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映画館で観るラブコメディなんて初めてやったけど、悪くなかった。
その後、カフェでまったりと映画の感想を言い合い、もとちゃんの日常に耳を傾ける。そんな「普通」の時間が、酷く贅沢に感じられた。
「俺、東京の大学を受けようと思ってる」
唐突に切り出されたもとちゃんの言葉に、心臓が少しだけ速く脈打つ。
「へぇ、ええやん。……やっぱり、あの有名なところ?」
「そう。目指すからにはトップやろ?」
もとちゃんの目は、真っ直ぐに未来を見据えていた。
「あー、だからか。メガネーズがついて回ってんの」
「そう、メガネーズも一緒やねん。たまに息抜きに外に遊びに出たら、すぐ連行されるけどな」
「でも良い奴らやわ、仲間意識が高くて」と笑うもとちゃん。
結局、あいつらも彼のことが大好きで、少しでも長く一緒にいたいだけなんやろう。今の俺と、同じ気持ちで。
「……空は?」
不意に、問いかけがこちらに向く。
「俺も東京に出たいけど。……買ってもらった家もあるし、寂しがり屋やから一人で生きていける気はせんな」
本音やった。この街に縛られている自分と、新しい場所へ踏み出そうとする彼。
その距離を想像するだけで急に心が寂しくなった。
「……俺がおるやん」
もとちゃんが、ニコッと、あまりにも優しい顔で言った。
そんな風に言わんといて。もし彼に彼女ができたら、この隣は俺の場所じゃなくなる。俺はまた、一人ぼっちに戻ってしまう。
「……まだ受かってへんやろ」
「もう気持ちは東京に行ってる」
「あー!! そんなん言うたら、お母さんめっちゃ悲しむわ」
「……そうかな? やめとこかな」
「意志弱すぎやろ」
今日も冗談を言い合って、たくさん笑った。
先週、地獄の底にいたことが嘘のような、穏やかな一日。
好きな人なんていなくても、こうして心から笑い合える友達がいれば、それだけで心は満たされる。……けれど、もとちゃんが東京へ行ってしまったら、この温もりもまた、消えてしまう。
「じゃあな」
「うん、おやすみ」
話し込みすぎて、もとちゃんを送り届ける頃には夜の九時を回っていた。
親に連絡もせず遊び呆けて、彼が叱られていなければええけど。そんな小さな心配すら、今の俺にはどこか愛おしかった。
♢♢♢
次の週。美術の時間。
どんな顔をして新先生に会えばいいのか。そう考えただけで胃が絞られるような痛さに、俺は保健室に逃げ込んだ。
「……空、体調は大丈夫?」
重いカーテンが音もなく開く。そこにいたのは、今、教室で教壇に立っているはずの新先生やった。
「えっ!? 新先生、今授業中じゃないんですか……!?」
「……心配で、少しだけ抜けてきた」
「……重いなぁ」
悩み過ぎてとうとう幻覚まで見るようになったのかと思った。けれど、先生の纏う絵具の匂いが、嫌なほどリアルに鼻をつく。
「……重いよな。……ごめん」
「……冗談ですよ」
本当に申し訳なさそうに眉を下げるから、思わず笑みが溢れた。
本当は、笑って済ませていいことじゃない。けれど、あんな仕打ちをされてもなお、俺にとって新先生という存在は、それほどまでに巨大で、代えがたいものやった。
「……この間は、本当にごめん。こんな言葉で許されるはずがないけど。俺、何でもするから。空を傷つけたこと、本当に、本当に悪いと思っている。……ごめんなさい」
まとまらない言葉が、先生の口から次々と溢れ出す。
焦り、震えるその声を聞いて、先生もただの一人の人間なんだと、今更ながらに思い知る。
「……じゃあ、授業に戻ってください。俺、先生の授業大好きなんです。きっと他の生徒も同じやから。……そうしてくれたら、許します」
「……空」
泣きそうな笑顔を浮かべた先生が、ゆっくりと俺に深く一礼して部屋を出て行った。
これでいい。あのことは、二人が黙っていれば「無かったこと」になる。
そう、信じていた。
――なのに。
新先生が消えた。
急に、なんの前触れもなく、俺たちの前から。
仲の良さそうだった他の教師に聞いても、誰もが目を逸らして、何も教えてくれない。
♢♢♢
ある日。俺のことを遠くからじっと見つめていた保健の先生を捕まえて、問い詰めた。
彼女は震える声で、ようやく白状した。
あの日。俺と新先生の「あの場面」を、少し見てしまったという。
彼女は新先生のことが好きやった。だから最初は黙っていようとした。
けれど、生徒である俺に新先生を「取られた」ことが、どうしても許せなかったのだと。
保健室での俺と新先生とのやり取りに、怒りが込み上げたんだと。
パチン、と乾いた音が保健室に響いた。
彼女にビンタされた理由は、正直、今も意味がわからない。
けれど、俺の元に何の処分も、連絡も来ない理由だけはわかった。
先生が、最期の瞬間まで「生徒」である俺を、守り抜いたんや。
とと
#関西弁
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