一応、雇い主である。
星歌は焦った。
「いやその、義弟なんですよ」
「そんなん、話聞いてりゃ分かるよ。なんでお前の弟がレジのこっち側に入ってきてノンキにくっちゃべってんのかって話」
「そ、それは……」
ぐぅの音も出ない指摘にうろたえる星歌の肩を、行人の手が触れた。
伝わるぬくもりに、彼女の背中から力が抜ける。
「従業員だからってお前って呼び方はどうかと思いますけど? それより雇用契約はきちんと結んだんですか? 契約書を見せていただきたいんですが」
翔太を見下ろす視線の冷たいこと。
とりあえず、星歌はふたりの間に割り込んだ。
「まぁまぁ、おふたり。お客さんの前ですし、ここはひとつ穏便に」
客なんて一人もいないだろと、行人。
何だよそれ、逆に嫌味かよと、翔太。
ふたりが声を荒げたときのことだった、奥の扉が開いたのは。
途端、焼き立てパンの芳しい香りが鼻孔をくすぐる。
新たに焼きあがったパンのトレイを手に、オーナーが不思議そうに三人を見つめていたのだ。
まず翔太を見やり、次いで星歌。最後に行人をじっと見つめる。
同時に行人の表情が険しくなった。
「……これはヤバイな。星歌の王子像まんまじゃないか」
小さな呟きは、この場の誰の耳にも届かなかった。
何故ならその瞬間、扉についた鐘が派手に鳴ったから。
甲高い嬌声が、気まずく流れる店内の空気を破ったのである。
学校指定の革靴の踵が床を踏む音が、小気味良く重なる。
「いいニオイ、でもちょっと狭いね」
「ごはんのあとの体育って最悪だよ」
「ヤバイヤバイ、期末マジで死ぬし」
軽やかな笑い声とともに、おしゃべりの洪水。
少女とも表現できる若い女性特有の細くて高い声は、小さなパン屋の天井に反響し、店内に華やかに降り注いだ。
「い、いらっしゃ……」
星歌と翔太が上ずった声をあげるが彼女たちの声量の前に、語尾は空しく消えてしまう。
店内を埋め尽くす女子高生は全部で八人ほどになろうか。
四時間目が終わったのだろう。
昼休みを利用して新しくできたパン屋に襲来といったところか。
もちろん放課後まで校外にでることは禁止されているのだが、校門の鍵は内側から簡単に開くし、見張りがいるわけでもない。
正門すぐ前にオープンした可愛い外観の店が気になって見に来る生徒がいるのは予想の範囲内だったのだろう。
だから、行人が先んじてやってきたわけだ。
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