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第二十七章 その距離を、越えるな
朝の光は、均等に降りてこない。
窓際だけが明るくて、それ以外は、どこか少しだけ影を残している。
整えられた机。揃えられた書類。
同じリズムで動く人の流れ。
――全部、いつも通り。
そのはずなのに、
自分だけがその朝に乗れていない気がした。
翔太💙「……」
ペンを持つ。
名前を書く。
見慣れた字。
でも、ほんの少しだけ、自分のものじゃない気がした。
遠くで、誰かの声がする。
笑い声、呼びかけ、足音。
全部、膜の向こう側みたいに響く。
――大丈夫。
まだ、動ける。
「翔太」
名前を呼ばれる。輪郭が、少しだけ戻る。
ラウール🤍「501号室」
翔太💙「……はい」
カートを押して廊下を歩く。春風に揺れる木々が気持ちよさそうに靡き、桜の木は新緑が芽吹き真新しいランドセルを背負った男の子が二人、病院前の道を並んで歩いていた。
分かれ道に差し掛かり二人は寂しそうな顔を浮かべ、手を振ると互いに背を向け、別々の道を歩き始めた。
自分にも、ああやって一緒に歩いていた〝誰か〟がいた気がして――
その後すぐに振り返った少年。
お友達が見えなくなるまで手を振っている。
そんな光景を、上から眺めていた。
325号室。
気づいたときには、手が、扉に触れていた。
ノックは、しなかった。
――昔から、そうだった気がする。
でも、そのまま立ち去ることも、できなかった。
ドアの隙間に、手をかける。
ほんの少しだけ、開ける。
宮舘❤️「……どうしたの?」
静かな声。
驚かない。
責めない。
変わらない声。
どこか、知っている温度だった。
〝ご気分いかがですか〟だなんて咄嗟に放ったありきたりな言葉に、気遣ってか、宮舘さんはクスッと笑った。
宮舘❤️「君に毎日会えるから、退屈はしてないね」
少しだけ、間。
宮舘❤️「悪くない時間だ」
なぜだか、頰が熱くなる。
引き寄せられるように立ち寄った彼の部屋。
なんだか懐かしくホッとした。
――501号室。
コン、コン。
翔太💙「失礼します」
扉を開ける。
春の光が、柔らかく差し込んでいた。
カルテをめくる音。
ペンの走る音。
廊下では誰かの名前を呼ぶ声。
手元に、ペンがあった。
昨日もらったやつ。
雪うさぎのマスコットが、小さく揺れる。
翔太💙「……」
無意識に、それを取った。
――使いやすい。
するりと指に馴染む。
何も考えずに、紙の上に置く。
さらさらと、インクが流れる。
患者名:佐久間
意識清明。
本人、手術拒否の意思変わらず。
外泊許可、条件付きで検討中。
舞台出演を強く希望。
――やらせてあげたい。
昨日の言葉が、そのまま、文字になっている気がした。
翔太は、何もなかったみたいにペンを置いた。
雪うさぎが、こくん、と揺れた。
翔太💙「ふふっ可愛い」
大介🩷「やけに嬉しそうだな?想い人からのプレゼント?」
翔太💙「まさか……そんな人いません」
翔太💙「体調どうですか?」
声は出る。問題ない。
大介🩷「暇」
翔太💙「ふふっ……入院してるんですから、暇じゃなきゃ困ります。血圧測りますね」
綺麗に整えられた爪。
真っ黒なマニキュアが塗られている。
翔太💙「綺麗に手入れされてるんですね」
大介🩷「お前も塗ってやろうか?……看護師はダメか」
翔太💙「良かった……ちゃんと看護師に見えてて」
思っていたより暗い声に、俯いた。
大介🩷「弱ってんな……大丈夫か?」
今優しくされると、涙が出そうだ。
グッと奥歯を噛んで堪える。
大介🩷「そんなに力むなよ、俺といる時は力抜けよ?」
不意に手が伸びてきて何やら紙を渡された。
大介🩷「相手しろよ。看護師さん」
翔太💙「え?」
大介🩷「台本」
大介🩷「相手役いねぇと成立しねぇ」
翔太💙「……俺、ですか?」
大介🩷「他に誰がいんだよ」
乱暴な言葉なのに顔は優しい。
翔太💙「……分かりました。少しだけなら。」
椅子に座り台本を開く。
文字が並ぶ。
――多い。
寝不足な俺には今は堪える。
一瞬、目が滑る。
でも、声に出す。
翔太💙「……『どうして、そんな顔するの』」
少しぎこちない、それになんだか恥ずかしい……。
佐久間は目を閉じて聞いている。
そして、ゆっくり口を開く。
大介🩷「違う」
翔太💙「えっ」
大介🩷「それじゃ軽い」
短く言う。
大介🩷「もっと、掴みにいく感じ」
視線が合う。逃げられない。
翔太💙「……『どうして、そんな顔するの』」
少しだけ、変える。
大介🩷「……まあいい」
完全じゃない。
でも、許された。
そのまま、続ける。
言葉を読む。
返す。
また読む。
繰り返す。
さっきまで滑っていた言葉が、少しだけ、引っかかった。
翔太💙「……『俺は、ここにいる意味が――』」
言葉が、止まる。
一瞬。
沈黙。
佐久間が目を開ける。
翔太💙「……すいません」
大介🩷「いい」
短く遮る。
少し間。
大介🩷「続けろ」
優しくはない。
でも、突き放さない。
翔太はもう一度、文字を見る。
でも、焦点が合わない。
視界が、少しだけ揺れる。
大介🩷「……おい」
声が近い。
でも、遠い。
翔太💙「……大丈夫です」
反射で答える。
そのまま、ページをめくる。
手が、少し遅れる。
身体が、重い。
椅子の背にもたれる。
そのまま、少しだけ、目を閉じる。
――一瞬だけ。
そのつもりだった。
大介🩷「……おい」
声。
でも、もう届かない。
呼吸が、ゆっくり落ちていく。
台本が、膝から滑り落ちる。
パサ、と音を立てた。
そのまま、静かに、眠りに落ちる。
佐久間は、少しだけ眉をひそめた。
そして、小さく息を吐く。
大介🩷「……ほんと、バカ」
そっと、落ちた台本を拾う。
翔太の手から、力が抜けているのを見て、少しだけ視線を逸らした。
大介🩷「……そんな状態で」
小さく呟く。
そのまま、何も言わず、台本を開いた。
一人分のセリフを、静かに読み始める。
その声は、誰に向けるでもなく、ただ、そこにあった。
静かな時間が、流れていた。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえる。
カチ、カチ、一定のリズム。
それに合わせるように、佐久間の声が、低く、淡々と部屋に落ちていく。
大介🩷「――『ここにいる意味が、分からなくなったんだ』」
間。
視線が、眠っている翔太に落ちる。
少しだけ乱れた呼吸。
力の抜けた手。
無防備な顔。
大介🩷「……」
少しだけ、迷う。
ナースコールに手を伸ばしかけて、止めた。
大介🩷「……チッ」
小さく舌打ち。
でも、そのまま呼ばない。
代わりに、ベッドの端に手をつく。
ゆっくり体を起こす。
まだ本調子じゃない身体。
それでも、無理をして、手を伸ばし翔太の肩に、そっと触れる。起こさないように。落ちないように。
大介🩷「……ほんと、手ぇかかる」
小さく呟く。
そのまま、枕を少し引き寄せる。
翔太の頭を、そっと支える。
不器用な動作。でも、雑ではない。
ちゃんと、落とさないように。
ベッドの上に、半分だけ乗せる形になる。
完全には寝かせられない。
でも、それ以上は無理だった。
大介🩷「……これが限界」
息を吐く。
そのまま、壁にもたれる。
視線は、自然と翔太に向いた。
少しだけ、眉が緩む。
大介🩷「……無理すんなよ」
大介は、視線を落とす。
翔太の顔。
無防備で、どこか、子どもみたいに見えた。
大介🩷「……ほんと、世話焼ける」
小さく呟く。そのまま、ふ、と顔を寄せる。
触れるだけの、軽いキス。
頬に。
一瞬で、離れる。
大介🩷「――はい、終了」
何事もなかったみたいに、台本を閉じた。
翔太💙「俺を見てよ……俺だけを――」
大介🩷「……バカ」
大介はクスッと笑った。
大介🩷「それ俺のセリフ――」
大介🩷「……喜んでんじゃねぇーよ」
大介🩷「ダセェな」
微睡の中で、優しい熱が、頰を撫でた気がした。
――そのとき。
コン、コン。
ノック。
間を置かずに、ドアが開く。
蓮 🖤「様子――」
言いかけて、止まる。視線が、室内を捉える。
ベッド。
佐久間。
そして、その横で眠る翔太。
一瞬の沈黙。
空気が、変わる。
蓮の目が、わずかに細くなる。
蓮 🖤「……何してる」
低い声。
蓮 🖤「……距離が近い」
一言だけ。
責めるでもなく、ただの事実みたいに言う。
大介🩷「寝てるだけだろ」
蓮 🖤「……そうか」
でも、視線は離さない。
蓮 🖤「……起きたら」
蓮 🖤「俺のところに戻せ」
静かに言う。
命令でもなく、確認でもなく、〝当然〟みたいに。
大介🩷「へぇ」
少し笑う。
大介🩷「保護者かよ」
蓮 🖤「……違う」
一瞬だけ、言葉が止まる。
でも、次に出たのは――
蓮 🖤「……それ以上触るな」
蓮の視線が、翔太に落ちる。
呼吸。
顔色。
手の位置。
一瞬で確認する。
蓮 🖤「……」
ゆっくり近づく。
翔太の額に、手を当てる。
少しだけ、眉が動く。
蓮 🖤「熱はない」
小さく呟く。
そのまま、少しだけ顔を覗き込む。
蓮 🖤「……限界だな」
大介🩷「だろ」
短いやり取り。
でも、どこか静かだった。
蓮は立ち上がる。
一度だけ、佐久間を見る。
蓮 🖤「余計なことするな」
大介🩷「してねぇよ」
蓮 🖤「……」
それ以上は言わない。
ただ、視線だけが残る。
佐久間は笑う。
大介🩷「連れてくか?」
蓮は、ほんの一瞬だけ迷って、視線を落とした。
翔太の顔。
そのまま、小さく息を吐く。
蓮 🖤「……いい」
短く。
でも、はっきりと。
蓮 🖤「起きるまで、ここでいい」
大介🩷「へぇ」
少しだけ意外そうに笑う。
蓮は背を向ける。
ドアへ向かう。
足を止めることなく、そのまま言う。
蓮 🖤「……無理させるな」
誰に向けたのか、分からない言葉。
ドアが閉まる。
静かに。
大介🩷「……」
小さく笑った。
大介🩷「どっちに言ってんだよ」
呟く。
答えはない。
視線を落とす。
眠っている翔太。
その手元。
ポケットから、少しだけ見える白いもの。
指先で、そっと引き出す。
雪うさぎのボールペン。
小さく揺れる。
大介🩷「……これか」
少しだけ、目を細める。
大介🩷「お前の“支え”」
軽く呟く。
そのまま、元の場所に戻す。
触れすぎないように。
壊さないように。
大介🩷「……舞台も」
小さく。
誰にも聞こえない声で。
大介🩷「こうやって、立ってんのかもな」
目を閉じる。
一瞬だけ。
そして、また開く。
天井を見上げる。
大介🩷「……」
大介🩷「決めるか」
ぽつりと。
その言葉だけが、静かに残った。
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これ読んでる間中、なぜかBANG!!が脳内にリピされてた。 患者のベッドで眠るなんて不謹慎だけど、眠り姫みたいでかわよ💙