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今から帰る、すぐに帰る、何があっても帰るとくどいほどの帰るコールを受け取ったウーヴェは、幼なじみがいつも言う様に甘やかしすぎるのを止めるべきかと思案する。
だが、仕事で全力を出し切って戻って来るリオンを見ればどうしても甘やかしてしまうのだ。
だからお前は甘いんだと幼なじみが腰に手を宛がって怒鳴る姿を思い浮かべたウーヴェだったが、そんなことは誰よりも理解しているからそれ以上何も言うなと言い返す。
ただ、その帰宅コールはいつもあるものだったが、いつもと違う何かを電話口から感じ取ったウーヴェは、リオンが仕事中に不安定になる様なことがあったのかと思案するが、本人の顔を見なければ分からないと己の先走りを戒めるように溜息をつき、リビングのソファから立ち上がってキッチンに向かい、空腹で帰宅するリオンの腹を満たせるようなものを準備するのだった。
最後の恋人だと皆に公言しているウーヴェに帰るコールをしたリオンは、今日も頑張ったから早く帰れる権利があると言い放って同僚を絶句させてから直ぐさま職場を飛び出したのだが、脳裏を占めていたのは今日の午後に経験した不愉快きわまりない出来事だった。
それを職場で話したところ同情されるどころか大笑いされてしまい、挙げ句に紅一点であるダニエラに女の気持ちが分かったかと見下ろされてしまったのだ。
リオン自身そんなことをした覚えは全く無いのだが、世の不届き者のおかげでどうして俺がこんな不愉快な目に遭わなければならないんだとも叫んだ後、腹癒せに向かったのはガラスの向こうから愉快そうに笑っていたヒンケルの部屋で、ヒンケルの制止の声も聞かずにデスクを開け放ったリオンは、そこに隠されている様に鎮座している四角いチョコを数枚奪い取り、笑われた腹癒せをして溜飲を下げたのだった。
あのような不愉快な出来事は、最後にして永遠の恋人のハグとキスでかき消そうと決めて家に帰ってきたリオンは、ドアベルを鳴らしてフロアに一つだけのドアが開くのを待つ。
「……お疲れ。お帰り、リーオ」
目の前のドアが開き、キッチンにいたことを教えてくれるようにエプロンをしたウーヴェが笑顔で出迎えてくれたため、ハグとキスをされるよりも早くに不愉快な出来事は消え去ったようで、リオンの顔に満面の笑みが浮かび上がる。
「うん、疲れた。今日も頑張ってきた」
「そうか。ちょうどスープが出来たところだ。食べるか?」
「うん、食う」
でもその前に聞いて欲しい話があるんだと、やはり忘れることが出来ない不愉快な出来事を思い出してついウーヴェの肩に懐くように頬を寄せたリオンは、温かな手が背中を撫でて宥めてくれることに気付き鼻を啜るような音を立てる。
「聞いてくれよ、オーヴェ」
「ああ、聞いてやるから少し落ち着け」
肩にぐりぐりと顔を押しつけるリオンに微苦笑したウーヴェはリビングのソファにまで何とか移動し、一体どうしたんだとそれでも心配を隠しきれずに問いかける。
「今日さ、強殺の証人に会いにバーに行ったんだよ」
そうしたらその証人が奇妙な目で見つめてきた後、耳元で気持ち悪い声を出しながら人の尻を散々撫で回したんだと、今にも泣きそうな顔でリオンが叫ぶと、ウーヴェがさすがに聞かされた内容に珍しく唖然とした顔でリオンを呼ぶ。
「リーオ、リオン。お前が痴漢に遭ったの、か?」
「遭ったなんてもんじゃねぇ! 気持ち悪かったー!!!」
リオンが遭った不愉快な目、それは証人から受けた痴漢行為だった。
それを職場で話したところ、慰めてくれるどころか皆で一斉に笑い出し、ヒンケルなど自室でいつまでも思い出し笑いを続けていたため、腹癒せにチョコを奪い取ってやったと白状されてはどう答えて良いのか一瞬ウーヴェでさえも迷ってしまうほどだった。
「……痴漢の被害は、災難だったな」
ただ、非常に申し訳ないとは思うが、お前が痴漢に遭ったと聞けばどうしても気の毒さよりもおかしさを感じてしまうと己の言葉通りに手を口元に宛がったウーヴェにリオンが気付いて頬を最大限に膨らませる。
「気持ち悪かった!」
「……ああ、うん、そうだろうな。笑って悪かった」
「くそー。みんなもオーヴェも俺がこんなに気持ち悪かったってのに笑いやがって……!」
モウシラナイ、オーヴェのくそったれ。
リオンがソファの上で胡座をかいて両足首を掴んで身体を揺さぶりだした為、己の言動がもたらした結果に我に返ったウーヴェは咳払いを一つすると、膨れっ面のリオンを慰めるためと己の言葉を許して貰うためにソファから降り立ち、リオンの横の床に膝立ちになる。
「リーオ」
「……んだよ」
「うん。大変だったな」
「……気持ち悪かった!」
リオンの不機嫌な横顔をじっと見つめながら大変だったな、お疲れ様と労いの言葉をかけると蒼い瞳が不機嫌そうに見つめて来るが、それに気圧されること無く目を細めたウーヴェはそっと手を伸ばして頬をくすんだ金髪を撫でると、不満が少なくなっている溜息が零れ落ちる。
「本当に不愉快な思いをしたな」
「うん。すげー気持ち悪かった」
しかもその証人はウーヴェと雰囲気が似ているので余計にたちが悪かったと告白したリオンは、ウーヴェに向き直るように身体を動かすと、優しいターコイズの双眸に見つめられていることに気付いて軽く目を見張る。
「お前が痴漢に遭う可能性は限りなく低いと俺は思ったから意外に感じたし、皆が笑ったのも多分俺と同じ理由だろう。だから皆が笑ったことも許してやれ、リーオ」
そして先程の己の態度も許して欲しいとリオンの目を見つめて謝罪をしたウーヴェにリオンが頭を一つ振ったかと思うと、膝立ちの恋人の身体に抱きつくために前のめりになる。
リオンの身体をしっかりと受け止めたウーヴェは、背中を撫でながら本当に嫌な思いをしたな、おいしい食事をして好きなチョコを食べて機嫌を直せと囁くと、ボスのチョコを奪い取ったと自慢げに消されて苦笑する。
「冷蔵庫にもこの間買った物がまだ残っている。それを食べて機嫌を直せ」
受け止めた大きな背中をぽんと一つ叩いて言葉と態度で慰めたウーヴェは、リオンが納得したことを示す小さな溜息をついた為、同じく安堵の溜息を零す。
「……オーヴェ、腹減った」
「ああ。じゃあ食事にしよう」
キッチンで食べられるのを待っている料理があると笑って立ち上がる事を伝えたウーヴェにリオンも素直に立ち上がるが、ウーヴェを抱きしめていた手を伸ばして綿パンの上から尻を撫でる。
「――!!」
「お前に似た男に尻を撫でられたら気持ち悪かったけど、お前のを撫でたら気持ち良いな」
突然のそれにウーヴェが思わず飛び上がってリオンの腕を押しのけようとするが、意味の通じるようで通じないことを呟く恋人に呆然と目を見張る。
「お前は……っ!」
「なー? 気持ち悪ぃだろ? って、俺にケツ撫でられて気持ち悪かったか?」
「そんな問題じゃ無い!」
恋人同士、あんな姿やこんな姿も見せ合っているが尻を撫でられて気持ちが悪いと思われたら悲しいと、今にも泣きそうな顔で告げるリオンを目尻を赤く染めた顔で睨み付けたウーヴェは、チョコは無しだと叫んでリオンを絶望の淵へと追いやる。
「オーヴェのイジワル! トイフェル!」
「うるさい!」
せっかく落ち込んでいるリオンを慰め何とか許してもらえたが、突然尻を撫でられて冷静でいられるはずが無く、そんな悪戯をする子にはおやつは無しだともう一度言い放ったウーヴェは、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お願い許してオーヴェと手を組んで謝り倒すリオンの前で腕を組んで羞恥から不機嫌そうにそっぽを向くのだった。
いつもに比べれば静かだった食事の際に互いに落ち込んだり不機嫌になっているのも馬鹿らしいと気付いた二人が仲直りのキスとハグをし、満ちた腹を抱えてベッドに潜り込む。
ベッドの中でもウーヴェに雰囲気が似た男から受けた痴漢行為について不満を訴えようとするリオンだったが、もう良いだろうと言い放ったウーヴェがリオンの口をキスで封じたため、それ以上リオンも不満を口に出せなくなるのだった。
その後、強殺の証人に対してリオンへの痴漢行為について、裁判終了後に性犯罪として訴える旨を四角四面の生真面目マクシミリアンが宣告し、ほんの軽い気持ちだったと言い訳を始めるが、被害を受けた者にとっては気持ちの軽重の問題では無い、された事への結果が重要だと言い放ち、がっくりと肩を落とさせるのだった。
事の顛末を同僚から聞かされたリオンはやっと留飲が下がったと笑みを浮かべるが、実はその裏では己の恋人が密かにヒンケルに忠告をしていた事に気付かないのだった。