テラーノベル
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土曜日。
約束もしていないのに、午前九時きっかりに「もとちゃん宅急便」がやってきた。
カーテンを閉め切った俺の部屋に、彼は光を連れて踏み込んでくる。
「今日はお母さんのオムライス持ってきたで!ケチャップくらいあるやろ?」
鼻歌を歌いながら、当たり前のように冷蔵庫を開ける。
まさか本気で、俺の世話を焼こうとしてるんやろうか。
「……なんか、描いてよ」
皿の上に置かれた、黄金色の卵を指差す。
「俺、専攻は音楽やからな。ほんまに絵心ないねん」
「……俺も、美術の授業は苦手やわ」
俺の「苦手」は、もとちゃんのとは意味が違うけど。
あんなに大好きだった時間。今はもう、思い出すだけで息が詰まる。
もとちゃんは迷いのない手つきで、ケチャップの容器を握った。
赤い線がトントンと跳ねて、不器用な生き物の形が描かれる。
「……可愛いクマやな」
少しだけ、笑って言えた。
「……可愛いウサギやし」
もとちゃんは、真面目な顔で即答した。
湯気の向こうで、彼が照れくさそうに笑っている。
その不格好なウサギの赤色が、真っ暗になりかけている俺の世界を、少しだけ彩ってくれた気がした。
「……うちのお母さんのこだわりは、あえてうっすぅ~い卵で包んでるとこやねん」
「昔ながらって感じするな」
「簡単そうに見えてめっちゃ難しいねんで。俺も何回か一緒にやってみたけど」
「え!? お母さんと料理するん?」
「するする! 手際悪いから結局、食べる専門やけどな?」
ええな。羨ましい。マザコンやって馬鹿にしてたけど、親を大事にするのはおかしなことじゃない。もとちゃんは俺のことも友達として大事にしてくれるし、あのメガネーズたちも、そんなもとちゃんが好きでずっと一緒にいるんやろうな。
「……あ、またマザコンや言うて馬鹿にする気やろ?」
俺が黙ってもとちゃんを見ていたら、ちょっと拗ねた顔をされた。
「んなことないって。ええなと思って。愛されてて」
レンジで温かくなった、もとちゃんのお母さんのオムライス。それが、俺の冷え切った心を少しずつ溶かしていく。
ええな。俺もこんな料理を作りたい。誰かのために。それが大好きな人だったら、もっといい。
不意に鼻をすすったら、もとちゃんと目が合った。
なんやろう。俺、泣いてしまいそうや。
「……空、なんかあったん?」
オムライスを食べていたスプーンを、皿の上にそっと置いて、もとちゃんが心配そうに覗き込んでくる。でも、涙でぼやけて、その顔がよく見えへん。
「なんも……ないよ。もとちゃんが来てくれて良かったなと思って。こんな美味しいオムライス、初めて食べた」
「……空」
そっと立ち上がって近づいてきたかと思ったら、ぎゅっと抱きしめてくれた。優しいな。もとちゃんは、本当に。
「……もとちゃん、俺、悲しいことあった。でも言われへん。……けど、悲しい」
嗚咽が止まらないくらい泣いた。そんな俺を、もとちゃんは何も言わずにただ抱きしめてくれる。
温かいな。こんな気持ちになるの、初めてかもしれん。
♢♢♢
「……落ち着いた?」
ひとしきり泣いた後、頭を撫でながら、もとちゃんが優しい声で聞いてくる。
「……うん。気持ちよくて、このまま寝れそう」
「泣いたあとって疲れるもんな。ちょっと寝るか?」
体が離れそうになるから、必死でしがみついた。今、目はパンパンやし、顔も真っ赤なはずや。こんなの誰にも見せられたもんじゃない。
「……ちょっと、このまま目瞑っていい?」
「空が辛くないならええけど」
「……うん」
返事をしたかしないかのうちに、猛烈な眠気が襲ってきた。糸が切れたように、俺はそのまま眠りに落ちた。
……目が覚めると、そこはベッドの上やった。
そして、なぜか隣で、もとちゃんも静かに眠っていた。
この薄くて長いまつ毛が好きや。
少し口角の上がった、形のいい唇も。
このほくろ、全部で何個あるんやろう。
指先で、壊れものを扱うように、そっとその肌に触れながら数を数える。
「……五十八、五十九」
「……いや、そんなにないやろ」
もとちゃんが起きるのを待ちながら、彼のほくろを延々と数えていたらようやく目を覚ましてくれた。
八個目くらいから他に見当たらなくて、ずっと同じやつ指で押さえて数えてた気がするけど。
「……ずっと一緒に寝てたん?」
「空があまりにも気持ちよさそうに寝てたからな」
ふふっ、と俺を見つめるもとちゃんの瞳は、どこまでも優しい。
以前の俺なら、無理やりねじ伏せてキスするフリして、彼を困らせて楽しもうとしたやろう。自分の孤独を埋めるための「ソフレ」として、都合よく扱おうとしていたはずや。
けれど、そんな泥のような真っ黒な気持ちは、今の俺からは綺麗に消え去っていた。
「……今、隣が可愛い女の子じゃなくて残念やと思ったやろ?」
「……そんなことないよ」
その「間」は、絶対思ってた証拠やろ。
けれど、そんな軽口が心地いい。時計を見れば、まだお昼を過ぎたところやった。流石、朝九時に「宅急便」で乗り込んできただけのことはある。
「……なあ、今から買い物行かへん? 映画とか、ゲーセンとか、久しぶりに楽しいこといっぱいしたい」
上半身を起こして提案すると、もとちゃんは意外そうな顔をした。
「どうしたん?」
「あ、いや。……なんでもない」
少しだけ顔を赤くして視線を逸らす彼を見て、俺はピンときた。
……もしかして、もっと別の、甘い展開を期待してたんやろうか?
「……ちゅう、して良かったん?」
「あかんよ! あかんに決まってるやろ!」
飛び起きて必死に否定するもとちゃんに、思わず吹き出してしまう。大丈夫や。俺はもう、前の自分の度が過ぎた冗談を嫌というほど反省している。
「わかってるって、冗談やん。俺は相談相手やろ? もう何もせえへんって」
笑いながらベッドから出ると、「当たり前や、しばくぞ」と威勢のいい声が飛んできた。
たまに見せる、このブラックなもとちゃんが面白くて大好きや。
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とと
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