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第三話 放課後、オレンジ色
夕焼けは、一日の終わりじゃない。
誰かとの時間が始まる色だ。
春の夕暮れは、思っているよりもゆっくり訪れる。
五時間目が終わるころには西日が教室へ差し込み、机の上をやさしいオレンジ色に染めていた。
窓の外では、
部活動へ向かう生徒たちの声が聞こえる。
新しいクラスになって三日。
まだ少しぎこちない空気は残っているものの、
教室には少しずつ笑顔が増えてきていた。
「神崎。」
隣の席から蓮が身を乗り出す。
「今日部活ないよな?」
「うん。」
「じゃあ駅前のクレープ食べに行かね?」
「急だな。」
「青春は勢いが大事!」
「それ、ただ蓮が甘いもの食べたいだけでしょ。」
美桜が笑いながらツッコむ。
「バレた?」
「最初から。」
教室に笑い声が広がる。
湊も思わず笑った。
こんなふうに自然と笑える日が来るなんて、
少し前までは想像もしていなかった。
そのときだった。
紬のスマートフォンが小さく震えた。
画面を見た紬の表情が、少しだけ曇る。
「どうした?」
美桜が心配そうに聞く。
「お母さんから。」
紬は少し困ったように笑う。
「今日は病院の日だったの忘れてた。」
「迎えに行かなきゃ。」
「そっか。」
「じゃあ今日はまた今度だね。」
美桜はすぐに笑顔を作った。
「クレープは逃げないし!」
「うん、ごめんね。」
紬は鞄を持って立ち上がる。
そのとき、窓の外を見ていた湊は小さく気づく。
――雨。
ついさっきまで晴れていた空に、
灰色の雲が広がっていた。
細かな雨粒が窓を叩き始める。
「うわ、降ってきた。」
蓮が窓を開けて外を見る。
「結構降ってるな。」
美桜が困った顔をする。
「私、自転車なんだけど……。」
「駅まで送るよ。」
蓮がすぐに言った。
「マジ?」
「困ったときはお互い様。」
「ありがとう!」
二人は慌ただしく帰る準備を始める。
教室には、湊と紬だけが残った。
しばらく沈黙が続く。
雨の音だけが静かに響いていた。
「……傘、ある?」
湊が尋ねる。
紬は少し困ったように笑った。
「忘れちゃった。」
「私って、こういうところあるんだよね。」
湊は自分の机の横に掛けていた
紺色の傘を見つめる。
一瞬だけ迷う。
でも、次の瞬間には口が動いていた。
「駅までなら、一緒に行く?」
紬は驚いたように目を丸くする。
「いいの?」
「うん。」
「ありがとう。」
その笑顔は、
教室へ差し込む夕日のようにあたたかかった。
*
校舎を出ると、雨は少し強くなっていた。
傘を開く。
二人で一本の傘に入る。
肩が少しだけ近い。
でも、不思議と気まずくはなかった。
校門を出ると、
雨に濡れた桜並木が静かに揺れている。
花びらが濡れたアスファルトに落ち、
春の終わりを少しだけ感じさせた。
「雨の日って、嫌い?」
紬が聞く。
湊は少し考える。
「前は嫌いだった。」
「前は?」
「写真を撮るようになってからは、好きになった。」
「どうして?」
「晴れの日と違う景色が見えるから。」
雨粒が水たまりを揺らす。
街灯が映り込んで、小さく光った。
「同じ場所でも、雨が降るだけで違う景色になる。」
「だから飽きない。」
紬は静かに頷いた。
「なんか分かる気がする。」
「私もね、雨の日は街が少し静かになるから好き。」
二人は歩く。
言葉がなくても、沈黙は苦しくない。
それどころか、
雨音が二人の会話の続きを
代わりに話してくれているようだった。
駅前の横断歩道で信号を待っていると、
小さな女の子が転びそうになる。
その瞬間、紬は迷わず駆け寄った。
「大丈夫?」
女の子の手を優しく握り、笑いかける。
「気をつけてね。」
母親が何度も頭を下げる。
「ありがとうございました。」
紬は照れくさそうに笑った。
「全然、大丈夫です。」
その様子を見ていた湊は、
ふとカメラを構えそうになって、手を止めた。
――今は撮らない。
この優しさは、写真より先に、
自分の心に残しておきたい。
そんなふうに思ったのは初めてだった。
駅へ着くころには、雨は少しだけ弱くなっていた。
「送ってくれてありがとう。」
紬はそう言って頭を下げる。
「こちらこそ。」
「え?」
「雨の日、嫌いじゃなくなりそう。」
湊がそう言うと、
紬は少し驚いて、それから優しく笑った。
「じゃあ次は、晴れの日も一緒に歩こう。」
その何気ない約束が、湊の胸に静かに残る。
電車がホームへ滑り込む音が聞こえた。
扉が閉まり、紬は窓越しに小さく手を振る。
湊も照れながら手を振り返した。
電車がゆっくり動き出す。
オレンジ色の空の向こうへ、
紬を乗せた電車が消えていく。
湊はまだ知らない。
この何気ない帰り道を、
何度も思い出す日が来ることを。
📷 Photo.003『雨上がりの空』
撮影日:4月10日
雨は、いつの間にか止んでいた。
水たまりに映る夕焼けは、
空よりも少しだけ優しく見えた。
あの日の僕は、
雨上がりの景色を撮ったつもりだった。
でも、本当に残したかったのは、
一本の傘の下で交わした
何気ない会話だったのかもしれない。
コメント
2件
ほんとですか!めっちゃ嬉しいです! 2人の人柄がわかるよう工夫して書いてるのでそう言ってもらえて嬉しいです! ありがとうございます!
読み終わりました……。 第3話、すごく好きです。 夕焼けと雨、傘、そして二人の距離感が全部優しくて、切なくて。 特に「この優しさは、写真より先に、自分の心に残しておきたい」って湊の気持ち、すごく響きました。写真家っぽいのに、あえて撮らない選択をするのが、彼の成長を感じさせて。 紬が女の子を助けるところも、自然体で優しくて、湊が惹かれるのがわかります。 それに「次は晴れの日も一緒に歩こう」って約束、何気ないけど、すごく大事な言葉だと思いました。 M.Sさんの筆致、本当に丁寧で、心に染みます。続きが楽しみです。
ruruha
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雛
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