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……ピーピーピ……
 携帯の目覚ましの音が聞こえ私は半分寝ぼけたまま手探りで携帯を探した。
 「痛っ……!」
 間違って怪我している方の手で携帯のアラームを止めてしまい思わず声をあげる。すると隣で桐生さんが「……もう朝か?」と寝ぼけながら、私をベッドの中に引き摺り込み再び眠ってしまった。そんな彼の腕の中から何とか這い出ると、子猫が入っているダンボールを見た。
 昨夜は子猫が一晩中鳴いて、二人でミルクをあげてみたりキャットフードをあげてみたりとなかなか寝れなかった。しかし今日はニューヨークから友達がコンサートの為に来日していて、午後は桐生さんと一緒にその演奏を聴きに行く予定になっている。それまでにこの子猫を何とかしなければならない。
 私は眠い眼をこすって、先ほどからやけに静かに寝ている子猫の様子を見ようとダンボールの中を覗き込んだ。そして一気に青ざめる。
 「子猫がいない!!!」
 「え……?」
 桐生さんは私がそう叫ぶのを聞くと眠そうに目を擦った。
 「これ見て!!」
 私はダンボールを持ち上げた。箱の底は子猫がいつの間に噛み砕いたのか、小さな穴がぽっかりと開いている。それを見た桐生さんはガバっと起き上がって寝室を見回した。
 部屋のあちこちに子猫が用を足した跡があり、私と桐生さんは同時に寝室のドアを見る。昨夜ミルクをあげたりとキッチンを行ったり来たりした為すっかり閉めるのを忘れていていた。
 「〜〜〜!!」
 桐生さんは頭を抱えるとベッドから起き上がった。その後掃除をしながら二人で行方不明になった子猫を一時間近く探し回る。
 「おい、いたぞ!」
 一時間後、桐生さんがウォークインクローゼットの中から子猫を見付け出した。
 「えっ…うそっ……!クローゼットの中にいたの?だって何度も探したのに……!」
 「……少し開いてた引き出しの中にいた……」
 「………」
 二人で脱力しながらも無事見つかった事にホッとする。
 その後慌ただしく部屋を片付けたり子猫の世話をしながら朝食を食べていると、佳奈さんから電話が来る。知り合いの猫の保護団体の人から連絡があって、子猫を引き取ってもらえるらしい。
 桐生さんと二人で急いで支度をすると、猫の保護団体の人と待ち合わせた場所に行く。そこで子猫を引き取ってもらい、彼らの方で獣医に連れて行ってもらえることになった。
 「すごく大人しくてお利口さんですね〜。この調子だときっとすぐに貰い手が見つかりますよ」
 子猫は昨夜とは違って、ちょこんと大人しく座って大きな丸い目で私達を物珍しそうに見ている。私と桐生さんはニコリと微笑むと、子猫をその人に預け別れを告げた。
 その後、桐生さんが私の怪我を心配して病院に行こうと言って聞かず、私は引き摺られる様にして病院に行きお医者さんに診てもらう。
 「うーん、縫わなくても大丈夫と思いますけど縫ったほうが治りが早いかもしれませんね」
 私の指の傷を見ながらお医者さんは言った。
 「では縫ってください」
 桐生さんが迷わず私の代わりにお医者さんに答える。麻酔や縫われるのが好きでない私は、信じられない思いで彼を振り返ると慌ててお医者さんに言った。
 「いや、あの、テープみたいなやつを貼ってくれるだけで結構です」
 結局ステリストリップの様なテープを貼ってもらいそれと一緒に一応抗生物質を処方してもらう。
 その後ゆっくりと話し合いをする間もないまま慌ただしく支度をすると私達は急いでコンサートホールに向かった。
 今日コンサートでバイオリンを演奏をするのは親友の鞍馬薫さんで、ニューヨークに住んでいた時の私の母のママ友の息子さんだ。
 彼の家族とはニューヨークに引っ越してすぐに知り合い、その後小さな日本人コミュニティーの中でまるで親戚の様に仲良くなった。
 高校で英語がわからなくて授業についていけなかった時、いつも親切に教えてくれた。アメリカで無事高校を卒業でき、そして大学まで行けたのは彼のお陰とも言える。
 彼は両親が日本人であるものの私と違って生まれも育ちもニューヨーク。日本語も英語も完璧に操る本物のバイリンガルだ。幼少の頃よりバイオリンを習っていて高校で知り合った時には既にかなりの腕前だった。彼はオーケストラで演奏したりあちこちで賞をもらったりと学校の中でも有名だった。
 彼はその後大学で音楽を専攻し、クラシックよりはポップスなバイオリンを弾くようになる。また作曲してSNSにアップしたりと、今では何十万人ものフォロワーがいる。更に色々な企業から仕事の依頼やコンサートに招かれたりして、今ではプロの音楽家として活躍している。
 彼は今回日本で招かれて演奏をすることになり、それと合わせていくつかCMやテレビ番組のエンディングなどに使われる音楽を録音をすることになっている。
 私は桐生さんと一緒に会場に入ると開演までしばらく席で待つ。やがて会場が暗くなり舞台にスポットライトがあたると、長い黒髪を後ろに束ねた薫がピアノや菅弦楽器の演奏に合わせてバイオリンを弾き始めた。
 薫は純日本人だがアメリカで生まれ育ったからなのか、なぜか顔つきが少し日本人離れしていてとても綺麗な顔をしている。そして彼の両親はとても小柄なのに体格も身長も桐生さんと同じくらい大きい。いつもどうしてそんなに大きくなったのかと聞くと、アメリカの乳牛は成長ホルモン剤で育てられているからその牛乳を飲んだ自分も大きくなったのだといつも冗談を言っていた。
 彼のバイオリンの腕前は以前にも聴いたりしてどれほど上手か知っているが、実際に聞くととても迫力がある。久しぶりに彼の生演奏を聞ける事に感動し思わず演奏に魅入った。すると隣にいた桐生さんが少し驚いたように呟いた。
 「薫って男だったのか……?」
 「えっ……?あ、そうなんです……」
 そう言えば薫の事をプロのバイオリン演奏家で、ニューヨークで大の親友だったとは伝えていたが、もしかすると男の人だと言うのを忘れていたかもしれない……。
 「あの、男の人って言っても私彼の事あまり男の人って思った事ないんです。それに薫も私の事本当にただの女友達としてしか見ていないので大丈夫ですよ」
 私は彼に誤解のないようはっきりと伝えた。とにかく久我さんの事は桐生さんの言うようにこれからは気をつけようと思う。しかし薫は家族のようなものだ。桐生さんが心配するようなことは何もない。
 桐生さんが疑わしいような何とも言えない顔で薫を見ているものの、そんな彼を無視してバイオリンの演奏に耳を傾けた。
 やがて全ての演奏が終わり私と桐生さんは舞台裏にいる薫の部屋まで通してもらう。そこでスタッフや一緒に演奏した人達が忙しく片付けたり楽しそうに話している中、薫を見つけ駆け寄った。
 「薫!おめでとう!すごい良かったよ!!」
 私は懐かしさに思わず彼に抱きついた。最後に彼に会ったのはおそらく3年前。その時も彼がこうして来日した時だった。
 「蒼!」
 彼も懐かしそうに私を両腕で抱きしめると頬にキスをした。
 「すっげー久しぶり!おじさんとおばさんは元気?」
 「元気にしてるよ。今は宮崎で優雅に暮らしてる」
 嬉しくて久しぶりに晴れた気分になる。
 「お兄ちゃんにはもう会った?」
 「翠にはこれから名古屋で会うんだ。蒼も一緒に来いよ。また久しぶりに3人で遊ぼう」
 「あーー…うん」
 私が少し言葉を濁していると、薫は私の後ろに立っている桐生さんを見た。
 「……えっと、薫、紹介するね。こちらは桐生颯人さん。私が今務めている会社の社長で、私の上司なの……。それでね……私のね──…」
 薫はニヤニヤしながら私をからかうように見ている。
 家族には桐生さんの事を既に話しているが、実際にこうやって誰かに紹介するのは初めてだ。なんだか急に恥ずかしくなって顔を真っ赤にしながら、一生懸命彼を紹介しようとした。
 薫はそんな私と少し機嫌悪そうに後ろに立っている桐生さんを見てハハっと笑うと、話の途中で手を差し出した。
 「初めまして、蒼の会社の社長さんで上司の桐生さん。蒼の親友の薫です」
 「どうも初めまして」
 桐生さんは薫の冗談に一瞬顔を強張らせたものの手を取るといつものビジネススマイルで握手を交わした。
 薫は面白そうに私と桐生さんを見ると、突然私の肩に腕を回した。
 「すみません、蒼をちょっと借りてもいいですか?」
 薫は私の肩を抱きながら部屋の奥へと進んだ。
 「あんなハイスペックな男よく捕まえたな。どうやったんだ?」
 彼はそう言いながら「はい、お土産」と言ってバッグから小さな包みを取り出した。彼の好みのタイプを知っている私は、その包みを受け取りながら薫を嫌な目で見た。
 「うわ、さっきからすごいこっち見てる。なんかあの顔でしかもあの目で睨まれるとなんだかゾクゾクするな」
 薫は桐生さんを振り返りながら嬉しそうにした。それを見た私は思わず頭を抱えた。
 ── どうしてあの人はいつも無駄にモテるの!?
 私がイラついていると、薫はわざと桐生さんに見せつけるように私の腰を抱き寄せ頬にキスをした。腰に巻かれた薫の腕をはぎ取ると、思わず彼を睨んだ。
 「お願い、やめて。今彼とは色々と問題が山積みで微妙な関係なの。これ以上事を悪化させないで」
 「喧嘩してんのか?何やってんだよ。もったいないなぁ、俺が貰って──」
 私は薫の冗談とも本気ともつかない言葉を無視すると、なんとか気を落ち着けようと深呼吸した。
 「……結構深刻なの。ずっと喧嘩してて……。しかも私達の間にはどうしたらいいのかわからない問題が山積みで……。
 どうやって彼に話したらいいのかも分からないし、そもそも話した所で解決するような問題じゃないのかもしれないし……。どうせ話したって余計溝が深まるんじゃないかとか、もう私達はダメになるんじゃないかとか色々と怖くてどうすればいいのかよく分からない……」
 私は俯きながら薫に思わず弱音を吐いた。すると彼はククっと笑って私を見た。