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あらすじを把握した上でお読みください。
続き物となっているので、一話目の「四月」から読まれるとよりわかりやすいと思います。
美術室の絵の具の汚れ混じりの白い壁には夕日の色がはっきりと映り、オレンジ色になっている。ああ、綺麗な色だな。夕日はもっと綺麗なんだろうな、と思う。もしも俺がここに一人ならば、絵筆を置いて休憩と称してすっかり落ちるのが早くなった夕日を鑑賞していただろうが、生憎傍若無人な夕日より赤い三年生の先輩も、二年生の先輩もちらほらいる。休憩をしようにも三年生の方の先輩からサボるな、だの水分補給だけにしろ、だの何様命令が下されるのだ。別に無視しても、それくらいなら拳骨は飛んでこないが、今の俺はその先輩を見返すために必死なのだ。こんなところで変に無視する生意気な後輩なんて印象が着いてしまったら(生意気はもう着いてるかもしれない)いよいよ見放されそうだ。
二年生の先輩が揃って帰ってしまったので、本当に先輩と二人になってしまった。一部分が塗り終わったので、ふう、と息を吐いて水筒をカバンから出す。そういえば、先月以来から週に一回か二回か、先輩から昼飯食うぞ。と引っぱられるようになった。昼飯を一緒に食べる。と聞くと仲良さげに聞こえるが、実際はただ適当な場所に連れてこられて二人黙って並び、弁当を食べるだけだ。俺がいくら話題を振っても先輩はああ。とか、おう。とか、短い返事しか返さない。それでも俺はそんな時間も楽しめるようになってきた。初めて引きずられたときは席替えで廊下側の席になった自分の運を恨んだが、たまに教室前を通る先輩に声をかけれると気がついたのでやっぱり良かったと思った。
「今日はもう解散するか」
窓越しでも十分眩しい夕日をぼーっと見ていたら、先輩がそう言った。先輩は既に自分のキャンバスを片付けていた。
「早くないっすか?いつもはあと30分くらい残ってんのに」
「あほ、今日は金曜や。いつも以上に掃除せなあかんやろ」
あ、そうか。と間抜けた俺の声が響く。そういえば、美術室の後片付けをするほど残ったのも初めてかもしれない。
手際よく机を拭いたり、ほうきで床をはく先輩を見ていつも最後まで残ってたんかな、と考える。俺も手洗い場に染み付いた絵の具を雑巾で擦ったり、窓も拭いたりしてみた。先輩は呆れ顔で窓はええやろ…と言っていたが、俺は意地を張って、いつか役に立ちますって!と調子よく返した。最後の窓をきゅっきゅと拭いていると、後ろからそれ拭いたら帰るで。と言われた。
施錠をして、鍵を職員室へ返し、下駄箱から靴をとって履き替え、校門を出る。なんてことない動作だが、何だか特別感があって嬉しくなった。すっかり夏は去り、肌寒くなってきた道を並んで歩く。隣に並んで歩く先輩に、そういえば俺は先輩と同じ道って知ってるけど先輩は知ってるんかな、と思い、聞いてみたくなったが、冷たく知らん。と返されるような気がしてやめた。河川敷から見える夕日は、ほとんどが地平線に隠れている。
俺が本当に描きたいのって、ああいうのかなあ、なんて考える。俺が本当に好きなのは、愛とか勇気とか友情とか、そんな大義名分らしいことではなくて、何の変哲もない自然だ。空を飛ぶ鳥や、気ままな猫などの動物。静かに、しかし力強く、鮮やかであり素朴な植物。夕日、うろこ雲、山。そんなありきたりなようで、あまりじっと目を凝らすことのない自然を眺める時間を、いつのまにか愛していたのかもしれない。
ふと、脳裏に今隣にいる先輩がキャンバスと向き合う姿が浮かび上がる。その姿は真剣そのものだ。ちらりと隣を盗み見ると、先輩は黙々と歩いている。その横顔はキャンバスに対するものとは違って気の抜けているように見えて、なんだかギャップを感じる。
あれが、あの美術部での姿こそが美術と向き合う先輩の全てなのだ。まっすぐで鮮やかであり、それでいて落ち着いた、何よりも真摯な姿である。先輩はきっと正直者だ。自分の気持ちにも、欲望にも嘘を付くように見えない。だから、先輩の絵は自己表現なのだ。何を見て、感じたか。それが全て素直にキャンバスに映されている。そんなことを考えて、ふと本人に伝えてみたくなった。文化祭が終わると、美術部の三年生は引退してしまうからだ。
「俺、トントン先輩の絵が好きです。先輩の見たもの、感じ方、全部が鏡に映されたように繊細で」
あと一年俺が早く産まれていればもっと先輩の絵が見られたんですかね、なんて言うと、先輩は驚いたように目を見開いた後、黙ってそっぽを向いてしまった。そうすることを知っていたように俺は夕日に目をやって、躓いて、呆れ気味な先輩に頭をはたかれた。