「時間、大丈夫?将嗣のご両親をあまりお待たせしても悪いでしょう」
「そうだな、行こうか」
将嗣の家へ向かう車の中で美優をあやしながら、私は不安になり始めていた。
新しく人間関係が始まるという事は、思いも寄らぬ軋轢が生じることもある。
舅、姑問題を嘆く、友人たちを思い出すと憂鬱な気分だ。
将嗣の家は生垣とブロック塀で囲まれた一戸建てで、敷地は広く、瓦屋根の2階建てで、昭和の家といった雰囲気。手入れが行き届いた庭には、柿の木などが植えられている。
きっと将嗣の思い出がいっぱい詰まっているんだろうなぁと見上げた。
車の音で私たちの到着を察したのか玄関が開き、一人の女性が出てきた。
「わざわざ遠いところ悪かったわね」
「母さん、こちら谷野夏希さん、そして、この子が美優ちゃん」
「初めまして、谷野夏希です」
私は、緊張で顔を引きつらせながら、ぺこりと頭を下げた。
「将嗣の母の紀子です。今日は良く来てくださったわ。ありがとう」
将嗣のお母さん、紀子さんを見て、なんとなく中学の時の学年主任の先生を思い出した。
厳しかった先生に似ている紀子さんの前では、自然と背筋が伸びる。
「家に上がって下さい。お父さんも待っているんですよ」
「はい、ありがとうございます」と私は将嗣の家へ上がらせて頂いた。
「夏希、悪いけど親父の部屋に美優ちゃんと一緒に行ってくれる?」
「いいよ。美優はいい子にしていてね」
将嗣に続き、私は美優を抱いて、お父さんの部屋に挨拶に向かった。
部屋の扉を開けると、柔らかな秋の日差しが差し込んでいる。
その窓際にベッドが置かれ、その上に痩せた男性が横になっていた。
「お父さん、将嗣が娘の美優ちゃんと美優ちゃんのママを連れて来てくれましたよ」
すると痩せた男性は目を覚まし、美優を見つけると嬉しそうな表情に変わる。
電動のベッドのスイッチを入れるとモーター音を共にベッドが稼働して、上半身が起こされた。
具合が悪い話は聞いていたが、まさかここまで病状が思わしくない様子だとは思っていなかった。
将嗣が実家に美優を連れて行きたいと強く希望していた意味が、今、解った。
「親父、こちらが谷野夏希さんと美優ちゃん」
「初めまして、谷野夏希です。この子が娘の美優です」
「わざわざ来てもらってすまないね。抱いてもいいかな」
と細くなった腕を差し出された。
病気のせいで実年齢よりも老けて見え、その顔には深い皺が刻まれている。
ベッドの上で身を起こしている将嗣のお父さんの傍まで行き、差し伸べられた腕に受け渡すと温かい視線で美優を見つめた。
「孫が抱けるとは思わなかった。ありがとう、夏希さん」
お父さんの目が潤み一筋の涙がこぼれ、慌てて涙を拭っていた。お母さんも目を真っ赤にしてその様子を見ている。
美優にとっておじいちゃんおばあちゃんに当たる二人。
そのふたりに美優の存在を喜んでもらえて、私も胸が温かくなる。
だが、人見知りも始まっているこの時期。
美優にとって知らない家で、知らない男の人に抱かれた形になり、ビックリして泣き出してしまった。
「ああ、すまないね。泣かせてしまった」
お父さんがオロオロしていると将嗣がスッと手を伸ばし抱き上げた。
慣れた様子でヨシヨシと、あやしている。
将嗣に抱っこされて甘える仕草を見せる美優を将嗣の御両親は本当に嬉しそうに見ている。
「将嗣によく似ている」とお母さんが呟き、お父さんが目を細めながら頷く。
するとお父さんが、突然私の方へ顔を向け、ゆっくりと頭を下げた。
「谷野さん。詳しい事情は将嗣から聞いている。このバカが申し訳ない」
「やめてください……」
「いや、結婚していながらよそ様のお嬢さんに手を出すなんて、どうしようもない。きちんと責任を取らせるからどうか許してやってくれないか」
《《きちんと責任》》という言葉を聞いて、スッと背筋が冷えた。
親の世代での《《きちんと責任》》という意味は、” 結婚して責任を取る ”という意味である。
「将嗣さんは、認知という形で責任を取ってくれました。それに復縁をお断りしたのは私の意思なので、許すも許さないもないんです」
体調の良くない将嗣のお父さんに対して、あまりショックなことを言いたくなかった。でも、変な期待を持たせるのもどうかと思い、咄嗟に言葉を選んだつもりだった。しかし、自分が言った言葉が病気のお父さんにショックを与えていないか、大丈夫だったのか、不安で爪の痕が付くほど手を握りしめていた。
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