テラーノベル
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兵が腰に下げた剣を抜刀する刹那。
ジークの視界が、ぐっと狭まる。
考えるより先に、身体が動いた。
腹の底から湧き上がった衝動が、脚に伝わる。
ドンッ!
乾いた音。
ジークの足が、兵の胴を真正面から蹴った。
「おぃッ!」
鎧越しでも分かる手応え。兵の体勢が崩れ、地面に尻をついた。
ジークの突拍子もない行動に村民が戦慄する。
「逃げるよ!」
叫びと同時に、ジークはセレナの手首を掴んだ。
強く。離さないように。
「こっち!」
短く、それだけの言葉。
セレナの目が見開かれる。
頼もしく、未熟で、英雄願望に近い。子供らしい姿にセレナは呆気に取られたのだった。
二人は走った。
家々の隙間を縫うように、裏道へ。
砂利を蹴散らし、息を切らし、ただ前へ。
「止まれ! 追え!」
背後で、兵の怒号が上がる。
剣が抜かれる音。鉄靴が、地面を叩く音。
「小さな頃からこの村に居るんだ。あんな奴らに捕まるかよ」
ジークは森に入り、けもの道をスルスルと進む。その道は馬や、鎧を身にまとった兵では通れないほどに狭い。
「ね。余裕」
セレナに振り向いたジークの顔は緊張を隠しておらず、不格好な笑みだった。
◇◇◇◇
ジークの家で、ジークとセレナは息を潜める。
木の扉を閉めた瞬間、外の喧騒が嘘のように遮断される。
だが、静けさは安心とは程遠い。
木の壁一枚向こうに、人の気配がある。兵はいずれここにも辿り着く。
すぐにジークは乾いたパンとナイフ。そして革製の水袋を小さなカバンに詰めた。その小さなカバンをセレナに預け、窓の外を一度だけ確認し、低く言った。
「ここで別れよう」
セレナが、驚いたように顔を上げる。
「どうして?」
「二人で動くと、目立つ」
感情を挟まず、淡々とした声。
「僕一人なら、兵を撒ける。村の道も、裏道も知ってる。君が一緒だと、どうしても僕の足は遅くなる」
正しい判断だった。だからこそ、セレナの胸が痛む。
「その間に、君は村の外れに行って」
「私の……小屋ね」
「そう。そこで落ち合おう」
ジークは少し間を置き、続けた。
「三十分」
その言葉に、セレナの視線が揺れる。
「三十分以内に、僕が来なかったら」
言い切る前に、セレナが察した。悔しそうに眉を寄せる。
「そう、行って。僕のことは気にしなくていいから」
「でも」
「大丈夫。さっきの見たよね。僕が捕まるはずない」
その冷静さが、覚悟の深さを物語っていた。沈黙が落ちる。
セレナは、指先を握りしめてから、静かに口を開いた。
「……言っておくわ」
ジークが振り返る。
「私、白の魔女なの。嫌われ者のネクロマンサーなのよ。貴方が命をかけていい人物じゃないのよ」
覚悟を決めた声音だった。拒絶されることを、最初から織り込んだ声。
「……知ってた」
あまりにも、あっさりした返事。
「え?」
思わず、素の声が漏れる。
ジークは少し照れたように視線を逸らし、頭を掻いた。
「だって君はさ」
言葉を探すように、一拍置いてから。
「僕が小さな頃に見た絵本のお姫様ってぐらい綺麗なんだもん」
セレナの目が、わずかに見開かれる。
「そして、優しい目をしてる」
ジークは、真剣だった。
「僕、案外人を見る目には自信があるんだ。魔女だから、ネクロマンサーだからって、この目を信じない理由にはならないよ」
「そんな理由で、命をかけられるものなの」
セレナは、思わず俯く。
「僕の選択は間違いじゃなかった。連れていかれたら、君が居なくなるってことだもんね」
ジークは笑った。
それは、英雄の笑みじゃない。ただの村の青年の、不器用な笑顔だった。
「だからさ」
扉に手をかける。
「三十分。必ず行く。来なかったら、その時は……」
一瞬、言葉を飲み込んでから。
「君は、生きて」
セレナは、静かに頷いた。
「分かったわ。でも、どれだけ傷ついても帰ってきて。そうしたら、死んでいても治してあげる」
扉が開く。
「さすがネクロマンサー」
外の空気が、二人の間に流れ込む。
「村はずれで。……必ず帰る」
「はい、気をつけてね」
それだけの言葉を交わし、ジークは飛び出した。
残されたセレナは家の中で祈るように願う。ジークの安否を。
それは、約束であり、猶予であり、別れになるかもしれない時間だった。
彼女は、彼の誓いに似た言葉を、胸に残したまま。
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