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モンスターの肉が食えることが分かったとしても、それだけで食糧問題が解決するわけでは無かった。
焼き肉食べ放題だとしても、肝心の白米や野菜が無ければただの胃もたれコースだ。
大量に買った米も、あの時「どうせ余るでしょ」と笑いながら詰め込んだ野菜も、今や底が見えかけている。
次の冬は、ただ寒いだけじゃ済まないかもしれない――そんな嫌な予感が、じわじわと背筋を撫でた。
「肉だけ食って生きていける訳ではないしなぁ」
自分で言いながら、昔の「タンパク質だけ取ってりゃ筋肉は裏切らない」みたいな広告をぼんやり思い出す。
今欲しいのは筋肉ではなく、安定して続く食卓だ。
「ビタミンとかも必要だしねー……」
沙耶がコタツの縁に顎を乗せたまま、だるそうに相槌を打った。
分かっている。分かっているけれど、すでに畑に種を撒ける状況じゃないから困っているのだ。
付近のダンジョンを全て攻略して、発生源をきっちり潰してしまえば――理屈の上では、農業は可能になるだろう。
ただ、それをやり切るのに最低でも三カ月。雪と飢えのセットメニューの前に、間に合うかどうかは怪しい。
私が考えるにはスケールが大きすぎる。
一人でどうにかするには、やれることとやれないことの境界線があまりにも遠い。
確か回帰前、魔石のエネルギーを利用して植物の成長を促進させる技術があったような気もする。
けれど、それが「実用化」って呼べる段階になったのは、私が死ぬ直前とかそんな時期だったはずだ。
使えるかどうかも分からない、あやふやな記憶を今の皆に差し出して、「そのうち何とかなるかもね」と希望だけ見せる――。
そんなの、無責任にも程がある。
今必要なのは、曖昧な未来じゃない。
目の前にある事実に基づいた、具体的で、今すぐ動かせる「手」だ。
「じゃあ私はダンジョン潰してくるねー」
とりあえず、私にしかできないことをやろう。そう決めて、軽い調子で立ち上がる。
「ん、私も行く……」
一拍遅れて立ち上がろうとするカレンの肩に、そっと手を置いて押し戻した。
「カレンは残ってて? またさっきの奴らが来るかもしれないからさ」
この拠点を見張っていたドローンは全て破壊したけれど、それはつまり「行方不明になった監視機の捜索に来る可能性」が高い、ということでもある。
誰かがまた寄こされても、カレンが居れば最低限の防衛はできるはずだ。
沙耶たちに変なことを吹き込まれないか、という別種の不安もあるけれど……そこまで気にしていたら何もできない。
ここは、姉としてではなく“戦力”として割り切るべきところだ。
私は頷き、玄関扉を開けて外の冷たい空気を吸い込んだ。
◇ ◇ ◇
1日で周辺のダンジョンを潰してしまおう。
そう意気込んで攻略を始めて、30箇所目――さすがに身体の疲労よりも、精神の単調さに飽きが来た頃だった。
「……外に、出てるよな?」
闇を抜け、ゲートを超えた先。
いつもなら、攻略を終えたあと自動的に「外」に排出されるのだが、足先からじんわりと広がる違和感がどうにも気持ち悪い。
空の色も、風の匂いも、木々の並びも――入る前と変わらない。
変わらなさすぎる、と言った方が正しいかもしれない。
何が引っかかっているのか、自分でも言語化しきれないまま周囲を見回していると、木の陰から人影が一つ、ぬっと現れた。
「お姉ちゃん、今日はもう攻略しないで戻って大丈夫だよ~」
お気楽そうな声。
私と同じ銀色の髪。見慣れた顔。
「……そうか」
頷きながら、一歩だけ近づく。
そして――迷いなく、剣を振り下ろした。
刃が肉を断つ感触は、まるで柔らかいゼリーを切ったように、抵抗も重さもなかった。
両断された“沙耶”の身体は、血の一滴も流さぬまま、そのままの形でくっつき直す。
斬り心地からして、おそらくスライムの一種だ。
表層だけを真似た粘性の塊。
「家族の姿をしたものを何も言わずに斬るなんて……」
口調だけは沙耶そっくりのそれが、非難がましく言葉を吐いた。
「形だけでしょ? 実体が伴わなければ私は騙せないよ」
匂い。魔力の波長。肌の弾力。
そして、沙耶独特の、感情が揺れた時にだけ見える微細な表情筋の動き――。
なまじ長い時間を一緒に過ごした分、私の中にある「沙耶像」は、簡単なコピーで誤魔化せるほど薄っぺらではない。
この感覚。
ここに来るまで忘れかけていたけれど、どこかで覚えがあった。
「そうだ、この感覚……魔界に居た時にカレンと模擬戦していた際に引っかかった幻を見せる魔法に似ている」
ただ、当時カレンが使っていたものより、圧倒的に完成度が高い。
あの時は背景にところどころ綻びがあったのに、今目に映る景色には不自然な継ぎ目がひとつもない。
「私たちにとって貴女は脅威になりそうだからここで足止めさせてもらうよ!」
“沙耶”の輪郭がぐにゃりと揺れ、別の顔へと変わる。
愉快そうな声とは裏腹に、その魔力の質には底冷えするような敵意が混じっていた。
「あの時は……確か幻を見せている術者を不安定にさせて抜け出したんだっけか」
カレンと初めてまともに戦った時、彼女の張る幻術にどっぷり嵌められて、出るに出られなくなったことがあった。
最終的にやったことと言えば――。
「カレンに指の腹をちょっと切って口の中に突っ込んで自ら吸血させることで動揺させた」
あの時のカレンの真っ赤になった顔は、今でも鮮明に思い出せる。
……が、同じ手はさすがに二度は通用しないだろう。そもそも対象が違う。
同じ方法は使えそうにないな……と頭の隅でため息を吐きながら、私は問いかけた。
「ねぇ、本体はどこに居るの?」
「……教えると思って聞いてるなら答えるわけないでしょ」
「ありがとう、そこに居るのは本体じゃなくって何かを通して観ているってことだね」
あっさり否定してくれたおかげで、逆に情報が一つ手に入る。
――ここにいるのは、あくまで「端末」だ。
どこかにいる本体と、何かしらの魔力的な回線で繋がっている。
見ているなら、話は単純だ。
闇竜の魔石から得た力――【闇】を、魔力に乗せて剣を編む。
刀身も柄も、光の反射すら許さない、底なしの闇色。
斬られた相手の恐怖や不安を増幅させ、精神をネガティブな方向へ引きずり込む剣。
カレンで実験したときは、驚くほどの効き目だった。
嫉妬深くなって、自分に自信がなくなって、延々と自己嫌悪ループに突入――元に戻るまで一週間。メンヘラ製造剣である。
正式名称は【黒剣】だ。
私的には「封印推奨スキル」のひとつ。
「何しても無駄だよ? 私は見てるだけだし~」
スライムは今度は、どこにでも居そうな普通の女性の姿に変わって、肩をすくめた。
見ているだけ――。
つまり、自分と対象のあいだには、必ず“線”が通っている。
その線に、こちらから干渉できないと、誰が決めた?
「本気で、全力で――殺す」
【竜の威圧】を全開にし、魔力そのものに【闇】の性質を上乗せして、一気に叩きつける。
殺意を隠さない、むき出しの圧。その矛先を、目の前のスライムへと一点集中させた。
瞬間、スライムの輪郭がぶるりと震えた。
魔力の波が伝うその先――本体にも、確かに届いているのが肌で分かる。
「えっ、あっ……、そのっ……」
どこか遠くで、誰かが小さく息を呑んだ気配がした。
わざと、分かりやすい速度で一歩踏み込み、黒剣の切っ先をスライムの“頭”へとゆっくり突き立てる。
「次は本体《お前》だ」
低く、冷たい声で告げる。
その一言を合図にしたように、スライムがぐしゃりと崩れ落ち、私の身体に絡みついていた違和感が霧散した。
魘され続けていた夢から、ようやく目が覚めたような感覚。
ちゃんと術者まで届いた。
あれだけ明確に震えていたのだから、向こうもただでは済まなかったはずだ。
――となると。
私のところに来たということは、当然、沙耶たちのいる拠点にも姿を見せている可能性が高い。
黒剣を霧のように消し去り、私は振り返りもせずに駆け出した。
足音が、踏みしめる大地を焦るように叩く。
「待ってて、沙耶――」
心の中でそう呟きながら、私は拠点の方角へと全力で走った。