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ホストパロディ『君を騙して、君に救われた』~m×r~
「分かってるね? 君がやらなきゃならないこと――――――」
「……はい」
「ならいい。さっさと行ってきな」
神様なんて、たぶん最初から俺の味方じゃなかったんだと思う。
そうじゃなきゃ、こんなことにはなってないはずだ。
誰かを助けようとすれば、誰かが傷つく。
そういう理不尽が、世の中には普通に転がってる。
これから俺がすることは、きっと誰かを裏切ることになる。
本当は、申し訳ないって気持ちでいっぱいだ。
でも、それでも――
――Side ラウール
東京の空って、もっと重たいと思ってたけど、意外と軽くて、薄い。
夕方の空に、まだ熱気がふわっと残ってて、俺はキャリーバッグを片手に、スマホで地図を確認しながら、細く入り組んだ住宅街を歩いていた。
「……この辺で合ってるはずだけど」
立ち止まったのは、小さな三階建てのアパート。
白い外壁は少し色あせてて、鉄の階段にはうっすら錆が浮いてる。
古さはあるけど、共用のポストや小さな植木鉢に人の暮らしが感じられて、なんとなくホッとした。
ここが、俺がこれから住む場所――ホストクラブ『Lune(ルーン)』の社員寮。
働くことが決まったのは、ほんの三日前のことだった。
「寮もあるし、すぐ入れるよ」って言われて、勢いだけで荷物を詰め込んで、新幹線に飛び乗った。
期待と不安。
それから、ちょっとの諦め。
そして――“ある目的のため”。
その全部をキャリーの中に詰めて、俺はここまで来た。
「……行くしかないか」
小さく息を吐いて、インターホンを押す。
――ピンポーン。
数秒後、カチッと鍵の開く音がして、ドアがゆっくりと開いた。
黒のロンTにスウェット、濡れた髪の男の人が姿を見せた。
たぶん、ちょうどシャワーを浴びたばかりなんだろう。
「……〇〇蓮さんですか?」
「うん。今日から入る子だよね?」
「はい。ラウールです。今日からよろしくお願いします」
俺が慌てて頭を下げると、蓮さんはほんの少しだけ目を細めて、ゆっくりと頷いた。
「蓮。俺と同室」
「えっ……あ、そうなんですね」
まさかの展開に、声が裏返りそうになる。
てっきり一人部屋だと思ってたのに。“同室”って、蓮さんと?
でも、名前を聞いた瞬間、それ以上に驚いた。
〇〇蓮――
あの、“ナンバーワン”の名前だ。
先輩たちが口を揃えて言ってた、Luneの絶対的エース。
(……嘘、いきなり蓮さんと相部屋なんてあり得る?)
「荷物、持とうか?」
「い、いえっ!大丈夫です、自分で持ちます!」
あたふたしながら即答すると、蓮さんはそれ以上何も言わず、すっと背を向けた。
そして、無言のまま階段を上がっていく。
その背中を慌てて追いかけながら、俺はふと気づいた。
足音が、驚くほど静かだった。
まるで影のようで、だけど、不思議と冷たさは感じなかった。
三階の一番奥。
蓮さんが鍵を開けると、ふわっと木の匂いが広がる。
「……どうぞ」
促されて中に入ると、想像よりもこぢんまりした部屋だった。
六畳ほどの空間に、シングルベッドが二台。
壁際には机が二つ並んでて、クローゼットは共同。
洗濯機も冷蔵庫も揃ってて、最低限の生活には困らなさそうだった。
今の俺には、それだけで十分すぎる。
屋根があって、寝る場所がある。
それだけで、もう救われたような気持ちになっていた。
「ベッド、どっちでもいいよ」
「あっ、じゃあ……こっち、使わせてもらいます」
小さく頭を下げながら、俺は遠慮がちに窓側のベッドに荷物を置いた。
蓮さんは、それを特に気にする様子もなく、もう一つのベッドに腰を下ろして、髪をタオルで拭っている。
こうして、俺の新しい生活が始まった。
そして、それが“ただの新人ホストのスタート”なんかじゃないってことは、このときの俺にはまだ、分かってなかった――。
俺が指さしたベッドの方を見もしないまま、蓮さんは自分のベッドに静かに腰を下ろした。
その動きには一切の無駄がなくて、まるで遠い世界にいるような、不思議な雰囲気をまとっていた。
……すごく“静かな人”だった。
無口だけど、それは無愛想というよりも、言葉をひとつずつ丁寧に選んでいる感じだった。
こちらから話しかけなければ何も言わないけど、身のこなしに雑さは一切なくて。
冷たいわけじゃないのに、何を考えているのかがまったく見えてこない。
表情もほとんど変わらないし、声も落ち着いていて、感情を表に出すことがない。
「……あの、蓮さんって、ここにずっと住んでるんですか?」
「うん。三年くらいかな。住みやすいよ、ここ」
短く返された言葉は、やさしい声だった。
それだけでも、少しだけ安心する。
会話がぽんぽん続くわけじゃない。
でも、なんとなく、この空間が怖くはなかった。
(……本当に、不思議な人だな)
そんなふうに思いながら、ようやく俺はキャリーケースを開いて、荷物を一つずつ取り出し始めた。
部屋の中は驚くほど静かだった。
外の音も住人の気配もなくて、聞こえるのは冷蔵庫の唸る音と、カーテンがかすかに揺れる音だけ。
ふと顔を上げると、蓮さんが本を開いて読んでいた。
その姿は静かで、どこか知的で、でも不思議と近寄りがたくはなかった。
無言のままページをめくる横顔は、どこか眠たそうで、それでいて穏やかだった。
その姿を見ていたら、東京での新しい生活が、ほんの少しだけ怖くなくなった気がした。
――――――――――――――――――
翌日、夕方六時。
まだ空に明るさが残る時間、俺は黒いシャツの袖を緊張でいじりながら、『Lune』の扉の前に立っていた。
今日が、初出勤。
重厚感のある黒いドアを開けると、柔らかなシャンデリアの光が反射する、落ち着いた空間が広がっていた。
高級感のあるソファ、ガラスのテーブル、磨かれたカウンター。
テレビで見るような派手なホストクラブとは違って、どこか大人びた雰囲気が漂っていた。
(本当に……俺、ここで働くんだ)
喉がからからに乾いていたけど、深呼吸をして、もう一歩前に進む。
「お、君がラウールくんだね?」
声のした方を振り返ると、眼鏡をかけた優しそうな男性が立っていた。
四十手前くらいだろうか。白シャツにグレーのジャケットを羽織っていて、落ち着いた印象の人だった。
「はい。今日からお世話になります、ラウールです!」
俺が頭を下げると、彼はにこやかに笑って、手を差し出してくれた。
「オーナーの川島です。よろしくね。緊張してる?」
「……はい、ちょっとだけ」
「だよね。最初はみんなそう。大丈夫、うちはちゃんとサポートするから。まずは店内を案内しようか」
そこから始まったのは、店内の案内だった。
フロアの構成、スタッフルームの場所、ドリンクやグラスの扱い方。
それから、お客様への所作や言葉遣いまで、一つひとつ丁寧に教えてくれた。
俺はそのたびに「はい」「分かりました」と答えて、頭の中で何度も繰り返す。
(思ってたより……覚えること、多いな)
でも、オーナーの穏やかな声に、少しずつ緊張が和らいでいった。
案内が一段落したところで、オーナーがふと立ち止まった。
振り返ったときの顔は、少しだけくだけた表情だった。
「それでさ、ラウールくんは……どうしてホストをやろうと思ったの?」
その問いに、俺の手が止まった。
理由――それは。
視線を逸らして、俺は口元を少しだけ歪めながら、静かに答えた。
「……あまり、深い話はしたくないです。すみません」
一瞬、空気が止まった気がした。
でもオーナーは、ふっとやわらかく笑った。
「うん、そう言うと思ってた」
「……え?」
「ここね、そういう子、結構いるんだよ。理由を話したくない子、逃げてきた子、ただ黙っていたい子。色んな子がいる」
「……」
「うちは、それでいいの。ラウールくんがここに来てくれた、それだけで十分。話したくなったら、いつでも聞くよ」
その言葉に、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
優しいけど押しつけがましくない。ちゃんと“聞く姿勢”を持ってくれる大人だった。
俺は、思わず小さくうなずいた。
「……ありがとうございます」
オーナーは「よし」と手を叩いて、少し姿勢を正した。
「そうだ、ラウールくん。同室の蓮だけどね……ちょっと気難しいところあるけど、気にしないで」
「……え?」
「悪い子じゃないんだよ。ただ、無口で感情がちょっと分かりづらいだけ。人との距離の取り方が不器用でね。でも、根は真面目で責任感強いから」
「……そうなんですね」
たしかに、昨日の蓮さんはほとんど表情も変えず、喋りも少なかった。
でも、その言葉のひとつひとつは丁寧で、冷たさはまったく感じなかった。
「仕事中もあまり口数は多くないけど、お客さんのことはちゃんと見てるし、スタッフのことも同じ。見てないようで、意外と気にかけてるよ」
「……はい」
その話を聞いて、昨日の蓮さんの印象が少しずつ変わっていく。
言葉以上に、何かを伝えてくる人――そんな気がしてきた。
(気難しい、か……)
たしかにそうかもしれない。
でも、不思議と怖くなかった。むしろ、少しだけ気になる存在だった。
オーナーがふっと笑って、話題を切り替えるように言った。
「さて、あとで名刺の準備もしよう。今日は基本見学だけど、途中から少し場に出てもらうからね」
「はい、頑張ります」
口の中が少し乾いているのを感じて、そっと唇を舐める。
緊張はまだ消えてないけど。
“気難しいナンバーワン”と同じ部屋に住んでる俺が、この世界でどこまでやっていけるんだろうか――
そう思いながらも、胸の奥には、ほんの少しだけ希望が灯っていた。
―――――――――――――――――
開店準備が終わると、すぐに夜がやってきた。
俺は、黒いシャツとスラックスのまま、フロアの隅の壁際に立っていた。
「今日は見学でいいから」ってオーナーに言われた通り、グラスにもお客様にも触れず、ただホストたちの動きを見ていた。
クラブ『Lune』の夜が、少しずつ色づいていく。
シャンデリアの光がグラスに反射して、店内に笑い声と乾杯の音が響く。
淡い香水の香り、シャンパンの泡がはじける音、そしてお姫様たちの華やかな声。
「はーい!うちの女神ご来店で〜す!今日も姫、最高に綺麗〜!」
「ええ〜そんなこと言ってぇ、でも嬉しい〜!」
「照れてる顔がまた可愛いって〜!」
最初に目に入ったのは、若手ホストたちが常連のお姫様たちと盛り上がってる姿だった。
そのテンションの高さに、思わず目を見開く。
声のトーン、手拍子、身振り、乾杯のリズム、アイコンタクト。
全部が計算されてて、まるで舞台を見てるみたいだった。
「姫、今日はなに飲む?え、モエ!? マジ!? うわ、テンション上がる〜!!」
「盛り上げてくれるの!? 俺、もう幸せすぎる!」
「姫に出会うために生まれてきた説、ある!」
ふざけてるように見えて、全部が空気を読むための計算。
会話も動きも、たった一つの目的のため――お姫様を笑顔にするため。
(……すごいな)
ただの盛り上げ役じゃない。
“笑わせる”のと“笑われる”の違いをちゃんと分かってて、狙って魅せてる。
接客というより、もはや“演出”。
でもそこにあるのは、確かな“サービス精神”。
楽しませたいという思いが、空間全体を動かしていた。
「こういうノリ、俺にもできるのかな……」
ぽつりと、独りごとのように呟いた。
自分の“明るさ”とはちょっと違う、プロとしてのエンタメ力。
話すだけじゃなく、表情も動きも含めてすべてが武器になる場所。
ふと横を見ると、別のテーブルでは年配のお客さんに寄り添って、静かに会話をしているホストがいた。
落ち着いた口調、丁寧な相づち、そして笑顔。
さりげなくグラスをすすめながら、安心できる空気を作っていた。
(……一人ひとり、接客のスタイルが全然違うんだな)
同じ店で、同じ空間で、それぞれが自分の持ち味を最大限に活かしている。
その柔軟さと観察力に、自然と見入ってしまった。
――そのとき。
ふっと、フロアの空気が変わった気がした。
「こんばんは」
低くて静かな声とともに、黒いジャケットを羽織った蓮さんが現れた。
昨日と変わらず、口数は少なめで、表情もあまり変わらない。
けど、その歩く姿に、周囲が自然と空気を合わせていくような気配があった。
「わ……来た……」
思わず、声が漏れた。
蓮さんは、無言のまま担当のお姫様の元へ向かっていく。
そして、深く頭を下げ、ゆっくりとグラスにシャンパンを注いだ。
「今日も来てくれて、ありがとうございます」
それだけ。たったそれだけの言葉なのに、女性の表情がふわっと緩んだ。
声に安心感があって、言葉が少なくてもちゃんと伝わっている。
視線も仕草も、どこまでも丁寧でまっすぐだった。
お姫様が話しはじめると、蓮さんは視線を逸らさずに、静かに相づちを打っていた。
会話の内容までは聞こえなかったけど、その眼差しだけで、“特別扱いされてる”という感覚をきっと与えている。
(……あれが、ナンバーワンの接客)
派手さはない。テンションも高くない。
でも、そこには“本気”があった。
演技のように見えても、しっかり心がこもってるのが分かる。
俺は、息を呑むようにしてその姿を見つめていた。
「はーい!姫、今日もありがと〜!かんぱーい!」
「〇〇くん、テンション高すぎ〜!」
店内には、賑やかな乾杯の声が響き渡る。
グラスの音、笑い声、香水とお酒の香り――
フロア全体が、まるでフェス会場みたいに熱を帯びていた。
だけど、その中で。
明らかに“異質”な空気をまとう人が、ひとりだけいた。
蓮さんだった。
黒いジャケット姿で、ゆったりと歩くその背中。
誰かと張り合うこともなければ、声を張ることもない。
むしろ、盛り上がるほどに、彼の静けさが浮き彫りになる。
その“静けさ”が、目を引く。
不思議な魅力だった。
「今日も、来てくれてありがとうございます」
テーブルに座ると同時に、蓮さんは深く一礼し、シャンパンを静かに注ぐ。
その動作ひとつひとつが洗練されていて、まるで儀式のようだった。
「……蓮くんってさ、あんまりしゃべらないけど、ずっと見てくれてるよね」
女性客がふと微笑む。
蓮さんはそれに軽く目を細めて、ほんのわずかに頷いただけだった。
それだけで、十分だった。
彼女はうっとりしたようにグラスを手に取る。
そして、ふわっと言った。
「今日も、蓮くんの声聞いてるだけで癒される……シャンパン、もう一本入れようかな」
その言葉をきっかけに、スタッフがスムーズに動いて新しいボトルが届く。
“シュポン”という音とともに、新しいシャンパンが空気に香りを混ぜる。
そして、また一本。
彼女は嬉しそうに蓮さんを見つめ、彼は変わらぬ手つきでグラスを満たしていく。
話の主導権は常に彼女にあり、蓮さんは終始聞き役に徹していた。
でも、その“聞く姿勢”が驚くほど丁寧で、真剣だった。
(……どうして、あんなに静かなのに場がもつんだろう)
不思議だった。
けど、なんとなく分かる気もした。
言葉が少なくても、“そこにいるだけ”で安心させられる人。
表情が薄い分、一つ一つの仕草や言葉に重みがある。
“賑やかにしない”んじゃなくて、“賑やかにする必要がない”。
――それが、蓮さんの接客だった。
俺は気づけば、ずっとそのテーブルから目を離せなくなっていた。
夜が更けて、閉店間際の時間。
客足も落ち着いて、あちこちのテーブルで片付けが進む。
そのタイミングで、蓮さんが奥の方から現れた。
隣には、先ほどのお姫様がついてきている。
二人とも穏やかな顔をしていて、蓮さんは彼女のバッグを軽く持ってあげていた。
「じゃあ……アフター、少しだけ」
彼女の声に、蓮さんはゆっくりと頷いて、ドアを開けた。
夜風が一瞬、店内に吹き込んでくる。
きらびやかな空気をまとったまま、蓮さんは女性をエスコートするように静かに外へ出ていく。
俺はその背中を、フロアの隅からずっと見ていた。
派手な言葉も演出もないのに、
まるで映画のワンシーンみたいに――ただ、目が離せなかった。
(……あの人は、ホストというより“誰かの特別”なんだな)
静かで、優しくて、でもどこか遠い。
蓮さんの背中が、夜の街にゆっくりと溶けていく。
俺は、その姿が見えなくなるまで、動くことができなかった。
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作者名「木結」(雪だるまアイコン)でご検索ください。
※本編のその後を描いた“登場人物が成人後の関係性”に焦点を当てた特別編(18歳以上推奨)も収録しております。閲覧の際は、年齢とご体調に応じてご自身のご判断でご覧ください。
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