絵のモデルになってもらいたくてね。あの美貌を、ぜひぼくのキャンパスに繋ぎ留めたい……」
星歌としては「はぁ……」としか返しようがない。
凛々しくも憂いに満ちた目元、色気の漂う口元、サラサラの黒髪……彼はすべてが美しく芸術的なんだと、勝手に悦に入ってる呉田。
「ぼくはね、美しいものが好きなんだよ」
暗に己の顔面を否定された星歌。
馬鹿みたいに「はぁ……」と繰り返すのみ。
「モデルになってくれないかと、白川先生に伝えてくれないか」
「………………」
「あれ、聞こえているかい? 従兄弟かはとこか何かの君?」
「……ア・ネ・だ・よっ!」
乙女の想いを踏みにじられた星歌、すでにヤケクソである。
「エエイ!」と叫ぶと、呉田先生の眼鏡を奪って運動場の方へと放り投げた。
「ああっ、ぼくの眼鏡……」
悲痛な叫びと同時に、朝練で走り込みをしている野球部員の足元で眼鏡は跳ねる。
なぜか急に飛んできた眼鏡を踏んでこわしてしまい、驚いたのは野球部員である。
フレームが曲がった眼鏡を拾って、あわててこちらに駆け寄ってきた。
先生、すみませんとスポーツ選手らしくさわやかに謝る生徒に、呉田先生は目尻を下げる。
「いいよ、いいよ。君のせいじゃないから」と言ったのは、この場合当然のことであろうが。
騒ぎを聞きつけた上司に呼び出されたのも、ある意味当然のこと。
試用期間中のアルバイト事務員が起こした得体のしれない狼藉に、上司は軽いパニックに陥っていた。
星歌が「すみません。辞めます」と告げたのも、致し方のないことであったろう。
たとえお咎めなしですんだとしても、いたたまれない思いを引きずりながら通勤するのは辛すぎる。
「姉ちゃんが呉田先生にフラれて騒ぎを起こしたってのは噂で聞いたんだけど、まさかそんな下らないことになってたなんて……」
うっ、俺がいたら……と俯く義弟の肩が揺れている。
笑いをこらえているのだ。