rdside
夕方の病棟は、昼間よりも静かだった。 廊下の人の声も遠く、どこか沈んだ空気が漂っている。
俺はカルテを片手に病室の前に立ち、深く息をついてからドアをノックした。
こん ×3 ヾ
rd「入るよ」
声をかけて扉を開けると、ベッドに横たわるぺいんとくんが視線をこちらへ向ける。
その目は昨日よりもどこか重く、口元は固く閉じられていて疲れているようにも見えた。
rd「こんばんは」
俺は軽く言葉を投げかけ、机のそばの椅子を引いた。
返事はない。ただ、目が閉じられなかっただけで十分だと感じた。
カルテを机に置くが、ペンは取らない。今日のぺいんとくんには数字や症状を記録するより、ただそばにいることの方が大事な気がしていた。
rd「外の桜、もう全部葉っぱが落ちちゃってたよ」
自然に声が出た。
rd「 少し前まで緑だったのに、気づいたら枝ばかりで。秋って急に来るんだなって思った」
ぺいんとくんは窓の方を見て、何も言わない。その横顔に夕日が差し込み、薄く赤い影を落とす。
それはどこか少し前のぺいんとくんを思い出させるものだった。
rd「この時間になると外も静かだね。
さっき、遠くで救急車の音が一度だけ聞こえた」
独り言みたいに続ける。ぺいんとくんは視線を動かしただけで、返事をしなかった。でもそれでいい。遮られることもない。
俺は話題を変える。
rd「大学生のころ、よく夕方の図書館にいたんだ。勉強するって言って入るんだけど、窓から外見てる時間の方が長くてね」
rd「集中力ないなって友達に笑われてたよ」
rd「凄く田舎の図書館なんだけど、すごく広くてカフェもあったから過ごしやすかったな〜」
自分で苦笑してみせる。ぺいんとくんの表情は動かない。それでも、わずかにまぶたが震えた気がした。
沈黙が落ちる。時計の針の音が響く。
俺はその沈黙を壊さない。 医者としてなら問いかけてしまうかもしれないけど、今日は違う。
ぺいんとくんが黙っているなら、その沈黙ごとここに置いておこうと思った。
視線を落とすと、ぺいんとくんの指先がシーツの上で小さく動いていた。落ち着かない仕草。でも、昨日のように顔を歪めることはなかった。
pn「……先生」
不意に声が落ちてきた。小さくて頼りないのに、はっきりと俺を呼んでいる。
驚いて顔を上げると、ぺいんとくんがまっすぐこちらを見ていた。
pn「どうして、そんなに……話してくれるの」
問いかけはそれだけ。声は弱く、表情も曇ったまま。けれど、確かにぺいんとくん自身の意思で投げられた言葉だった。
胸の奥がざわつく。
答えを急がず、一度息を整えてから口を開いた。
rd「そうだな……」
少し間を置く。
きっとそれは医者として話しかけなければいけない、とはかけ離れたものなんじゃないかと思う。
rd「ぺいんとくんが黙ってても、ここにいるってことが大事だからかな」
それ以上は言葉を続けなかった。ぺいんとくんは目を伏せ、窓の外に視線を逸らす。夕日がすっかり傾いて、病室の中は淡い影で満ちていた。
再度沈黙が流れる。けれど先ほどよりも重くはない。静かにゆっくりと流れる日没の時間をただ受け止めて、溶けていくような感覚だった。
ぺいんとくんは口を閉じたまま、ただ俺の言葉を胸の奥で転がしているように見えた。
俺は時計を確認して、やがて静かに告げた。
rd「今日はもう休もう。夕日も沈んできたし」
椅子を引いて立ち上がる。ぺいんとくんはわずかにまぶたを閉じた。その仕草が返事の代わりに見えた。
扉に手をかけ、閉める前に振り返る。西日に照らされたぺいんとくんの横顔は静かで、どこか遠い。
問いかけと、まだはっきりと答えきれていない感覚が胸に残る。
扉を閉じたあとも、彼の声が耳の奥に繰り返し響いていた。
扉を閉めたあと、廊下の静けさに包まれながら足を止めた。
答えきれなかった問いが胸に残って、どうにも落ち着かない。
pn『どうして、そんなに話してくれるの』
あの声は小さいけれど、確かに俺を揺さぶってきた。
医者だから、患者を安心させるために話す
そう言えば簡単かもしれない。
でも俺があそこで言ったことは、理屈じゃなくて、もっと曖昧で個人的なものだった。
ポケットに手を突っ込んで歩き出す。窓の外はすっかり赤が沈んで、青黒い色に変わりつつある。
ナースステーションに戻ると、看護師が報告をしている声が聞こえた。
けれど俺の頭の中は、ぺいんとくんの視線でいっぱいになっていた。
あれはどういう気持ちだったんだろう。
ただ知りたかったのか、それとも試すようなものだったのか。
どちらにせよ、答えを待っているような目ではなかった。
むしろ、答えを受け取る準備すらできていないように見えた。
俺はカルテを開いて文字を埋めていく。
食事は半分、熱は平熱、痛みの訴えはなし。
表面だけを拾えば落ち着いている。
でも、沈黙や問いかけは、どこにも書き込む場所がない。
時計を見ると、針はもうすぐ7時を指していた。
面会時間が終わり、病棟はさらに静まり返る。
それでもどこかに、ぺいんとくんの声が残っていて、俺は無意識にまた部屋の前へと足を運んでいた。
扉の前に立っても、すぐにはノックしなかった。
中の様子はわからないけど、眠っているなら起こしたくない。
そう考えて、廊下の壁にもたれかかる。
消毒液の匂いと機械の電子音だけが漂う中、さっきの問いを思い出す。
— どうして、そんなに話してくれるの。
答えはきっと、言葉よりも態度で返すしかない。
何も話せない時間も、話せるときと同じくらい大事だと、わかってほしい。
看護師に呼ばれてステーションに戻る。
そのまま仕事を片付けていくうちに、病棟は夜に沈んでいった。
窓の外に街灯の光が点々と浮かび、病室のカーテン越しに淡い明かりを落としている。
夜の準備をしながら、もう一度だけ彼の顔を思い出す。
あの問いにちゃんと答えられるのは、きっと今日じゃない。
けれど、あの沈黙の中に一言でも声を落としてくれたことは、俺にとっては十分だった。
それを思うと、不思議と心が少し軽くなる。
次に病室のドアを開けるとき、彼がどんな顔をしているかはわからない。
でも俺は、同じように椅子を引いて隣に座るだろう。
そう決めたまま、夜の病棟をゆっくり歩いて病室へ向かっていった。
コメント
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今回も最高です!! 文化祭の仕事が忙しくて見れてなかったけど一気見してしまいました! 素敵な作品をいつも ありがとうございます