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みことが出社した日、デスクに座った瞬間、
「おはよう、みことくん」
ふいにかけられた声に顔を向けると、そこにはあの日の吉村がいた。
だけど、以前のような軽口や、やや馴れ馴れしい雰囲気はなかった。
「……おはようございます、吉村さん」
「今日、朝寒くなかった? なんか今週いきなり気温下がったよね。体調、崩さないようにね」
それは一見、普通の会話。
でも、みことは気づいていた。
吉村の“距離”が、微かに遠くなっていることに。
以前なら、「彼氏いんの?」とか「休日は誰と過ごしてんの?」なんて冗談めかして言っていたのに。
今は、仕事と体調の話しかしない。
そして、みことのコップにさりげなくお茶を補充しておいてくれたり、紙類をそっと整頓しておいてくれたり。
(……なんか、優しくなってる?)
でも、そこには奇妙な「線引き」があった。
それ以上近づかないようにしている――そんな、慎重な優しさ。
(いやー……やっぱ、すげぇ人だったんだな、あの男)
あの日、あの眼を見た夜から、吉村はずっと考えていた。
自分が何気なく放っていた言葉が、すちという人にとって、どれほど許しがたいものだったのか。
そして、みことが本気で、誰かに大切にされていること。
(俺……ちょっと調子乗ってたな)
みことのことは、綺麗でおっとりしてて、少しからかえば楽しく反応してくれる、そんな“癒しキャラ”として扱っていた。
けれど、彼の背後には、全力で愛して、守って、奪わせないと言い切る相手がいた。
――なら、自分は“先輩”としての立場に戻るだけだ。
過剰な距離を詰めず、ただ職場の仲間として、居心地よくいられるように。
(ほんと、幸せになってくれたらいいな)
その願いは、純粋なものだった。
「あの……吉村さん、最近、なんか雰囲気変わりましたね」
「そう?……まあ、ちょっと反省したんだよ」
「……反省?」
「うん、ちょっと無神経だったなって。みことくんに、大事な人がいるってちゃんとわかったし、尊重しないとね」
みことはぽかんとしてから、ふわっと笑った。
「……ありがとうございます。俺も、ちゃんと伝えてよかったです」
そう――
変わったのは、吉村だけじゃなかった。
みこと自身も、“誰かに深く愛されている自分”を、職場でも少しずつ隠さずにいられるようになっていた。
___
「ねえ、みことくんって彼氏さんと一緒に住んでるの?」
ふいに女性社員・三浦さんが声をかけてきた。以前は距離を測りあぐねていたような彼女だったが、どこか柔らかい笑顔を浮かべていた。
「はい。あの、婚約してて……今年の春から同棲してます」
「へぇ〜〜……いいなぁ。なんか、職場の誰よりもしっかりしてるかも。生活感あるっていうか、落ち着いてる」
「みことくんの作るお弁当、めっちゃ丁寧だもんね。旦那さん……じゃないや、婚約者? 幸せ者だわ〜」
「いやいや、そんな……でも、嬉しいです」
みことは頬を赤く染めつつも、心の奥にじんわりと温かいものが満ちていくのを感じていた。
この変化のきっかけになったのは――
やはり、吉村の影響が大きかった。
昼休み、別の社員がみことに軽口を叩こうとした時、吉村がさりげなく入って止めた。
「おいおい、やめとけ。みことくん、もう婚約してんだから」
「え、そうなの?」
「指輪してんじゃん。相手、めちゃくちゃイケメンで誠実な人だったよ。先日偶然見たけど、“守られてる”って感じしたし」
吉村は笑いながらそう言い、それ以上の詮索を自然と封じた。
誰も傷つけず、でもみことをきちんと“守る”かのように。
その場にいた社員たちはそれぞれに驚きつつも、次第に受け入れていく空気をまとっていった。
雑談中、恋バナになっても、誰も「みことくんは彼女いないの?」とは聞かなくなった。 むしろ「彼氏さんとは週末何するの?」という自然な話題に。
重たい空気ではなく、ただ「大切にされてる人」としての尊重が生まれていく。
――まるで、“同性カップル”という枠組みを越えて、
みことと、すちという人の絆そのものが受け入れられていくように。
(なんか……不思議だな)
(前は、人に知られるのが怖かったのに。今は、ちゃんと伝えられて、ちゃんと支えてくれる人がいて――)
(ちゃんと、守られてる)
ランチの帰り道、そっと自分の左手薬指を見る。
輝く銀のリングが、今日も優しく陽を受けていた。
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吉村のフォローをきっかけに、周囲の態度は目に見えて変わった。
特に年上の社員たちは、みことの指輪に気づくたび、
「いいパートナーに出会えたんだね」
「若いのにしっかりしてるわ」
と、あたたかく声をかけるようになった。
業務の中でも、みことの意見が自然と通るようになり、
“若くて恋人に甘えてる男”ではなく、“信頼できる同僚”としての立ち位置が築かれていく。
(ちゃんと、社会の中でふたりで立っていけてるんだ……)
(誰にも隠さなくてよくなっただけで、こんなに世界が広くなるなんて)
みことは心のどこかで残っていた不安が綺麗に消えていった。
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すちの“キス騒動”は、予想以上に話題となった。
特に、当日その場にいた女性社員たちは数日間“現実逃避”気味だったという。
が――。
すちの態度は終始、揺るがなかった。
「……ところで、すちさん。例の“彼女さん”って……男の人、なんですか?」
恐る恐る聞いてきたのは、最年少の社員・小坂。
すちは一瞬黙り、視線をあげた。
「そうだよ。大学時代から付き合ってる。大事な人だし結婚もする」
一切の迷いもなく、しっかりとした口調。
誰も茶化せなかった。
むしろ、周囲の何人かは顔を見合わせ、こっそりと頷いていた。
(だから、あんなに一途なんだ)
(ちゃんと真剣だったんだな)
(……あんなに大事に想える人、俺たちにいるだろうか)
女性社員たちは「ごめん、知らずにごちゃごちゃ言ってた」と謝罪するようになった。
同期たちは「すちが貫くなら俺らも応援する」と静かにサポート。
上司には「プライベートに口を出す権利はないが、君の姿勢は立派だ」と評された。
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それぞれが、相手の職場での状況を聞くたび、思わず笑ってしまう。
「俺の職場、けっこう騒ぎになったけど、今は誰も変なこと言わないよ」
「うちも。逆に“どんなプロポーズされたの”とか聞かれて照れた」
通勤ラッシュの電車の中、手は繋げなくても、心は確かに重なっていた。
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