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このたび、うみ様の作品の続きを書かせていただくことになりました。
うみ様の描かれる世界観や設定が本当に大好きで、今回こうして大切な作品の続きを書かせていただけることを、とても光栄に思っています。うみ様が生み出してくださった素敵な世界やお話があってこその作品ですので、その魅力を少しでも大切にしながら書かせていただけたらと思っています。
また、今回の文章をきっかけに、うみ様の作品をまだ読んだことがない方にも、その素晴らしさが伝わったら嬉しいです。すでに読まれている方もいらっしゃるかもしれませんが、まだの方はぜひ一度、うみ様の作品を読んでみてください!
うみ様ならではの素敵な世界観や、惹き込まれるお話の数々を、ぜひ多くの方に知っていただけたら嬉しいです。
「お疲れ様で~す、じんといますかあ」
「毅じゃん、どしたの」
さっきまで真顔でスマホを見ていた仁人の顔が毅の登場でほんの少しだけ緩むのがメンバーにはわかった。
「この間、スタッフさんからコーヒー貫ったんだけどなんか貴重なやつらしくて、良かったら仁人飲まない?」
「え!でもいいの?毅は飲まないの?」
「コーヒー豆もコーヒー好きなやつに飲んでもらった方が嬉しいっしよ」
「なんだよそれ、じゃあお言葉に甘えようかな」
メンバーに見せる顔とはまた少し違う、ゆるっとしたにこやかな雰囲気を見せる仁人に未だに少し緊張感が走る4人。
「たださあ、コーヒー家に忘れてきちゃって。ライブ終わり飯ついでに家こない?」
「忘れてきたんかよ」
合コンで飼い猫を見にこない?と誘う奴よろしくナチュラルに好物を餌に家に誘う毅に、仁人が返事をする前に塩崎が被せる。
「いや、仁人。ごめんけどライブ終わりはYouTube撮る予定やで」
「あれそうだっけ?ごめん毅、今日は無理だわ」
「あー一そう。おっけ。」
仁人はみんなに背を向けてるから気づいていないだろうが、毅目線は4人からの視線が怖すぎて冷や汗ものだ。
それでもこちらは10代からの友達で、他の奴らが知らない仁人の高校生活を”一緒に”過ごし、M!LKのメンバーにだって仁人とサシでご飯に行ってる回数は負けてはいないのだ。
「じゃあ、別の日…」
「あ!俺、来週の月曜日なら夕方からオフだよ」
俺が更に食い下がろうとした時、先に仁人から予定を立ててくれた。
あの、一人の時間を大事にしたいと明言している仁人から。
昔よりもずっと忙しいだろうに。
自惚れてしまうのも無理はないだろう。
コーヒーに釣られているのも絶対にあるが、コーヒーの為だけにわざわざ人と予定を立てるような奴じゃない。
頬が緩んでいる自覚がある。
「俺もその日午後から行けるわ、じゃあ月曜な」
「おう、また連絡するわ」
楽屋から出る前に、仁人の腕を引く。
「あれ、香水変えた?いい匂いだね」
わざと自分の胸の中に飛び込ませて、仁人の首あたりに顔を埋める。
「うわっ !… よくわかったね、これ先週買った香水。初めてつけたんだけど結構いいでしょ、てか近えわ!」
「ははっごめんごめん、次会う時に香水も何使ってるか教えてよ」
「ええ ~? まあ誰にも言わないならいいよ」
「2人だけの秘密ってことか」
「きめえ言い方すんなよ」
やったーと緩く微笑んだ毅が、笑っている仁人の頭をぽんぽんと撫でて、4人の方に体を向ける。
「じゃ、失礼しました~」
全く笑っていない4人の目を見て、にっこり笑顔で出ていく毅。
「てか太智、今日ってYouTube撮影あったっけ?」
「…ごめん!スケジュール間違えてたわ~」
続き
「……いや、ちょっと待って」
毅が出ていったドアを見つめたまま、曽野が呟いた。
バタン、と乾いた音を立てて閉じたドアは、もうぴくりとも動かない。
さっきまでそこにいた毅の声も、廊下を遠ざかっていく足音も、すっかり聞こえなくなっていた。
楽屋に残っているのは、天井の空調が低く唸る音と、整髪料の匂い。
それから、机の端に置かれたペットボトルが、誰かの手に触れてわずかに揺れる音だけだった。
壁際には衣装ケースが積み重なり、鏡の前には使いかけのワックスやヘアスプレーが並んでいる。
ソファの背もたれには、脱ぎっぱなしの上着が引っかかっていた。
いつもと何ひとつ変わらない、見慣れた楽屋。
なのに、妙に落ち着かなかった。
「……何、今の」
最初に口を開いたのは塩崎だった。
額に手を当て、乱れた前髪をかき上げる。
納得できないことがあるときの、彼の癖だった。
「何って?」
ソファに座ったまま、仁人が顔を上げる。
「いや、だから……お前、何とも思わないわけ?」
「何が?」
「全部!」
思わず声が大きくなる。
仁人は目を丸くしたあと、ますますわからないという顔をした。
その隣で、柔太朗が小さく笑う。
「太智、落ち着きなよ。仁人に聞いたって、たぶん何も出てこないから」
「いや、でもさあ」
「俺も聞きたいんだけど」
それまで黙っていた勇斗が、腕を組み直した。
「香水変えたの、いつから気づいてたんだろ」
「今日じゃね?」
「そうじゃなくて。何で気づくの、って話」
「知らねえよ。近くにいたからじゃない?」
仁人はあっさり答え、再びスマホに目を落とした。
画面を操作する指先に迷いはない。
さっきまで毅と話していたことも、抱き寄せられたことも、頭を撫でられたことも、本人の中ではもうたいした出来事ではなくなっているらしい。
その様子が、四人にはどうにも面白くなかった。
「……いや、近くにいたからって、あそこまで気づく?」
曽野が首を傾げる。
「しかも、あんな自然に触る?」
「それな」
塩崎が勢いよく頷いた。
「普通、あんなことする?」
「毅は普通にするけど」
仁人が答える。
「……は?」
今度は四人の声が重なった。
仁人は一瞬きょとんとし、それから吹き出した。
「何だよ、そんな驚くこと?」
「いや、驚くだろ!」
「何で?」
「何でって……!」
塩崎はまた言葉に詰まった。
説明できないわけではない。
ただ、説明したところで仁人には伝わらない気がした。
仁人の腕を引く手つきも、首元に顔を寄せる仕草も、髪を撫でる指先も。
どれも、ためらいがなかった。
仁人も、本気で嫌がってはいなかった。
近い、と口では文句を言っていたくせに、最後にはいつもの顔で笑っていた。
まるで、あれが二人にとって当たり前のことだとでもいうように。
「……高校も、あんなだったの?」
曽野が尋ねると、仁人は少し考えてから頷いた。
「まあ、あんな感じだったよ。今よりは大人しかったかもしれないけど」
「え、待って。今より大人しかったの?」
塩崎が思わず聞き返す。
「何だよ、その反応」
「いや、だって想像つかないんだけど」
「俺も。高校の仁人って、どんな感じだったの?」
柔太朗が何気なく口にした言葉に、仁人は不思議そうな顔をした。
「どんなって……普通だよ」
「それがわかんないんだって」
「何で?」
「何でって……」
柔太朗は言葉を切った。
高校の仁人を知らないこと自体が、嫌なわけではない。
自分たちだって、同じ頃からグループで活動してきた。
仕事の合間にくだらない話をして、何度も同じ時間を過ごしてきた。
仁人のことなら、知っているつもりだった。
それでも、毅は知っている。
高校生だった頃の仁人が、どんなふうに笑っていたのか。
今とは違う髪型をしていた頃、どんな服を着て、どんな話をしていたのか。
何気ない仕草や、本人さえ忘れているような昔の出来事まで。
自分たちが知っている仁人とは少し違う、一般の高校生の仁人。
毅は、それを当たり前のように知っている。
「……何か、ずるくない?」
曽野がぽつりと言った。
「何が?」
「毅くんだけ、俺らの知らない仁人を知ってるの」
その言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。
仁人は目を瞬かせてから、困ったように笑う。
「いや、高校一緒だったんだから、そりゃそうだろ」
「そうなんだけどさあ……」
曽野はソファの背にもたれ、天井を仰いだ。
わかっている。今さらどうしようもないことだ。
自分たちだって、仁人と過ごしてきた時間には自信がある。
誰より近くにいたと思う日だってあるし、仁人のことなら知っているつもりだった。
それでも、毅が昔の話をひとつするだけで、その自信が少しだけ揺らぐ。
自分たちが知っている仁人は、今の芸能人の仁人だ。
けれど毅は、自分たちの知らないの姿まで知っている。
それが、悔しかった。
「……今度、昔の写真とか見せてもらえば?」
勇斗が静かに言った。
「え、何で?」
「何でって、気になるんでしょ」
「……まあ、気になるけど」
曽野が小さく答える。
「俺も見たい」
塩崎がすぐに便乗した。
「俺も」
柔太朗も頷く。
仁人は三人の顔を見比べ、とうとう吹き出した。
「何だよ、お前ら。そんなに俺の高校時代が気になるの?」
「気になるだろ!」
塩崎が即答する。
「だって、毅くんは知ってるんでしょ?」
曽野が言うと、仁人は少し考えてから、あっさりと頷いた。
「まあ、そりゃあね」
その何気ない一言に、四人はそろって黙り込んだ。
——やっぱり、ずるい。
そう思ったことだけは、誰も口にしなかった。
「……まあ、高校の友達って強いよね」
柔太朗がぽつりと言った。
冗談めかした口調だったが、目は笑っていなかった。
「何だよ、急に」
仁人が笑う。
「別に?」
柔太朗はそれ以上何も言わず、ソファの背に掛かっていた上着を拾い上げた。
そのさりげなさに、余計なことを言わない彼らしさがあった。
一方で、曽野はまだ納得していないらしい。
「でもさ、仁ちゃん。月曜、毅くんの家行くんでしょ?」
「うん」
「何時に帰ってくる?」
「知らねえよ!」
「えー、そこは教えてよ!」
曽野が身を乗り出す。
ソファのクッションが押しつぶされ、膝に置かれていた上着が床へ滑り落ちた。
仁人は笑いながら、それを拾い上げる。
「お前ら何なの? 親?」
「心配してんの!」
「何をだよ!」
「いろいろ!」
「いろいろって何だよ!」
曽野と仁人が言い合う横で、塩崎は腕を組んだまま考え込んでいた。
そして、ふと思いついたように顔を上げる。
「じゃあさ、俺らも仁人と出かければよくない?」
「……は?」
「いや、最近ゆっくり飯行けてないじゃん」
「行ってるだろ、普通に」
「全員じゃなくて、二人で」
勇斗が横から付け足した。
仁人がぴたりと動きを止める。
「……何で急に二人?」
「別によくない?」
勇斗は何食わぬ顔で答えた。
「別にいいけど……」
「じゃあ俺、仁ちゃんと買い物行きたい!」
曽野がすかさず手を挙げる。
「俺は映画」
柔太朗も、何でもないことのように続けた。
「俺は飯!」
「いや、だから何で一気に言うんだよ!」
仁人の声が楽屋に響いた。
四人の顔を順番に見て、最後にはとうとう笑い出す。
「何? 今日どうしたの、みんな」
「別に何も?」
柔太朗が涼しい顔で返した。
「そうそう、何もない」
勇斗も頷く。
「……絶対うそじゃん」
仁人は疑わしそうに目を細めたものの、結局それ以上追及しなかった。
断られなかった。
それだけで、塩崎は少しだけ機嫌を直す。
けれど、次の瞬間。
「あ、毅から連絡きた」
仁人がスマホを手に取った。
四人の動きが、そろって止まる。
仁人は画面を覗き込み、親指で通知を開いた。白い光が頬を照らす。
「月曜、何食べたい? だって」
「……コーヒー飲みに行くんじゃなかったの?」
柔太朗が静かに尋ねた。
「いや、家で飲むんだろ。飯も食うんじゃね?」
「もう飯まで決まってんの?」
塩崎が眉を寄せる。
「今、聞かれたとこ」
仁人は笑いながら返信を打った。
『何でもいいよー。毅のおすすめで』
送信。
その数秒後、スマホが短く震えた。
『じゃあ仁人が好きそうなの考えとくわ』
仁人の指が止まる。
それから、口元がふっと緩んだ。
ほんの小さな変化だった。声を上げて笑ったわけでも、特別に嬉しそうな顔をしたわけでもない。
それでも、四人にはわかってしまった。
「……何て?」
曽野が尋ねる。
「仁人が好きそうなの考えとくって」
「ふーん」
塩崎はそっけなく返した。
「よかったじゃん」
柔太朗も続く。
声だけなら、いつもと何も変わらない。
ただ、柔太朗は仁人の隣に置かれたクッションを引き寄せると、そこに腰を下ろした。
何気ない動作だったが、仁人のすぐ隣をさりげなく確保する。
「何だよ、柔太朗」
「別に。座るとこなかったから」
「いや、そこ空いてたじゃん」
「こっちがよかった」
言い切って、柔太朗はテレビのリモコンを手に取った。
そのやり取りを見て、勇斗が小さく笑う。
「……みんな、わかりやすいな」
「お前もだろ」
塩崎がすぐさま返す。
「俺は普通だけど?」
「どこがだよ」
仁人は四人を見比べ、とうとう呆れたように首を振った。
「お前ら、ほんと何なの?」
その声には、まだ笑いが混じっていた。
いつもと変わらない楽屋。いつもと変わらない騒がしさ。
それなのに、四人の胸の奥には、どうしても消えないものが残っていた。
仁人が毅に向けた、あの自然な笑顔。
自分たちが知らない高校の仁人を、当たり前のように知っている毅。
今さら、その時間を取り戻すことはできない。
だからせめて、これからの時間くらいは。
「……月曜、楽しんでこいよ」
勇斗が言った。
仁人は少し意外そうに顔を上げる。
「おう。ありがと」
あまりにも素直な返事だった。
勇斗は一瞬だけ口をつぐみ、それから、いつもの笑顔を浮かべた。
「その代わり、帰ってきたら話聞かせて」
「何を?」
「全部」
「だから何でだよ!」
また笑い声が上がる。
けれど、その賑やかさの向こうで、四人は同じことを考えていた。
月曜日。
毅は、どんな仁人を知っているのだろう。
自分たちが知らない、あの頃の仁人を。
夜。
毅の部屋には、コーヒーの香ばしい匂いがかすかに残っていた。
窓の外では、車のライトが途切れ途切れに流れていく。
カーテンの隙間から差し込む光が壁をかすめ、通り過ぎるたび、部屋の隅に置かれた観葉植物の影が揺れた。
キッチンの手元灯だけを残した室内は、いつもより暗い。
冷蔵庫の低い駆動音が響くなか、毅はソファに座り、スマホを眺めていた。
帰宅してから上着を脱いだだけで、着替えもせずにここまで来てしまった。
袖をまくったシャツの手首には、腕時計の跡がうっすらと残っている。
テーブルの上には、マグカップがひとつ。
中のコーヒーは、すっかり冷めていた。
毅はそれに目もくれず、スマホの画面を指先でなぞる。
開いているのは、仁人とのトーク画面だった。
『何でもいいよー。毅のおすすめで』
たったそれだけのメッセージ。
食事の予定を決める、ごく普通のやり取りだ。
それなのに、画面を閉じようとすると、もう一度読みたくなる。
何度も確認するような内容じゃない。そんなことは、自分でもよくわかっていた。
それでも、親指が画面の上で止まる。
「……何やってんだ、俺」
小さく呟き、スマホを伏せた。
黒くなった画面に、自分の顔がぼんやりと映る。
口元が、少し緩んでいた。
それに気づいて、毅は唇を引き結ぶ。
誰も見ていないのに、妙に気恥ずかしかった。
ソファの背もたれに頭を預ける。
目を閉じると、今日の楽屋が浮かんだ。
香水を褒めたとき、驚いたように目を見開いた仁人。
近い、と文句を言いながら、結局は笑っていた顔。
頭に手を伸ばしたとき、一瞬だけこちらを見上げた目。
どれも、思い出そうとしなくても浮かんでくる。
昔から、あいつはそうだった。
気を許した相手には遠慮がなくて、思ったことをそのまま口にする。
こちらが少しくらいふざけても、呆れた顔をしながら付き合ってくれる。
だから、つい構いたくなる。
昔と変わらない反応が返ってくると、何となく安心する。
——それだけのはずだった。
毅は目を開け、テーブルの上のマグカップに視線を向けた。
スタッフからコーヒーをもらったとき、真っ先に仁人の顔が浮かんだのは本当だ。
これ、あいつ好きそうだな。
そう思って、渡す機会を探していた。
けれど、今日だって、コーヒーを渡すだけなら楽屋で済ませてもよかったのだ。
わざわざ家に誘って、月曜日の予定まで決めて。
そこまでしなくても、よかったはずなのに。
「……」
毅は片手で前髪をかき上げた。
考えれば考えるほど、何だか妙な話だった。
仁人と会うのは、初めてじゃない。
食事に行くこともあるし、連絡だって取り合う。
お互い忙しいから頻繁には会えないものの、予定が合えば昔のように話せる。
それなのに、月曜日のことを考えると、妙に落ち着かない。
テーブルに置いたスマホへ、視線が戻る。
もちろん、画面は暗いままだ。
新しい通知が来ているわけでもない。
それでも手を伸ばしかけて、毅は途中でやめた。
「……いや、別に」
誰に向けた言い訳なのか、自分でもわからなかった。
代わりにマグカップを持ち上げる。
ひと口飲むと、冷えたコーヒーの苦みが舌に広がった。
思わず顔をしかめ、カップを置く。
「まず……」
淹れたときは、ちゃんと美味しかったはずなのに。
時計を見ると、思っていたより時間が経っていた。
スマホを置いたまま、ぼんやりしていたらしい。
毅は苦笑し、カップを片づけようと立ち上がった。
そのとき、キッチンの隅に置かれたコーヒー豆の袋が目に入る。
スタッフからもらったものだ。
袋の口は折り返したままで、ラベルには豆の名前と産地が印字されている。
月曜日。
仁人が来たら、これを淹れよう。
そう思った途端、自然と頭の中で段取りを考え始めていた。
苦みの強すぎないものがよかったはずだ。
いや、酸味のあるコーヒーも普通に飲んでいた気がする。
以前、一緒にカフェへ行ったとき、仁人は何を頼んでいただろう。
記憶を探ると、いくつもの場面が浮かんできた。
高校時代、放課後に立ち寄った店。
駅までの道を並んで歩きながら、くだらない話で笑ったこと。
何を食べるか決められず、メニューを前に二人で迷ったこと。
特別な出来事ではない。
今となっては、会話の内容さえ思い出せないものもある。
それでも、場面だけは妙にはっきりと残っていた。
夕方の空の色。
隣から聞こえる仁人の笑い声。
歩く速度を合わせることも、話題を探すことも必要なかった時間。
気づけば、毅はまた笑っていた。
「……何なんだよ、ほんと」
独り言が、静かな部屋に落ちる。
仁人に会うのが楽しみなのは、昔からの友達だからだ。
久しぶりに家へ来るのだから、少しくらい準備をしたくなるのも当然だろう。
部屋を片づけて、食べるものを用意して、美味しいコーヒーを淹れる。
別に、何もおかしくない。
そう自分に言い聞かせながら、毅はキッチンを見回した。
明日、掃除をしておこう。
冷蔵庫の中身も確認しておいたほうがいい。
食事は何がいいだろう。
仁人が好きそうなものをいくつか思い浮かべ、足りない材料がないかまで考え始める。
そこまで考えて、ふと手が止まった。
……いや、どれだけ準備するつもりだ。
友達が一人、遊びに来るだけだ。
昔から知っている相手なのだから、もっと気楽でいい。
そう思うのに、頭の中では月曜日の光景が勝手に組み立てられていく。
玄関のチャイムが鳴る。
ドアを開ければ、仁人がいつもの顔で立っている。
「お邪魔しまーす」
そう言って靴を脱ぎ、部屋に入ってくるのだろう。
その声を想像しただけで、口元が緩みそうになった。
毅は慌てて顔をそらす。
誰もいない部屋で、何を想像しているのか。
ソファへ戻り、今度はスマホを手に取った。
画面を点ける。
新しい通知はない。
当然だ。
最後にやり取りをしてから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、さっきより少しだけ残念に思った自分に気づき、毅は眉を寄せた。
別に、連絡がほしいわけじゃない。
ただ、何となく確認しただけだ。
そういうことにして、スマホをテーブルに戻す。
けれど、手を離したあとも、視線はしばらく画面の上に残っていた。
月曜日まで、あと少し。
普段なら、数日先の予定なんてあっという間にやってくる。
仕事をして、帰って、眠って。
そんなことを繰り返しているうちに、気づけば当日になっている。
なのに今回は、まだ月曜日か、と思ってしまう。
早く来てほしいような。
来てしまったら、あっという間に終わってしまいそうな。
自分でもよくわからない感覚だった。
毅はソファに深く沈み込み、天井を見上げた。
月曜日になれば、仁人が来る。
一緒にコーヒーを飲んで、飯を食って、いつもどおりくだらない話をする。
それだけだ。
それだけなのに。
ふと、仁人が帰ったあとの部屋を想像した。
使い終わったマグカップが二つ、テーブルに並んでいる。
玄関のドアは閉まり、廊下から聞こえていた足音も遠ざかっている。
部屋には、冷蔵庫の音だけが戻ってくる。
——そこまで考えて、毅は目を閉じた。
何だか、少しだけ嫌だった。
せっかく会えるのに、帰ったあとのことまで考える必要はない。
今はまだ、月曜日のことだけ考えていればいい。
そう自分に言い聞かせる。
そして、明日になったら部屋を片づけよう、ともう一度思った。
仁人が来る前に。
少しでも、快適に過ごせるように。
そこまで考えてから、毅は小さく息を吐いた。
「……楽しみなんじゃん、結局」
口にしてみると、思っていたよりもしっくりきた。
ただ、何がそんなに楽しみなのかは、まだよくわからない。
昔からの友達に会うから。
久しぶりにゆっくり話せるから。
理由なら、いくらでも挙げられる。
だから、今はそれでいい。
毅はスマホをテーブルに置き、ようやく立ち上がった。
明日の朝、コーヒーを淹れ直そう。
冷めたものを飲むのは、もうやめだ。
キッチンの明かりを消すと、部屋は一段と暗くなった。
窓の向こうでは、車のライトがまたひとつ、夜の街を横切っていく。
月曜日は、まだ少し先だ。
それでも毅は、次に仁人と会う日を、いつもより少しだけ意識しながら眠りについた。
コメント
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読み終えました。第1話からもう、ひとつひとつの視線や間の取り方が繊細で、じーんと来ましたね。特に、毅が仁人の香水を「いい匂いだね」って自然に言えてしまう距離感とか、楽屋に残された4人が「ずるい」って思う気持ちが痛いほど伝わってきました。メンバーそれぞれの仁人への想いの違いも、会話の端々ににじみ出ていて。毅の「月曜日」を待つ夜のシーンも、仁人の返信を何度も見ちゃうっていう何気ない仕草がもう……。まだ始まったばかりなのに、この先どう動くのか本当に気になります。続きを読める日を楽しみにしていますね🌷