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「後悔しないな?」
「これまでの人生で、後悔なんてした事は一度もありません。なので今回も後悔しないって自信があります」
胸を張って言い切る私に、颯懍が吹き出して笑った。
「ふはっ、その根拠の無い自信が羨ましいな。それならお互いに練習するとしよう。師弟関係抜きにだ。だから嫌だと思ったりやめたくなった時には、遠慮なく申し出るように」
「分かりました」
「それならそうだな。いきなりって言うのもなんだし、接吻からしてみるか」
「はい! どんと来いです」
「お主は雰囲気とか情調と言うものを分かってないな……。まあいい。嫌だったら右手を上げろ」
「了解です」
寝台に座らされて、隣には颯懍が座った。
緊張する……。
緊張するけど、ただのキスだし。大丈夫! なハズ。
いつになく真面目な顔をした颯懍の顔が、近づいてきた。
バクバクと、心臓が激しく鼓動を打つ音が耳にうるさい。
少しだけひんやりとした唇が触れた。
ああ、颯懍もものすごい緊張してるんだな。と思うと少し気が抜ける。
部屋に来る前に、きっと白茶を飲んでいたのだろう。香草と花を混ぜ合わせたような香りがして、次には甘い優しい味がした。
えっ……? 味??
私の唇を割って入ってきた味に、脳が大混乱しはじめた。
ちょっと待って。
キスってあれだよね。唇と唇を重ねて「チュッ」
ってするやつ。小さな子供と母親が、好き好きチュッてするやつの大人同士バージョンだよね??
脳内が混乱を極めてもはや思考停止に陥る中、頭の後ろと腰には颯懍の手があてがわれて、互いの口が余計に深く入り込む。
口の中をなぞられ、重なり合う唇の向きが変わる度に、聞いたこともないような湿っぽい音が鳴った。
身体が熱い。
考える事を止めてしまった頭はぼーっとする。
離れて行く互いの唇の間には、銀色の糸が一筋。プツンと途切れたのを見た瞬間に、我に返った。
「……なっ、いっ、今のは……えっと……」
「嫌だったか? 手を上げないから続けたが」
不安げな顔で見てくるけど、そうじゃない。
「嫌とかそう言うのではなくて、その……一応お聞きしますが、女性とこう言った事をするのって何百年も前の事ですよね」
「そうだが?」
「嘘っ! 絶対嘘ですよね?!」
嘘じゃなきゃ何なんだ。
あんなキスなんて知らない。
相当なテクニシャンじゃないか!!
「……嘘じゃない。ただちょっと、例の事があってから勉強したんだ。その手の本を見ながら脳内で」
――――!!
下手って言われてちゃんと勉強するとか、妙に真面目というか律儀というか。
そういう事ならきっとその先だって、大いに勉強してらっしゃることだろう。
さっき以上の激しい動機に襲われて、颯懍の方をまともに見れなくなった。体温が3度くらい上がったんじゃないかと思うほどに顔が熱い。
これ以上うまく喋れそうも無いので、ガバッと立ち上がった。
「わっ、私、薬草採取に行ってきます!! それでは」
「あ、あぁ」
走り出さずにはいられない。
薬草を入れる為の籠を引っ掴んで、外へ飛び出して行った。
大丈夫だと思ったのに、何これ。
さっきの出来事が脳内で勝手に繰り返し再生される。
死ぬほど恥ずかしい。帰ってどんな顔して会えばいいのか分かんないよ。
ブチブチと手当り次第に薬草を引っこ抜いていたら、籠の中は既に薬草でこんもりと山になっていた。
「あれ、もうこんなに採取できたの? って言うかここどこ??」
いつの間にかいつも採取に出掛ける場所よりも、ずっと先まで進んでしまっていたらしい。
足元を見回すと、これでもかと言うくらい薬草があちこちに生えていた。
「すごい! ここ薬草だらけだ。いい所見つけた。ラッキー!」
折角だからもっと摘んで帰らないとね。と、山の上に更に薬草をのせていると、喉元にひんやりとする物があてがわれた。
動いたらまずいものだと一瞬で分かった。鋭利な金属の感触に、冷たい汗が吹き出る。
「何をしている」
「何って……薬草採取ですけど」
「人の畑でか?」
「はっ、畑?!」
男性の言葉に改めて周りを見ると、薬草は他で見るよりも綺麗に並んで生えているようだった。もう少し先を見ると土が耡われていて、雑草も殆ど生えていない整った地面が広がっていた。
しまった、考え事して全然気が付かなかった。
「ごめんなさい! 畑だと気付かずに入り込んでしまいました」
喉元にあてられていた剣が外された代わりに、腕ごと縄で巻かれて縛り上げられた。ご丁寧に、術を封じる術までかけられている。術を封じられたということは私よりも力が上の人だ。
「あ、あの。私……」
「あら俊豪。どうしたの」
「可馨様」
畑の向こう側から現れたのは、花の精……じゃなくて、美女だった。
絹糸の様に艶やかな髪の毛が風にゆれ、白い肌に潤んだ瞳が儚げで、うっかりすると女の私でも惚れてしまいそうなほどに愛らしい。声までふわふわとして甘いなんて反則だ。
「この女が畑に入り込んで、薬草を抜き散らかしていたのです」
「痛たたっ!」
更にキツく縄を締め上げられて、胸とお腹にくい込んだ。
「そう手荒な真似をしないの」
可馨と言う仙女の手の動きに合わせて、縄がぱらりと解けた。
「見たところ仙骨持ちのようだけれど、何処のどなたかしら」
「凌雲山洞主、颯懍様の弟子で道士の明明と申します」
拱手をしながらぺこりと頭を下げると、驚いたように可馨が声を上げた。
「まあ、颯懍が女の弟子を取ったという噂は本当だったのね。私は西王母様の弟子で天仙の可馨。こちらは私の弟子で道士の俊豪と言うの」
私に刃を突き付けてきた男の顔を改めて見ると、少しツンとした顔立ちのボンボンっぽそうな青年だった。腕組みをして神経を張りつめていることから、まだ私への警戒を解いていない。
「師匠と御知り合いの方で御座いましたか。考え事をしながら薬草採取をしていたら、畑と気付かずに入り込んでいました。改めてお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」
「はっ、そんな事を言ってるけどどうだかね。市井の者もそんな様な言い訳を良くしていたよ。盗るつもりじゃなかったとか、そんなつもりじゃなかったとか」
「こら、俊豪! 疑ってかかるのは良くないわ。それにこんなに丁寧に謝ってくれているじゃない」
「可馨様は人が良すぎるのです」
「明明といったかしら。御免なさいね。少しもの言いがキツいのよ」
美声で美人な上にお優しいとか最高です。
でもきちんとケジメは付けないといけない。
「いいえ。私がいけない事をしたのが悪いのですから、疑うのも当然です。どうぞ何なりと罰をお与え下さい」
もう一度深く頭を下げると、「ほらね」と可馨が俊豪を窘めた。
「悪い子では無いわ。誰でも間違うものよ。罰はいいからお行きなさい」
「そうは参りません。鞭打ちでもなんでも甘んじてお受けします」
「鞭打ちなんてしないわ。でも……そうね。貴女の気がすまないと言うのならこうしましょう――」
「――と言う訳でして、ひと月ほど可馨様の御屋敷へお手伝いをしに通う事になりました」
「可馨……」
可馨からの文がしたためられた木簡を手にしている颯懔が、ポツリと呟いた。
どんな顔をして会おうとか思っていた自分が馬鹿だった。こんな失敗をおかして帰ってくるなんて、面目ない。
「可馨様とは古くからの御知り合いなのですか?」
「あ? ……ああ、まあな」
「すっごく綺麗な御方ですよね! なんだか周りがふわふわ〜っと桃色に染まって。最初に見た時なんて、花の精がやって来たのかと思いましたよ。おまけにお優しいし、天から二物も三物も与えられた人と言うのは、ああ言う方を言うんですね……って、師匠。聞いてますか?」
「うん? ああ、聞いてる。事の詳細は分かった。夕餉の準備を手伝いに行ってこい」
「……はい、分かりました。それでは失礼します」
颯懔はむっつりとした顔で、木簡の文字を眺めている。
私の阿呆!
叱られるような事をしでかしておいて、綺麗だとか何だとか浮かれて喋っちゃったよ。反省している人の態度じゃなかったよね。
余計に怒らせてしまったかもしれない。
これはしっかりと可馨様の所で働いてきて、心を改めないと! と心に決めて、夕餉の支度へと向かっていった。
◇◇◇
「何でよりによって、可馨なんだ」
洗練され、流れるように書かれたその文字を久しぶりに見て、胸が締め付けられるようにぎゅうっと縮んだ。
彼女とはもう、四百年と会っていない。
それなのに今でもあの顔も、仕草も、声音も、全てを鮮明に思い出せる。
大抵の出来事は時の流れが解決すると信じていたのに。
「参ったな」
弟子が不始末を起こしたら、師匠の俺がひと言詫びをしに行くべきだ。
頭では分かっていても気は進まない。
長い溜息をついた後、墨と筆を取り出して返信を書くことにした。
久しぶり、だなんて話しは要らないだろう。
丁寧にお詫びの言葉と弟子を頼むとだけ書き綴って、筆を置いた。