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海辺の無人駅には、「話しかけてくる“なにか”がいる」という噂があった。
それは、人の姿ではなく、声だけ。
返事をした者は、その後——
必ず“ひとり”ではなくなる。
……僕は、そういう噂を信じるタイプではない。
けれど、最近。
どうも“気配”がついてくる。
歩いていると、後ろで靴音が重なる。
電車に乗ると、誰もいないはずの隣で座席が沈む。
気のせい。
そう決めつけていた。
——今日、この駅に来るまでは。
夜の海風が、ひゅうと吹き抜ける。
誰もいないはずのホームに、
ふっと音がした。
カタン。
小石を踏むような、小さな気配。
僕は、読んでいた文庫本からゆっくり目を離す。
「……そこに誰かいるのは、分かってるよ」
返事はなかった。
ただ、空気が揺れた。
風でもなく、波でもない。
ひとの“息”みたいな揺れ。
「今日は、隠れないんだね」
小さく、笑ってみせた。
僕はもともと霊感が強い、わけじゃない。
ただ、昔から“見えない何か”には好かれやすかった。
悪意のないものばかりだし、
気づかないふりをするのは、逆に失礼な気がする。
「……名前くらい、教えてくれてもいいのに」
すると。
耳元で、誰かの息が触れた。
『──しにがみ』
声はあまりにも近くて、
すこし震えている気がした。
知らない声だった。
でも、どこか懐かしい、柔らかい音。
「僕の名前は、知ってるんだ」
返事はない。
ただ、風が止まる。
『……さみしい……の』
か細い声だった。
どこか幼い。
「そう。寂しいんだ」
僕はホームの隅を見やる。
そこに姿はない。
でも、確かに“ひとり”が立っている気がした。
「ここ、誰も来ないもんね」
夜の海。
ひとりで立つ駅。
ずっと誰かを待っている気配。
『……しに……』
呼ばれた。
でも、掠れる声は今にも消えそうだった。
「……君は、誰を待ってるの?」
その質問の瞬間——
ざぁっと、海が急に荒れた。
ホームの蛍光灯がちらつく。
“見えていないはずの気配”が、急に形を持ったように濃くなる。
寒気が、首の後ろを撫でた。
『……しに……
……しにがみじゃなかった……』
声が震える。
『ちがう……ちがう……
かえってきたと思ったのに……』
まるで誰かを“しにがみと呼んでいた”誰か。
その“記憶”がねじれて、
僕を重ねてしまったみたいに。
「ごめん……僕は、君が知ってる“しにがみ”じゃない」
そう言った瞬間——
その気配は、“泣いた”。
風が強く吹き、ホームの砂を巻き上げ、
蛍光灯がブツン、と音を立てて切れた。
海も空も闇に沈む。
暗闇の中で、ひとりの声だけが震える。
『……どうして……
どうして、ひとりでいっちゃったの……?
……ねぇ……しにー……』
胸が痛んだ。
僕の知らない“しにがみ”。
けれど、それを失った誰かが、
この駅でずっと待っていた。
孤独のまま、声だけになっても。
どれだけ苦しかったんだろう。
「……僕が代わりにはなれないけど」
手を伸ばすふりをした。
そこに触れられなくても、
その気持ちを否定したくなかった。
「話を、聞くことはできるよ」
気配が、少しだけ弱まった。
泣き止んだ子どものように。
『……しに……』
「うん。名前、呼んでていいよ」
——僕は “しにがみ” だ。
君の“しにがみ”じゃない。
でも。
「ひとりで寂しいなら、少しだけ喋ろう」
その瞬間だけ、
見えない“誰か”の孤独が静かに解けた気がした。
帰り道、クロノアさんとぺいんとさんの話をふと思い出した。
2人も何か見てる。
この駅には、確かに“何か”がいる。
ただの噂じゃない。
寂しがりやの声。
海の底の列車。
忘れたはずの誰か。
……きっと、まだ終わってない。