テラーノベル
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診察室には、消毒液の匂いが漂っていた。
白い照明の下、医師が小さなペンライトを手に、乃亜の喉を覗き込んでいる。
熱のせいでぼんやりしている乃亜は、詩乃の腕の中へぐったりと身体を預けていた。
診察を嫌がる元気さえない様子が心配で、詩乃はその小さな身体を大事に抱えながら、医師の言葉に耳を傾ける。
「喉が赤いですね。今のところ重い症状は見られませんし、風邪の可能性が高いでしょう」
その言葉に少しだけ安堵しかけたところで、隣にいた幸人が口を開いた。
「インフルエンザなどの感染症では?」
「発熱してすぐですと、検査をしても反応が出ないことがあります。熱が続くようなら、明日以降もう一度受診してください」
「……はい」
詩乃が頷くと、医師はカルテへ視線を落とした。
「解熱剤も出しておきます。高熱が出てつらそうな時は使ってください」
「ありがとうございます」
診察が終わり、詩乃は腕の中の乃亜を見下ろした。
苦しそうな様子は変わらない。頬は赤く、小さな身体は熱を抱えたまま力なく寄りかかっている。
それでも、今のところ重い症状ではないと聞けただけで、胸を締めつけていた不安が少しだけ和らいだ。
「……よかった」
思わず零れた言葉とともに、乃亜を抱く腕へ自然と力がこもる。
その様子を、幸人は何も言わずに見つめていた。
***
その夜。
窓の外では風がかすかに木々を揺らし、ときおり枝葉の擦れる音だけが夜の静寂を掠めていた。
乃亜は寝室で眠っていたものの、その眠りは浅い。
額に乗せたタオルはすぐに温くなり、詩乃は何度も洗面所との間を往復していた。
もう一度体温計を脇へ挟み、表示された数字を確認する。
――38.9℃。
「……まだ下がらない」
乃亜の呼吸はいつもより少し荒く、ときおり身体が小さく震える。
詩乃はそっと手を握った。
指先は冷たいのに、額へ触れると驚くほど熱い。
「……寒いの?」
様子を見ながら掛け物を整えていると、乃亜が小さく身じろぎした。
「……や……」
「乃亜?」
詩乃はすぐに身を乗り出し、額へ触れる。
先ほどよりも熱く感じた。
慌ててもう一度体温を測ると、表示された数字は39.5℃まで上がっていた。
その時、寝室の扉が開く。
「どうしました」
幸人だった。
「熱が上がってて……また39℃を超えてます」
差し出された体温計の数字を確認し、幸人の眉間に皺が寄る。
「……薬を使いましょう」
病院でもらった解熱剤は粉薬だった。
少量の水で溶かしてスプーンに用意し、詩乃は乃亜へ声をかける。
「乃亜。少しだけ、お口あーんできる?」
けれど乃亜は弱々しく首を振り、口を固く閉じてしまった。
無理に飲ませるわけにもいかず、詩乃は少し考えてから、枕元に置いてあったくまのぬいぐるみを手に取った。
「ほら、見て。くまさんもお薬飲むって」
スプーンをぬいぐるみの口元へ運ぶ真似をする。
「ごっくんできたね。くまさん、えらい」
それから、乃亜へ目を向けた。
「乃亜もできるかな?」
熱で潤んだ瞳が、ぼんやりとくまを見つめる。
それでも、すぐには口を開かなかった。
詩乃は急かさず、汗で額へ張りついた髪をそっと撫でる。
「大丈夫。少しだけだからね」
しばらくすると、乃亜の唇がほんの少しだけ開いた。
詩乃はほっと息を吐き、嫌がらないよう様子を見ながら少しずつ薬を飲ませていく。
「うん、上手。あとちょっとだよ」
乃亜は顔をしかめながらも、どうにか最後まで飲み込んだ。
「できたね。頑張ったね」
その様子を、幸人は少し離れたところから黙って見つめていた。
乃亜が詩乃の声に耳を傾け、その言葉を信じるように薬を飲む。
そんな二人の姿から、なぜか目を離すことができなかった。
***
それから一時間ほど経った頃だった。
眠っていた乃亜が突然、苦しそうに身体を起こした。
「っ……」
浅く掠れた息を漏らし、小さな身体を震わせる。
「乃亜?」
詩乃はすぐに身体を支え、背中へ手を回した。
呼びかけても返事はなく、熱に浮かされた瞳が潤んでいる。
「気持ち悪いの……?」
吐き気があるのかもしれない。
詩乃が背中を優しく擦っていると、背後で物音がした。
振り返れば、幸人が洗面器を持って立っている。
「これを」
「あ、ありがとうございます」
受け取ろうとすると、幸人は首を横へ振った。
「そのままで。私が持ちます」
幸人が洗面器を支え、詩乃は乃亜を抱き寄せたまま背中を撫で続ける。
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいからね」
苦しさに耐えるように、乃亜が詩乃の服をぎゅっと握った。
詩乃はその小さな手を包み込む。
幸人も何も言わず、すぐそばで洗面器を支えていた。
相談したわけでも、どちらかが指示をしたわけでもない。
それでも、乃亜を真ん中にして、二人は自然とそれぞれにできることをしていた。
まるで、本当の父親と母親のように。
コメント
1件
うわ、この話めっちゃ染みたわ……。 乃亜ちゃんの看病シーン、詩乃さんの「くまのぬいぐるみ作戦」とか細かい気配りが優しすぎて泣ける。 しかも幸人が自然に洗面器持ってきて、二人で何も言わずに乃亜ちゃんを支える流れ、もう「本当の家族」そのものじゃん。 そういう積み重ねがじわじわくるんだよな。次も絶対読む🔥
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#王子
すっこ
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碧星_Aoi
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