珍しく朝早く目が覚めた俺は、夕方の撮影まで暇を持て余していた。今日投稿予定の長尺もショートも仕上がっていて、他の動画もある事にはあるがなんとなく手をつける気にはなれていなかった。外を見ると、透き通るような青みを帯びた空が広がっていて、部屋に閉じこもっている俺には少し眩しかった。
俺は、PCの横に置いてある紙タバコを手に取りベランダへと出た。ベランダは思っていた以上に日差しが照っていて暑かった。少しだけイラッとした俺は、前髪をかきあげて空を睨むように見上げた。そして、タバコを1本取り出して口に咥え、前歯でカプセルを潰した。パチンっという音と共に、メンソールの匂いがほんのり香ってきた。それを鼻先に感じながら、タバコに火をつける。肺まで入れた紫煙をくゆらせながら、何をしようかと考える。
「んーとりあえず、飲みもんでも買いに行くかな…」
いつもなら面倒がってUberで頼むところだが、その日は何故か歩きたいと思ってしまった。後々このことを後悔することとなるのに…。その時の俺は知る由もなかった。
タバコを吸い終えた俺は、とりあえず鏡で髪型をチェックし寝癖が無いことだけを確認してマスクもせずに外に出た。外へ出ると、ジリジリと日差しが肌を刺し、日焼けひとつない肌を焦がしていく。
「あっつ…やっぱUberにすれば良かったな…」
数メートル歩いただけで、既に後悔していた俺だがせっかく出てきたのだからとついでに街まで出てみることにした。街へ着いてみると、普段は昼間はほとんど出歩かないので、少し違う感じがして新鮮だった。いつもの居酒屋や焼肉屋はまだオープン前で暖簾《のれん》すらでていないし、いつもネオンが眩しい雑居ビルも今はスっと街に溶け込んでいた。逆に、夜には営業していない雑貨屋や飲食店が軒を連ねていて、興味をそそられて冷やかし程度に覗いたりしていた。
「たまには散歩も悪くないかもな…クソ暑いけど」
そうして暫く街をブラブラと歩いていると、前方に見知った姿があるのに気づいた。活動上の相棒であり、密かに思いを寄せる相手だった。予期せぬ遭遇に勝手に運命のようなものを感じ、浮き足立ちながら駆け寄ろうとしたその瞬間、彼が1人では無いことに気づいた。
「え?あれって…ボビー…だよな?一緒にいるのって…」
彼の横には見知らぬ女性が嬉しそう笑いながらに彼の腕に自身のそれを絡めていた。またセフレかとも思ったが、ふと彼の顔を見てそうでは無いと思い知らされた。基本的にあまり表情を変えない彼が、少し頬を上気させ優しく微笑みながら女性のことを見つめていたからだ。
セフレは何人もいても、特定の誰かを作らない彼だから安心しきっていた。誰のものにならないんだと勝手に思い込んでいた。彼に1番近いのは俺だという慢心が良くなかったのだろうか…。
「俺といる時より楽しそうだったな…」
そう呟いた自分の言葉が、脳内を駆け巡りジワジワと心を蝕んでいく。思考が停止し、ただ目の前を歩く2人を追いかけるように力なく歩を進めた。そして、昼間だというのにネオンか眩しい建物の中へと吸い込まれるように入っていく2人をただ見つめていた。そして、無意識でカメラを構えてその様子を写真に残していた。
どのくらいそこに立っていたのだろうか、俺は暑さのせいか酷く痛む頭痛で我に返った。身体は汗でビシャビシャになり、服が張り付いて気持ち悪かった。
「とりあえず…帰ろう」
そう誰に言うでもなく呟くと、俺は元きた道をゆっくりと歩き出した。何も考えられないし考えたくなかった。ただ無心で家へと向かっていた。人が多くてガヤガヤとうるさいはずの街の音も一切聞こえず、ただ自分の手に持っているコンビニ袋のカサカサという音だけが耳へと響いていた。ただただ1人になりたかった。誰とも話さず、誰にも会わず、1人になりたかった。
家に着いた俺はコンビニ袋を玄関に置き、全てを流すために風呂場へと向かった。着ていたジャージもティシャツも脱ぐことなく、頭からシャワーを浴びた。さっき見た光景を忘れたくて、ギュッと締め付けられている心のトゲを流してしまいたくて。何もせず俯いたままシャワーを浴び続けた。
「ふっ……くっ………ぁぁぁぁぁ……」
何も考えないようにしても、脳裏に焼付いた光景が目の前をちらつき涙が溢れた。溢れて零れ落ちていく涙が、シャワーのお湯と混ざってどんどんと排水溝へと吸い込まれていく。このまま、涙と一緒にこの気持ちも流れてしまえばいいのに…。そう思っても、胸の苦しみも痛みもなくなってはくれなかった。
しばらくそうして涙を流していたが、さすがに枯れてきて背中を壁に預けてズルズルとしゃがみ込んだ。もう涙すら出ない虚ろな目で、ぼんやりと前を向きながらこの後の撮影のことを考えていた。
「今日は…暴露企画だったか……」
メンバーの暴露を匿名で集めて発表する企画。何度かやってきたが、結構人気の企画だった。俺も結構好きでいつも楽しくやっていた企画。そんな日にまさか、想い人が彼女とデートしてるところに出くわすとは…。我ながら運がいいのか悪いのか……。自分の不幸すら動画に組み込もうと思い始めている自分が、いやに滑稽で笑えてきた。しかも無意識のうちに撮った証拠写真もある…。我ながらあの精神状態でよく撮ったものだ…。
「活動者の……鏡……だな…w」
皮肉に笑いながらそう言うと、水を吸って重たくなった衣服を全て脱ぎ捨て洗濯機へと放り込むと、風呂場から出た。濡れた髪と身体を、タオルで乱暴に拭き部屋に戻って着替えや風呂上がりの諸々を終わらせた。
あと数十分の後には撮影が始まる。いつも通りにしなければと焦れば焦るほどにまぶたの裏にはさっきの光景が蘇る。幸せそうな2人の姿。俺が見た事がないような眩しい笑顔。ホテルへと吸い込まれていく2人の背中。落ち着こうと思って手にしたiQOSも上手く吸えない。
「情けな……こんなんじゃいけんのに…」
悶々と考え込んでいると、セットしていたアラームがけたたましく鳴り響き、撮影時間になったことを知らせた。俺の動画の撮影だから遅れる訳にはいかない。ひとつ深く息を吸って、ゆっくりと息を吐く。そして、PCの前に座って、discordの撮影部屋へと入った。
「ボクはニキ、イケメンだよ✨」
「こんにちは!しろです!」
「最近、視聴者にいじられまくってるりぃちょです」
「ぶはwwお前そうなんかwww」
「そうなんだよーwwみんな酷いんだよーww」
「りちょはさ、そういう役回りよねw」
「はっちーひどくない?ww」
「まぁまぁ、進まないからそこら辺でww」
「最近出張が多くて、引っ越そうか悩んでる18号です」
「はぁい!キャメロンでーす!」
いつも通りの挨拶からスタートした撮影は、案外すんなりと進んでいった。いくつかの暴露を紹介し終わった頃、とうとう俺が入れた暴露の番がきた。
「あーこれは匿名では無いですねぇw」
「おっと!内容が気になるww」
「読むよー」
俺は極力いつもどおり笑顔のままで話すように心がけた。涙を見せてはいけない。声が震えるのもダメだ。気持ちがバレたら全てが終わる。
「しろせんせーが今日、女の子と親密そうに歩いていた」
「おっとーww」
「ちょ!まてまてまてまて…!!!」
「慌ててるww」
「せんせーこれほんと?www」
「いやいや…誰やねんこれ書いたんww」
ほんとに焦ってる様子のボビーと、嬉々としてからかうメンバー。俺はその雰囲気を壊さないように、わざとらしくとぼけたような声で話した。
「なんかぁ…よく分からないんだけど、めっちゃ仲良く腕を組んで歩いててぇ…どこ行くのかなぁと思ったらァ」
「お前!!!まてまてまて…」
「2人してホテル入っていったんですよォ…何してたのかなぁwwあ、証拠discordに貼るねw」
おちゃらけて言う俺の目からは、堪えきれない涙が溢れ始めていた。でも、それを表に出してはいけない。笑いづけなければ…。
『泣くな……泣くな俺…笑え……笑うんだ…』
そう心で何度も唱えても、溢れてくる涙は止まってはくれない。幸いなことに、みんなはボビーをからかう事で精一杯だったため、俺がミュートにしていても気にしていない様子だった。一通り皆からのいじりが終わるまで、俺は目を閉じ心を落ち着かせるように何度も深く息を吸っては吐いてを繰り返した。
「あれ?ニキニキミュートじゃない?どしたの?」
「あ、ほんとだ。なんかあった?」
「ニキ〰️人のこと玩具にして逃げんなやーww」
「せんせーのは自業自得ねww」
俺のミュートに気づいたメンバーが次々と声をかけてくる。さすがに戻らなければならない雰囲気なので、もう一度だけ深呼吸をしてからミュートを解除した。
「ごめんごめんww爆笑したかったからミュートにしてたww」
「おまっふざけんなよwwwww」
「なんも無いならいいけど…」
「で、これでひと通り終わり?」
「そう………だね。じゃあしめようか」
そう言って、締めの挨拶を撮影して収録を止めた。その瞬間、張り詰めていたものがプツンと音を立てて切れた気がして、俺はガタンと音を立てて椅子から落ちてしまった。その時はまだ、discordが繋がっていたこともあり、残っていたボビーとりぃちょとキャメに声をかけられた。
「え?なんか大きな音したけど…」
「ニキ?なんかあったんか?」
「ニキくん、返事して!!」
「……ごめんwもの拾おうとしたら椅子から落ちたww」
「なんや、心配させんなやww」
「ニキくん疲れてるんじゃない?もう寝たら?」
「そう…だねwじゃ落ちるわ」
「…………あ、おれ抜けも落ちる」
俺が力なくそういうと、りぃちょも同時にdiscordから居なくなっていた。なんかいつもと雰囲気が違う気がしたが、正直人を気遣ってる余裕はもうなかった。力の入らなくなった足を気合いで動かし、なんとかベッドへと移動した。そして、腕の力でよじ登ると深く身を沈めるように寝転がった。そして、左腕で目元を抑えると深くため息をついた。
「いつも通り……できてたよな」
「バレてないよな………」
1人でそう呟きながら目を瞑っていると、玄関のチャイムが部屋中に響いた。宅配かセールスだろうと鷹を括り、無視を決め込んでいたが、しつこいくらいに何度も鳴らされ、イラつきながら応対することにした。念の為ドアスコープから覗くと、見覚えのある白髪が見えた。
「お前、どうしたんだよ!」
「あ、ニキニキやっと出たwお邪魔するよー」
「ちょっお前…」
ズカズカと部屋の中まで入ってきたりぃちょは、後から部屋に入ってきた俺を見つめ呆れたようにため息をついていた。理由も分からず家に押し入られ、挙句顔を見てため息をつかれた俺は、イラッとしてりぃちょを睨んだ。その視線に怯むことなく、俺の目の前まで来るとそっと目元を指でなぞってきた。
「泣いたの?」
「え?」
「目……腫れてるよ?」
「あ………うるせぇよ……関係ねぇだろ」
そう言って顔をそらそうとした俺の頬を抑えて、自分のほうをむかせたりぃちょは、酷く悲しそうな目をしていた。いつも無邪気に笑っていて、脳天気なまでに明るいりぃちょのそんな表情は初めて見た。なにがそんな表情にさているのかさっぱり分からず、ぼんやりと見つめ返した。
「せんせーのこと……そんなにショックだった?」
「え?」
「だって……好きだったんでしょ?」
「なんっ…そんなわけないだろっ!!」
思わず否定する俺を、りぃちょはクスリと小さく笑ってからまた悲しそうな顔になっていった。
「分かるよ……俺、ずっとニキニキの事見てたもん」
「え?」
「俺ね……ニキニキのこと好きなんだよね……」
気づかなかった?そう小さく呟きながら淡く微笑むりぃちょは、見たことがないくらい切なげでこちらの胸が締め付けられるような真剣さを孕んでいた。冗談で済ませられないくらい真剣な顔に、俺は戸惑いを隠せなかった。
「うそ…じゃなさそうだな…」
「嘘であってほしい?」
「いや………今の俺は……絆されちゃいそうだから」
「絆されてくれてもいいんだよ?」
「それは……お前に失礼だろ」
「いいよ……俺の胸くらいいくらでも貸すから……」
だから、悲しい顔をしないで欲しい。そう言って、りぃちょは俺の腕を力強く引っ張って、自分の腕の中へと俺を引き入れた。倒れ込むように顔を埋めたりぃちょの胸は、思っていたよりも逞しくて少し安心した。そっと耳をあてると、早鐘のように動く鼓動が聞こえてきてこちらまで鼓動が早くなる。赤くなる顔を隠したくて、りぃちょの胸に顔を押し付けた。そんな俺を、りぃちょは強く抱き締めてくれて優しく頭を撫でてくれていた。それがなんとも心地よくて、何故だかとても安心した。
「りぃちょ……ありがとう……」
「いいよ……俺もあわよくば…を狙ってないって言ったら嘘になるしね」
「でも……」
「わかってるよ…すぐに答えてくれなくていい」
でも、もう遠慮しないから覚悟してね。そう耳元で低く囁く彼は、もう知らない男のようだった。頭を撫でてくれていた手をとめると、徐《おもむろ》に両頬へ手を添えてそっと上を向かされた。そして、優しく額に唇を押し当てられたかと思うと、ニッコリと笑って俺の顔を見つめた。
「ニキニキの気持ちがこっちへ向くように頑張るね」
「なっ…おまえ……///」
「ふふふw 赤くなって可愛い」
「もう……/// ほんとお前誰だよ///」
「ニキニキに恋するひとりの男だよww」
「くっそ…………///」
茶化すように気持ちを告げるりぃちょだが、それが彼なりの気遣いだというのには気づいていた。少なくとも俺は、さっきまでの地獄のような気分からかなり浮上することが出来ていた。現金なものかもしれないが、失恋の傷は新しい恋で…というのはあながち間違いでは無いのかもしれない。少なくとも、ふんわりと温かく心を包んでくれているりぃちょという存在が、俺の中で大きくなるには十分な出来事だった。
コメント
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やっばい、りいなちゃんの ノベル小説初めて読んだけどクソ泣ける😭 続きが楽しみ~✨️