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「無音皇帝が生まれる日」
序章 消えた少女
夕暮れの空が淡いオレンジを流し込む放課後、校舎の裏で笑い声が響いた。
翠と悠人――
たった二人でも、世界が満たされるほどのカップルだった。
2人の出会いは突然だった。
まるで赤い糸で引き寄せられたように。
「ねぇ悠人、今日コンビニでさ、店員さんに“中学生じゃないの?”って言われたんだけど!」
「いや私、高校生なんだけど!? どんな見た目なの私!?」
「あっはは!!確かにお前チビだもんな〜!!笑」
「は?!最っ低!!」
そんな他愛もない喧嘩をして、くだらないことで肩を叩き合って、
そして時には、誰にも真似できないほど強い絆を見せつける。
教室では“夫婦かよ”と冗談を言われるほどだった。
そんな「普通」が、ある日突然、音もなく崩れた。
――翠が、行方不明になった。
悠人は放課後家に行った。
鍵は空いていた。
中に入ると誰もいない。いや、今まで誰も住んでいなかったかのような。
彼女の部屋は、時間が止まったように静かだった。
机の上のノートは昨日のまま、冷蔵庫には二人で食べるはずだったプリンが残っていた。
悠人はただ、呆然と家の襖に立ち尽くすしかなかった。
第1章 黒龍という影
その頃、この街では正体不明の連続殺人事件が起きていた。
残された痕跡の少なさから、世間では“黒龍(ブラックドラゴン)”の仕業ではと囁かれ始めていた。
黒龍――警察すら恐れる伝説の殺し屋組織。
幹部の姿を見た者はほぼいない。
構成員でさえ捕まっておらず、正体は完全に闇の中だった。
調査は続けられたが、翠の痕跡は一つも見つからなかった。
まるで、この世界から削除されたように。
その事実が、悠人の胸に黒い炎を灯した。
――黒龍。絶対に許さない。
第2章 10年後の悠人
翠の失踪から10年。
悠人は黒龍特務課――黒龍対策のために政府が設立した特別機関――の役員となっていた。
「また進展なし……か」
机の上に積まれた未解決資料を見つめ、悠人はため息をついた。
10年。
10年も探し続けて、収穫はほとんどゼロのまま。
けれど、ひとつだけ分かったことがある。
黒龍への入団は、ボス直々のスカウトのみ。
ボスに選ばれた者だけが組織に入る。
どんな基準なのかも、どうやって人材を見つけるのかも不明。
だが、その情報は特務課にとって最大の前進だった。
そんな中、上層部が突拍子もない作戦を提案する。
「――潜入捜査を行う。黒龍に、こちらから入団するのだ」
会議室がざわめいた。
「無茶すぎる……!」
「黒龍のスカウトを受けるなんてどうするつもりだ」
「そもそも誰が行くんだ!」
悠人は、迷わず手を挙げた。
「俺が行きます」
理由を聞かれなかった。
その眼に宿る確固たる意思が、全てを語っていたから。
――翠を、奪った組織だから。
第3章 “無音皇帝”の誕生
潜入のため、悠人の強化訓練が始まった。
眠る時間以外はほぼ訓練室。
手は銃の衝撃で腫れ、体術指導で痣だらけになった。
それでも悠人は一度も弱音を吐かなかった。
「……動きが静かだな。音がほとんどしない」
「銃撃も反応速度も異常だ。体で戦う方が得意なのか?」
いつの間にか、関係者の間で悠人には一つの異名がついていた。
“無音皇帝(サイレントエンペラー)”
強いのに、静寂。
一撃で無力化し、気づかれない。
その異名は、黒龍に届くための看板でもあった。
次は計画の第二段階――嘘の情報を世界中に流す。
「無音皇帝が日本に出た」
「彼の実力は黒龍の幹部に匹敵する」
「ボスが興味を示しているらしい」
世界を巻き込んだ“偽りの騒動”。
それでも悠人は、心の奥底で恐怖していた。
――本当に、黒龍は食いつくのだろうか。
――俺は、翠の場所にたどり着けるのだろうか。
第4章 黒い影との遭遇
ある夜。
任務の帰りに、悠人はいつものように裏路地を歩いていた。
風がビルの隙間を通り抜け、冷たさが肌を刺す。
その瞬間――
「……無音皇帝、か」
背後から、音もなく声がした。
振り返ると、漆黒のコートを纏った男が立っていた。
顔の半分が影に隠れ、どこまでも底の見えない瞳。
「最近、日本で噂になっている“無音皇帝”とは其方だな?」
鼓動が跳ねた。
噂じゃない。これは――本物だ。
男はゆっくりと一歩近づいた。
「其方、黒龍に入る気はないか?」
悠人は、静かに息を吸い込む。
来た――ついに、来た。
復讐のために、翠の真実のために、
10年かけて積み上げた道が、今ようやく黒龍へと繋がった。
悠人は、影の中でわずかに笑った。
「……案内しろ。」
その返事は、彼の未来を、世界を、そして悠人の運命を大きく動かすことになる。
――潜入捜査、開始。
――「黒龍の中心で再会した影」――
第1章 潜入開始
黒龍に潜入した初日、悠人は拍子抜けするほど驚いた。
「(ここが黒龍……)」
――黒龍は、思っていたより“普通の組織”だった。
黒い制服を着た構成員たちは、黙々と自分の仕事をこなし、
デスクでは資料整理や連絡管理が行われ、
設備は最新鋭で整えられ、無駄な血の匂いすらしない。
仮眠室や食堂、トレーニングルーム、なんでも揃っている。
でも1つ変わっているところといえば、ここにいる人たちは不思議な会話をしている。
ある人は仕事の会話、ある人は組織の話。
ここでの殺しはただの任務でしかないのだ。
ただし、その「普通」の裏に、とんでもなく精密な構造が潜んでいた。
黒龍には七つの部隊があり、
“数字が小さい部隊ほど強く、役割も重い”。
そしてその七部隊をまとめるのが、七人の幹部。
処理役、隠蔽役、片付け役、補給役、護衛役……
どの部隊にも何種類も役職があり、それぞれが何重にも噛み合って動く。
――だから、黒龍の秘密は誰も掴めなかったのだ。
情報は完璧に細分化され、
誰一人として全体像を知らないように作られていた。
そんな中、悠人が配属されたのは第六部隊。
決して弱い部隊ではないが、幹部に最も遠い部隊でもあった。
第2章 息の詰まる日々
潜入してからの悠人の毎日は、ひたすら緊張の連続だった。
小さな部屋で、ひっそりと情報を外部に送る。
その度に、心臓が喉を打ち、背中に冷たい汗が伝う。
――怖い。
――けれど、やめるわけにはいかない。
翠を失った10年。
あの喪失を乗り越えるために、ここまで来た。
破滅覚悟の潜入であっても、後悔はひとつもなかった。
第3章 対面会議
潜入から1ヶ月後、ついに“対面会議”が行われることになった。
全ての部隊が一つの大きな会議室に集まる、黒龍でも珍しい日。
つまり――
他の部隊の幹部と初めて顔を合わせる日でもある。
構成員たちが整列し、それぞれの幹部が前に立った。
その瞬間。
悠人の視界に、ある幹部の姿が飛び込んできた。
――1番部隊の幹部。
フードを深くかぶり、顔はほとんど見えない。
腰まで届くほどの黒髪が、フードの隙間から静かに揺れている。
ただ、ほんの一瞬の横顔。
そのライン、その仕草。
悠人の胸が強く締めつけられた。
「……翠?」
無意識に呟いていた。
ありえない。
でも、愛していたからこそ、わかってしまった。
自分の心が先に答えを出していた。
そんな時だった。
その1番部隊の幹部が、ふと顔を上げた。
黒い影の奥から、まっすぐにあかりを見る。
二人の視線がぶつかる。
一瞬だけ――
幹部の表情が、驚きに揺らいだ。
ほんの一瞬。
すぐに無表情に戻ったけれど、その一瞬で十分すぎた。
確信した。あれは翠だ。
胸の奥に眠っていた10年分の感情がざわめき、喉の奥が熱くなった。
――なぜ。
――どうしてここに。
答えのない疑問が、刃のように胸を刺した。
第4章 夜の本部
その日から、悠人は“1番部隊の幹部――翠”を追う毎日になった。
だが1番部隊は黒龍の最重要戦力。
幹部は常に任務で飛び回り、本部に帰るのは深夜のわずかな時間だけ。
寮はどの部隊も夜には完全に休息モードに入り、
会えるチャンスはほとんどない。
だから悠人は、人目を避けるために、
深夜のトレーニングルームで“自主練”しているふりをしながら待つことにした。
灯りの少ない本部で、夜風が冷たく吹き込む。
その時――
複数の足音が廊下の奥から響いた。
1番部隊が帰ってきた。
耳が自然と傾き、鼓動が跳ねる。
幹部の声が聞こえた。
「……全員、今日の報告書は明朝までに。休んでいいよ。」
低く、乾いた声。
けれどその響きは、悠人が何度も一緒に笑った“翠”の声と同じ音色だった。
――本当に……翠なのか?
記憶と現実が混ざり、頭がぐらぐらした。
やがて部下たちは寮へ戻り、幹部だけが一人で廊下を歩いていった。
悠人は距離を保ちながら、その背中を追った。
向かった先は――
黒龍のボスの部屋。
悠人は扉の外で息を殺し、耳を当てた。
第5章 黒龍の中心部で
扉越しに、翠の声が聞こえた。
翠「ボス。依頼された5つの組織の壊滅、完了いたしました。」
悠人の指先が震える。
――5つの組織?
それを……一日で?
ボスは愉快そうに笑った。
ボス「よくやった、翠。やはりお前は素晴らしい。俺が育ててやっただけあるな。明日も頼む。1番信頼しているぞ。」
翠「ありがとうございます。」
その声は穏やかで、誇らしげで……
どこか嬉しそうだった。
続けて翠が尋ねる。
翠「ボス。明日は何を致しましょう?」
ボス「明日はこの4つだ。全員殺っちまえ。楽しんでこい。」
翠「仰せのままに。」
その“楽しそうな声”に、悠人は息を飲んだ。
――これが……翠の本性なのか?
胸の奥が、引き裂かれるように痛んだ。
そんなはずない。
俺は知ってる。翠は……そんな奴じゃ……
信じたい。
けれど、目の前の現実は残酷だった。
気づけば足が勝手に動いていた。
悠人はその場から離れ、早歩きで寮に戻った。
息が乱れ、胸が苦しい。
涙なのか汗なのか、顔を拭っても止まらない。
頭の中を支配するのは――
信じたくない真実と、信じたい過去。
その狭間で、悠人の心はゆっくりと軋んでいった。
――「狂気の再会と、迫る影」――
寮に戻った悠人は、震える指で胸を押さえながら必死に呼吸を整えていた。
(……なんで……あれが…翠なのか……?)
混乱で頭が痛む。
怖くて、悲しくて、信じられなくて。
感情が噴き出す寸前だったその時――
コン、コン。
寮のドアがノックされた。
嫌な予感が、背中を走った。
「こんばんは、六番部隊のルーキーさん。開けてくれない?久しぶりに話をしよう!」
――翠だ。
声を聞いただけで喉がひゅっと縮まる。
開けるべきか、開けないべきか。
迷いが胸の奥で渦巻いた。
(……殺されるかもしれねぇ)
そう思った。
でも同時に――
(それでも、聞かねぇと…。翠が……どうしてこんな場所にいるのかを。)
震える手でドアノブを回す。
ゆっくり開いた扉の向こうにいたのは、
昔のままの姿で、
けれど昔とはまるで違う“狂気”を宿した翠だった。
「何だよ……」
悠人が言うと、翠はふっと柔らかく笑った。
「久しぶり!良かったら話さない?」
その笑顔は、形だけは懐かしいのに――
目にだけ、光がなかった。
部屋に入った翠は、まるで昔の放課後みたいに気軽に座り込む。
「いやー、この前の会議で悠人を見つけてビックリしちゃった!」
「俺も……お前が1番部隊の幹部だなんて、思わなかったよ……」
会話は昔と同じ調子なのに、
翠の表情はどこか作り笑いで、目だけが笑っていなかった。
沈黙が落ちる。
気づけば、悠人の口が勝手に動いていた。
「翠……なんで、こんなところにいるんだよ……」
その問いに、翠はゆっくりと唇を歪めた。
――『楽しいからかな。』
その声は、恐ろしいほど軽かった。
そして翠は語り始めた。
翠の声は淡々としていた。
まるで他人の人生を話しているように。
「小学校の頃、好きでもない男の子が私のこと好きだって言ったせいで、あの女の子に睨まれてさ。あれが始まりだったんだよね」
いじめ。
無視。
机に入れられるゴミ。
家に帰れば、あざだらけになるまで殴られる日々。
翠の両親――いや、翠が言うには“両親だった存在”は、彼女を道具のように扱った。
「でもね、ある日プツンって切れちゃったの。気づいたら……終わってた」
その日のことを、翠は笑って語る。
ぞっとするほど平坦に。
「街の人は事故だって言ったけど、あれ、全部私が偽装したの。血の匂いが消えるまでずっと洗ってね、完璧にやったよ?」
悠人の背筋が凍る。
そして翠は中学の話に移った。
部活でキャプテン。
周囲からの理不尽ないじめ。
顧問の怒号。
笑う部員たち。
そして――
「信じてた親友も、裏では笑ってた。」
その瞳は、少し潤んで見えた。
「…翠……俺……」
「いいよ、今さら。どうでもいいから。」
悠人の心臓が潰れそうになる。
その後も理不尽は続き、濡れ衣を着せられ、誰からも祝福されず終わった中学生活。
「みんな私を悪者にするの。だから思ったんだよね。“どうせなら本当の悪者になってやろう”って」
その言葉が、翠という人間の終わりで、
1番部隊の幹部の始まりだった。
「殺し屋を始めたら楽しくてさ。そしたら黒龍の人が声かけてくれて。嬉しかったなぁ……初めて、私を“役に立つ存在”って言ってくれたんだよ?」
翠はうっとりしたように笑った。
「ここではね、私をちゃんと見てくれるの。苦しんできた人ばっかだし、家族みたい。天国みたいなんだよ?」
――その天国のために、多くの命が奪われているとも知らずに。
いや、知っていて――喜んでいる。
「ボスに言われたんだ。“本格的に教育したいから、学校なんてやめてこい”って。もちろん喜んでしたよ」
翠の瞳には、絶対的な“信仰”が宿っていた。
そこまで聞いた時、
悠人は胸が苦しくて、息ができなかった。
翠が壊れてしまった理由がわかるから。
そして何より、悠人は何も知らなかった。
自分は翠の全てを知った気になってた。
それが余計に苦しかった。
けれど話はそこで終わらなかった。
その瞬間。
ガチャリ――。
何の前触れもなく、部屋の扉が開いた。
黒いロングコートを着た男が、一歩、部屋に入ってきた。
その存在感だけで、空気が一瞬で凍りつく。
「あーあ……やっぱりここに来てたか、翠」
ボスだ。
悠人の身体が本能的に震えた。
「(くそっ……バレてたか…!)」
ボスはゆっくりと悠人へ視線を向ける。
「なぁ、六番の新人。――お前が潜入捜査官だってこと、俺が知らないとでも?」
息が止まった。
翠の顔色が変わる。
悠人を見る目が揺れ、何かに怯えるようにも見えた。
だがボスは続ける。
「殺す気はねぇよ。雑魚を殺しても意味がない」
その“雑魚”という言葉に、悠人は唇を噛む。
「ただし――」
男の声が落ちる。
「お前は今日から、1番部隊の支配下だ。……逃げられると思うなよ?」
悠人の胸が凍りつく。
「翠。こいつを連れていけ。お前の隊に移す。教育は任せる」
翠は一瞬だけ迷ったように悠人を見たが、すぐに頭を垂れた。
「……仰せのままに。」
ボスが立ち去ると、部屋に残ったのは
沈黙と、驚きを隠せない悠人、そして――
ゆっくり、ゆっくりと狂気を浮かべる翠だった。
翠は、かつての恋人へ向けて微笑んだ。
「……悠人。これからよろしくね?」
その声は、甘くて、優しくて。
でも底なしの闇が広がっていた。
こうして悠人は、黒龍の中心――1番部隊へ足を踏み入れる。
逃げられない場所へ。
翠の闇に最も近い場所へ。
次の日──
悠人は1番部隊の任務に同行することになった。昨夜、ボスから告げられた「お前は今日から1番部隊の支配下に置く」という言葉がまだ胸にこびりついて離れない。
黒龍のアジトを出れば、もう誰も助けてくれない。連絡を取ることすら許されない。
“潜入捜査官としての自分”は昨日死んだ。
どこにも帰る場所はない。
任務現場についた瞬間、悠人は翠の“本当の姿”を目撃することになった。
同じ方向を見ているはずなのに、翠の動きだけが異様だった。
空気を裂くように速い。
気配も、足音も、息遣いすらも残さない。
悠人が一歩踏み込む間に、翠は七歩も八歩も進み、敵の背後に回り込んでいた。
そして──その瞬間、悠人は見てしまった。
敵が倒れるわずかな刹那、翠の顔には、うっとりとした笑みが浮かんでいた。
楽しそうで、嬉しそうで、まるで長年の趣味をしている時のような無邪気な表情だった。
悠人の喉が乾いていく。
あれが…本当に、自分の知っている“翠”なのか。
任務が終わり、帰り道。
「(どうにかして本部に情報を送る方法を考えねぇと…)」
落ち着かない鼓動を必死に押さえながら歩いていた悠人に、翠は突然横から声をかけた。
「──ねぇ、悠人」
「まだ本部に連絡しようとか考えてる?」
悠人は反射的に肩を跳ねさせた。
心の奥を覗かれたようで、身体が凍る。
翠は無邪気な声で続きを話した。
「無駄だよ。だって……」
あの夜、悠人の部屋に来た夜──
「黒龍特務課は、あの日にもう全部始末したからね」
時間が止まった。
「は……?」
「だからもう、黒龍を調べる人も、邪魔する人もいないの。全部、綺麗に消えちゃった」
悠人の指先が震えた。
息が止まりそうだった。
“そこまでするのか”
じゃない。
“ここは、元からそういう世界だった”のだ。
翠が軽く笑う。
「おめでとう、悠人。正式に黒龍のメンバーだね」
その声はあまりにも優しくて、残酷だった。
かつて恋人を救うために努力して、
正義の味方になりたいと願った男は──
今や正反対の位置に立たされている。
そして、そのまま連れて来られたのは、黒龍の奥にある“地下施設”だった。
鉄と血の匂いが混じり合う、最悪の部屋。
そこには、組織を裏切ろうとした部下たちが拘束されて並べられている。
壁には鞭。
床には拭いても消えない黒い染み。
翠は悠人を横目で見て、小さく笑った。
「今日はね、悠人の“初めて”の日だから。特別にお手本見せてあげる」
手に取った黒い鞭は、まるで翠の体の一部のようにしなった。
そして振り下ろす瞬間──
翠の顔は、これまで悠人が見たどんな表情よりも残酷で、楽しそうだった。
瞳が輝いていた。
頬が熱を帯びていた。
笑顔は歪んでいるのに、とても自然だった。
“ああ、本当に楽しんでる──”
理解した瞬間、悠人の足がすくんだ。
鞭が床を叩く音が小さく響く。
「はい、次は悠人だよ。やってみよっか」
翠は優しげな声音で言う。それが逆に怖かった。
悠人の手は震えて、鞭を握る力も入らない。
足も動かない。
胸が苦しくて呼吸すらできない。
「(違う……俺は……俺は!!)」
ついに悠人は叫んでしまった。
「──俺の知ってる翠はそんな性格じゃねぇ!!」
「なんでだ……!どうしてだよ!!」
声はしゃがれ、汗は止まらず、床に落ちて小さな染みをつくった。
翠は悠人の姿を、しばらく眺めたあと──
ゆっくりと、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「あれ、私の嘘だよ?」
悠人の世界が崩れた。
目の前の少女は、
もう二度と戻らない“恋人”だった。
「は……?」
翠の口からこぼれた「全部嘘」という言葉を、悠人はまだ受け止められずにいた。
いや、受け止めたくなかった。
受け止めてしまったら……
自分が今まで信じていた“翠”が全部壊れる気がした。
壊れてしまったら──
もう自分は立っていられない。
震える声で、悠人は問う。
「……どういうことだよ……?」
翠は、まるで退屈な質問に答えるように軽く首を傾げた。
「そのまんまの意味だよ?」
笑顔は相変わらず狂っていて、瞳は底抜けに静かで、それが逆に悠人の心臓を冷たく締めつけた。
「だからさ。悠人が見てた“私”は全部仮面。
あの頃の私は──“悠人の望む翠”を演じてただけ」
淡々とした声。
自分の感情を語っているのに、感情が一滴も乗っていない。
悠人は言葉を失う。
翠は微笑む。その笑顔は、優しさではなく“捕食者”のそれだ。
「でもね、もう演技はいらない。ここは黒龍。
本物の私でいられる唯一の場所なんだよ」
翠は悠人の手を掴んだ。
逃げられないように、優しく触れるのに絶対離さない手で。
「だから悠人も……私の“正しい場所”に連れていってあげる」
囁きは甘くて優しいのに、意味は逃げ場のない監獄そのものだった。
「心配しなくていいよ。私が全部教えてあげる。
悠人がうまく殺せなくても、
怖くても──泣いても、逃げても、震えても」
翠はゆっくりと嗤った。
「全部、私が“飼って”あげるから」
その瞬間、悠人は理解した。
もう“恋人”として扱われていない。
翠にとって自分は、
管理されるもの。躾けられるもの。逃げられない所有物。
胸の奥でなにかが軋み、ゆっくりと折れていった。
⸻
翠はふっと表情をゆるめる。
悠人の前にいながら、まるで別の世界を見ているようだった。
「……ねぇ、私ね。自分でもよく分かんないんだ。
どうしてこんなふうになったのか」
淡い声。
昨日も聞いた過去の話。
けど、昨日とはまた違う。
残酷な思い出を語るのに、まるで他人事。
「小さい頃はさ、ずっと殴る音が聞こえてた。
お父さんがお母さんを殴る音。
お母さんが泣きながら私を叩く音。
愛なんて……感じたことなかった」
懐かしむように笑う。
それは普通なら恐怖に震える記憶のはずなのに。
「だから、小学校は期待したんだよ?
“ここなら普通になれる”って」
でも現実は違った。
「くだらない理由で怒鳴られて、殴られて……
私、そんな強くないからさ。普通に傷ついた」
翠の語り口は淡々としている。
痛みすら過去の写真の一つのように、無造作にめくられていく。
「中学に上がったら、前にいじめてきた子たちは私立に行ったから……
なんとなく平和が来ると思ったのに」
笑った。
その笑顔は、どこか空っぽだった。
「部活でも毎日理不尽に怒られるし、部員には笑われるし、
濡れ衣も着せられるし……」
「信じてた“親友”にも裏切られるしね。
あれはさすがに……堪えたよ?」
“親友”という言葉のところだけ、翠の声が少しだけ低くなった。
翠は静かに続ける。
「毎日、心のどこかが “ボロッ” って崩れていく音がした。
なんで私だけ?って常に思ってた」
「みんな私を悪者にする。
だから……いっそ本当に悪者になってやろうって思った」
翠は目を細め、あの時の快楽を思い出している。
「初めて人を星にした時ね……すっごく気持ちよかったの。
今まで味わったことない幸福だった」
「自分、人間じゃなかったんだなぁって思った」
全て静かに、優雅に。
彼女にとってはアルバムの1ページをめくるような、懐かしい思い出話。
「もちろん、悠人と過ごすのは楽しかったよ?
“普通の女の子”ってこういう感じなんだって知れたし」
「でもね……」
瞳が細められ、冷たい光が宿る。
「足りなかったんだよ。
どれだけ笑っても、どれだけ話しても、
心の奥は全然満たされなかった」
ゆっくり視線が悠人に戻る。
「──だからね。
これからは人で“満たす”ことにしたの」
触れるだけで壊れそうなほど優しく、翠は悠人の頬に触れた。
「泣いても叫んでも、全部私がしつけてあげる。
ちゃんと“私のもの”として育ててあげるよ」
その声は、愛の告白に近かった。
けれど意味は、地獄そのものだった。
悠人は何もしゃべれなかった。
本当に、全部知らなかったから。
悠人は翠に“飼われる”日々に飲み込まれていた。
拷問室。訓練室。
そして、無音の部屋での“矯正”。
翠は決して怒らない。
悠人が怯えても、震えても──
ただ静かに、優しく、狂気を含んだ声で囁く。
「大丈夫。悠人は私が守るから。
私の言うとおりに生きてれば……もう傷つかないよ?」
優しさに見えるそれは、
逃げられないように首輪を締める手つきと同じだった。
悠人は、何度も何度も限界まで追い詰められ、
自己嫌悪や罪悪感に押し潰されかけた。
だけど──
壊れきらなかった。
いや、壊れたように“見せた”。
どれだけ擦り切れても、
悠人の中にはひとつだけ、消えない願いが残っていた。
──翠を助けたい。
こんな道に行くはずじゃなかった翠を取り戻したい。
その一心が、悠人をぎりぎりの場所に留めた。
だから悠人は、表では壊れていくふりをした。
目の焦点をぼかし、返事を遅らせ、息を浅くして。
精神崩壊した“飼われた犬”の演技。
翠は満足そうに笑った。
「うん……いい子になってきたね、悠人」
その笑顔は恐怖そのものなのに、
どこか寂しげにも見えた。
⸻
ボスはその変化を遠くから見ていた。
まるで上質な劇を観賞するかのように。
「あいつ……本当に壊しやがったか。
面白ぇな、翠は」
翠が悠人を連れて報告に来たある日。
悠人は俯き、声を失ったふりをしていた。
ボスはニヤリと笑い、膝を組む。
「いい顔してるな、六番のルーキー。
“飼われてる男”って感じだ」
「(なんだこの威圧感……)」
悠人の肩が小さく震える。
それすらボスには良い見世物だ。
「翠、さすが俺の最強の娘だ。
なぁ……そいつ、どこまで壊せる?」
翠は少し考えて、淡々と答える。
「壊すのは簡単です。でも……」
ボスが片眉を上げる。
「壊すより、育てる方が楽しいですよ。
悠人は、ちゃんと従順になりますから」
それを聞いたボスは笑った。
「あー、そう来たか。
お前は本当に歪んでるな、翠」
翠は微笑むだけだった。
しかしボスだけは気づいていた。
翠の瞳にほんの一瞬だけ、
揺れ が走ったことを。
⸻
深夜、定期検査のため悠人の部屋に来た。
一通り検査を終わらせたあと、ふと悠人に目がいった。
寝ている。
翠は寝ているふりをする悠人の髪を指先で撫でる。
その表情には、優しさと狂気と虚無が混ざっていた。
(悠人は……強いなぁ)
悔しがって、暴れて、抵抗して、
それでもまだ諦めずに私を見てくる。
普通なら、もう折れているはずだ。
(だけど……可愛い)
自分だけを見上げ、
自分だけに怯え、自分だけに依存する悠人。
完璧な“飼い犬”。
翠の理想の“所有物”。
……しかし。
心の奥底で小さな違和感が刺さる。
(なんで……こんなに満たされないんだろう)
壊して、躾けて、支配して。
それでも、胸の奥の空虚は埋まらない。
悠人を見ながら、翠はぼんやり思う。
(足りない……何が?
悠人が悪いの? それとも……私?)
その疑問に気づかぬふりをして、
翠は悠人の肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、悠人……私がついてるから
前、言ってたよね。“翠と一緒ならなんでもできる”って。」
優しい声。
けれど、それを聞いた悠人は悔しそうな顔をした。
「くそッ……。」
翠には聞こえない小さな声だった。
⸻
悠人は深夜、翠が寝静まったあと
布団の中で息を殺して涙を流した。
泣くなんて何年ぶりだろう。
悠人は基本おちゃらけたキャラなので泣くなんてことはなかった。
ここに来て、翠に飼われてからも絶対に泣かないと頑張ってきた。
けど、翠との思い出を振り返っていたら、涙がでてきた。
精神は崩れかけていた。
正義も未来も、もう見えない。
でも。
翠だけは、見捨てられなかった。
「……絶対に……戻してやる……
あの頃の……翠に……」
声にならない声で誓う。
心の奥で、
まだ“あの頃の笑顔の翠”が生きていると信じていた。
翠が殺し屋になる前の、
不器用で、泣き虫で、優しくて、愛おしかった翠。
「俺が……取り戻してやる……」
闇の中で、悠人の目がゆっくりと開く。
恐怖と狂気の中で、
唯一残った強い光だけが宿った瞳。
その光は、翠に向かう最後の救いだった。
翠に“飼われた”ふりを続けながらも、
悠人の内側では別の歯車が静かに動き始めていた。
──翠の過去をもっと知る。
どうしてここまで歪んだのかを。
救うための手がかりを。
それが、いま自分に残された唯一の役目だと信じて。
しかし黒龍は、悠人に自由な行動などほとんど許さない。
監視、報告、訓練。
1番部隊に移されてから、行動は全部翠の支配下。
けれど、夜中だけは違った。
翠は絶対的な強さゆえか、警戒心が薄い。
寝ている時だけは、悠人の動きに気づかない。
悠人は深夜、部屋を抜け出し、
翠の個室──幹部用の部屋へ向かった。
鍵はかかっていない。
(……不用心だな。
それとも……俺を試してるのか?)
ドアを静かに開けると、
そこは驚くほど物が少ない部屋だった。
ベッド、机、武器棚。
個人的な物はほとんどない。
唯一、机の引き出しの奥から小さな箱が出てきた。
古い、安っぽいアルバム。
(……これ……)
開くと、
幼い翠の写真が並んでいた。
笑っている写真は、ほとんどなかった。
さらにページをめくると──
学校の写真。
部活の写真。
そして最後のページ、黒く塗りつぶされた一枚。
(誰だ……? …)
黒塗りの下に、別の女の子の輪郭だけが見えた。
その瞬間、背後の空気が揺れる。
「──何してるの?」
心臓が止まった。
振り向かなくてもわかる。
翠が立っている。
声は静かだったが、怒りではない。
“確かめに来た” という温度。
悠人は震える声で言った。
「……お前のこと……知りたかった、だけだ……」
翠はゆっくり歩み寄り、
悠人の手からアルバムを取り上げた。
「ふぅん……」
頁を閉じ、軽く埃を払う。
「ねぇ、悠人」
笑った。
けれどその笑顔の奥に、
わずかな警戒と興味が滲んでいた。
「まだ……抵抗する気、ある?」
悠人の喉がひくりと動く。
翠は悠人の頬に触れる。
優しいが、逃げられない手。
「最近の悠人……ちょっとおかしいよ。
壊れたふりはうまいけど、
根っこのところは折れてない」
耳元に囁く。
「救おうとしてるでしょ? 私を」
──見抜かれている。
悠人は返事ができなかった。
身体が震える。
翠はため息をつき、
悠人を引き寄せた。
「……悠人は本当に優しいね。
でもその優しさ、すぐ死ぬよ?」
瞳の奥に、翠を壊したい感情と、
壊したくない感情が混ざって揺れていた。
その瞬間、扉がノックされた。
「翠幹部。ボスから連絡です。」
部下の声だ。
翠は悠人から手を離し、いつもの無表情に戻った。
「……仕方ない。続きは後でね」
そして悠人に向き直る。
「準備して。
明日、任務だよ。遅れないようにね。」
⸻
翌日、悠人は1番部隊と共に任務地へ向かった。
ターゲットは小さな闇金組織。
黒龍に逆らった報復だ。
翠は悠人の手にナイフを渡す。
「大丈夫。簡単なのにする。
悠人でも……できるよ」
優しい声が、逆に底冷えする。
建物に侵入すると、
1番部隊は影のように敵を始末していく。
血が飛び散り、
悲鳴を上げる暇も与えず命が消えていく。
悠人の頬に1粒の汗が流れた。
(……殺したくねぇ……嫌だ……でも……)
翠が後ろに立っている。
逃げれば殺される。
いや――それよりも。
(──翠を……救う……)
その一心が、恐怖を押し殺す。
ターゲットの一人を悠人の前に投げ出し、
翠は囁いた。
「いいよ。悠人。
やってみて?」
手が震える。
ナイフが汗で滑りそうになる。
(できねぇ……無理だ……)
でも。
(翠を……)
悠人は歯を噛み締め、
ナイフを胸に突き立てた。
血が飛び散る。
手が震え、呼吸が荒くなる。
その姿を翠はじっと見つめ、
口元をわずかにゆるめた。
「……うん。
いい子になってきた」
その言葉は、褒め言葉なのに、
悠人の心は締めつけられた。
“いい子”になりたいわけじゃねぇ。……
ただ、
お前を戻したいだけなんだよ。
⸻
帰り道。
翠はふいに悠人の手を握った
「ねぇ、悠人。
本当に救おうとしてるならさ……」
悠人は息を呑む。
翠は笑った。
「壊れる覚悟、ある?」
血の匂いの中で、その言葉は
甘くて、残酷で、逃げられない罠だった。
悠人は、翠の過去を調べ始めた。
深夜の廊下、組織の資料室、捨てられた古い端末。
1番部隊に入ってしまえば情報へのアクセスは多少増える。
さすがは世界最恐の組織。裏切られないためでもあるだろうが、文句がないぐらいみっちり個人情報が調べあげられていた。
“黒塗りの少女”
──あのアルバムに写っていた、顔を塗りつぶされた人物。
翠はただの他人にそんな加工はしない。
過去を抹消したいほどの 強い感情の相手。
いじめではない。
親でもない。
ただの同級生でもない。
調べを進めるうちに、
ひとつの名前が浮かび上がってきた。
「佐伯ひより」
翠と同じ中学校。
同じバレー部。
成績優秀で、穏やかで、教師にも部員にも好かれていた女の子。
──そして、1年の途中で突然転校した。
その後の記録は一切ない。
(……消されてんな。データごと)
普通の生徒にそんなことは起きない。
つまり。
翠が“何かした”のだ。
悠人は震えた。
(……ひよりって人が……翠の……?
でも、どうして……?)
もっと深掘りしないと、翠は救えない。
そして──
恐れていた結論に触れてしまう。
“その少女は、翠が初めて殺した相手だった”
記事の残骸。
地域で起こった“行方不明事件”。
近所の証言はすべて曖昧。
けれど点と点を繋げれば、
ひとつの線にしかならなかった。
(……あいつは……ひよりを……)
でもこの前は親が初めてかのような話をしていた。
でもあれは違った。
親より前に1人殺していたのだ。
そこで快感を覚えてしまった。
だから次に親を殺し、そのまま殺し屋へ。
胸が締めつけられた。
でも、逃げなかった。
(翠を……救うって決めてんだ……)
⸻
数日後。
悠人は意図的に部隊から離れ、
翠が一人になる時間を作り出した。
倉庫の裏、音の響かない冷たい部屋。
いつもは武器庫として使われている無機質な空間。
翠が姿を見せる。
「……なにしてるの、悠人」
悠人は逃げず、真正面から翠を見る。
「……お前の、過去──全部、調べた」
翠の表情がすっと無音で変わる。
笑わない。怒らない。驚かない。
ただ冷たく、深く沈むように眼差しが落ちていく。
「……そっか」
翠はゆっくり扉に鍵をかけた。
カチン、と金属が冷たく光る。
「じゃあ……話さなきゃね。
全部──聞きたいんでしょ?」
⸻
照明は弱く、翠の影が床に長く伸びた。
「ひよりのこと、知ったんだね」
悠人は頷く。
翠は壁にもたれ、静かに語り始めた。
「ひよりは……私の“唯一の光”だった。
誰にも優しくて、私みたいなゴミにも微笑んでくれた」
声が淡々としている。
愛情の色はない。
ただ事実の羅列。
「……でもね。
優しさって、時々……残酷なんだよ?」
目がゆっくり悠人へ向く。
その瞳には“人の感情”がなかった。
「ひよりは私を救うために近づいてきたんじゃない。
“可哀想な子”を飼いたかっただけ。
自分の優越感のためにね」
口元がゆっくり歪む。
「……だから殺した。
あの子の“愛ごっこ”が──気持ち悪かった」
悠人の視界が揺れる。
心臓がドクドク鳴り、吐き気が込み上げる。
翠は続けた。
「その時にね、私、“人を殺すのってこんなに気持ちいいんだ”って知った。
あれは……たぶん、生まれつきなんだよ。
私は最初から、人を愛せない」
階段を転がるように、本音がこぼれていく。
「家族に殴られたからじゃない。
いじめられたからでもない。
ただのきっかけでしかない」
翠は胸に手を当て、微笑んだ。
「私ってね……
最初から壊れてたんだよ。生まれた瞬間から」
その笑顔は、
神に見捨てられた堕天使のものだった。
優しさの欠片もない。
ただ純粋な“闇”。
「仮面なんて最初から被ってないよ?
ただみんなが勝手に勘違いしただけ」
そして歩き寄り、悠人の顔を覗き込む。
「ねぇ、悠人。
あなたは──私を救えると思う?」
声に優しさの形をした“残酷さ”が混ざる。
⸻
翠の本音は、悠人の心に鋭く突き刺さった。
救いたいと思っていた相手が、
救われる未来を望んでいない。
光どころか、
手を伸ばしたら自分まで奈落に引きずり込まれる存在。
悠人の頭がガンガン痛み始める。
呼吸が浅くなり、意識が白く霞む。
(無理だ……もう耐えられねぇ……)
翠が耳元で囁いた。
「壊れていいよ。
悠人は私に壊されるためにここに来たんでしょ?」
その瞬間、
悠人の心が折れかけた。
本当に、このまま壊れたほうが楽だ。
でも──
(……お前は……本当は……)
ひよりの笑顔。
自分を“可哀想な子”として見ていたわけではない証拠。
残されていたメモ。
助けようとしていた記録。
全部、調べた。
「……あの女は……お前を道具なんかにしてなんかいねぇよ……」
悠人の声は震えている。
「お前を……救おうとしてたんだよ……
ほんとうに……!」
翠の目が揺れた。
狂気と闇の奥で、わずかに“人間”が震えた。
ほんの一瞬。
けれど、その一瞬にしがみつくように、
悠人は堪えた。
“壊れなかった。”
⸻
翠はゆっくりと瞼を閉じた。
そして小さく呟いた。
「……悠人。
どうして……そこまで私に執着するの……?」
悠人は呼吸を整え、息を吸った。
「……お前が……苦しくて泣いてるのが、
俺には……わかるから……」
翠の表情から、笑顔が完全に消えた。
闇だけが残っているのに、
その闇がわずかにひび割れたように見えた。
翠はあの日以来、妙に静かだった。
倉庫での会話は、
悠人の心を引き裂くほど残酷だったはず──
悠人の言葉が、
なぜか胸の奥でひっかかって離れない。
『お前が……苦しくて泣いてるのが、
俺には……わかるから……』
理解できない。
嫌悪すべき言葉のはずなのに、
脳の奥にこびりついて抜けない。
翠は自分の胸に手を当てた。
「……なんで……?」
胸が、
“痛い”。
翠にとって“痛み”は快感に分類される。
けれどこれは違う。
もっと、重たくて……あたたかい。
気づけば、悠人の顔が思い浮かんでしまう。
(あの子……もうダメかな。
壊れてなければいいけど……)
そんな“心配”にも似た感情まで湧き上がってしまい、
翠は自分で自分に嫌悪した。
(……ふざけないでよ。
私が……私が、人なんかに……)
頭を振る。
「……悠人、ほんとに危険だよ……」
その危険は“組織的な意味”ではなく──
翠自身の心を揺さぶる、“致命的な危険”。
⸻
その日の夕刻。
ボスが翠を呼び出した。
悠人は部屋の前で待機を命じられ、
扉の向こうから聞こえる声に耳を澄ませる。
「──翠。
お前、最近……妙だな?」
翠「別に。何も変わってないですよ?」
ボスは低く笑う。
「変わっていないと言うのは、変わっている証拠だ」
沈黙。
ボスは続けた。
「お前の目が変わった。
“飼い犬を見る目”じゃなくなってきてる」
翠は少しだけ肩が揺れた。
ボス「……あの男が原因だろう?」
部屋の外で聞いていた悠人の心臓が跳ねた。
(……は……?)
翠がゆっくり言う。
「……あいつは、ただの玩具。
壊すまでもないただの弱い子」
ボス「嘘をつくな。お前ほどの怪物が嘘を下手にするな」
空気がぴり、と凍る。
ボスはため息をついた。
「翠。
あの男は……お前を“壊す側”だ」
翠の目が細くなる。
「……意味がわからないですね」
「わからなくていい。
あいつを“試す”必要がある」
ボスの声は冷静で、処刑を語るように淡々としていた。
「次の任務。
あの男を囮に使う。
失敗すれば死ぬ」
悠人の呼吸が止まった。
(……囮……?)
翠は即座に言う。
「反対です。
あいつはまだ使い物にならない。」
「使い物にならなくていい。
死ぬか、生き残るか。
どちらでも“結果”になる」
翠の眉がわずかに動いた。
ボスは翠の背中に手を置く。
「翠。
お前が大切にし始めたものは……どんどん壊していくんだよ。
でないと、お前という“怪物”が鈍る」
その言葉に、翠の心がぐらぐらと揺れた。
……大切?
悠人?
違う。
違うはずなのに。
胸が苦しい。
「……命令に従え。」
重い鎖のような言葉だった。
⸻
“揺らぐ心=排除すべき危険”
面談が終わり、翠が部屋から出た。
悠人はすぐに姿勢をただす。
「……任務って、何ってなんだよ…」
その問いに、翠は一瞬だけ迷うように目を伏せた。
(……なんで、そんな目で見てくるの……
そんな顔されたら……)
胸がまた痛む。
翠は無表情を装い、冷たく告げた。
「──悠人。
次の任務、あなたが“囮”。
死んでも文句言えないよ」
悠人は息を呑んだ。
「……なんで……」
「ボスの命令。
従わないと、私も処分される」
翠の声には感情がなかった。
でも、その声の奥に一つだけ確かにあった。
恐れ──“悠人によって私が変わること”への恐れ。
(悠人は……私を壊す。
壊されるくらいなら……いっそ──)
翠は頭を押さえた。
“危険”。
“排除すべき”。
そんな言葉が頭で反響する。
⸻
その夜。
任務内容が伝えられた。
悠人の単独潜入。
四方に敵。
援護はなし。
生き残る確率は限りなくゼロ。
悠人は震えたが、逃げなかった。
(あいつを……一人にしねぇ……
絶対に……壊させねぇ……)
準備をしていると、背後から翠が近づく。
「……悠人。
ひとつ教えてあげる」
「……なに?」
翠は、無表情のまま悠人の頬に触れた。
冷たく、震える指。
「あなた、今日死ぬかもしれないけど……
生き残ったら──」
一瞬だけ、翠の瞳が揺れた。
「……そのとき、私……
本当にあなたを“壊す”と思う」
悠人はその言葉の意味を理解した。
“排除”ではない。
“消す”でもない。
「心ごと壊す」
それが翠の覚悟だった。
翠は微笑む。
優しい仮面ではなく、
深すぎる闇の奥で揺れる、不慣れな感情。
「……だから、死なないで。
私があなたを壊せなくなるから」
その矛盾が、
翠の心が揺らぎ続けている証拠だった。
悠人は小さく頷いた。
「……生きて帰ってやるよ。
お前を……救いたいから」
翠は息を呑む。
その一言で心臓が跳ね、
胸が痛む。
(ダメ。
この感情──本当に危険だ)
翠は踵を返し、悠人から距離を取った。
「覚悟して行って。
次日会うとき、あなたは……私の敵かもしれない」
扉が閉まる。
悠人はひとり、深く息を吸った。
明日──
死ぬかもしれない任務が始まる。
翌朝。
黒龍本部の地下に設置された作戦室で、悠人は簡単な説明を受けた。
「潜入地点:旧・東倉庫街。
敵数:不明。
目的:中央データルームへの接触。
援護:なし。
帰還時間:設定されていない。」
つまり──
「どう転んでも死ぬ」任務。
翠は壁にもたれ、腕を組んでいた。
無表情。
しかし、悠人を見つめる目だけが異様に静かだった。
(……悠人。
なんでそんな普通の顔をしていられるの……?
なんで……怖がらないの……?)
胸の奥で何かがざわめく。
ボスが翠の肩に手を置き、低く笑う。
「見届けろ、翠。
お前の“弱点”がどう死ぬのかを」
翠。の眉がわずかに動いた。
(弱点……?
違う。
違うはずなのに……)
悠人は振り返り、翠に微笑んだ。
「行ってくる。
絶対、生きて戻るからな。」
昔となんも変わらない。優しくて、太陽の光のように包み込んでくれる温かい言葉だった。
その言葉が、翠の心臓に深く刺さった。
⸻
旧・東倉庫街。
そこは、もう街とは呼べない。
壊れかけた鉄骨、
切断されたケーブル、
不自然に積まれた廃材。
そして──
そこら中に漂う、血と火薬の臭い。
悠人が一歩踏み込んだ瞬間、
四方から銃声が鳴り響く。
「ッ……!」
銃弾が壁をぶち抜き、破片が舞う。
(始まった……!)
悠人は回避しながら走り、
近くの柱に身を隠した。
敵は……
少なく見積もっても10人はいる。
援護はない。
助けもない。
「……負けねぇ……
翠を──見捨てない……!」
痛む胸を押さえ、悠人は前へ進む。
⸻
その頃、監視室。
モニターの前に座った翠は、
悠人の映像をじっと見つめていた。
ボスは背もたれに寄りかかりながら笑う。
「さぁ……どうなるだろうな。
あいつは死ぬか、壊れるか、逃げるか。
どれでも楽しい」
翠は何も言わない。
胸が……痛い。
心臓が速い。
呼吸が浅い。
(……これ……何……
おかしい……私、壊れてる……?)
モニターの中で、悠人が銃弾を避け損ね、
肩を撃ち抜かれた。
血が散る。
その瞬間、
翠の体がビクッと震えた。
「ッ……!」
なにかが切れたようだった。
次の瞬間──
翠の視界が赤く染まる。
ボス「……ほう?」
翠は立ち上がった。
呼吸が荒く、目は獣のように鋭い。
(やめて……
やめてよ……
なんで……なんで撃たれてるの……!?
なんで痛いの……!?
なんで私が苦しいの……!?)
翠は理解できなかった。
けれど本能だけが叫んでいた。
──“助けたい”
──“奪わせたくない”
──“私のものから手を離せ”
その瞬間、翠は走り出そうとした。
しかしその腕を、ボスが掴む。
「行かせるとでも?」
翠「離して……!!」
「ダメだ。
あいつを救ったら──
お前が“変わる”。
俺はそれを許さない」
翠は歯を食いしばり、
まるで狂犬のようにボスの腕を振りほどこうとした。
「離せ……!!
邪魔しないで……!!
私が……行かないと……!!」
声が震えている。
怒っているのではなく──
怖がっている。
悠人が死ぬことを、
そして自分が変わってしまうことを。
⸻
ボスは翠の腕をさらに強く掴み、耳元で囁いた。
「翠。
行きたいか?」
翠「……ッ……!」
「行きたいなら行けばいい。
ただし──」
ボスは唇を歪めた。
「あいつが死ぬ瞬間を、間近で見届けることになるけどな」
翠の動きが止まった。
「どういう……意味……」
「俺が用意した敵は、“悠人専用”だ。
お前が出て行けば、
あいつは“俺のために来た”と悟って暴れる。
最悪──
自分からお前の前に飛び出して死ぬ。」
翠の血の気が引く。
ボスは続ける。
「なら、選べ。
行ってあの男を確実に死なせるか──
ここで見捨てて、生きて帰らせるか」
翠の喉が震える。
(そんなの……そんな選択……)
胸が苦しすぎて、呼吸が乱れる。
翠は自分でも理解できないほど焦り、
震えていた。
中で悠人の映像が、
また撃たれた瞬間が映る。
翠「ッッ……!!」
涙ではない。
でもそれは“涙”に限りなく近かった。
⸻
倉庫街の奥。
悠人は敵を2人倒したが、
血が止まらず、意識が揺れる。
足元がふらつき、
壁に手をついた。
(……ダメだ……倒れたら死ぬ……
進まねぇと………)
その時、敵が背後から襲いかかった。
銃口が悠人の後頭部に向けられる。
(終わる……)
その瞬間──
悠人は叫んだ。
「翠……!!
お願いだ……来るな……!!
俺を殺したくないなら──
来んな……!!」
その瞬間、監視室の翠の心臓は止まりかけた。
悠人は激しい痛みを耐えながら続ける。
「俺が……お前の心を揺らしてるなら……
俺は俺で……お前を助ける…!!
だから来んじゃねぇ……翠……!!
お前が来たら……俺……嬉しすぎて……死んじまう……」
翠の手が震えた。
胸の痛みが限界に達した。
(悠人……
どうして……
そんな……)
翠の頬に、
ひと粒だけ透明な滴が落ちた。
泣いている自覚はなかった。
⸻
ボスは笑った。
「さぁ、翠。 選べ。
あの男の“心”が死ぬのを見るか、
“身体”が死ぬのを見るか」
翠は震える拳を握りしめた。
そして──
ゆっくりと、座り込んだ。
「……私…… 行かない」
声は震えていたが、
その選択は確かだった。
「行ったら……
悠人は……壊れる。
私のせいで……死ぬ」
ボスは満足げに笑った。
「賢明だ。
感情は“脆さ”だ。
それを認めるお前は、まだ私の怪物だよ」
翠は唇を噛みしめる。
でも胸の痛みは消えない。
(悠人…… 死なないで……
お願い……
死なないで……!!)
それは、翠の人生で初めての“祈り”だった。
⸻
その瞬間──
倉庫街で銃声が響き、
敵が突然倒れた。
背後から現れたのは、
黒龍の別動隊の“掃除役”だった。
「六番部隊の新人ですね。
回収に来ました」
悠人は崩れ落ちるようにして、その腕に倒れ込んだ。
意識が遠のく中──
うわごとのように呟く。
「……翠……
来なくて……よかった……
お前……変わっちまうから……」
その言葉が監視室のスピーカーから微かに流れ、
翠は胸を押さえて座り込んだ。
(……なんで……
なんでそんなところまで……
私のこと……)
涙がまた落ちる。
翠は知らなかった。
それが、人を本当に“好き”になるときの痛みだと。
悠人は黒龍の医療棟の白いベッドで目を覚ました。
「痛ぇ…」
身体中が痛い。
けれど、それ以上に胸の奥が焼けるように苦しかった。
「……翠……」
即座に隣の部屋の状況を確認しようとするが、看守に止められる。
「危険だ。あいつは今、誰も近づけない状態だ」
翠──あの完璧に管理されていた怪物が、
悠人の負傷から暴走寸前になっていると聞かされた。
悠人はベッドを降り、ふらつきながら廊下へ向かう。
⸻
隔離室の前に立つと、
翠は丸まった背中で座り込んでいた。
黒髪は乱れ、
目は真っ赤に腫れている。
こんな翠を、悠人は見たことがなかった。
ガラスがあるのに、
翠は悠人を見た瞬間言った。。
「……なんで……来たの……」
声はかすれ、泣き声の残滓がある。
悠人は微笑む。
「お前に、会いたかったから」
その瞬間、
翠の中の何かがぶちっと切れた。
「……やめてよ……
そんな顔で……そんな声で……
私に優しくしないでよ……!!」
拳でガラスを何度も叩く。
「なんで私なんかのために傷ついたの!?
なんで……生きて戻ろうとしたの……!?
なんで……なんで今さら……!!」
涙がまた溢れた。
翠は制御が効かない。
心が暴れて、壊れる音がした。
⸻
その時、悠人の背後から冷たい声が落ちてくる。
「翠。
この男を処分する」
悠人「……!」
翠「は……?」
ボスは平然と続ける。
「お前の心を揺らした。
完成した怪物が崩れかけた。
理由はどうあれ“破損”だ。
だから捨てる」
翠の表情が真っ白になった。
ボス「いっそ、お前の手で殺すか?
その方が美しい」
翠は震える唇で、掠れた声を絞り出す。
「……嫌」
「なんだ?」
「いや……!!
触らないで……!!
悠人に……触るな……!!!」
叫びは絶叫に変わる。
悠人は翠を救うと決めた。
だからその声を聞いて、胸が締め付けられる。
(翠……俺のために……)
⸻
病室に戻された悠人は、
膨大な資料と地図を広げた。
(もう、あいつに任せていたら……あいつは壊れる)
(救うためには──
黒龍そのものを壊すしかない)
そして悠人は
“翠を救いながら黒龍を壊す”計画を組み立てた。
翠のルート、ボスの警備、部隊配置、
すべて頭の中に叩き込む。
死ぬ可能性は高い。
でも構わない。
(俺があいつを救う。
絶対に)
それは、
狂気に近いほどの覚悟だった。
⸻
計画決行の直前、
悠人は翠を“ある部屋”に呼び出した。
照明の薄暗い倉庫。
何もない空間。
翠は警戒しながら入ってくる。
「なんで……私をここに?」
「全部、話したいことがある」
そう言って、
悠人は調べあげた“翠の過去”を一つ残らず伝えた。
黒塗りされていた人物の正体。
翠が最初に裏切られた少女。
心を壊された日。
ボスに拾われた時の真実。
そして──
翠がどれだけ孤独で、
どれだけ世界に傷つけられたか。
翠の顔がみるみる青ざめていく。
「……どうして……知ってるの……?
どうして勝手に……」
震える声。
悠人は一歩近づく。
「翠を救いたかったから」
その瞬間──
翠の心が爆ぜた。
⸻
翠は叫んだ。
「救いたい!?
ふざけないでよ!!
なんで今さらそんなこと言うの!?
何も知らなかったくせに
何も知ろうとしなかったくせに!! 」
悠人「……翠…」
「なんで理解できないの !?
私があんたに言わなかったのはあんたのこと信用できてなかったからだってことも!!」
自分でも制御できない感情が溢れ出す。
涙が床に落ちる。
「なんで……なんで今さら……
優しくするの……
憎いよ……
気持ち悪いよ…
大っ嫌いだよ……
悠人なんて……もう……」
言葉が途切れ、
嗚咽だけが残った。
悠人はその涙を見て、胸が張り裂けそうだった。
「ごめん。」
その事実が悠人の心臓を刺した。
⸻
夜。
悠人の計画が動き出した。
巨大な黒龍本部が揺れる。
セキュリティが一斉にダウン。
部隊が混乱し、内部が混乱する。
その中を悠人はまっすぐ“ボスのいる部屋”へ向かった。
死ぬ確率の方が高い計画。
緑はこの計画を知ったら怒るだろうか。
(ごめんな。
俺は──
お前を救うためなら、死ねる)
⸻
悠人がボスの部屋にたどりついた時、
ボスはゆっくり振り返って笑った。
「来たか」
悠人はナイフを抜いた。
「翠を壊したあんたを、絶対許さない」
戦闘が始まる。
骨が砕け、血が飛び散り、
壁に叩きつけられ、それでも立ち上がる。
長い、長い死闘の末──
悠人は最後の力でボスの胸を貫いた。
ボスは笑いながら倒れる。
「……せっかくいい感じだったのになぁ…
壊れた翠…美しかったんだがなぁ…」
ボスが倒れた瞬間、後ろに誰か倒れているのがわかった。
悠人の背筋が凍りつく。
部屋の隅。
翠が倒れていた。
大量の血。
呼吸は弱い。
「ゆ……悠人……」
悠人は駆け寄り、翠の身体を抱きしめた。
「翠……!!
しっかりしろ……!!」
翠は微笑む。
「ねぇ……悠人……
私とあなたは……恋人なんかじゃなかった」
「おい!喋るな!」
「人間と悪魔の……
ただの“友情日記”だったんだよ」
笑顔で言った。
涙を流しながら。
悠人は頭を振る。
「違う!
ずっと……!!」
翠の手が震えながら悠人の頬に触れた。
「……なら……救ってよ……
私のこと……
最後に……」
ほとんど声にならない声。
そして──
翠の体が温もりを失い始める。
「ゆ……うと……
私……あなたに話せてたら何か違ったのかな。」
「ねぇ、始めてあった日のこと…覚えてる?」
「覚えてるよ……」
「転校生だった悠人が隣の席だった私に一目惚れして猛アタックしてきたよね…」
「あれはウザかったなぁ……」
細い声で語り出す。
まるで思い出のアルバムの1ページをめくるように。
「でもね、悠人に出会ってから…少し世界が変わった気がする。
灰色の世界にほんのり色がついた気がするの。」
「だから離れた。
色がついてしまったら、私は私ではなくなってしまうと同時に悠人を汚してしまう気がしたから。」
話せば話すほど血が流れ出す。
「やめてくれ…今救急車呼ぶから!!」
「もう遅いよ。私はじきに死ぬ。 」
「悠人、傷つけてごめんね。
裏切ってごめんね。1人にしてごめん。」
「悠人は生きて、生きて、そして死ね。」
意味深な微笑みを残し、
翠は静かに目を閉じた。
星になった。
血が零れ、
光が溶け、
翠という存在が消えていく。
「翠……?」
悠人は冷たくなった翠をみて気づいた。
そして壊れたように泣いた。
「ダメだ!ダメだダメだダメだ!!
ダメだぁぁぁ!!
帰ってこいよ……!!
お願いだ……!!」
「くそっ!!何が間違ってた!!どうすればよかったんだ!!」
その叫びは誰にも届かない。
⸻
その後。
悠人は警察に通報した。
黒龍の本拠地は特定され、
世界中の警察機関が動いた。
大規模戦闘の末、
黒龍は完全壊滅。
悠人は“英雄”と呼ばれた。
星をひとつ失った悠人は、
世界をひとつ救った。
しかし──
日が沈むたび、
悠人は胸を締め付けられる。
失った恋人の痛みは薄れない。
どれだけ賞賛されても全く嬉しくない。
翠が悠人にかけた呪いだった。
あとがきー
この物語はThe人間を表したかったので所々発言などに疑問を持つことがあったかもしません。いざ自分がその立場になったら…と考えて書くことで現実味を少しでも出せたらと思ったのですがどうでしたか?
ここからは物語の詳細をお話します。
恋人の悠人と翠。
翠は泣き虫で、優しくて、そして誰よりも弱い子。
悠人はおちゃらけていて、強がりでら誰よりも強い子。
そんな2人の物語。
2人の出会いは小学生時代。
当時小学五年生だった翠。ある日、学校に転校生が来ます。
それが悠人。悠人は先生に指定され、翠の隣の席に座ることに。
その時、悠人は隣の席の翠に一目惚れします。
そして休み時間、押し寄せる同級生達を知らんぷりし悠人は翠に猛アタック。
最初はとても嫌がられ、避けられ、告白しても振られる日々でしたが、中学校の入学式、再び告白するとなんと成功。
これが2人の出会いでした。
(どこかに入れたかったのですが、入れる場面を失ってしまいました…)
悠人は翠のことをもう本当に愛しており、いつでも甘々でベロベロ。
翠については知らないことがないくらいでした。
表面上の翠のことだけは。
裏では翠は巨大な闇を抱えていました。
作中にもあった通り、翠の過去は最悪。
両親からの虐待、小学校でのいじめ、中学校でのいじめ、最初はどれも耐えていたものの、弱い翠はだんだん闇へと染まっていきます。
そして彼女の人間生活に終止符を打った少女、ひより。
作中ではほんの少ししか出てこなかったため、軽くひよりについて説明します。
ひよりはみおの中学生時代のクラスメート。
始めて出会ったのは中1の入学式。
ひよりが入学式で隣だった翠に話しかけたのがきっかけでした。
ひよりは翠と過ごしていくうちに翠の闇について気づき始めます。
けど、翠を心配しても翠が「大丈夫!大丈夫!」と答えるだけなため、ひよりは自分1人で救おうとします。
結果的にこれが悲劇を生みました。
翠にとっては、ただ哀れな自分を飼おうとしている人にしか見えなかった。
そのことに嫌気がさした翠は彼女を欲しいしてしまう。
ひよりは翠を救いたかっただけなのに。
そして翠について。
翠が殺しを始めた理由は楽しかったから、ともう1つ。世界への復讐。
彼女にとって世界はとても汚く、憎く、そして尊いものでした。
だから殺した、壊した、消した。
そして悠人に呪いをかけた理由、悠人を翠愛していた。
なぜなら、悠人は私を知ろうとしてくれた人物だったからです。
悠人は以前、翠にこんなことを聞いたことがありました。
「なぁ、お前の過去俺知らないんだけど、教えてくんね?
やっぱり過去も背負ってあげてぇんだよ!俺!」
と。
この時始め彼女の世界にほんのり色が着く。
と同時に、言ったら悠人も離れていくのではないかという恐怖心が湧いてくる。
悠人には、幸せになって欲しいという思いが強くなったため、あえて言いませんでした。
彼が何も知らなかったのは彼女の意図的な作戦だったためです。
悠人を愛していたからこそ、そして悠人の愛にづいたからこそ、私を忘れないで欲しいという気持ちをこめて呪いをかけたんです。