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――痛い。
――熱い。
――苦しい。
そんな感情は、いつになれば、消えてくれるのだろうか。いつになれば、空っぽになれるのだろうか。…だがそれは、考えても仕方のないこと。
ザシュ、という音とともに、妖魔の肉体が朽ちてゆく。虚ろな目をした首が、ゆっくりと落ちていった。彼らはその瞬間、何を思うのだろうか――…。それもまた、考えても仕方のないことだろう。
「「影矢」」
聞きなれた声がして、くるりと振り向く。彼らは仮面をとって、ただ一言、「おつかれ」と言った。その途端に、スゥッという音がして、自分が自分に戻っていくような気がするのは、おかしなことなのだろう。
刀を一振りして、べっとりとついた血を払うと、鞘にしまった。飛び散った血に、わざとらしく顔をしかめて、眼鏡を拭きながら、亜麻色の髪の青年――鈴が言った。
「お前なぁ、もうちっと周りを見ろ、周りを」
ため息まじりに、もう一人の青年、知が言う。
「安心しろ、鈴の眼鏡はもう既にべっとべとだ」
「お前らが良くても、クラスに眼鏡から血の匂いする奴いるとか終わってんでしょーが」
けらけらと笑う。それにつられて、影矢も笑った。ああそうか、と思い直す。
あの感情は消えてはいない。けれども今、自分はこうして笑えているのだ。ならばもう、いいのかもしれない。二人の顔を見るだけでそう思えてしまうなんて、幼馴染とはすごいものだと、今更ながらに思った。
〈黒狼〉。
彼らの昔のよりどころを、人々はそう呼ぶ。
〈黒狼〉は、潜入、情報操作、暗殺と、なんでもござれの裏社会の組織である。その勢力は絶大なもので、裏社会に通じている者ならば、不都合なことや不調子なことがあるとすぐに〈黒狼〉の可能性を疑う。個々の戦闘能力も異常なほどに高いため、頼る者も、恐れるものも多い組織だ。
その「最強」とも称される〈黒狼〉で、トップ3と言われる三人がいた。
コードネームは、黒鷹、燕、梟。一切の私情を挟まず、その時に必要なことを完璧にこなす。幹部からの信頼も厚い。だが彼らの顔を見たものはおろか、言葉を交わしたものすら一握り中の一つまみしかいない。年齢性別実名不明。まさに謎に包まれた者たちだ。だからこそ、人々はその姿を胸の中で描くのだろう。
そんな三人が、ごく普通の高校生(?)であることなど、誰が想像しただろうか。
今はもう〈黒狼〉の戦士ではない。数年前にあることがきっかけで脱退した。その時唯一援助してくれたのが、彼らが幼い時に教育係として三人につき、殺しから潜入捜査時の変装のスキルまで教え込んだ上官、コードネーム〈飛鷹〉であった。戦場にいた影矢を拾ったのも、この男である。のちに影矢にコードネームがつけられるとき、自分のコードネームにある「鷹」の文字を入れたいと駄々をこねたのもこの男であった。
そんな彼に、脱退から一週間ほどしたある日、唐突に言われたのである。『〈黒狼〉の任務を受け持ってくれないか』と。
理由は単純、彼ら三人が抜けたことによる、戦闘力の低下である。近年は妖魔の数も増加し、人員不足もあって、今、〈黒狼〉は、見かけによらず追い詰められていたのだった。
条件は、三人の衣食住の保証。給料は今まで通り払う、ということだった。
正直に言って、これはかなりありがたい話だった。物心ついた時から〈黒狼〉の一員として働いてきた三人には、社会で一般人として働くにはかなりのハンデがある。今までの貯金があったとはいえ、これから三人で暮らしていくには、十分とは言えない量だったのだ。メリットとデメリットをよくよく考えたうえ、了承した。
…というよりは、三人の銀行的存在、知が二つ返事でOKした。
「肉と卵買うて来てくれん?あとネギ」
「はぁ?今帰ってきたばっかりやないか、もう風呂入ってしもたし…」
「そげなこと言ーたって、影矢もう落ちちょーだら、鈴しかおらんやん、俺飯焚かないけんし(そんなこと言ったって、影矢もう落ちてるでしょ、鈴しかいないじゃん、俺飯焚かなきゃいけないし)…」
知が指をさした先には、ソファですうすうと寝息を立てている影矢がいた。鈴は彼の寝顔を見た後、がしがしと頭をかいた。
「ああもうわかった、行ったらええんでしょ、行ったら。わしだって疲れちゅーんじゃけど…(ああもうわかった、行ったらいいんでしょ、行ったら。俺だって疲れてるんだけど…)」
「あーあ、そげなこと言うやつには今日の晩飯はあげませーん」
「行かせていただきます知様」
鈴は帽子をかぶり、買い物袋をひっつかむと、すぐに出ていった。知は苦笑まじりにその後姿を見送ってから、米をとぐ。時計を見ると、短針は三を指していた。あと二時間もすれば、今度は朝食や弁当を作らなければならない。
忙しい毎日だが、あの殺伐とした日常に比べると、酷く退屈で、それと同時に、とても愛おしい日常に思えた。
〈黒狼〉からの依頼は、潜入や暗殺といったものはもちろん継続してあるが、一番多いのは、妖魔の討伐だった。
妖魔とは、簡単に言えば人を喰う化け物である。三人がこの妖魔討伐に抜擢されたのには、やはり彼らが「半分人ではないから」ということがあげられるだろう。
〈黒狼〉では、妖魔の中でも特に実力を持ち、上位に位置する者たち〈鬼〉の血の研究を行っていた。〈鬼〉の血を人間や獣に投与すれば、皆等しく妖魔と化す。彼らがそんな血の研究を進めたのは、自我を持たず、命令によってどうとでも動く兵器を作りたかったからで。まさか偶然にも、自我を持った半分だけ鬼の「半鬼」が生まれてくるとは、思ってもみなかっただろう。完全に想定外だったはずだ。
半鬼は、人の血肉を食らわず、数週間なら、眠らずともよい。それに加え、身体能力も、人間の頃に比べると桁違いの強さになる。だがその分、人間の力を越えた――半鬼としての力を使いすぎると、莫大なエネルギーを消費してしまうため、休息を余儀なくされてしまうのだ。
無論、彼ら三人が元〈黒狼〉の一員であること、そして人間ではないということは、絶対の秘密である。もし漏れれば、妖魔サイドからも人間サイドからも追われることになってしまうからだ。
――高校にて。
朝、がやがやとした教室に、担任が入ってきた。ジャージを着たその教員は、教室内を一瞥すると、ため息をついて、パン、パンと手を叩いた。空間が静まる。彼は口を開いた。
「ほーい、んじゃ今日は、転校生を紹介しまーす」
全く締まりのない声。この声によって居眠り者が続出するため、この教員――原澤は、生徒たちから『睡魔の使い手』と呼ばれている。だが、今日に限っては、『転校生』という特殊ワードに、皆が耳を傾けた。
「それじゃ、入ってこい」
カラカラカラ…と、教室のドアが開く。姿を現した時、皆が息をのむのがわかった。
高い位置で一つにまとめられた、亜麻色の長い髪。赤みがかった瞳。
世間で俗に言われる「美男子」が、そこには立っていた。
「初めまして、東雲蒼です」
しののめ、の部分にふり仮名を振って、原澤が黒板に書く。次の瞬間、黄色い声が上がった。イケメン、とか、かっこいい、とか。キャーキャー騒ぐ女子の中で、男子は面白くなさそうに彼を見つめている。影矢はその中、窓際の席でぼんやりと空を見上げながら、イケメン転校生って、このクラスで少女漫画でも始める気かよ、と、全くの他人事として考えていた。だから、その転校生――東雲蒼が「じゃあ、席はあそこで」と指さした先が、影矢の隣であることなど、全く想像もしていなかったのだ。
知と鈴が、ぎょっとして影矢のほうを見る。クラスも一瞬静まり返り、そしてまた次の瞬間、「えーっ、男子の隣~!?」と、不平不満の声が殺到した。原澤は全く無関心なふうに、「あそこでいいのか、東雲」と問うた。すると今度東雲は、またもや爆弾発言をぶち込んできた。
「はい、俺、あそこがいいです」
思わず、頬杖をついていた手から頭が滑り落ちる。ゴンッ、という鈍い音がして、机にしたたかに頭をぶつけた。うわぁ…と鈴と知が見ている中で、彼はいそいそと鞄を机の上に置いた。席につく。
「よろしくね、ええと…、田中さん」
さわやかな笑顔でそう言われたそれは、疑いようもなく自分の偽名で。影矢は心の中で盛大にため息をつきながら、「…はい」と返したのだった。
教科書や参考書を取り出し、引き出しにしまう。なるべく顔を見ないようにしよう顔を背けていた時、不意に、嗅ぎなれた臭いが鼻を突いた。
(…この匂いって――…)
――一日が、始まる。
「なあ、〈黒狼〉に『東雲蒼』ってやついたっけ」
帰り道に買ったドーナツをほおばりながら、影矢が突然尋ねた。
「東雲蒼って…あの転校生君の事か?」
鈴が問う。影矢はうなずくと、茶を一口すすった。知が眉をひそめながら返す。
「いや、おらだった思ーけど(いや、いなかったと思うけど)」
「だよなぁ、ってことはまた別の組織か…」
一人でぶつぶつと呟いている影矢にしびれを切らした鈴が「やけんど、なんでそがなん(でも、なんでそんなこと)」と尋ねる。影矢は顎に手をあて、それから腕組みをした。
「血の匂いがしたんだよ、あいつ」
「――血?」
知はいよいよ眉間にしわを寄せた。ああ、とうなずく影矢を見て、鈴はウエストポーチの中から、メモ帳を取り出した。ページをめくり、ボールペンで「東雲蒼」と書くと、話に耳を傾ける。
「それは、怪我しちゅーとかじゃのうて、か」
「多分。でなかったら、あんな染みついた匂いしねぇだろうし」
血の匂いを長い間浴びた人間からは、独特なにおいがする。長年あのにいたから、今ではすっかり、一度かげば人殺しかどうかも分かってしまうのだ。いいのか悪いのか…よくわからない。
「だとすら、東雲蒼が俺たち目当てであー可能性が高えだらーな…じゃなきゃおえなおえな席を指えたりしぇんだらーし(だとすれば、東雲蒼が俺たち目当てである可能性が高いだろうな…じゃなきゃわざわざ席を指したりしねぇだろうし)」
「想像はしたくないが…そうだとして、もしあいつがターゲットをすでに絞り込んでいるとしたら――」
地域、高校、学年、クラスまで、絞り込めているとしたら――。
悪い想像ばかりが頭に浮かぶ。
沈黙が流れた時、不意に、鈴がため息をつき、影矢と知の頬をつついた。拍子抜けして彼のほうを見る二人に、鈴はメモ帳のページをめくり、ある場所を見せて言った。
「ほら、見てみろよ、これ」
ボールペンで指されたその文字を見て、二人は目を丸くした。
そこには、〈枯木〉の文字と、『零番隊隊長 東雲蒼』の文字があった。
「〈枯木〉って…武装秘密警察の、あの〈枯木〉?」
「ああ。やき零番隊っていうがは、いつも後始末頼んじゅーところな」
〈枯木〉は、国が公表できないような犯罪や悪人をとらえる警察である。歴史の長い、古い謂れのある〈黒狼〉とは違って、各地の腕の立つ若者たちが集まって結成された組織が、〈枯木〉であった。当然、自分たち〈黒狼〉も、彼らの追う標的である。帯刀を禁止された今の時世にも、帯刀を許され、悪人を取り締まるのが、彼らの役目であった。
その中でも零番隊は、最も腕の立つ者たちが集まっている。影矢たちが討伐した妖魔の事後処理を行うのも、この零番隊だ。別名『沈黙の零番隊』。謎に包まれた隊である。局長、一ノ瀬克実と、副長、杠葉颯真に並ぶ実力者と言われているのが、この零番隊隊長、東雲蒼である、と、メモ帳には書かれていた。
「だども、あえつが零番隊隊長の名前を偽名として使ーちょー可能性だってあーがね」
「可能性、やろ。全部が全部最悪の状況だと確定したわけやない。まあもちろん、本物の東雲蒼やったとしても、安心できるわけやないが…」
「ほかの組織として考えるよりは、まだいいと」
鈴はうなずいた。知は頭を抱え、うーん、うーんとうなっている。影矢は「まあ」とつなげた。
「賭けてみる価値はあるんじゃねえか?そんな悲観的に考えなくても」
な、と、鈴と影矢が、説得するように知に言う。知はしばらく口をつぐみ、それからため息をついた。
「まぁ…賭けてみーか」
かつて最強と言われた三人。どんなことも冷静にこなし、より確実で、効率のいい方法を導き出す、そんなトップ3。
そんな彼らだって、可能性に賭けてみることもあるのだ。
続く